Thursday, December 22, 2016

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 18: タリン 1





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今日から、エストニアの首都タリンを紹介します。
2016年10月1日の早朝から昼過ぎまで、主に旧市街を観光しました。
この日は、朝の雨上がりの後、素晴らしい快晴となりました。



< 2. ホテル周辺 1 >
早朝、ホテルの周辺を少し散策しました。
宿泊したホテルはÜlemiste Hotellで、旧市街から数km離れた所にあります。
ホテルの前には大きな湖、後ろにはタリン空港があります。

上の写真: この道を進むと都市の中心部、旧市街、タリン湾の港に行きます。

中央の写真: 上とは逆の方向です。

下の写真: 右側がホテル、左側が大型スーパーです。
当初、このスーパー(オープンAM10:00-PM9:00)に行ってみたかったのですが、前日ホテルで食事を終えたのが遅く、また朝の出発が早かったので行くことが出来ませんでした



< 3. ホテル周辺 2 >

2枚の写真: 少し歩いて電車の高架橋近くまで行きました。
ここを抜けて行くと町の中心部になります。

下の写真: ホテル近くのバス停。



< 4. ホテル周辺 3 >

上の写真: 湖。
中央の写真: 朝焼けの空港。
下の写真: タリン湾の方に虹が架かっている。




< 5. ホテルの最上階からの眺め  >

上の写真: 都市中心部の方。
中央の写真: 湖。
下の写真: 都市から離れる方。



< 6. 車窓からの市内 1  >

バスはホテルを出発し、市内を抜けて最初の観光地に向かいます。




< 7. 市内を行く 2  >

タリンの人口は39万人で、首都とはいえ非常にこじんまりしている。
ビル街は少なく、閑静な住宅街が広がっている感じです。




< 8. 「歌の原」に到着  >

目的の場所に到着した。
ここはエストニア、いやバルト三国にとっても心の叫びが奇跡を生んだ誇り高き場所なのです。

バルト三国では昔から毎4、5年ごとに、国を挙げての音楽祭が開かれていた。
かつてバルト三国は揃って一度、二つの大戦の間だけ独立したことがあった。
しかし第二次世界大戦が始まるとソ連に占領され、国歌や民謡を母国語で歌うことが禁止された。

一方、ゴルバチョフがソ連でペレストロイカを始めると、この地にも変化の兆し現れた。
1986年からバルト三国の各首都で大規模集会が開かれたが、逮捕者が出て終わっていた。
ついに、1988年9月、全エストニアの4分の1に当たる30万人がここに集まり、独立の思いを歌にした。
エストニア政府は連邦の方針に逆らい、抗議行動を許可し、この「歌う革命」は4年以上続くことになった。

1989年5月、タリンでバルト三国の独立の為の会議がもたれた。
こうして9月、バルト三国の首都を結ぶ600kmをそれぞれの国民200万人が手をつなぎ、人間の鎖を作った。
私達のバスは後にこの道を走ることになります。

1991年には、バルト三国のすべてがほぼ平和裏に独立を果たしていた。

「歌の原」で行われた2009年の歌声の祭典の公式ビデオです。
歌が持つ力に感動します。




< 9. 歌の原 1  >

上の写真: この静かな場所で感動がおこりました。

下の写真: タリンの港が見えています。




< 10. 歌の原 2 >

黄葉と朝陽が心を高揚させます。


今回の旅では、これから訪れる各国で自由と独立とは何かを考えることになりました。

次回に続きます。




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