Showing posts with label Europe. Show all posts
Showing posts with label Europe. Show all posts

Friday, September 25, 2026

 短縮版 迫る多難な危機  第三章 3-3,3-4

  



「一時の自己満足の為に人類を破滅させては、神も悲しむだろう」

 

この短縮版は、既に投稿済みの「迫る多難な危機」を、少し内容を割愛、分割して連載します。

 

まえがき

 現在、深刻な危機が同時多発的に地球と人類に迫っています。特に、この20年あまり、一部の大国が身勝手に振舞って来たことでより加速しています。今、私達が立ち上がらないと、子孫に顔向け出来なくなる。家族と世界を再び幸福にしましょう。Make the world and people happy again!

 

 

--- 目次  ---

第3章 我々が直面している危機

 3-3 現在の経済格差、最悪になった米国と大幅に改善された世界

 米国を見ます            

 それでは世界全体はどうなったのか? 

  まとめ

 3-4 これから起きる金融危機に備えて

 金融危機のからくり

 

   


第3章 我々が直面している危機

 

 我々に幾多の大きな危機が迫りつつある。それらには歴史上繰り返され来た危機や、まったく未知の恐ろしさ秘める危機もある。これらの危機を見極め対処しなければ、一国の疲弊や破綻に留まらず、遂には人類と地球に大きな損害を与えることになるだろう。数多くの危機の中から、最重要なものを選んだ。

 

3-3 現在の経済格差、最悪になった米国と大幅に改善された世界

 

米国を見ます

 米国は先進国中、経済格差最悪を更新中です。これは米国が新自由主義を最も信奉し牽引して来たからで、今後も止むことは無いでしょう。米国は、産業・経済・軍事・外交で世界を牽引しているが、政治と社会の内実は悲惨です。

 

経済格差: 最低所得から人口80%の年収層は50年近くで1.6~1.8倍に伸びた、しかし上位5%の高年収層はさらに2倍伸びた。その結果、上位5%の所得は下位20%の約10倍になった。上位1%の資産保有者による国内総資産の保有割合は、1989年の22.8%から2025年の31%に上昇。これに比べて、下位50%の保有割合は、1989年の3.5%から2024年には2.8%にまで減少した。

 

 

貧困: 上図の棒グラフが貧困人口を示す。レーガン政権の前後で、貧困人口は凡そ2500万人から3500万人に急上昇し、その後、定着している。

 

世界幸福度ランキング: 2013年、米国の幸福度は17位でしたが、2025年には過去最低の24位に落ち、先進国中でも低い方に定着しつつある。政府の信頼性も米国はOECDの平均よりも低く、30位前後に低迷している。

 

自殺率: 2000年の年齢調整済み自殺率は人口10万人あたり10.4人でしたが、2018年には14.2人まで上昇した(35.2%増)。特に高齢男性や若年層での増加が顕著で、富裕国の中でも高い。ちなみに自殺率が高い日本は、2024年で16.3人でした。

 

米国の状況はかなり悪くなってしまった。だからポピュリズムが沸き立つようになった。

 

 

 

それでは世界全体はどうなっているのか? 

 

 国際分業による生産性向上・価格低下が起こった。これは新興国(中国・ASEAN等)の急速な輸出産業の拡大と工業化を生み、その結果、世界全体の貧困人口が大幅に減少した。例えば、世界の極度の貧困率(1日2.15ドル未満で生活者/全人口の割合)は1970年の約60% から2020年代には約9%へと大幅に低下した。これは世界の貿易額/GDP比率が1970年の27%から2008年の61%への急上昇に現れている。これに伴って技術・資本・知識・人材の国境移動が加速した。この10年間で世界の最下層は70%も所得を増やし、富裕国では40~15%の増加に留まった。重要な事は、グローバリズムは発展途上国などの経済力を高め、国民所得を急速に上昇させたが、一方で、先進国の中間層以下の所得の伸びを低下させたことです。新興・途上国の経済シェアが20から40%へと拡大している。経済背長は先進国よりも新興・途上国の遥かに高いのです。世界全体で経済格差縮小と豊かさが訪れた原因のすべてが、グローバリズムのお陰とは言えないが、欠かせないものだった。世界GDPに占める世界貿易シェアが約25%から60%へと拡大し、グローバリズムの影響の大きさが伺える。米国では資産が30~60兆円の超富者が生まれた反面、多くの人は30年ほど所得は横這いに近かった。

 

まとめ

 二つのことが明確になった。一つは先進国(特に新自由主義を1980年代から積極的に取り入れた国々で、代表は日英米)で格差が急拡大した。一方、世界全体は豊かになった。ここで注意が必要なのは、米国などの国内の経済格差を起こしている真の原因は何かと言う事と、米国民はそれを誤解せずに知っているかと言う事です。

 結論から言うと、真の原因は、新自由主義政策で、レーガンとサッチャー政権以降に、米英の格差が拡大傾向になっていることから明らかです。

 

幾つかの悪化の原因について要約:米国を念頭に

 

A 国内の産業空洞化; 大戦後、多くの製造業が海外に移転するようになりました。しかし、世界の経済発展は国内にあらたな産業を生み出し、米国も含めて総就業人口は増え続け、失業率も長期的に低下傾向にある。

 

B IT革命; 1990年代中頃から始まったこの影響で、事務職等で失業が発生したが、これまた新しい職業が増え、全体として、総就業人口の低下はなかった。しかしグローバル化とIT革命の相互作用により、賃金は二極化し、賃金格差は広がった。

 

C 自由化と規制撤廃; 80年以降の金融市場拡大と多くの規制撤廃は、一人勝ちを生み出し、富が富を生むようになった。この現象は複雑だが、例えば80年代の全企業の利益に占める金融セクターの利益は10~15%でしたが、2000年代半ばにはこれが40%に達し、現在は20~25%で推移している。金融セクターのGDPに占めるシェアは7%前後に過ぎないのだが。金融資産残高で見ると、80年代はGDPの4.5倍だったが、現在はGDPの10倍に迫る。つまり金融資産で投資を繰り返すことが出来る人は幾何級数的に富を増やせる。所詮、金融資産は国がいくらでも発行出来る貨幣(価値)に過ぎないが、これに便乗できる者は濡れ手に泡である。

 

 

 

 

D 福祉と労働政策の後退; 80年代以降に国民を苦しめる施策が始まった。累進課税の縮小、企業や富裕層への優遇措置、タックスヘイブンへの資金や税金の海外逃避がより富裕者を富ませ、税収が大幅に減少し福祉予算に廻せる余裕は無くなった。また労働組合の弱体化は賃金上昇を阻んだ。失業と転職対策の不備は、グローバル化とIT革命に対応できない労働者を苦境に追い込んだ。また福祉政策の交代は、差別されている人々や失業した家庭が再起する機会を奪った。これらは低所得者に厳しい施策です。現実にアメリカンドリームが廃れていっているのが確認されている。

 

E 移民労働者; 移民労働者が80年代から2020年半ばまでに5000万人が米国に流入し、総人口比は14.5%になり、増加傾向にある。これが経済に与える影響は概ねプラスです。労働力と消費、さらに納税が増え、経済は上昇し、財政赤字が減る。また高齢化を是正する事にもなる。しかし不安材料もある。一部の低技能作業で仕事の奪い合いになり賃金低下が起こり、また地方自治体の公共サービスや行政費が上がる可能性があるが短期的な影響に留まるとされている(移民の子供が税を負担する)。

 

 これら5つの要因が、米国の格差拡大を生み出している。一言でいうと、金持ちはより金持ちになり、弱者と貧しい者は取り残される社会を政治が作り出したといえる。一番分かり易いのは、産業構造が変化するのなら失業者は当然生まれる、そこで転職と教育で労働者を援助すれば、これほど大きな問題にはならなかった。北欧はこの問題を解決してきたからこそ、幸福度と一人当たりGDPを共に勝ち得ているのです。少なくともグローバル化だけが悪いのでは無い。移民問題も同様に、経済や格差に大きな影響を与えていない。問題の本質は、多くの米国民が真実から眼を逸らされていることにある。

 

 

 

3-4 これから起きる金融危機に備えて

 

 米国の株価は絶好調です。もし、あなたが1993年にS&P500を買っていれば2026現在の評価額は18倍になっている。配当金を含めると32倍で、年利11%にもなる。これでは投資しない方が愚かに思える。ところが富裕層以外にとっては困難な問題が付き纏う。

 

 

 普通、年金や保険の資金の何割かは株式で運用される。しかし株は乱高下し、世界大恐慌で89%、ITバブルで83%、リーマンショックで57%下落した。つまり、高値で買うと1/10~1/2に資産を減らす。何時が買い時なのか? このグラフを見ると、うかつに手を出すのが怖くなる。基本は余裕資金での長期運用です。

 しかし金融危機の怖さは、株による損だけでは無い、中間層以下が長期にわたり困窮する羽目になることです。リーマンショック時、米国で起きたこと。8兆ドルの家計資産が消滅、600万件の住宅が差し押さえられ、800万人の失業(失業率は10%)、数百万人が医療保険を失い、自殺者は5千人増えた。米国で無保険は病院に行けず、場合によっては死の宣告に等しい。

 


 ところが、富裕層にとってはバブル崩壊後の景色は異なるのです。左のグラフは米国の所得階層毎の所得の推移を示しています。2000年のITバブル後に注目します。上位トップ1%は飛び切り増やし、上位10~20%も増やしています。下位80%では所得が戻るか、低い層ほどさらに減り、30年ほどで、ダラダラ下がり続けている。

 

 政府は金融産業の規制を避け、投機が旺盛になり、バブル崩壊が続く為に、格差が拡大している一面もあるのです。バブル崩壊時に、富裕層が素早く所得を挽回出来る大きな理由は、政府が大企業を潰さないために、リーマンショックでは救済金100兆円程をつぎ込み、景気回復に巨額資金を金融企業等に重点的に注入するためです。



 こうして米国は群を抜いて、経済格差が大きいのです。つまり、格差は人為的なものです。同じ資本主義ながら、経済システムを適正に行えている北欧で格差が少ないのは当然なのです。如何に金融危機が恐ろしいかが分かっていただけたでしょうか。

 

 

 

 

---全体の目次---

第一章、世界に迫っている危機の要約。

第二章、人類はこれまでに危機に対してどう対処して来たか。 

第三章、我々が直面している重大危機。

第四章、米国の衰退と世界の危機回避能力喪失は一体。

第五章、如何にあるべきか。

第六章、成功している北欧は資本主義のもう一つ道。

 

Tuesday, September 22, 2026

短縮版 迫る多難な危機  第二章 2-8,2-9

  


「一時の自己満足の為に人類を破滅させては、神も悲しむだろう」

 

この短縮版は、既に投稿済みの「迫る多難な危機」を、少し内容を割愛、分割して連載します。

 

まえがき

 現在、深刻な危機が同時多発的に地球と人類に迫っています。特に、この20年あまり、一部の大国が身勝手に振舞って来たことでより加速しています。今、私達が立ち上がらないと、子孫に顔向け出来なくなる。家族と世界を再び幸福にしましょう。Make the world and people happy again!

 

 

--- 目次  ---

 

第2章 人類は危機にどう対処したのか?

2-8 分断と対立を非暴力で乗り越えた社会があった 

   まとめ 

2-9 国家は対立・分裂し、また融和・統合を繰り返してきた 

   まとめ

 

 

 

 

 

第2章 人類は危機にどう対処したのか?

 人類は、初期には自然の猛威だけでなく、自ら作り出した災厄からも逃げ出すしかなかった。しかし、やがて工夫と協力で危機を乗り越えて来た歴史があります。失敗や成功の事例を見ます。

 

2-8 分断と対立を非暴力で乗り越えた社会があった

 

 歴史上、深い分断を乗り越え、暴力なしで国家や社会の統合に成功した事例を振り返ります。

 


 1930〜1960年代、米国はニューディールと公民権運動を成し遂げた。米国は、1929年の大恐慌による空前の失業率(約25%)と経済の崩壊に直面していた。また南部における露骨な人種隔離(ジム・クロウ法)など、階級や人種を巡る凄まじい分断があった。F・ローズヴェルト大統領は、労働者、農民、南部保守派、都市部の移民やアフリカ系アメリカ人を政治的に結びつける「ニューディール連合」を形成し、手厚い社会保障や経済的不安を緩和する公共事業を行った。彼は、社会・人種的に対立しがちな人々に「雇用」や「社会保障(年金制度など)」という実利を提供することで団結させた。この政策は、ケインズが説いたばかりの「有効需要理論」の最初の大きな成功事例でした。

 さらにケネディ大統領らが1960年代の公民権運動を支援し、法的な人種隔離を撤廃し、少数派を国家の枠組みへと統合するプロセスを進めました。

 

 1938年〜、スウェーデンは国家的な労使協調路線を創り上げた。1930年代の世界的不況の中、スウェーデンでも労働者側と資本家側の激しいストライキや暴力沙汰が相次ぎ、社会秩序が崩壊寸前でした。労使双方が政府の介入を待たずに直接交渉を行い、「サルツシャーデン協定」を締結。「労働争議におけるルール作り」と引き換えに、資本家側は雇用や賃金の安定を約束し、労働者側は経営権への不介入を受け入れました。これを機に「労働組合・経営者・政府」の協調体制が生まれ、世界最高水準の社会保障を支える強固な社会的連帯(国民の家構想)の土台となりました。この協定は、激しい労働争議を抑制し、協調的な関係を目指して労使双方が参加する共同の紛争処理・調整機関を作り、平和的解決を図る仕組みを整えた。このモデルは北欧各国に浸透し、今も高度な福祉国家を支え続けている。


 

 1990年代、南アフリカは平和裏にアパルトヘイトを乗り越えた。アパルトヘイト(白人による人種
隔離政策)の崩壊直後、白人支配層と被支配層の黒人、さらには解放を目指す黒人派閥間にも、数十年におよぶ弾圧と暴力による、修復不可能なほどの深い憎悪と分断が存在していました。黒人の解放活動家のリーダーだったネルソン・マンデラは、国際世論の後押しで白人政権から平和裏に政権を引継ぎ、大統領になった。しかし前政権支配層の加害行為、また解放方針の違いで敵対する黒人集団への対処が喫緊の課題でした。彼は、過去の人権侵害の加害者が公の場で真実を告白すれば刑事訴追を免除する「真実和解委員会」を設置しました。彼は、復讐に走り厳格な処罰を行えば報復合戦が始まり内戦に至ることを避けた。この道は、想像絶する苦難を伴いました。武装闘争で対立していた黒人グループが白人の支援を受け、マンデラ路線を葬るために、彼のグループを短期間に2万人以上殺戮していたが、彼は皆に耐えるように訴え、内戦勃発を防ぐことが出来た。

 

 1965年〜、シンガポールは独立時に多民族国家構築を成し遂げた。シンガポールは中華系、マレー系、インド系などの諸民族間で血生臭い人種暴動が発生した直後であり、国家として極めて脆弱な分断状態にありました。リー・クアンユー政権は、特定のマジョリティ優遇ではなく、英語を共通の行政・ビジネス言語としつつ、4大公用語(英語・マレー語・中国語・タミル語)を平等に扱い、すべての民族が等しく恩恵を受けられる住宅政策や義務教育を徹底しました。民族ごとの居住区の固定化を防ぐため、公団住宅に各民族の入居比率制限を設け、日常的な交流と融合を促しました。特定の民族優遇を避け、4つの主要宗教の祝日を平等に尊重する政策をとりました。民族に関わらず、能力と実績に基づいて評価・登用する仕組みを徹底し、国家の安定と経済成長につなげました。

 

 

まとめ

 人類は歴史を重ねる中で社会内部に多くの対立を生み出しては、紛争を招くこともあったが、上述のように融和策で団結を図り、次代の発展へとバトンを渡すことが出来た。

 

成功の要因。

l 一方が他方を力で抑え込まない。

l 異なるグループがそれぞれ公平な利益配分を得る為の制度的妥協点を見出す。

l 互いに合意出来る、対立を処理できる制度が必要。

l 多くの場合、優れたリーダーが牽引した。

 

 

 

 

2-9 国家は対立・分裂し、また融和・統合を繰り返してきた

 

 ここでは、紛争と公害防止以外の経済・社会・格差・健康などで世界が協力した事例を見ます。

 

 先ず世界最古の国際法とみなせるローデス海法がありました。古代ギリシャ・ローマ時代から7世紀頃まで採用された海上法規です。嵐の際に船を軽くするために積み荷を海へ投げ捨てた場合「救われた船や残りの積み荷の持ち主全員で、失われた損害を分担する」というルールを世界で初めて定めました。これ以前は、「漂着した難破船の財産は、その海岸の領主や住民のものになる」という略奪的な慣習がまかり通っていました。

 

1919年、ILO(国際労働機関)設立、加盟国187ヵ国。これは、第一次世界大戦後、世界の労働条件を改善することにより労働者の不満が社会不安や革命につながるのを防ぎ、労働者を酷使する国との国際競争で不利にならないようにする経済的な目的も兼ねていた。児童労働、強制労働、労働時間、結社の自由、最低労働基準、差別などについて国際基準を作ってきた。「1日8時間・週40時間労働」や「有給休暇」などの制度は、ILOのおかげで世界中に広まった。ところが、日本は基本条約の5件の内3件は批准せず、また米国の批准数はさらに少なく世界でも最低水準です。両国の労働者の権利が軽視されている証左でしょう。

 

1944~1947年、ブレトン・ウッズ体制からGATT誕生まで。これは、戦間期の保護主義と通貨混乱を二度と繰り返さないために、為替安定・短期資金支援を担うIMF、復興・開発資金を担う世界銀行

と国際貿易の自由化(GATT)を柱として構築された。GATTは、関税の引き下げと非関税障壁の撤廃などにより、貿易摩擦を解消し世界貿易量の爆発的な拡大を後押しした。世界は貿易ルールに従って経済的孤立から互いに経済的繁栄を目指した。これがグローバル化を成功させた。残念なことに米国は、80年前の禁じ手(関税)にしがみつこうとしている。

 

1980年、世界保健機関(WHO)による天然痘根絶。WHO(世界保健機関)の主導のもと、冷戦下であったにもかかわらず米国とソ連を含む世界中の国々が協力しました。資金提供、ワクチンの大量生産、世界各地での徹底した接種キャンペーンと監視活動を連携して行い、1977年、ソマリアでの発生を最後に、地球上から無くなりました。人類史上初めて感染症の根絶に成功しました

 

1987年~、Erasmusスタート。欧州連合(EU)が主導する大学生等の国際交換留学・教育支援プログラムです。目的は、ヨーロッパ圏内および世界各国との間で学生や教職員の流動性を高め、多様性の理解や国際的なキャリア形成を促進することで、累計参加者は1300万人を越えている。

 

2000年、国連ミレニアム開発目標(MDGs)採択。全加盟国によって採択され、2015年までに貧困・飢餓・初等教育・母子保健などを改善する8つの目標を掲げました。極度の貧困と飢餓の撲滅、普遍的な初等教育の達成、ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上、乳幼児死亡率の削減、妊産婦の健康状態の改善、HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止、環境の持続可能性の確保、開発のためのグローバル・パートナーシップの構築が目標でした。上記目標の「極度の貧困率の半減」や「栄養不良人口の割合半減」などは見事に達成されました。MDGs成果の一つとして、1990年から2015年にかけて10億人以上の人々が極度の貧困(1日1.25ドル未満での生活)から脱却することができました。これを引継ぎ、SDGsがスタートしました。MDGsが主に開発発展途上国を対象としたが、SDGsはすべての国を対象にし、17の目標でスタートし、2030年まで行われる。 。

  


2015年、パリ協定(気候変動対策)批准。190か国以上が批准した気候変動対策の国際枠組みです。       

  各国が自主的に温室効果ガス削減目標を提出し、5年ごとに見直す仕組みにより、事実上すべての国を巻き込む合意を実現しました。世界の平均気温上昇を産業革命前と比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力を追求することを掲げています。しかし現状、国連環境計画の試算では、現在の各国の政策のままでは今世紀末までに2.6℃〜2.9℃の気温上昇が予測されており、1.5℃に抑えるための削減ペース(2030年までに約42%削減など)には遠く及んでいません。また温室効果ガス排出量世界2位の米国はトランプの意向によってパリ協定からの離脱・復帰を繰り返し国際協調を阻害している。

 

 

まとめ

  世界は、先ずヨーロッパ内での協力で始まり、第二次世界大戦後は、世界各国が協力するようになった。それはグローバル化と併走していた。明らかに一国の努力では解決出来ない課題が増えており、各国が協力しなければならなくなった。様々な国際機関を作り、機能させて来た。だが、うまく機能しているとは言えない。各国間の所得格差(貧困度)は緩和・縮小傾向にありますが、名目GDPで約800倍、購買力平価(実質的な生活水準)で約80倍の差がまだあり、経済的・技術的な協力には限界がある。また多極化が進み、南北問題から南の代表としてブリックスBRICSが影響力を高めている。さらにロシアと中国の独裁だけでなく、右派ポピュリズムが米国を筆頭に多くの国を内向きにさせている。ただでさえ国連は軍事・制裁の執行力を持っていないのに、拒否権により決議すらできないでいる。不安な状況が続いている。

 

 

 

----全体の目次----

第一章、世界に迫っている危機の要約。

第二章、人類はこれまでに危機に対してどう対処して来たか。 

第三章、我々が直面している重大危機。

第四章、米国の衰退と世界の危機回避能力喪失は一体。

第五章、如何にあるべきか。

第六章、成功している北欧は資本主義のもう一つ道。

 

Monday, September 21, 2026

短縮版 迫る多難な危機  第二章 2-7

 


「一時の自己満足の為に人類を破滅させては、神も悲しむだろう」

 

この短縮版は、既に投稿済みの「迫る多難な危機」を、少し内容を割愛、分割して連載します。

 

 

まえがき

 現在、深刻な危機が同時多発的に地球と人類に迫っています。特に、この20年あまり、一部の大国が身勝手に振舞って来たことでより加速しています。今、私達が立ち上がらないと、子孫に顔向け出来なくなる。家族と世界を再び幸福にしましょう。Make the world and people happy again!

 

--- 目次  ---

 

第2章 人類は危機にどう対処したのか?

2-7 幾多のエポックが社会を変え、発展をもたらした             

まとめ 

 

 

 

 

 

 

第2章 人類は危機にどう対処したのか?

 人類は、初期には自然の猛威だけでなく、自ら作り出した災厄からも逃げ出すしかなかった。しかし、やがて工夫と協力で危機を乗り越えて来た歴史があります。失敗や成功の事例を見ます。

 

2-7 幾多のエポックが社会を変え、発展をもたらした

 

 人類の進化・進歩は、幾たびかの「大きなエポック(技術的・社会的転換)」を経て行われた。しかし社会内部では大きな対立と攻防がもたらされた。人類はこれらをどう乗り越えて来たのか? 四つのエポックが人々に何をもたらしたかを見ます。


 

 農業革命は約1万年前に始まり、それまでの採集から栽培・家畜化へ進み、定住と貯蔵が可能になった。そこから大変動が始まります。定住と土地の所有、食料の貯蔵が普及し人口が増えました。一方、不作になると他村の備蓄、家畜や土地を奪う事で生き残りを図るようになり、襲撃・略奪が増えた。やがて富の格差が生じ、支配者が生まれるようになった。青銅器時代になると戦争と都市化が加速した。紀元前3300年頃から始まり19世紀まで続く王権のスタイルが誕生し、強化されていったので、平民・奴隷は重税・賦役に耐える長い時代を生きることになった。生産効率を格段に上昇させた農業革命は、戦乱が平定され王権が安定すれば、平和が訪れて経済と文明の発達をもたらした。

 

 




 精神革命は紀元前800年~紀元前200年に、ユーラシア大陸の4つの地域でほぼ同時に興りました。ユダヤ教、ギリシャ哲学、諸子百家、仏教等の新しい哲学や宗教が誕生した。これらには以前に無い特徴があり、部族や小国を越えた広い地域に適用できる普遍的な真理や道徳を持つ思想や宗教でした。これが生まれた背景に、鉄器の普及により生産力と軍事力が向上し、大規模化する戦争が都市国家から大規模国家へと統合させたことがある。また交易網が発展し、異なる文化や異質な価値観が接触することで、自民族のローカルな神話を客観視し、より抽象的で普遍的な真理が生まれる土壌が育った。この過程で、敗れた王権の伝統的権威が失墜し、王宮の形骸化した祭祀(宗教)に批判が向けられた。一方で祭祀者(司祭)や軍の参謀らの知的エリート層の中から、新しい思想や宗教が生み出された。彼らの思想や宗教は、血縁や共同体の崩壊で混乱する民衆の心を捉え、大きな広がりを見せた。新しい帝国は、これらの宗教が社会に強い紐帯や安寧をもたらすとし国教と定め、押し広めた。こうして国家と普遍的宗教が強く結ばれるようになり、世界宗教として現在まで絶大な力を持っようになった。ギリシャ哲学でさえ、宗教(神)を否定することなく、神事は継承され都市民の絆として残った。精神革命は、社会の混乱の中から生まれた思想・宗教が民衆と国家に受け入れられ、その後も国家平定に役立ち続けた。

 


 商業革命は15世紀から18世紀にかけてヨーロッパで起きた。大航海時代を契機に世界規模の貿易ネットワークが形成され、金融制度・商業組織・社会構造が劇的に変化した。この過程で、為替手形等の金融制度が発展し、株式会社が誕生し、近代資本主義の原型が生まれた。また社会にも変化が起きた。商人・金融家は、港湾都市が発展すると、農業収入に依存していた封建領主に代り、巨富を築き、力を得るようになり、後の市民革命の担い手になった。新規なものに投資することにより富を築く事が可能になったことで、従来の身分や慣習に囚われない、自由な発想が商人を中心に広がっていった。こうした中、彼らの思いを代弁するような思想がいくつも生まれた。18世紀スコットランドのアダム・スミスの経済思想へと結実していきました。彼の言う「個人が自らの利益を追求して自由な経済活動を行えば、市場の価格メカニズム(見えざる手)によって、結果的に社会全体の富や便益が最大化される」が、現在も呪文のように唱えられている。

 

 16世紀の宗教改革の思想の一部には商業革命の影響も受けていた。カルヴァン派(プロテスタントの一派)が誕生し、西ヨーロッパの商工業者を中心に爆発的に広がり、後に英国から北米に植民するピューリタンとなり、今の米国の最大宗教派の礎を作った。ピューリタンは、中世カトリック教会が否定した金儲け・高利貸し行為に対して、「勤労による利益は神の恵み」と肯定するようになっていた。 

 


 

 英国の産業革命は、18世紀後半から19世紀前半にかけて、手工業中心の経済が、機械・工場・蒸気動力・大量生産を中心とする経済へ移行した大変化です。

 紡績織布の各工程の機械が1733~1779年に発明され導入されます。機械が大型化すると、動力としての蒸気機関が大幅に改良され、鉱山だけでなく工場・船舶・鉄道にも利用されるようになった。次いで製鉄・運河・鉄道が発達し、重工業化と輸送革命が進行した。

 

 工場が増えると都市化が進みましたが、労働者の住宅、上下水道、ごみ処理が不足し、人口過密と衛生問題が深刻化しました。工場では、女性や子供も多数働くようになり、また危険で長時間労働と事故が増えた。こうして産業革命の初期、労働者は悪条件下で賃金が低下し続けた。こうして資本家層の横暴が目立つようになり、宗教家・改革者・労働者の改革運動を背景に、1802~1842年にかけて議会は次第に労働者保護の規制を導入するようになりました。そして1871年労働組合結成、1906年スト権が合法化され、後に普通選挙を国民が手に入れることになった。やっと労働運動によって国民全体が産業革命の成果を得るようになり、賃金の上昇が始まった。

 

 産業革命において旧産業に働く人々は失業したはずだが、社会全体ではどうなったのだろうか? 学者らの推計によれば、全期間において平均失業率は1~3%程度と低いようだった。初期の農林業従事者が鉱工業・建設業とサービス業に向かい、新産業が旧産業の失業者を吸収した。しかし二つの問題があった。機械に仕事を奪われた職人は機械生産との価格競争に晒され、過酷で低賃金に耐えた。今一つは、資本主義経済が定着したことで、景気循環による恐慌が頻発し、失業率が10~20%になることもあった。

 

 産業革命は最終的に経済を発展させ国民所得を上昇させ、次の米国の自動車や電気産業の発展へと繋がっていった。そして資本主義経済と自由貿易体制が確立した。一方で、労働運動から民主主義(人権尊重、多数決)と社会保障の充実が進み、1970年頃まで中産階級は上昇し続けた。

 

 産業革命は今に通じる、科学尊重、チャレンジ精神、勤労習慣、自由と権利の平等、民主主義等の重要な国民の意識を育んだ。一方で、大航海時代より世界に植民地を広げる中で、白人以外への差別は無くならず、さらに産業革命終了頃からヨーロッパは帝国主義(植民地獲得)へと突き進み、各国が競争・武力衝突を繰り返し、第一次世界大戦の勃発に至った。

 

 

まとめ

 これまで4つの革命と一つの改革を見てきました。農業革命では、平等だった狩猟採集社会に終わりを告げ、戦争と国家を生み、軍隊を持つ王の下に階層社会が出来上がりました。

 精神革命では、文明の発展と経済圏の拡大により、戦争と国家の規模が拡大し、戦火で疲弊した社会を安定させる説得力を持った宗教が生み出され、より広大な領域に精神的な一体感が生まれた。

 商業革命では、武力だけが権力基盤だった社会から、商人が第二の権力を握れる貨幣経済社会が到来し、やがて封建社会が廃れることになる。また宗教改革で分離したプロテスタントは教会権力から、各人が神と対峙するという意味で、主体性と権力からの自由の意識を持つようになった。一方、神の救いは決まっているが不明とされたので、自分が選ばれることを望み、地上で勤労に励み、自由な経済活動を尊んだ。この革命が終わる頃には、ヨーロッパ人は自由と主体性を持ち得るようになった。しかし一方で、奴隷アフリカの奴隷黒人、新大陸の先住民の酷使、東欧の農奴化と、ヨーロッパ人による搾取と差別が地球規模で行われ、その後も大きな傷痕を残し続けることになる。産業革命は、資本主義経済(工場、金融、法制度、市場)と工業製品によるグローバル経済を確立した。都市化と鉄道等交通網が発達し景観が一変し、地主貴族、新興資本家(ブルジョワジー)、都市労働者(プロレタリアート)の新しい階層が生まれ、中産階級(商人・専門職・事務職)も拡大し、社会も一変した。この資本家と労働者の対立が激化する中で、国民には二つの道が示された。一つは、資本家の横暴を根絶するために労働者が政権を担う共産主義を目指す。もう一つは、労働者の要望を国の制度に反映し続ける福祉国家を目指す。英国は後者を選び、人権尊重や福祉制度が進んだ。20世紀前半まで、多くの欧米諸国はこの方向を目指し、北欧は遅れて福祉国家を選んだ。しかし、1980年以降、先進国は様変わりした。 

 

 残念ながら、現在は、これまで人類が築き上げて来た素晴らしい精神を反故にし、迷宮に迷い込み、泣き叫ぶだけになってしまったようだ。

 

 

----全体の目次----

第一章、世界に迫っている危機の要約。

第二章、人類はこれまでに危機に対してどう対処して来たか。 

第三章、我々が直面している重大危機。

第四章、米国の衰退と世界の危機回避能力喪失は一体。

第五章、如何にあるべきか。

第六章、成功している北欧は資本主義のもう一つ道。