Monday, December 12, 2016

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 15: バスの車窓から見たロシア




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今日は、サンクトペテルブルグから国境の町ナルヴァまでの景色を紹介します。
2016年9月30日の午後、バスは140kmの道のりを3時間半かけて走りました。
ロシアを去るにあたり、ロシアの感想も記します。


はじめに
紹介する地域はロシアの北西端にあり、フィンランド湾に接しています。
私達の観光バスはロシアの原野に点在する町や村を抜けて行きました。
ナルヴァはバルト三国の最初の訪問国エストニアの国境の町です。
この日はあいにくの曇りで、時折、小雨が降り、また雲間から青空が覗く天気でした。
しかし、時折のぞかせる太陽光に黄葉が光り、不思議に高揚感のあるバスの旅になりました。

写真は撮影順に並んでいます。



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上の写真: サンクトペテルブルグの郊外の一角に、一戸建ての住居が整然と並んでいる場所が幾つも見られましたが、これはその一部です。
これらはどうやら社会主義時代からの別荘地のようです。
これらは今も使われているようですが、私は林の中で放置されている物件が多いように思えた。



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これは途中の都市に隣接する公園です。
道路沿いのバス停は何処も質素で、寒くなると困るんじゃないかと思いました。



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上の写真: 送電線が走っている所では森が切り拓かれていて、森の奥行が良くわかります。

下の写真: これは原野の中に点在する村の一角です。
道路沿いの村の多くはあまり大きくなく、住居は疎らに並んでいることが多い。
ここらでは住居当たりの敷地は広く、自然と共存している。



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ロシアもバルト三国もキリスト教の国ですが、道路沿いに教会を見ることは少なかった。
それは広大な原野に人が疎らに住んでいており、昔からある村は今回走った幹線道路から遠いせいかもしれない。


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上の写真: ロシアとエストニアの国境を流れるナルヴァ川。
ここからフィンランド湾の河口まで16kmです。
今、ちょうど厳重なロシア側の検問を終え、橋を渡ってエストニア側の検問所に行く所です。

中央の写真: エストニアの検問所を出た広場。
この建物は市役所と旅行案内所のようです。

下の写真: 今出て来たエストニアの検問所です。
この検問所の右横を進むとナルヴァ城に行くことが出来ます。


ロシアを去るにあたって
私にとってロシアは是非とも訪れて、自分の眼と耳で確認しておくべき国でした。

ロシア、ソ連は歴史的にも、超大国の隣国であることも私に関心を抱かせた。
この国は社会主義の実験場であり、ゴルバチョフの低迷後、プーチンでどのようになっていくのだろうか?
また明治維新後、日本が最も恐れたのはロシアでした。
ロシアは本当に拡張主義を取り続ける国なのだろうか?

それらを知るには、首都モスクワやクレムリンを知る必要がある。
また、サンクトペテルブルグや宮殿も見たい。

直観的に感じた最大のことは、都市部の生活が非常に豊かなことでした。
観光地とショッピングセンターしか行っていないが、商品が溢れ、値段も高くない。
都市部の経済状況は良いようです。

一方、郊外や地方は取り残されている感じがした。
郊外のアパート群や原野の中の農家は古いままのように見える。
外から見て生活の質はわからないが、自然と共存しゆったりと暮らしている可能性はある。

次に感じたことは、その国土の広さと未開発地域の多さです。
もしかすれば、かつての開墾地が放置されただけかもしれないが。
モスクワからサンクトペテルブルグ、エストニアへのルート沿いを見る限り、耕作地や牧場、植林地になりそうな原野が広がっていた。
これは大きな資産だと思う。

しかし心配なこともある。
それは現地の数人の人と話して感じたことです。

一人は熱烈なプーチンびいきの男性でした。
ゴルバチョフは経済を崩壊させ連邦を崩壊させ国土を失わせたとこき下ろし、一方、プーチンは経済を復活させ領土を取り戻したと絶賛した。
これは欧米での評判は前者が良く、後者が悪いと伝えた後の説明でした。
チェチェン紛争を取り上げると、彼は一蹴した。
「あれはロシアのものだから当然であり、問題にならない。」
他の話も、この調子で取り入るひまが無い。

人は好さそうで、怒って私に反論しているわけではない。
ただプーチンを信頼しているに過ぎない。
おそらくはゴルバチョフの大転換が無ければ、今の元気なロシアや明るさを取り戻した東欧は無かっただろう。
一方で、プーチンの剛腕は混乱からの脱出を可能にし、必要悪なのかもしれない。


また一人の若い女性との話も印象的でした。
彼女は失礼な質問にも親切に答えてくれた。

欧米や日本から見ればロシアは以前から侵略国に映り、今の動きに不安を持っていると伝えた。
彼女は、それは米国のプロバガンダに過ぎないと言った。
またロシア国民は侵略を望んでいないと断言した。

日本は明治維新後、軍事大国に進んだ理由の一つは、ロシアが最大の仮想敵国だったからですと説明した。
彼女は、最大の敵は米国だったはずですと私に言った。
それは日本が満州に乗り込んでからの事ですと私は答えた。
彼女は日本史を大学で学んだいたはずだが。

私はバルト三国の人々がロシアを恐れているように聞いているが、ロシア国民はどのように思っているのでしょうかと聞いた。
彼女は、質問に驚きを示した後、そのような小さな国のことは知らないと答えた。


二人との話は長いのですが、要点は以上です。


私の感想
ロシアでは情報が一方的になっている可能性が高く、特に米国に対しての偏見、悪い国とのイメージが強いようです。
おそらくはそれを正す情報が入手し難いのでしょう。

また、私達から見ればウクライナやチェチェン、クリミヤ問題は武力干渉や侵略に思えるのですが、ロシアから見れば歴史的な経緯がある領土問題です。
確かに1500年も遡れば、その境界は混沌として来ます。
ロシアの歴史を見れば、ロシアもかつては多くの異民族から侵略され、その対抗手段として強国になったとも言える。
また進出の矛先はバルト海(サンクトペテルブルグ)と黒海(クリミヤ)などで、交易と文明開化の為と言える。

少なくとも、ロシアでは一方的な物の見方が定着しているように思った。
必要なことは、交流を深め、つまらない誤解を解き、互いに真実を知るべきです。
これは、欧米や日本にも言えることですが。

今回の旅行中、各国で歴史や社会について話している時、立場が悪くなると必ず口をついて出てくる言葉が「それはプロパガンダですよ!」と言って、話は終わってしまう。
この逃げの言葉は使いたくないものです。

それでも、今回の旅行では日本語で多くの方と忌憚のない意見交換が出来た。
話し合った方々に感謝します。


次回、ナルヴァ城を紹介します。




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