Friday, February 6, 2026

 Reclaim your prosperous life! Before the crisis hits Part 2 取り戻せ豊かな暮らし! 危機に陥る前に 第Ⅱ部 

 


 Introduction

I wrote this report because, far from escaping a long slump, Japan's international rankings have continued to fall, and even the seemingly healthy United States is in turmoil as the Trump whirlwind rages. What's even more alarming is that many countries seem to be convinced that right-wing populism alone can solve these problems without addressing the root causes of these worsening conditions.

First, I will analyze the current situation in the United States and explain why economic inequality has widened and division has occurred. Next, I will discuss Japan and show how Japan's unique weaknesses are further exacerbating the situation. I will also introduce countries that have achieved happiness by making different choices from those of the United States and Japan. Based on the differences between these two groups, I will clarify where Japan, the United States, and the United Kingdom made poor choices. I will address these issues in Part 1.

Then, I will discuss the dangers of the United States getting out of control, as well as the dangers of a global resurgence of dictatorship. I will consider Putin and the war in Ukraine, and the wars plaguing China. I will address these issues in Part 2.

Finally, I will explore a path of hope for escaping the current predicament we have fallen into. First, I will introduce the wisdom and courage that humanity has achieved so far, as well as real-life success stories. At the same time, I will touch on the difficulties of predicting the future, analyzing the current situation, and accepting warnings. Fortunately, however, a single, yet firm ray of hope has begun to shine. This is "A Millennium of Innovation and Inequality," written by a Nobel Prize-winning economist. It is fair to say that this book contains all the answers I was looking for. I will provide a summary here. I will discuss these in Part 3.


 

はじめに

 私がこのレポートを書いたのは、日本が長い低迷から脱するどころから、益々、国際ランキングを落とし続け、さらに好調そうな米国でさえトランプ旋風が吹き荒れ混乱しているからです。さらに私が危機感を強めているのは、これら状況の悪化の本質に手を付けることなく、多くの国が右派ポピュリズムの勢いだけで解決出来るようなムードになってしまっているからです。

 

 先ず、私は米国の現状分析を行い、なぜ米国で経済格差が拡大し、そして分断が起きたかを明らかにします。次いで日本も扱い、日本独自の弱点がさらなる悪化をもたらしていることを示します。一方で米国や日本と異なる選択をして、幸福を手に入れた国々を紹介します。この両グループの違いから、日米英はどこで間違った選択をしてしまったかを明示します。第一部でこれらを扱います。

 

 その後、米国の暴走の危険性と共に、世界に蔓延しつつある独裁制復活の危険性を取り上げます。プーチンとウクライナ戦争、そして中国に纏わりつく戦争について考察します。第二部でこれらを扱います。

 

 最後に、堕ちてしまった現状の苦境から脱出する希望の道を探ります。一つは、人類がこれまでに成し遂げて来た叡智や様々な勇気、そして現実の成功事例を紹介します。一方で、未来予測や現状分析、そして警鐘を受け入れることの困難さに触れます。だが幸いなことに、一筋だが確固たる光明が射し始めた。それはノーベル経済学者が著わした「技術革新と不平等の1000年史」です。ここには、私が求めていたすべての解答が書かれているといっても良いでしょう。この要約を掲げておきます。第三部でこれらを扱います。

 

各章を簡単に紹介をします。

第Ⅰ部 疲弊し暴走する国家

14章で、米国の惨状の分析を行います。そこにはエスタブリッシュメントに好都合な新自由主義政策と戦争中毒、結果としての金権政治と経済格差の関連を明らかにします。

57章で、日本の惨状の分析を行います。これにより日本の長期衰退の原因を理解出来るでしょう。特に19世紀に始まる欧米の労働運動のうねりと、日本の労働運動の悲惨な結果をみます。最後に、新自由主義が如何に煽情されて、国民に受け入れられたかもみます。

810章で、我々に新自由主義以外の選択肢があることを紹介します。それも豊かな幸福を手に入れた国々があることを。

 

第Ⅱ部 独裁と戦争

1112章で、トランプの危険性、独裁者の側面に焦点をあてます。

1317章で、ヒトラーを例に独裁とは何かを知った後に、独裁者プーチンと習近平を考察します。またウクライナ戦争の背景を知って、対処を考えます。

1819章で、ベトナム戦争と日本の戦争を振り返り、戦争がつまらない誤解や思い込み、そして国のトップ連中の都合で国民が振り回された様子をみます。

 

第Ⅲ部 未来を切り開く

2023章で、現実に幸福を手に入れた国々、また人類が長い年月を掛けて民主主義や人権(男女平等)を如何に手入れたかを紹介します。

第24章で、如何に現状分析と未来予測が困難だと言うことを、多数の経済書を例にみます。一方で有効な警告の書もありました。

第25章で、アセモグル著「技術革新と不平等の1000年史」の要約を挙げ、彼が唱える「民主的な力で、技術の進歩をコントロールしてこそ、国民全体が豊かになった、これからもそうあるべきだ」を、著書の流れに沿って説明します。皆さんがこの著書を自分で読んでいただければ、私のレポートの1/3は不要になります。

 

おわりにで、レポートのまとめと、皆さんへの最後のお願いを書きました。

 

 このレポートは、多岐にわたる問題を網羅した結果、注意点が分散してしまった感があります。もっとも手短に読むのなら、第15章で現状を知って、第25章の著名な学者の分析と解決策を理解していただければ良いでしょう。あとは、関心のある項目だけ読んでいただければと思います。

 

 

 

 

 

 

--- 目 次 ---


第Ⅰ部  疲弊し暴走する国家


はじめに

  

第1章 米国で起きている事: 分断の要点と主因

  なぜこのような事に成ったのか? 

新自由主義、放埓なグローバル化、IT産業革命、難民と移民の増大、対決を選んだ政治

 

第2章 米国で起きている事 : 様々な要因と複雑な絡み 

 米国特有の問題に焦点をあてます

金権政治、政争に巻き込まれる最高裁、エリートを推奨した民主党、

破壊工作と軍事侵攻、 

グローバル化の惨劇、金融経済の暴走、様変わりした経営者、

州の独自性が災いを生む、

共和党を支える福音派

 

第3章 この半世紀で米国政治はどう変わったのか

 米国は、戦争中毒(世界の警察)と新自由主義への転換により、亡国の芽を育ててしまった。

 戦争中毒

 超富裕層に操られる国民

 

第4章 この半世紀で米国はどれほど劣化したのか

 定量的に劣化度合いを見ます

経済格差、犯罪率、貧困、世界幸福度ランキング、自殺率、政府の債務残高、

対外債務、政府の信頼性

 

第5章 日本は新自由主義をどう受容し、社会・経済はどう変わったのか

第1節 主要内閣の実績と、その後の日本経済の低迷を確認します

第2節 日本経済が落ち目になった主因

 賃金、可処分所得、労働分配率、非正規雇用

第3節 他の重要な経済社会指標から日本の劣化を見ます

 国際競争力ランキング、幸福度ランキング、所得格差、企業の内部留保、

 国内設備投資、海外投資、英国病

第4節 日本の政治が如何に低次元から抜けられないかを見ます

       似非保守政治に日本の限界が見える、安倍が推進した円安とは

 

第6章  2世紀に亘る労働者の栄光と没落  

 第1節 19世紀から始まる欧米と日本の労働権獲得の歴史

 第2節 世界のストライキ

 第3節 日本の労働運動; 明治から大戦までの日本の悲しい労働運動を見ます

 第4節 国鉄民営化にみる日本の改革パターン

  第5節 国鉄民営化の問題点

   国鉄の膨大な赤字、巨額債務の始末、民営化の被害者、何が国鉄をダメにしたのか、

   国鉄労組の問題、最大の問題、日勤教育の根深さ、

  第6節 日本の労働問題

   日本の自殺、非正規雇用、仕事上のストレス、日本の公務員数、

 第7節 日本の労働環境が際立って悪い理由

   御用組合の欠点

 

第7章 なぜこのような国民に不幸をもたらす逆転現象が起きたのか

 1970年代から、なぜ新自由主義がもてはやされてたのか?

 

第8章 実は、世界には米国が拡散した新自由主義とは異なった道を選んだ国々があります

 第1節 新自由主義と袂を分かった国々

 第2節 新自由主義の誘惑に乗らずに経済発展を掴んだ国々

 第3節 中国は経済成長を成し遂げている稀有な共産主義国です

 

第9章 1960年代、世界はなぜ幸福で、高度経済成長を成し遂げたのだろうか

 

第10章 新自由主義の流れを食い止める!

 第1節 反対運動の流れ

 第2節 新自由主義の弊害から逃れる幾つかの案 

   スティグリッツ、ダニ・ロドリック

 


第Ⅱ部  独裁と戦争


第11章 トランプ政権の危険性とは何か

トランプについて

トランプ支持の保守派とトランプがほぼ一致している政策とは何か

 

第12章 トランプが独裁者になる可能性

第1節 最も恐れるもの

第2節 ヒトラーとトランプの共通点

第3節 ヒトラーとトランプの違い

第4節 トランプの独裁過程を検証

 

第13章 独裁とは何か

第1節 日本の掴みどころのない状況は、独裁制か? 民主制か?

第2節 独裁を知る事で、理想の民主主義が見えてくる

 

第14章 独裁者ヒトラー

第1節 ヒトラーの歩み

第2節 ヒトラー、ナチスの残虐行為 

第3節 ヒトラーの心の闇

ヒトラーとトランプの比較 

まとめ

 

第15章 独裁者プーチン

第1節 プーチンはどのようにして大統領になったのか?

第2節 プーチンによるロシアの経済と社会状況

まとめ

 

第16章 ウクライナ侵攻の真実―諜報戦の勝者は

第1節 ウクライナ侵攻の理由

第2節 著書「ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略」による

第3節 著書「プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち 下」による

第4節 著書「プーチンの世界 『皇帝』になった工作員」による

第5節 元ウクライナ特命全権大使のウクライナ評

まとめ

 

第17章  中国とロシア、日本の選択は

はじめに

第1節 中国とロシアを簡単に比較します

 経済発展、少数民族と紛争、人々の暮らし、産業・経済力、

 ロシアと中国の違いを社会指標から見る

 経済の発展と軍事力の比較を見る、ウクライナ侵攻の帰趨、中国の台湾侵攻

 まとめ

第2節 日本人が陥りやすい偏見

 

第18章  ベトナム戦争の顛末、悲惨な戦争を防ぐ為に

ベトナム戦争の思い出

第1節 ベトナム戦争の概要

 ベトナム戦争の引き金になった事件から、終結まで

第2節 当時の指導者が戦争を振返った

 いくつかの注目すべき事、ベトナム戦争からの米軍撤退はなぜ出来たのか?

 ベトナム戦争からの教訓

 

第19章 日本の戦争

明治維新から太平洋戦争への道 年表

日本の聖戦論

日本はなぜ太平洋戦争に至ったのか?

軍部が独走した背景

天皇の存在

なぜ国内での解決ではなく海外侵攻に向かったのか

まとめ

 


第Ⅲ部  未来を切り開く


第20章 植民地支配や独裁から脱した国々

南アフリカ、リベリア、フィリピン、チリ、アルゼンチン、韓国、バルト三国

 

第21章  幸福と豊かさを手に入れた国々 北欧にみる

第1節 北欧の概要

 私が肌で感じた北欧の良さ!、北欧の気になるところ、

第2節 北欧の素晴らしさを客観的に確認します

 幸福度、一人当たりGDP、所得格差、世界競争ランキング、ベンチャー投資

第3節 なぜ北欧は、これだけのことを成し遂げることが出来たのか? 

 有機的な連携、合理性を重んじる、試行錯誤、北欧理事会、教育の重視

第4節 スウェーデンの具体的な施策

第5節 日本は北欧型になることは出来ないのか?

第6節 それではなぜ北欧はこんな素晴らしい国になったのだろうか?

 

第22章 我々が生み出して来た社会システム; グローバリズムと民主主義

   第1節 グローバリズム

    グローバリズムの2百年の歴史、グローバリズムのメリット、グローバリズムのメ       リット・デメリット、移民問題、壮大な移民の歴史、まとめ

  第2節 民主主義

    私の民主主義への想い、民主主義の起源、その後の民主制の歴史、民主主義の定義

    民主主義の長所と短所、上記表の民主主義の長所と短所の補足、

    自由主義、資本主義と民主主義の関係、自由主義の長所と短所、

    資本主義と自由民主主義との関係、

    資本主義と自由民主主義が共に行われることの長所と短所、まとめ

 

第23章 我々人類は何を変革して来たのか

  人権の大まかな歴史

第1節 男と女の間にあるもの

1.古代における女性の立場

 先ずはオリエントから、古代アジアでは、古代ギリシャでは

2.中世以降の女性の立場

 12世紀頃のヨーロッパでは、10~12世紀の中国では、12世紀頃の日本では

3.少数民族、先住民族

4.現代

 厳格主義のイスラムでは、欧米の1960年代以降、各国の男女差を比較、

 スウェーデンでは

5.男女差別の背景にあるもの

第3節  堕胎について

1. 各聖典において

2. 中世から現代まで

第4節 宗教について

 

第24章 かつて未来を予言した人々がいた

はじめに

第1節 著書「大丈夫か日本経済」の予測

本書の目次毎に要点を整理します

著書から見えて来るもの

第2節 著書「超大国日本の挑戦」の予測

予測の根拠と外れた理由の対比

第3節 日本の識者の予測

 経済学者竹内宏、経済評論家長谷川慶太朗、経済学者野口悠紀雄、経済学者金子勝、

 経済アナリスト森永卓郎、経済学者高橋洋一、岩田規久男

第4節 外国識者の予測

 米国未来学者 アルビン・トフラー、米国経済学者 レスター・C・サロー

 米国リサーチ機関社長ジョン・ネイスビッツ、米国経済学者ジョセフ・E・スティグリッツ

 米国の環境学者 D・H・メドウズ、D・L・メドウズ、J・ランダース

 医師・教育者 ハンス・ロスリング

まとめ

 

第25章 技術革新は何をもたらし、我々は如何に対処すべきか

はじめに

「技術革新と不平等の1000年史 上下」の要約

まとめ

 

おわりに

 

 

  

 

 

 

 

 

第Ⅱ部  独裁と戦争


第11章 トランプ政権の危険性とは何か

 

トランプについて

 トランプには二つの危険が纏わり付いていており、たとえ一時よく見えても、最終的には米国と世界を不幸に陥れる可能性が高い。それは彼を祭り上げる強固な勢力が益々強大になっている事と、彼が独裁者になる可能性が高いからです。

 

 彼は、私が知るこれまでの独裁者とイメージが異なる。民主主義的な国から生まれる独裁者には2のパターンがある。初期に、下品な本性や強烈な野望、狂暴な面を隠し、裏で策動し、指導者として期待されようとした者(ナチスのヒトラー)、または当初、真摯に国民の為に政治を行うが、徹底した反対に遭うと、政敵に残虐になった者(チリの元フジモリ大統領)に大別されるようだ。ところがトランプは始めから横柄に振る舞い、下品さを隠さない。彼の半生を見れば納得がいく。彼は幼少期、素行が悪く、親にミリタリーアカデミーに入れられたが、成績は悪かったようだ。その後、不正をして有名私立大学に入学している(注1)。彼の不動産ビジネスも酷いものです。彼は幾度も倒産し、父親譲りの自治体との癒着と誤魔化しで復帰し、彼の不動産の住人をスラップ訴訟(注2)で追い出したり、自らの悪辣な行為は口止め料で封じる等、根っからの性悪な企業家です。最も企業家とはこのようなものだと看破した精神科医もいましたが(境界性人格障害)。最近、彼が訴えられた数多くの裁判は実に、聞くに耐えない下品な行為によるものばかりでした。


 金や名誉に弱いトランプらしい話がある。大統領選挙直前(2015~16年)、プーチンは名を伏せて間接的にトランプに資金提供する形で、モスクワにトランプタワーの建設を持ちかけている。この話は破断になったが、やはりプーチンは上手だ。欲の皮が突っ張っているトランプなら簡単にハニートラップの餌食にもなった事でしょう(注3)

 

 2017年以降、1期目のトランプは政治家として問題が多かったことが判明している。当時、側近が多く更迭され、暴露本が多く出た。他の大統領にも暴露本は出ているが、トランプは質量共にトップクラスでしょう。何しろ馬鹿げていて面白い。その一つが「ジョン・ボルトン回顧録 トランプ大統領との453日」でしょう。ボルトンは親子ブッシュ政権下で外交関係の要職を勤めていた(ネオコン、タカ派)。ボルトンは、「トランプは衝動的で、独裁者に弱く、再選を優先し、知識不足で、自分の勘とTV(FOXニュース)に頼り、周辺はポスト欲しさの胡麻すりばかり、ゆえに政権運営は機能していなかった」と指摘している。つまり、彼は品性が劣るだけでなく、政治家として稚拙でしかない。

 また「炎と怒り トランプ政権の内幕」にも1期目のトランプの劣悪さが満載でした。著者はジャーナリストで、この為に政府要人等200名を越えるインタビューを行っている。彼はトランプを、「直情怪行、政策立案しない、提案書読まない、聞かない、勉強しない、政治素人」と評している。トランプに取り入るエスタブリッシュメント(大富豪、メディア、共和党)の評で、目を引くのは、「彼は愚かで、良心は無いが、ポストを与えてくれるし、何とか扱えるだろと考えていた」でした。

 これは大戦前のドイツの状況と似ている。時の政府支配層は、支持率低下の回復に、人気があり、扱い易そうなヒトラーを首相に祀り上げ、ナチスを取り込もうとしたが、逆に利用され捨てられた。これ以降、独裁者ヒトラーと比較しながら話を進めます。そんな思惑で、トランプに纏わり着いたエスタブリッシュメントが、トランプに見出した手腕は、「彼は危ういが、右派、剛腕、不屈、直感が秀でている」と述べたFOXニュースの元CEOロジャー・エイルズの言に集約できる(彼は、セクハラで辞任したトランプの友人、共和党)。さらに落ちがある。「選挙期間中、バノン以外のトランプと仲間は僅差で負けることを確信し、それこそが目標(知名度アップ、キャリアアップ、事業拡大)だった」と著者は辛辣だ。

 


 それではなぜ、トランプは消えないのか? トランプの人気が爆発した最大の理由は、2004年から始まったテレビ番組のリアリティショー「アプレンティス」の強烈なリーダー像です。この番組で彼は「億万長者の成功者」としてのイメージを確立し、番組内で不採用者に言う決め台詞の「君はクビだ!」が流行語になりました。後に、当時の番組ディレクターが「我々が総てお膳立てして、彼に演じさせた事を後悔している」と語っている。

 既に述べたように、文化的保守層は長引く混迷と疲弊の中、強いリーダーを求めていたが、これにピッタリ当てはまった。また富裕層・企業家らは、より権益を拡大するには、共和党選出の大統領で無ければならなかった。つまり文化的保守層と富裕層・企業家らは、絶大な人気を誇るポピュリストである彼を手放せないのです。この「常識・法を無視し、下劣で、暴力的だからこそ期待出来る剛腕さ」こそが、彼らにとって何物にも変え難い指導者像なのです。しかし、この社会状況が最も危険なのです。この状況は、ナチス・ヒトラー誕生の社会・政治状況と酷似しています。これではトランプが倒れても、次のポピュリスト候補が担ぎだされる可能性が非常に高いのです。

 

トランプ支持の保守派とトランプがほぼ一致している政策とは何か(注4)

 

強力な大統領制: 省庁の廃止、採用は職員の忠誠を重視し(注5)、行政機構を弱め、大統領の権限を強化。

文化戦争:ジェンダー、LGBTQ+、中絶などを制限し、保守・宗教保守の支持基盤を強化。

小さな政府と規制緩和: 規制を削減し、自由市場と伝統的価値観を優先する保守主義政策を進める、当然さらなる富裕層の減税は必至。

国家主権・エネルギー自立:国境強化、移民抑制、化石燃料重視を通じて「アメリカ第一」の国家主権を強調。米国の天然ガス生産・輸出量は世界一なので、これを制限される事に産業界は我慢できない。

 

 これら政策を見ると、福音派を取り込む為の「文化戦争」を除き、現在、世界や米国が疲弊している元凶が取り除かれるどころか、益々、悪化の度を深めるのは歴然としている。つまりエスタブリッシュメントと福音派は自らに利する最高の国を目指しているだけだ。しかし今後、福音派に多い白人低学歴の労働者は、さらなる経済的な疲弊で苦しむことになる。勝者となるのは一部の共和党側のエスタブリッシュメントだけだ。世界は、地球温暖化の悪化から免れず、米国の横暴に苦しむことになる。

 

 今、違法な関税を掛けられてビビっている各国は、従順に耐えるばかりが能では無い。各国が協力して米国の理不尽に立ち向かわない限り、未来は無い。放置すれば、初期にナチスの侵略を許してしまい、第二次世界大戦を招いた無能な政治家として後世に名を残すことになるだろう。日本は特におめでたく、「トランプに気に入られる首相だから最高!」の歓声が騒がしい。かつての日本陸軍はヒトラー様と並び立てたと歓喜した。皆さんはこの状況をどう見ますか。

 

次にトランプのもう一つの危険性を検討します。

 

注釈1 トランプ大統領のめいのは著書「多すぎる、いつも足りない:いかに私の家族が世界で最も危険な男を作り出したか」で、大統領をいかさま師で弱い者いじめをする人物だと表現し、不正入学など様々なことを暴露している。 

注釈2 スラップ訴訟とは、勝訴の可能性が低いにもかかわらず、相手への嫌がらせや言論の封殺を目的として提起される訴訟です。トランプは住人を追い出したい時は、数億円の訴訟を起こし、優秀な悪徳弁護士が付いているので、弱者は屈服せざるを得ない。この手は今でも彼の常套手段です。 

注釈3 「プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち 上・下」キャサリン・ベルトン著に書かれている。

注釈4 保守系シンクタンク ヘリテージ財団が中心となって構築したProject 2025が、第二期トランプ政権の政策集です。一方、トランプは公約「Agenda 47」を発表している。

注釈5 ナチスが勢力を広げられた理由の一つに、自治体や政府職員の採用で、ナチス党員の有無で歴然とした差別を行った。失業率の高かった時代、これは絶大な効果が有った。

 

参考文献

*「炎と怒り――トランプ政権の内幕」マイケル ウォルフ著、2018年、早川書房

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

第12章  トランプが独裁者になる可能性

 

第1節 最も恐れること

 

 私が最も恐れるのは、彼が世界最大の軍事・経済力を持つ独裁者として君臨することです。既に始まっている。

 

 世界で、ここ15年ほどの間に右翼化と独裁化が進行しています。独裁国と言っても、最も独裁が進んでいるプーチンのロシア、習近平の中国から、エルドアンのトルコ、オルバーンのハンガリー、モディのインドのように、欠陥民主主義と呼ばれるまで、独裁の程度は様々です。独裁制から民主制の間に断絶は無く、いとも簡単に民主制から独裁制に移行してしまうのが常です。下記図は独裁制と民主制国家の分布を示す。

 

民主主義指数の地図:茶色から黒になるほど独裁が進んでいる。

 

  ニュースから知るトランプの言動は、彼が独裁に向かっているとしか思えない。まさに「No Kings」。これから希代の独裁者ヒトラーと比較しながら話を進めます。

 

 その兆しの最たるものは、2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件でした。最近では、トランプを熱烈に支持するMAGA派代表各の共和党グリーン下院議員が、トランプをエプスタイン問題で批判すると、トランプは「祖国の裏切り者」と罵り、彼女は身の危険を感じるようになった。グリーン議員は議員辞職にあたり、「今、私の子供たちの世代の多くは未来に絶望し、アメリカン・ドリームを実現できるとは思っていない」と述べている。彼女はトランプに夢を託し、早々に失望し、脅され去って行く。トランプを見ていると、自分に都合が悪ければ、また対立する者に対して容赦がなく、暴力さえ厭わない。自らは直接手を下さないが、暴力集団を、擁護と恩赦により温存している。


 トランプの最大支援者の一人カークが銃殺されると、証拠も無く民主党支持者の仕業だとまくし立て、国葬紛いの葬列を仕立て、その一方で、民主党議員やトランプ批判者が殺されると、自業自得のように宣う。実は、この手口を繰り返す内に、やがて敵対する者は消え、やがて周囲は従順になり、遂には支持者だけになる。これはヒトラーが初期に暴力集団の突撃隊を使って、対抗勢力を潰していた手口でした。プーチンも秘密警察とマフィアを使って、敵対するものを従わせるか抹殺している。 

 マイケル・コーエンもMAGA派のグリーン下院議員と同じ運命を辿った。彼は永らくトランプの顧問弁護士を勤め、彼の政治工作からビジネスまでの悪行を処理し続け、トランプに貢献して来たが、やがて反旗を翻し、トランプの被告裁判で様々な不利な証言を行った。トランプは自信の弁護団を使い徹底的に彼を貶めた。彼はトランプの悪行を暴露する中で、自分の過去の偽証を明かした事により弁護士資格を剥奪された。彼は著書でトランプを「詐欺師、ギャング、嘘つき、いじめっ子、人種差別主義者、捕食者」と評している。

 グリーン元下院議員もコーエン元弁護士も始めはトランプの熱烈な支持者だった。騙された二人が未熟なのか、騙すトランプが上手なのか。さらに言えば、どんなに悪行や素行の悪さを暴露されても、まったくひるむところが無いトランプは独裁者として非の打ち所がない。実は、ヒトラーはこれより上を行った。彼は、国政を担うようになると暴力的な突撃隊が邪魔になり、親衛隊に粛清を命じ、100名以上を殺させた。この中には突撃隊の指導者、元首相、ナチス党幹部-ヒトラーがミュンヘン一揆から全国制覇するまでの党勢拡大を担った功労者が多くいた。この「長いナイフの夜」事件の直後、ヒトラーは「国家に対する陰謀を阻止した」と発表し、時のドイツ大統領や首相は感謝の意を表明した。これを知った独裁者スターリンは、「ヒトラーという男はすごい奴だ! 奴は政敵をどう扱えばいいかを我々に見せてくれた!」と述べ確信を得て、この後、国内の粛清に躊躇することはなくなった。

 

 トランプの戦争への関りを見ていると、独裁者の片鱗が見える。イスラエルのガザ侵攻とロシアのウクライナ侵攻に共通しているものがある。それは弱者・弱小国への冷淡な仕打ちであり、強者・強国への真逆な対応です。一言でいうと、「弱い者はさっさと負けてしまえ! これが決着を早く確実にする方法だ」。トランプ支持の米国民は、これら外国での戦争が、米国内に及ばないで良しとしているが、この手法が近い将来、我が身を襲うであろうことを肝に命じるべきだ。弱者をかえりみない独裁者が、国内の弱者や出兵する兵士をかえりみるだろうか。ヒットラーは、自国の損害が甚大になっても、気に留めず、進撃を命じ続けた。また、イスラエルやロシアの残虐で不法な侵攻を不問に伏せば、両国はさらなる戦火の拡大に及ぶ可能性が高い。中国の台湾進攻への可能性はより高まる。ヒトラーが最初に行ったチェコスロヴァキア侵攻に対して、英仏はなだめる為に、一切咎めなかった。これに安心したヒトラーは次いでポーランドに侵攻し、次々と戦線を拡大した。トランプの言動から、これらが現実のものになる可能性は高い。彼が世界と関わるのは、非常に危険だ。

 

 

第2節 ヒトラーとトランプの共通点



 
ポピュリズム(大衆迎合): エリート・官僚・メディアを「腐敗した敵」として非難、自分を「人民の代弁者」と名乗り、既存の制度や専門家への不信を煽る。

 

社会の不満や危機を利用: 経済不安、移民問題、治安不安などを強調し、敵対集団・反対勢力を脅威として描き、「強い指導者」が必要だと訴えて支持基盤を固める。

 

カリスマ性と単純明快なスローガン: ヒトラーは「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとりの指導者」、トランプは「Make America Great Again」。

 

メディア攻撃と情報統制: 不利な報道を「嘘」「国民の敵」と批判、自分に好意的なメディア・SNSを利用して直接支持者を動員。ヒトラーは完全な検閲・宣伝省を設けて徹底した。現状のトランプはそこまで行っていないが、やがて行うだろう。

 

行政・司法・官僚制への敵意と弱体化:「ディープステート」という敵を設定、行政の独立性を弱め、忠誠重視の人事へ向かい、公務員・FBI・司法などを敵視する。

 

個人崇拝が高まる: 支持者が「指導者」個人に強い忠誠を示し、政党よりも個人がブランドになる。すでにトランプは議会選挙において共和党を乗っ取っている。

 

 概ね、両者の行動は似ており、トランプの独裁はまだ初期段階と言える。


 

第3節 ヒトラーとトランプの違い

 ヒトラーとトランプは違うと信じたい人がいるが、違いは大して意味が無い。放置すれば、取返しのつかないことになる。

 

トランプは民主主義制度下の選挙で選ばれた!

 独裁は、民主主義下で幾らでも生まれ、やがて成長する。ヒトラーも選挙で選ばれた。独裁は閉鎖的な自治体、企業、協会などで、常に起きている。

 

ヒトラーは虐殺を行ったが、トランプは無縁だ!

 独裁者でも最初から虐殺者で無い事が多く、ヒトラーも初期は、清廉で暴力と無縁な人物と見られていた(振る舞った)。権力奪取過程とその後になる事が多い。

 

ヒトラーは全体主義体制を築いたが、トランプは別だ! 

 トランプは自分に批判的な部署を閉鎖し、そのトップを交代させているが、やがてこれが総ての政府機関に広がり、全体主義体制が完成することになる。ヒトラーは総統就任から5年で、軍事独裁を完成し、軍事侵攻を初めた。

 

トランプはナチズムの民族的優越思想を掲げていない

 ヒトラーは当時、隆盛だった思潮「ゲルマン民族の優先と領土復活、ユダヤ人と共産主義者の排除」を取り入れた。トランプは「キリスト教・白人社会の優先、移民排斥」を訴え、「身内優先、他者排斥」と本質は同じ。

 

トランプは軍事侵略や大規模戦争を開始していない

 トランプは反戦志向であると自ら宣言しているが、疑わしい。端緒はベネズエラへの攻撃に見られる。彼は大国の力を頼りに、関税の脅しで他国を犠牲にしている。日本は、関税の脅しで米国内に150兆円規模の設備投資を行う。この額は年間の民間設備投資額の1年半分にあたり、日本の国内製造の発展に打撃を与えるのは必至です。外国に投資した企業は利益を得るが、国民にとっては衰退を受け入れなければならない。この海外資本流出という同じ過ちを、英国は19世紀後半から行って墓穴を掘り、やがて英国病と揶揄されるようになった。また、多くの独裁者や国のトップは、自らの人気を高める為に戦争を開始することは日常茶飯事です。特に大戦後の米国の歴史は血塗られており、常習化している。

 

 もし、トランプが独裁者でなくても、大統領を続ける事には重大な問題がある。それは彼の非科学的な思考と周辺の意見を聞かない事です。トランプはデマに頼る事が多く、特に初期のコロナ対策では、先進国中最悪で、多くの死者を出した。これから産業革命が起きるのに、科学を理解出来ない指導者は、米国と世界を危険に陥れる。少なくともヒトラーは、トランプと同じで学業をまともに修めていなかったが、初期の経済政策等は、有能な人材を招聘し任せ、経済成長や失業対策を巧くこなした(後に反発すれば殺したが)。

 

第4節 トランプの独裁過程を検証

 独裁者はどの様に独裁化を進めるかを確認し、トランプ大統領に照らし合わせて見ておきます。下記10箇条は、独裁手法についてのChatGPTの回答ですが、説明は修正を加えている。

 

1.危機の利用(危機の創出・誇張を含む) 進行中

 トランプは移民問題、治安問題、社会の分断、不正選挙疑惑などを「国家的危機」として強調し、それを根拠に強い対策・強権を主張。

 

2.法律の書き換えによる合法的権力掌握  部分的に進行中

 これまで大掛かりな憲法改正などは行っていない。ただし、行政命令の多用、既存法律・慣習の解釈変更を通じた権限拡大の試みが目立つ。

 


 3.司法・メディアなどチェック機関の弱体化 かなり進行中

 司法の独立を揺さぶる発言、裁判所への圧力、判事への恫喝、判決を「偏った政治的判断」とみなす言説。メディアや大学、言論機関への威圧・批判。

 

4.秘密警察・監視国家の強化  進行中

 現段階で、ソ連や中国のような大規模な秘密警察制度の整備はない。ただし、移民取り締まり強化、移民局エージェントによる強制手段など、州兵出動等、治安機関の怖れを伴う運用が批判されている。FBIなどに恣意的な捜査を命じ、意に沿わない幹部は退職している。

 

5.軍・治安機関を利権・忠誠で囲い込む まだ限定的

 現時点で「軍の私物化」「忠誠度での人事」などの大掛かりな報告は見られないが、口頭で圧力をかけている。また移民・治安政策で軍・連邦機関を積極活用する動きがあり、反対派には武力的威圧。

 

6.経済利権を掌握し、支持層を“経済的に”囲い込む 進行中

 支持基盤(企業・資産家など)に対する直接的な利益供与は見えて来ないが、政策や規制緩和などによる産業への支援や、富裕層への減税を通じて支持層への便宜供与が見られる。暗号通貨などで露骨。

 

7.プロパガンダ・情報支配 かなり進行中

 トランプ/MAGA側は自身の言説をソーシャルメディアや支持メディアで拡散し、主流メディアや批判者に対して「フェイク」「敵対勢力」のレッテルを貼る言動を継続。

 

8.反対勢力の分断・買収・排除   進行中

 法的手段(起訴、移民法・治安法の強化)、行政権の濫用、恫喝的言辞などで反対勢力を締めつけ。ただし、米国には連邦制・分権・司法独立などで依然として“抵抗の構造”が残る。

 

9.個人崇拝・忠誠心の制度化  部分的

 トランプを熱狂的に支持する「MAGA」ムーブメントの存在。彼の再選や個人への忠誠を強調する言説。「敵」とする者を「裏切り者」「売国奴」と呼ぶ言説。しかし、制度として「終身制」「一強制」はない。

 

10. 権力継承を支配者に有利に再設計(終身制化) 未完

 アメリカでは憲法と分権制度が強固で、終身化や継承制度の改変は現状では難しい。ただし、実質的に大統領権限を拡大し、チェック機関を弱める動きが「事実上の継承優位」を狙うのでは、という懸念がある。

 

 このように見て来ると、安倍元首相も、上記10原則の何点かを進めており、トランプと意気投合するのも頷ける。

 

 米国民の叡智により、もしトランプがホワイトハウスから退いても、まだ米国も世界も安心出来る状況ではない。

 

 世界に火種を撒いている独裁について見て行きます。

 

 

参考文献

* 「最悪の予感 パンデミックとの戦い」マイケル・ルイス著、2021年、早川書房

 

 

 

 

 

 

 

第13章  独裁とは何か

 

第1節 日本の掴みどころのない状況は、独裁制か? 民主制か?

 日本人は、独裁とは無縁だと漠然と感じているようだ。これは不思議だ。私が知る多くの会社では、ワンマン社長やパワハラ全開の上役が大腕を振っている。日産のゴーン元会長は自分の役員報酬を偽り、逮捕された。この背任事件は彼の独裁が可能にしたものだ。田中角栄元首相が率いた自民党運輸族は、国鉄の膨大な赤字を作った張本人だが、道路や鉄道建設において、建設業者や土地取引を通じて巨大な利権を得て、我が世を謳歌した(注1)。この赤字を民営化という形で背負わされたのが国鉄職員と国民でした。この「お上が君臨する」伝統は、明治維新の薩長閥政治に始まり、脈々と政官に受継がれている。日本のファシズム、満州事変から日中戦争、太平洋戦争への道は、世界に知られた日本の心性が招いたと言えるでしょう。自民党政権の長期存続も、これを傍証している。幾度か下野しても、直ぐ復帰出来るのは、主力メデイアと官僚から果ては米国、CIA(注2)までが、自民党を支えて来たからです。永らく自民党は行政の主導権を握り、産学官連携(癒着)が進み、日本の政治を歪めて来た。この弊害は、教育、外交、軍事、原発等にもおよび、経済は深く傷を負っている。日本人がなぜこれほどまで政治に無関心なのか、皆さんは考えたことがありますか? 単純な話、学校で政治の話、議論を避けるように仕向けて来たからです。占領地では常套手段なのですが、社会意識を高めないことで米国と自民党が一致しているのでしょう。当然、民主主義の未成熟が最大原因でしょうが。こうして議会の半独裁が続き、その結果、日本は衰退し続けている。

 

日本政治の歪み拾って見ます


 日本の報道の自由度(国境なき記者団による)は、2025年で66位、当然G7最下位どころかはみ出し、過去最低です。これはメデイアによる政府批判が困難であり、真実が国民に知らされ難くなっていることを示している。日本の報道が偏っている最大の理由は記者クラブ制にあり、新規メデイアの参入を妨げ、記者と政府が過度に密着しているからです。日本の記者の「夜討ち朝駆け」は、この習俗の典型です。いまだに大手新聞社は記者クラブを擁護し続けている(止められない)。読者が左派右派の新聞の一方に頼っていると、社会を色眼鏡で見ることになります。SNSに頼るよりはましですが。例えば、新聞社にとって都合の悪い報道は1面以外に小さく乗せる等の細工を行っています(保守系新聞が政府批判に繋がる真実など)。 

 司法制度にも問題があります。東北大震災の前、各地で原発差し止めの裁判が行われたが、地方裁で稀に、原告側が勝利することはあっても、ほぼ高裁で判決は覆された。これには裏があり、最高裁判所の事務総局が下級裁判官の人事を担っており、事前に息のかかった(出世を餌にした)判事と、中央に従わない判事とを交代させているのです。最高裁の事務総局は中央官僚と人事交流もあり、さらには中央に予算を握られているので弱いのです。

 企業にも同様の歪みがあり、大手企業の取締役の大半が海外に比べ社内出身者で占められていることが多い。これでは悪い情報が外に出なくなり、公正が期待出来ない。東北大震災後、東京電力と政府の安全管理部門との癒着構造があった事が判明した。つまり事前の原子炉の安全審査がまともに行われていなかった(業界優先・国民無視)。極め付きは、自民党議員の贈収賄や金に纏わる醜聞が後を断たない事です。この背景に、選挙と利権が強く結びつき、これが海外に比べて圧倒的に多い世襲議員の割合に繋がっている。

 


 日本の心性を理解する重要な視点を紹介します。それは大戦前にファシズムが吹き荒れた国が、なぜ日独伊だったのか、また強大な共産主義国家がなぜソ連と中国だったのか、に関わります。これらの国々の民族が劣等だったからでしょうか? 上記の地図は、エマニュエル・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」からの借用です。これによると、上記5ヵ国はすべて、父権性が強い国(民族)になっています。また前掲の第12章の「民主主義指数の図」と比べると、父権性の強度と独裁制に相関があることがわかります。つまり独裁やファシズムに傾倒し易い国民・民族があるのです。この考えた方は家族人類学に基づくもので、家族内の権威が、古い生業による遺産相続の方法によって決まり、この権威に対する意識が代々受継がれて行くとしています。例えば、最古の農業制を遺存している日本民族は、重要な遺産である土地を男性長子一人に行う伝統を受継ぎ、これが為に強いに父権性が残っているとされる(田畑の細分化を防ぐ)。これは文化心理学などで知られる「日本人は世界的に帰属意識(村意識)が高い」ことにも関係している。つまり、上記5ヵ国は、家族制が似ており、権威や社会・組織に従順な民族と言え、これがファシズム、独裁、共産主義に親和性がある民族の所以なのです。日独伊は現在、良好な民主主義国ですが、その心性は長い歴史に育まれ、今も息づいているのです。

 だからと言って、この国民性が欠点というわけではありません、集団が一丸となって社会躍進を成し遂げたり、また強力な軍隊として強敵を倒すことにもなります。逆に、先程述べたように社会や組織に様々な歪や腐敗が進んでも受容し易く、独裁者に従い易いのです。この事を、つとに日本人は留意しておくべきです。

 

 日本はまだ民主主義国ではあるが、このように至るところ、腐敗と硬直が進んでおり、特に政治に蔓延している。これは国民にとって大きな損失で、良くなる気配はない。日本の現在の右傾化は安倍政権が一つの頂点でしたが、これはこの半世紀間に深まった閉塞感に対する一つの反応でした。したがって、また再発する可能性が高い。危うい状況です。

 

日本が衰退衰退せざるを得ない理由

 第5章「日本は新自由主義をどう受容し、社会経済はどう変わったのか」において、新自由主義経済への転換が、衰退の主な原因と述べました。また上述したように、歴史的な政官癒着、戦後からの長期一党支配と米国従属(保護も)、国民性(強い父権、高い帰属意識)が、日本を回復からより遠ざけている。日本は、世界の経済成長の核となっている東・東南アジアにおいて、唯一、三重苦に喘ぐ羽目になってしまった。今や中国、台湾、韓国、シンガポールに追い抜かれている。日本国民が、現状を正確に認識することから始めないと、凋落を止めることは出来ない。日本の政治が半独裁なのか、それとも民主主義を守れているのかを自覚することが重要です。

 

 

第2節 独裁を知る事で、理想の民主主義が見えてくる

 独裁を理解するうえで最も重要な点は、「独裁と民主主義に境界は無い」「独裁者は、少数の盟友(注3)を頼りにする」の二点です。次いで、「必ず腐敗する」「盟友以外は簡単に切れ捨てられる」も起こる。

 

 馴染みのある徳川幕府の開祖徳川家康と漢の始祖劉邦らは、戦乱を勝ち抜き、統一を成した後、功労のあった配下(盟友)に、それぞれ領国を与え、多大な見返りを与えた。しかし裏切りや反抗の疑いがあれば、この盟友達は次々と改易、抹殺され(漢の韓信等)、盟友の強大化や連合は完全に阻止された。一方、民衆は酷税に喘ぎ、農民は土地に縛られ、中央に貢だけに生かされ、団結して抵抗する力を持つことは出来なかった。徳川幕府は親衛隊(旗本八万騎)を首都に配置し続け、民衆の税から家禄を親衛隊に与え続けた。これを封建体制と呼ぶが、歴史時代から存在し続ける独裁体制の一例です。このシステムは、独裁者(と家系)と、これを守る盟友(家臣団)とそれ以外の民衆からなり、その国の富の半分以上は、多くは独裁者が得た後、盟友に配られ、残りわずかな分が国政という形で民衆に落ちる。もし、独裁者が贅沢に耽り、また経済の悪化が続き、盟友(家臣:譜代や外様)への富の配分が減って来ると、反乱が起きる。徳川時代末期、各藩は赤字で苦しんでいた。一早く赤字を乗り越えた西国諸藩は、国際的な危機感から、幕府転覆を試みた。既に旧幕府側に大きな抵抗力はなくなっていた。前漢と後漢末期、王朝は腐敗し、家臣団は既にバラバラになっていた。農民が反乱を起こすと燎原の火のように全国は内戦状態になり、次の独裁者が現れた。こうして徳川は265年、前漢と後漢合わせて漢は400年続いた後に滅んだ。驚くべきは、民衆に取って悲惨な状態が続くのに、独裁国家は長寿命だと言うことです。残念ながら、一度固まった独裁システムは頑強です。

 

 北朝鮮の国民はあれほど貧しいにもかかわらず、政府打倒の狼煙すら上げられないのです。国民は疲弊し、監視され、抵抗力を削がれてしまっている。このような独裁国家は、現在も世界中にあります。南部ジンバブエのムガベ前大統領、フィリピンの元マルコス大統領、インドネシアのスハルト元大統領、シリアのアサド元大統領、チリのピノチェト元大統領等は悪名高い独裁者として有名で、ベラルーシのルカシェンコ大統領は現役です。独裁者は、決して一人で生き残ることは出来ません。必ず、出身部族、宗派、親衛隊(軍隊、秘密警察)、富裕層(実業家、大土地所有者等)を、多大な見返りを与え続け、盟友として味方に引きれ入れます。独裁者にとって、盟友の数が少ない方が、安心で見返りの総額が少なくなるので有利になります。もし、盟友が数十人規模の将官で済み、この将官が数十万の軍や警察を動かし、国内の不安要因、反乱要因を潰してくれるなら独裁者は大助かりです。独裁者は、この将官らに税収の数割でも与え続けるなら、先ずは安泰です。当然、彼ら将官が徒党を組まないように、乗っ取りを図らないよう、適度な抹殺と交代に気を使う必要はありますが。こうすれば独裁者はかなりの国富を奪っても、安泰です。こうなると国民の暮らしは惨めなままで、もし気まぐれに独裁者が戦争を起しでもすれば、兵士は無残にも屍の山になるだけです。独裁者は、他国を侵略する時は、略奪すべきものが手に入ると、直ぐ軍隊を引き上げる。その一方、他国に攻められると、独裁者は最強の軍隊は手元に残し、安価な装備の軍隊を前面に出し、全滅し負ければ、あっさり敗戦を受け入れ、自分の身だけは守る。この例としては、米国のブッシュ大統領がイラクに侵攻した時、フセイン大統領は身近に最精鋭の軍隊を残し、粗末な兵器しか持たない軍隊を前線に出し、3~10万人の死者を出した。米国は大勝利と大歓声だった。独裁者は、盟友さえ優遇していれば安泰で、国民や兵士の命は配慮しない。

 

 しかし、独裁者に危機が訪れる時が必ず来ます。それは盟友への見返りの資金が急激に減る場合と独裁者が死にかけている時です。前者の例では、国家の収入を石油に依存しており、価格が暴落した時や、大国(米国やロシア)からの援助金が突然打ち切られる時です。独裁者の衰弱や死の噂だけでも危険になります。盟友たちは、次の有力な資金提供者を探そうと暗躍を始めます。この場合、多くは独裁者一代で滅びますが、多くはこうならないように、資金源と軍事力を身内に集め、家族や部族などで守り、トップの交代を速やかに行います。

 


 世の中、独裁らしい独裁だけが蔓延っているわけではなく、独裁制をうまく利用し身を肥やし続ける組織が身近にあります。2002年のオリンピックのソルトレークシティー冬季大会は、贈収賄事件で世間を騒がせた。現地の委員会はIOC委員に数億の接待と賄賂を贈った。日本も長野と東京で行っていた。またワールドカップの開催地を巡り、FIFAの一委員が1億円ほど要求していた。この二つの委員会で今も汚職が続いている理由は、委員会の人数がそれぞれ約100名と24名で、その委員の半数で開催地が決するからです。委員の人数が少ない方が、買収額が高くなる傾向がある。これは盟友(委員)の数が少ない方が、独裁は強固になり、民衆はより虐げられるのが独裁の一般則です(注4)。これら世界的な競技会は、開催地に数兆円の経済効果を生む為、主催者側は独裁に加担してしまっている。本来なら、これら委員会の理事を、開かれた千名近い各国からの選任者にすれば腐敗は改善されるのでしょうが(注5)

 

 盟友を多くすることにより民主的で、運営が市民寄りなっている事例があります。北米に観客の来場率が高い、非営利の市民球団のフットボール・チームがあります。このチームが多くのファンを魅了するのは、試合の強さではなく、その組織構造にある。球団は発行株式の最大1/25までしか、一人に株を売らないよう制限している。つまり、商業的な独占を避け、小口の株主の意見を繁栄するようにしているからです。多くの企業の株式は、機関投資家や創業者一族、大投資家に多くを握られており、一握りの営利目的で運営は進む。世界的な保険会社AIGは、インターネットで株主交流サイトに力を入れ、小口株主との情報交換を拡大させ、一握りの重役の為の会社から何百万人も小口株主の為の会社へと変容させた。

 

 これまでの話から、「独裁者は、少数の盟友を頼りにする」「必ず腐敗する」「盟友以外(民衆)は切れ捨てられる」は、感覚的にわかって頂けたのではないでしょうか。

 

 残る厄介な問題は、民主制も独裁制も、ほぼ同じ原理で政治が動いている事です。端的に言うと、議会民主制ではトップ(大統領)、盟友(与党)、国民(選挙有権者)の三層に別れ、独裁制では独裁者、盟友(軍部が多い)、国民(選挙権は有名無実)になる。例えばある大統領が、富裕層に課税をし、低所得者への福祉予算を増額すると訴えれば、中間層以下にアピールし、約半数の票を得る事が出来き、その党と大統領は選挙で勝利出来る。逆に、移民を抑制し、所得税を減税すると訴えれば、保守層と中間層以上にアピールし、これまた選挙に勝利できる。この状況は、大統領も盟友も、選挙の洗礼を受ける為に、両者とも有権者の望みを叶えないことには、自分たちの存続が出来ない事を示している。独裁者は、盟友を味方に付けていれば、国民をほぼ気にしなくても良い。上記のIOCやEIEAは盟友の数が非常に少なく、有権者が存在しないので、独裁が可能だった。日本のように、与党議員が地盤の利権者集団により選ばれ、さらに与党議員が首相を選ぶシステムなら、どの様になるでしょうか。首相は、国民の人気が必要だから、一応、国民向けの政策を示さなければならないが、自分の在任は与党の協力にかかっているので、与党(盟友)が最重視となる。また与党議員の存続は、全国の地元の利権集団の動向にかかっている。結局、政治はトップと盟友の存続の為に、その他の国民の関心を買うか、利用するだけになるとも言える。前者は民主制、後者は独裁制です。ここである社会が独裁制と民主制のどちらに近いかを判断する材料として、盟友の数が重要になります。盟友の数が少ない程、独裁制が強く、一方、盟友が多数になり弱くなる程、民主制に近づきます。単純な話、直接民主制は、盟友が介在出来ないので、安心なわけです。

 

 

 もう一つの問題は、社会の腐敗です。上記図を参照。独裁国家は確実に腐敗します。独裁国家は、腐敗してこそ独裁者と盟友が富を分かち合うことで、生き残りをかけます。一方、民主主義国家にも腐敗があります。汚職が蔓延し、法律の抜け穴が広げられる状態が続くと、腐敗が進行し、やがて独裁が可能になる。おそらく社会の腐敗が進むと、国民の不満が溜まり、これに乗じてポピュリストが現れ、独裁化に向かう。この時、既に社会が腐敗していれば、独裁者達は富の分配を楽に行えるので、一気に独裁は可能になる。この意味でも、日本や米国はやや危険です。

 

 それでは独裁国家から、民主主義への転換は不可能なのだろうか?数は少ないが不可能では無い。原則としては、独裁者の立場が非常に悪くなった時に、盟友達が我が身の安全を考え、独裁者を見限り、国民の方につく時です。例えば、外国勢が経済封鎖や海外援助の打ち切りなどで、独裁を止めるようと圧力を掛けた場合、盟友達は独裁者からの見返り資金が乏しくなる事を予想し、国民の側につくことにより、身の安泰を図ろうすることがある。英国の圧力で南アフリカ、米国の圧力で台湾は転換のチャンスを得た。または独裁がほぼ不可能になり、次のトップが前任者の独裁者の身の安全を保証し、富を持って国外逃亡させるかの場合でしょう。これが無ければ、独裁者は徹底抗戦をする事になる。ジンバブエのムガベとフィリピンのマルコス、シリアのアサドは国外に逃亡し安逸に暮らした。

 

 逆に言うと、独裁国への様々な援助は、多くの場合、独裁者の存命に加担し、むしろその国民を疲弊させていることが多い(注6)。独裁者は援助された医療品を隣国で売りさばき、懐に入れている。当然、援助資金は直接に行うべきです。援助する場合は、完全な管理、実施確認後の支払いが必要です。また大国は、自己都合で独裁国に援助する場合が多い。それは軍事バランスの為や軍の駐留等の目的で、同意を得る為の資金提供です。この場合。民主主義国よりは、独裁国の方が安上りで、容易になるからです。 

 

 最高権力者にとって、国や組織の運営は、民主主義より独裁の方が、はるかに楽です。独裁者は盟友に見返り(報酬)を与え、反対者には盟友である警察か軍隊で抑え込み、残りの国民にはプロバガンダと情報操作で対応することになる。この方が安上がりで確実です。権力者にとって、障害が無ければ独裁は抗しきれない誘惑なのです。米国を一時期輝かせたフランクリン・ルーズベルト大統領でさえ、司法の抵抗に遭って、ニューディール政策を貫徹出来なかった時、共和党から独裁者と呼ばれる手段を使いました。独裁と民主主義は紙一重で、放置すればどんどん独裁へと進むのです。残念なことに、独裁への道は容易なのですが、民主主義に戻る道はかなり険しい。

 現在、米国の議会運営は非常に危険な状態にありますが、少し変化の兆しが見えた。2025年11月5日、共和党がトランプ大統領のフィリバスター廃止要求に異例の拒否姿勢を示したことです。フィリバスターは議事妨害の長時間演説で、通常法案阻止の為に野党側が行います。共和党はこれまで対決姿勢を強め、かつトランプの言いなりでしたが、世論の逆風を受け、態度を改めようとしているのかもしれません。これが本当なら、民主主義を取り戻せる可能性はあります。

 

 独裁は、一人の最高権力者によって行われるとは限らない。日本のファシズム時代のように、トップが交代しても軍部による国の独裁が継続し、悲惨な道に突き進んだ。独裁は宗派、家系、党派、委員会・理事会等によって行われる事もある。独裁は上層部(独裁者と盟友)の栄華と生き残りだけを優先するので、国民を犠牲にすることに躊躇は無いので、国民は確実に悲惨な目に遭う羽目になる。

 

日本の政治が独裁と民主主義の間の、どの位置に有り、これからどちらに傾きそうなのか。皆さんはどう思われますか?

 

 

注釈1 民営化前の国鉄赤字について、屋山太郎は自著「国鉄に何を学ぶか 巨大組織腐敗の法則」(文藝春秋、1987刊)で、「国鉄の崩壊の理由は、無能な経営者、社内の権力闘争、労働組合の堕落、監督官庁の無責任だ。しかし膨大な赤字を生んだ最大の理由は、全国に張り巡らした新線建設の巨大な利権であり、群がった与党議員(主に田中角栄)だ」と語っている。彼は国鉄民営化で、土光臨調に参画し活躍した人物でした。また彼は、桜井よしこのシンクタンクの理事だった保守系だけに、真実を語っているだろう。

注釈2 CIAが自民党を買収し、様々な支援を行い、米国の為(主に共産化阻止)に利用し続けていた事が、以下の本に記述されている。逆に言えば、当時(岸や佐藤)の自民党は共産・社会主義勢力潰しを訴えて、米国の支援を引き出していた。「CIA必録 上、下」ティム・ワイナー著、2008年、文藝春秋。「戦後史の正体『戦後再発見』双書1」孫崎 享著、2012年、創元社。

注釈3 盟友の定義:この言葉は「独裁者のためのハンドブック」で使われ、権力基盤理論を説明する

る重要なキーワードです。私見では、盟友は独裁者を直接守る集団で、独裁者からの格別な見返り(金、名誉、権力)によって従属する。盟友は、自ら独裁者になる事を望んだり、また他の独裁者を祭り上げ、いつ裏切るか分からない。独裁者には盟友こそが、最大の関心事となる。盟友は、親衛隊、軍部、秘密警察、官僚、政治家(与党)、資産家が一般的で、部族、宗派、人種などの集団もあるが、それぞれを統率する限られた人物が主要人物となる。おそらく独裁国家では盟友の数は数十ぐらいと想像する。社会は独裁者と盟友と国民の三つの層に別れ、数少ない盟友だけで完全に独裁者の命と富を守れるのであれば、独裁者は国民の事をまったく考えない。一方、盟友の数が多く、盟友が頼れない状況では、独裁者は、国民の支持を得る必要が出て来る。独裁をパトロン・クライアント関係で説明する場合、独裁者はパトロン、盟友はクライアントになるでしょう。

 

注釈4 このメカニズムの詳しくは参考文献「独裁者のためのハンドブック」を見て下さい。

注釈5 私はオリンピックや万博等の開催に疑問を持っています。1967年のモントリオール万博が、総事業費の15%分が赤字となりました。但し、文化・外交・都市開発の面では黒字だとも言えます。必要な都市開発がこれを期に行われ、発展に貢献するなら正解でしょう。恐らく発展途上国ほど効果が高い。一方で、入場者による宿泊や観光収入による経済効果の計算に疑問がある。例えば、2025年の大阪万博において、外国人による宿泊費等のインバウンド効果、また国内来場者の観光収入を、経済効果として計算していると考えれられる。おそらく、2023~2027年の大阪の全観光収入の推移を見れば、2025年だけの増加額はしれており、例え多いとしても、2026年には観光収入は少し減るだろう。各家庭には、それなりの観光等への予算があり、臨時に出費が増えれば、他で減らす事になる。あるレジャー施設が、オープンして、初年度の入場収入を重視するのは当然だが、公的機関が、公的な資金を使って、事業を行う場合、上記の様な観光収入の黒字によって評価するのは間違いだ。

注釈6 海外援助の問題が、この本に一部だが具体的に書かれている「大脱出――健康、お金、格差の起原」

 

参考文献

*「独裁者のためのハンドブック」ブルース・ブエノ・デ・メスキータ , アラスター・スミス共著、 2013年、亜紀書房

 

  

 

 

 

 

 

 

第14章  独裁者ヒトラー

 

 私が現在もっとも脅威に感じるのはロシアの独裁者プーチンです。おそらく世界大戦が始まるとしたら、このウクライナ侵攻がその始まりと歴史に語れるだろう。プーチンの独裁振りは圧巻です、20年ほどで広大なロシアの独裁者になった。その独裁化過程で、彼は幾多の暴力と戦争を駆使して、ツァーリ(皇帝)の名声を獲得した。その残虐性と冷徹な手腕からして、今後も徹底的に己の目的を追求することになるだろう。この章では、先ず、独裁者の大先輩であるヒトラーの手腕を学び、次いでプーチンの手腕を見ることにします。

 

第1節 ヒトラーの歩み


 世界を破滅の一歩手前まで追い込んだ希代の独裁者ヒトラーは、なぜ先進国ドイツから生まれたのか? 今、ドイツ人に会って、多少生真面目さを感じる事はあっても、ナチスの残虐性を感じる事はまったくない。残虐で鳴らしたバイキングの故郷スカンジナビア半島諸国の人々に、今、その面影を見ることはない、日本人も同様だが。

 当時のドイツ国民はヒトラーに何を求め、ヒトラーはどの様にしてドイツを牛耳り、そして世界大戦が始まってしまったのか? 

 

この様子が分かれば、私達は何に気を付けるべきかがわかるだろう。

 

ナチスが誕生した時代、1920~1933年まで

 ヒトラーがナチス(政党)を掌握し、南部の都市ミュンヘンで政治に関り始めた時期が1920年頃です。1933年はナチスが国会の最大議席を得て、ヒトラーが内閣を率いて国政を担うようになった年です。

 第一次世界大戦中の1918年、ドイツ帝国で革命が起き、社会主義政党がドイツ(ワイマール共和国)を誕生させ、敗戦を迎えた。しかし、この敗戦処理で約13%(人口12%)の領土を喪失したが、その中に復興に最重要な炭鉱と工業地帯が含まれていた。さらに賠償金はGDPの約3倍にも上った。敗戦後、政府は苦境を乗り切るために紙幣増刷を続け、インフレは6年間で1500倍にもなった。さらに1929年、米国発の大恐慌が世界を襲った。工業生産力は40%に減少し、29年から32年にかけて失業率は13から40%にもなり、若者の失業はもっと高かった。当初の社会党政権は、諸問題を解決出来ず、後に旧軍人の栄光にすがるだけの政府に替わっていた。街は若者の失業者で溢れ、死者が出る暴力沙汰は日常茶飯事になっていた。

 またドイツ国内には二つの思潮が流布していた。キリスト教徒には歴史的にユダヤ教への蔑視と憎しみが刷り込まれており、さらに不景気の元凶を守銭奴ユダヤ人とする風潮が巻き起こっていた。また国内では、社会改革をリードする二つの勢力、共産党と社会党が激しく争い、暴力沙汰に発展しており、さらに1922年にソ連が誕生すると、共産党への恐怖が沸き起こった。

 

 こうした中、ヒトラーは、無名の一地方の政治家として登場してから、帝国の総統へと10年ほどで登り詰めることになった。

 ヒトラーは美術学校を中退し、冴えない人物だったが、兵士になって勲章をもらっている。彼が才能を発揮するのは、敗戦後、軍人採用機関において、新兵の内偵と勧誘の演説でした。彼はこれで自信を付けた。後に軍人と関りながら、ミュンヘン一揆等の政治運動に関わって行くことになる。ヒトラーは、その卓絶した弁舌とさらにナチスや突撃隊を巧みに扱う能力に長けていた。ヒトラーは、「ヴェルサイユ条約の破棄」「ゲルマン民族の優越」「大ドイツの建設」「ユダヤ人の排斥」「反共産主義」を唱えた。ヴェルサイユ条約は、敗戦による多額の賠償金と領土割譲で屈辱的なものでした。この破棄はドイツ国民にとって念願だった。彼の訴えは国民の不満と願望を満たし始めた。

 しかし、政治の競争相手は多勢であり、全国区に勢力が広がるにはまだまだだった。ヒトラーは、突撃隊を使って、競争相手を暴力で潰していった。一方で、全国展開に向けて、各州に支部を造り、農民からあらゆる層に訴え続けた。ヒトラーの盟友達は、ヒトラーのカリスマ性を前面に出していった。


 ナチスが全国第一党になるには紆余曲折と偶然があったが、1933年には、とうとうナチスの得票率が全国で42%でトップになり、ヒトラーは初めて首相になった。この後、ヒトラーは、国会放火事件の犯人を、第3議席数を持っていた共産党に仕立て、解党させた。これでナチスは過半数を占めることになり、高齢の大統領を丸め込み、法的手続きに従って、総統就任、一党独裁を完成させた。

 

 


1934年以降、ヒトラーの総統就任後の社会と経済状況

 これまでの勢力拡大の長い道のりを考えれば、まだナチスの人気が続く保証はなかった。ヒトラーは、親衛隊や秘密国家警察(ゲシュタポ)のような様々な暴力機関を使い、悪辣、残虐な手段(暗殺等)を裏で使い、表では、法手続きに乗っ取って独裁を進めていた。計8百万の青少年の団結を図るヒトラー青年団等のような幾つかの団体、国威発揚と煽情を担った宣伝相等、様々な人材と組織を一から造り上げ、運用していった。いったん労働組合を破壊し「ドイツ労働戦線」に統一し、様々な職種の労働者と経営者を揃って加入させ、総勢2000万人を超える組織にし、賃金等を一元的に管理した。

 

 ヒトラーの政策は、どん底のドイツ経済に光明が見出せるまでになっていた。例えば失業者は、33年480万人が37年91万人と減り、この間、GDPは40%上昇していたので(注1)、国民の人気は上がって当然だった。但し、失業者減少の理由には大きく二つあった。一つにはアウトバーンのような大規模な公共事業による雇用創出があったが、後にインフレを招いた。二つには、青年に1年間奉仕活動を義務づけ、また女性には就労ではなく家庭に戻る政策が取られ、さらに徴兵制度が導入された、これらにより毎年250万人ほどの失業者が減った計算になる。確かに失業者は減ったが、実質を上回る宣伝で、人々は浮かれていたことになる。青年団の活動は厳しいが、人気もあったようで、褒美にクルーズ船による旅行などがあった。これら国民を一体化させ、奉仕と福祉をも自ら行わせる徹底した手法は、ナチスドイツの大きな特徴でした。

 

 ヒトラーの支持層はどの様な人々なのか? カトリックよりプロテスタントが多かった。ホワイトカラーでなく、労働者と農民・個人事業者に支持が多かった。一有力企業家は初期から陰でヒトラーを支援し続けたし、途中から多くの企業家も支援に加わった。ヒトラーは、演説と宣伝以外にも幅広く支持を得る工夫を、善悪を問わず、打ち出し続け国民全体から支持されるようになっていた。一方、初期からヒトラーを危険と見るドイツ人もいた。二つのグループが名を残しているが、彼らは自国の敗戦を願い、暗殺の手助けもしたが失敗に終わり、多くは死刑になった。またヒトラーは計42回も暗殺未遂に遭っているが、難を逃れている。熱狂的な支持の裏側で、冷静に危険性を見抜いた人々はいたのだが、力及ばなかった。

 

1935年以降、ヒトラーの領土拡大の経緯


 ヒトラーは『我が闘争』で、ドイツ民族が発展する為には、東ヨーロッパ、具体的にはポーランド、ソ連領内に広大な領土を樹立する必要があり、我が使命とみなしていた。また割譲した旧領土には多くのドイツ人が暮らしていた。一方、英国はヒトラー率いるドイツが、ソ連の共産主義革命拡散の防御壁と見做していた。勝敗の鍵を握る米国は、日独伊から41年に宣戦布告されるまで、強く介入することはなかった。これらが、ヒトラーの領土拡大を容易にさせた一因でした。

 34年、ヒトラーはオーストリア併合の邪魔者、オーストリア首相を暗殺し、周辺国との関係は冷え込んだ。35年、割譲していたザール地方で、ドイツへの復帰を決める住民投票が行われ、ナチスによる強力な選挙キャンペーンが功を奏して、ドイツ復帰が決まった。ドイツ国民はヒトラーを讃え、祝賀ムードに沸き立った。次いでヒトラーは、ベルサイユ条約で禁止されている国防軍創設を敢行し、侵略戦争へと突き進む腹を決めた。36年、ヒトラーは非武装地帯でフランス国境沿いのラインラントに少数の軍を進駐させたが、英仏は咎めることをしなかった。一方、ドイツ国内では、ヴェルサイユ条約の破棄を次々と事も無げにやり遂げるヒトラーの人気はさらに上がった。38年、ヒトラーは、オーストリアにドイツとの合邦を迫り、武力をちらつかせながら首相ら要人を退陣させた。直後、ドイツ軍は国境を越え、武力行使を避け、堂々たる行進を行い、市民に歓呼をもって迎えられた。直ちに国民投票が行われ圧倒的多数の賛成により、民族自決が達成された。同年、ヒトラーはチェコスロヴァキアにズデーテン地方の割譲を迫った。これにより英仏独伊による会談が行われ、ズデーテン地方の割譲が決まった。この半年後、ヒトラーは「残りのチェコ」地方に武力侵攻し、プラハを制圧した。スロヴァキアにはドイツの傀儡政権が誕生した。これでも、まだ英仏はファシズムに対して平和維持への甘い期待を抱いていた

 さらに39年、ヒトラーがポーランドに侵攻するに及んで、英仏はやっとドイツに宣戦布告し第二次世界大戦が始まった。この間、ヒトラーは、侵攻を確実なものにする為、軍事力増強に始まり、様々な国との同盟を結び、また破棄し、占領国に対して暗殺、武力による威嚇、裏工作、宣伝工作を繰り広げて来た。

 このヒトラーの侵攻から得られる教訓は、安易な平和維持への期待は危険だと言う事です。初期の段階で、ヒトラーの暴走を止めるべきだった。これはプーチンのウクライナ侵攻に通じる。また敗戦国や疲弊している国を、追い込むことは暴発を招く事を肝に命じるべきです。これはガザにも通じる。

 

第2節 ヒトラー、ナチスの残虐行為 

 ナチ時代、ドイツが殺害したユダヤ人はヨーロッパ全体で560万人にのぼる。実はあまり知られていないが、心身障害者、不治の病の者、同性愛者等、ゲルマン民族共同体の理念に適合しない人々は迫害され、50万人以上が殺害された。

 これはヒトラーだけの考えではない。当時、ヨーロッパには反ユダヤ主義以外に、レイシズム(人種主義)と優生学(優れた遺伝子を残す)の思想潮流が強く及んでいた。これらの思想は、進化論を生物だけでなく社会にも適用し、白人(アーリア人等)は選ばれたものとし、帝国主義を正当化するのに役立って来た経緯があった。ヒトラーは、特に強くこれら思潮に感化されていたが、民衆の煽情に効果があることを見出し、利用したと考えられる。ユダヤ人を排除する事は、経済不況の元凶を取り除く事になり、かつ富裕なユダヤ人の財産没収は民衆や配下の報酬になっていた。ヒトラーは最初からユダヤ人を大量虐殺するつもりはなかったと思われる。当初は、ドイツ国内からユダヤ人を追い出すつもりだったが、人数の多さと移動・居住等の手間に困り、偶発的に殺害が始まると、やがて手軽なガス室での抹殺となった。

 恐るべきは、ヒトラーも残虐だったが、戦争と言う異常状態が続き、徹底した独裁体制の

軍制下ではドイツ人も残虐になってしまった事です。この状況は、ソ連兵や日本兵にも起こった。

 

第3節 ヒトラーの心の闇

  ユダヤ人の精神分析学者フロイトは迫害を受けていたせいもあるが、ヒトラーを「狂人が何をしでかすか予想出来ない」と言い放った。ヒトラーが精神病患者だったと断定できないが、自己愛人格(ナルシスト)であった。またヒトラーはベルリンの地下壕で、神経症を患い、大量の投薬で、正常な判断が出来ない状態に陥り、遂には敗戦を確信して自殺した。

 ヒトラーが1928年に口述筆記した「秘密の書」には、ユダヤ人の害毒と腐敗という脅迫観念がみちみちていた。ヒトラーの青年時代、親友二人、そして自分も母もお世話になった医師もユダヤ人であり、ユダヤ人を嫌悪する理由はなかったはずだ。後に社会の風潮に染まり、強迫観念を持つに至ったのだろう。

 

 1981年「ヒトラーの精神病理」を著わした精神科医は、彼の特徴を自己愛人格障害で説明した。

不安と緊張; 緊張と不安により睡眠障害を患っていた。

衝動と激怒の統制困難; 戦況が思わしくなると怒りを爆発させた。

万能感と誇大妄想的自己イメージ; 彼はしばしばドイツの救世主と称していた。

賞賛への渇望と自己顕示

神経症的傾向と心気症; 自分が重篤な病気にかかっていると思い悩み、晩年に酷くなった。

要求過剰と支配欲; 幼年期は母や友人に、トップになってからは国民や部下に求めた。

良心の欠如; 他人への責任転嫁を特徴とするが、ユダヤ人虐殺はその現れと言える。

 

 ここに二つのポイントがある。ヒトラーの自己愛人格障害は、彼の家庭環境-特に、甘やかした若い母と厳格な父、が起因した考えられる。今一つは、このようなヒトラーを、救世主に祭り上げた部下(盟友)とドイツ国民が多数いた事です。ヒトラーは「ユダヤ人がドイツと全人類を陥れようとしている」との妄想により、「ユダヤ人を寄生虫、ウイルス」と呼んで、排除を言明し、国は纏まっていった。

 

 ヒトラーの晩年、彼の精神状態は悲惨でした。1937年頃より、ヒトラーの妄想は急速に悪化し、精神病の症状が出はじめた。これは彼の主治医による中枢神経刺激剤(麻薬)の投与が増えた事による。薬が効くと気分は高揚したが、益々短期になり、怒りを爆破させた。作戦会議で、衝動的に決断を下し、些細な事に拘り、劣勢になり始めた42年、彼の記録に残った長談義は89頁だったのが敗戦直前では150頁にもなっていた。敗戦の数か月前、地下壕の彼は、同じ話を幾度も繰返し、部下を延々と�責し、戦場での失敗を成功と見なし、ありもしない方面軍が戦況を一変するさせるなどと口にするようになっていた。様々な薬の副作用で、彼の腕と手は振るえ、目は光に過敏になり、ピント調整が出来なくなっていた。ヒトラーは理性を無くし、体もぼろぼろだった。

 

 これは独裁者に頼る事の悲劇の典型です。

 独裁どく独裁

ヒトラーとトランプの比較 

 第12章の「ヒトラーとトランプの共通点」「ヒトラーとトランプの違い」「トランプの独裁過程を検証」を、もう一度見直して見れば、独裁者の類似性がよく分かると思います。

 

まとめ

 独裁が短期的には、その国を活性化したり、強力にすることはある。しかし、二つの面で民主制は独裁より格段に優れている。一つは、ほぼ間違いなく、独裁国は破滅するか、多数の国民は疲弊困憊することになる。もう一つは、長期的には民主制の方が経済成長を生み出す事です。この説明は省いていますが、最良の本があります(注2)


 開発独裁で最も成功した国はシンガポールでしょう。独裁にもメリットはあるが、ヒトラーも含めて、多くの独裁者や軍事独裁下の日本のように、戦時中も敗戦時も、国民や兵士の犠牲を一顧だにしない。一方、米国は第二次世界大戦時も含めて、戦場に取り残された少数の兵士でも見殺しにせず、救援に向かうことが常でした。これが民主主義と独裁の決定的な差です。けっして一時の、誘惑に駆られて、独裁に縋らないようにすべきです。


 ヒトラーが、かくもあの手この手を繰り出して、独裁完成に15年を要したのは、ワイマール共和国という民主主義国家からの乗っ取りだったからです。1980年、西アフリカ、リベリアのドウ曹長はいとも簡単に政権を乗っ取り、大統領として君臨できた。彼は、読み書きも出来ず、食い扶持を得るために軍隊に入った。そこで仲間を募り、夜陰に乗じて大統領を暗殺し、大臣たちを公開処刑にした。彼は出身部族を優遇し、身辺の軍人に高給を払い味方に付けることで、居座ることが出来た。腐敗し暴力が溢れている非民主主義国では、独裁はいとも簡単に成功した。ただ二十数年後には、内戦状態の中から、女性達が立ち上がり、紛争を終結させ、女性大統領が誕生している。これは悲劇の後に訪れた希望を与えてくれる快挙でした。

 

 

注釈1 失業者数は「ヒトラーと第三帝国」参考文献、GDPは「世界経済の成長史 1820~1992年」による。

 

注釈2 民主制が優れている事を、分かり易く説明している本としては、「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源 上、下」ダロン・アセモグル著がお薦めです。これは経済的な面に焦点を当てており、理解し易い。フランシス・フクヤマ著「歴史の終わり」「リベラリズムへの不満」が政治について自由と民主主義が優位に立つと書いている。

 

参考文献

*「ヒトラーに抵抗した人々 - 反ナチ市民の勇気とは何か」(中公新書 2349)對馬 達雄著、2015年

*「ヒトラーとナチ・ドイツ」 (講談社現代新書 2318)石田 勇治著、2015年

*「独裁者ヒトラ-の全貌」村瀬 興雄著、2006年、荒地出版社

*「ヒトラーと第三帝国 (地図で読む世界の歴史)」リチャード・オウヴァリー著、2015年、河出書房新社

*「ヒトラー政権下の日常生活 ナチスは市民をどう変えたか」H・フォッケ著、1989年、社会思想社

*「ヒトラーの脳との対話 パラノイアに憑かれた人々 上」ロナルド・シーゲル著、2001年、草思社

 

 

 

 




 

 

第15章  独裁者プーチン

 

 私が現在最も恐れる一つに世界大戦勃発があります。確かに日本と世界が長期的に混迷を深める現状を止める事は最重要課題で、それがためにトランプの暴走阻止とその背景にある新自由主義政策からの転換が急務になります。この悪夢は確実に進行しているので、絶体になすべき事です。一方、世界大戦は、確実に起きると断言出来ないし、今なら食い止められる可能性がありそうです。この鍵を握っているのは、首謀者のプーチンであり、どちらに転ぶか分からないトランプと言えます。

 

 プーチンが恐ろしいのは、狂暴で冷酷な独裁者であり、最大の核兵器・軍事力・経済力をも併せ持つからです。最も注目すべき点は、暴力と戦争によって彼の支持を強固にして来た事です。ヒトラーが、領土拡大の初期に絶大な人気を博したように。これから彼の独裁者への道を追ってみます。

 

第1節 プーチンはどのようにして大統領になったのか?


 プーチンはサンクトペテルブルクの貧しい家庭に生まれた。父は大戦時、破壊工作部隊に所属していた。プーチンは記憶力抜群で頭の回転も早かったが悪童だった。やがて彼はスパイに憧れKGBでの活躍を望むようになった。そこで彼は、KGB就職に有利なように、大学では法学部とスポーツでは柔道を選んだ。そしてKGBのリクルートを受け、就職し、同時に共産党に入党した。

 彼は対外諜報部に配属され、その専門教育過程を終了後、1985年に東ドイツの都市に1990年まで派遣された。彼は堪能なドイツ語を駆使し、東ドイツの民主化の動きだけでなく、西ドイツや西欧の動きも知る事になり、祖国の遅れを痛切に感じたようだ。また彼の破壊工作好きは、この間に既に発揮されていた。そして東西ドイツ統一を機に、サンクトペテルブルクに戻り、大学勤務となり、大学時代の恩師サプチャークと懇意になる。サプチャークは急進改革派でサンクトペテルブルク市長になっている。プーチンはKGBを辞職し、91年から96年まで、サプチャークの下で、副市長になり外国企業誘致を牽引した。外国企業誘致はあまり成功しなかったが、彼と仲間のKGBは必要性を誰よりも感じていたようで、彼は精力的に取り組んだ。この事が、後のソ連国内の国有企業(地下資源や銀行)などのオリガルヒ独占を生むことになった。つまり、彼らはロシアを守る為に、海外勢に買われる前に、彼らKGBの息のかかった者で買い占る事だった。この時代、彼は数々の派手な演出、完璧にお膳立てされた労働争議の労使仲介で、メデイアに幾度も露出した。その裏で彼は得意わざを身に着けて行くことになった。このロシア第二都市であり最大級の港湾都市はKGBと地元マフィアで操られていた。殺人を伴う抗争事件は日常茶飯事だった。そこに彼は、マフィアと折り合いを付け、秘密警察・税務所を操り官僚や民間等の権力者の悪事を掴んで脅迫して、従わせる常套手段を完璧に身に着けることになった。サンクトペテルブルクは彼に牛耳られるようになり、彼は影の実力者と見做されるまでになった。プーチンの汚れ仕事の引受人プリゴジンとの付き合いはこの時代に始まった。

 

 96年、プーチンはロシア大統領府内に抜擢され、98年、大統領府第一副長官に就任し、地方行政を担当した。またKGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任したが、これ以降、彼は実力を遺憾なく発揮し、頂点に登ることになる。この時、当時の大統領エリツィンのマネーロンダリング疑惑を捜査していた検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、首相プリマコフのエリツィン追い落としクーデターを未然に防いだ。エリツィンは91年に大統領になり、当時人気はあったが、経済などの失敗で人気に陰りが見えて来ていたが、その裏で家族も含め賄賂で肥え太っていた。これを検事総長がこれを暴こうとしたが、逆にプーチンは、検事総長と二人の若い女性のベッドシーンをTVに公開し、彼を追い落としに成功した(注1)。この功績によりプーチンはエリツィンの信頼を得るようになった。

 

 99年、プーチンはエリツィンによって第一副首相に任命され、エリツィンは彼を自身の後継者と表明した。その後、直ちにプーチンは首相に任命された。彼はここまで二人のトップの側近として暗躍し、選挙を経ずに頂点の手前迄上り詰めた。しかし、彼は、暗い性格もあり、国民からの人気は今一つだった。ところがこの年、彼が一躍脚光を浴びる大事件が起きた。それは300名の死者を出したロシア高層アパート連続爆破事件とそれに続く第二次チェチェン紛争でした。プーチンは記者会見において、「テロリストはどこまでも追跡する。たとえ便所に隠れていてもやつらをぶち殺す」と言い放った。彼は、爆破のテロ犯をチェチェン独立派とみなし、即刻、チェチェンを爆撃・侵攻し、民間人への残虐行為で国際社会から批判された。プーチンはチェチェン独立派を瓦解させ、親露派のカディロフが勝利し大統領になった。後に、ウクライナ侵攻に参戦した残虐な指揮官カディロフはこの大統領の次男でした。ロシア国民は、元々異教徒であるチェチェンには悪感情を抱いていたので、これでプーチンは一気に人気を高めた。そしてプーチンは、引退を宣言したエリツィンによって大統領代行に指名された。プーチンが最初に行ったのは、エリツィンとその一族のその後の生活を保障するという大統領令に署名することだった。これは、エリツィンに不逮捕・不起訴特権を与え、エリツィン一族による汚職やマネーロンダリングを追及しない事を約束したものであった。この手打ちは独裁がスムーズに移行するには欠かせない。

 


 この数年の政治の流れは、ヒトラーが首相そして総統になる流れと酷似している。高齢のヒンデンブルグ大統領と弱り目のパーペン首相を操りながら、国会議事堂炎上事件(注2)を利用して、伸し上がって行く陰謀の政治ドラマの再現を見るようです。

 

 さらに上記のロシア高層アパート連続爆破事件の真相から、プーチンの本性が分かり、なぜウクライナ侵攻が起こったが見えてくる。ロシア高層アパート連続爆破事件を追って行くと、不可解な事が多く、明確な証拠が見当たらない。2002年、イギリスに亡命していた元FSBのリトビネンコは、自著のなかで、「この事件はチェチェン侵攻の口実を得ようとしていたプーチンを権力の座に押し上げるため、FSBが仕組んだ偽装テロだった」と証言している。その後、リトビネンコは2006年に何者かに放射性物質を盛られて暗殺された(リトビネンコ事件)。英国は、放射性毒物が特殊でロシアのみが使う事などから、この暗殺はおそらくプーチンの承認によるとした(注3)

 


 プーチンの軍事侵攻とテロ対策の歴史は、彼を「剛腕のリーダー」として人気を不動のものにしていくことになる。

1999年~、第二次チェチェン紛争;既に説明済み。

2002年、モスクワ劇場占拠事件; 市民129名と犯人42名が、ロシアの治安部隊の強行突破で全員犠牲になっている。犯人はチェチェン独立派と発表された。しかし、この事件にも、ロシア側の陰謀の噂が絶えない。

2008年、ジョージア(グルジア)紛争; 南オセチアが、ロシアからの軍事支援で分離独立を宣言したことで、ロシアがジョージアに侵攻し、それ以降、南オセチアと西部のアブハジアを占領している。これはウクライナ東部侵攻とまったく同じ手口と言える。当時から、ジョージアはウクライナで同じ事が起きると警告していた。

2014年、クリミア併合とウクライナ東部紛争; この年に、親ロシア派大統領が、大規模なデモで、失脚・逃亡し、親欧米派政権が樹立したのを受け、ロシアは突如クリミア半島を併合し、ウクライナ東部の親ロシア派分離主義勢力を支援して実質的な戦争状態に入った。

2015年、シリア内戦への軍事介入; アサド政権を支援するため、空爆を中心に本格的な軍事介入を行い、ロシアの影響力を中東地域で強化した。プリゴジンは、シリアだけでなくアフリカ等でもロシアの軍事覇権の伸張を担い、後にウクライナ侵攻で主要な役割を果したが、プーチンに逆らい、遂には部下諸共爆殺された。

2022年、ウクライナ侵攻; 現在、進行中。

 

 プーチンの暴力・警察・軍部に頼る経歴を見ていると、彼の歴史観「かつてのロシア帝国復活」による領土拡大と言うよりも、独裁存続の為の手段にしか見えない。特に、サンクトペテルブルクから現在に至る、様々な暗殺や裏での陰謀は底知れない恐ろしさがある。2020年代だけでも殺害されたのは20人はいるだろう。犠牲者は「政権批判」「汚職追及」「人権問題」「チェチェン戦争批判」「告発・取材活動」を行った人物で、死因は「銃撃」「毒殺/神経剤使用」「絞殺」「不審な転落」「獄中死」「海外亡命先での殺害」が多い。政治家、ジャーナリスト、オルガリヒが特に多い。これは彼らの社会的影響力が大きく、見せしめもあるのだろう。

 

 プーチンの資産は20兆円に達するとされている。彼の忠実な部下のメドヴェージェフの資産は数千億円止まりらしい。これだから独裁者は辞められない。この収入は、忠実なオルガルヒや様々な企業の上納金による。ロシアの腐敗は酷く、企業等の許認可や運営には、裏金の提供無くして出来ない。逆らえば、潰されるか、殺される。選挙はかなりインチキで、総ての報道機関はプーチンに牛耳られ、プーチン賛美のニュースばかり、治安警察や諜報部門は手ぐすね引いて、反抗する者を捉え、始末する。

 

 しかし、こんなプーチン政権も、国民にとっては天国なのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

第2節 プーチンによるロシアの経済と社会状況


 最初のグラフから、プーチンが大統領(赤矢印)になってから、経済は急激に上昇しています。しかし次のグラフを見ると、同じように原油価格が上昇し、ほぼ同じ率で推移しているのが分かります。景気回復は主に原油価格上昇のお陰でした。例えば2013年のロシアの輸出総額に占めるエネルギー製品(原油・


石油製品・天然ガスなど)は71%で、輸出総額/GDP38%だった。ロシアの連邦予算の歳入の約半分は、原油、石油製品、天然ガスの輸出によるものです。1990年代のGDPが低いのはIMFが関わった経済改革が大失敗し、かつエネルギー価格がどん底だったからでした。つまり独裁者プーチンの手腕と言うより、偶然が幸いしたのと、オリガルヒを屈服させたからでした。オリルガルヒはエリツィン時代から、元ソ連当局者(共産党やKGB)が民営化を進めていたが、やがて巨大企業になるにつれて、マスコミも支配し、政府の指示に従わなくなり、政権批判も行うようになった。そこでプーチンは2003年頃から、オリガルヒのトップを脱税などの罪で投獄し、支配下に置いた。現在も批判的なオリガルヒのトップは、年に数人は不自然な死を遂げている。中国は一応、汚職容疑の裁判の形をとっている。

 

 またプーチンは、国内の最右翼の歴史観を取り入れ、暴発を抑える一方、共産主義時代には不遇だったロシア正教を、国民統合の支柱とみなし、支援した。その返礼に、ロシア正教の総主教はウクライナ侵攻を「聖戦」と位置づけ、プーチン大統領の統治が神の意志によるものだと讃えた。プーチンはヒトラーに負けず劣らずの手腕を発揮している。

 

プーチンになってからの社会経済で良くなった事

失業率の低下; 2000年頃に比べ、20102020年には失業率は半分の5%まで下がった。

貧困率の大幅な改善; 2000年頃に比べ、2010年には貧困率は半分の1215%に下がった。

国民所得と生活水準が上がった; 上述のGDP上昇に伴って。 

平均寿命の上昇; 前後10年間の内で1994年が最も低く65歳だったが、2023年には73歳まで上昇している。

乳児死亡率の低下; 1990年は17.5%だったが、2023年には4%にまで減少。

 

しかし、一方で遅れているものもある。

研究開発投資(R&D支出/GDP比); 2010年代〜2020年台、おおむね1% 前後、OECD23%。

高付加価値輸出; ハイテク輸出の割合が先進国に比べて低い。GIIGlobal Innovation Index)での順位も低く、近年は50位台〜70位台。

労働生産性(GDP1雇用者*時間); G7・先進欧州諸国に比べてかなり低い。しかし、高等教育の入学率 は比較的高く、1990年代後半〜2000年代に入ってから伸びている。

起業・ビジネス環境; 透明性・法の支配・反腐敗の面で OECD 平均より低く、これが民間投資や起業活動を抑えている。

 


 プーチン政権の経済・社会政策の良悪の両結果を見ると、独裁者が国民を犠牲にし、搾取し放題というわけではなく、生活向上は進んでいる。これは一応選挙が実施されている事で救われているのだろう。しかし、腐敗が蔓延している事と軍事優先、2014年からの長引く経済封鎖が、ロシア経済の将来を危なくしているようです。左のグラフは、ウクライナ侵攻でロシアの軍事支出/GDPが7.1%に突出している事がわかる。また原油価格が下がるようであれば、ロシア経済はひとたまりもないだろう。

 

 ゴルバチョフ・エリツィン時代のどん底から、これだけ、日常生活が良くなっていると、ウクライナ侵攻を特別作戦と名付けて、地方や傭兵で徴兵している分には、死者が多くても、モスクワ等の中心部では、厭戦気分は高まらないだろう。報道規制が徹底しているので、不満は拡散されない。ましてプーチンは、ウクライナ侵攻を計画的に進めており、欧米による経済封鎖や金融制裁への準備も万全だったようで、いまだに持ちこたえている。

 

 さらに交渉相手は扱いやすいトランプで、世界には米国嫌いと独裁国が多く、代表格の北朝鮮と中国がその筆頭になり、ロシアに味方している。やっとヨーロッパ勢が、危機感を共有し始め、ロシアに自ら対峙しようとし始めた。足並みは揃ってはいないが。

 

まとめ

 既に見て来た、プーチンの「暴力と侵攻で敵を粉砕し勝利をおさめる事で指導者としての名声を得る」手法は、非常に危険です。これはナチス時代と日本の太平洋戦争に至る軍事独裁時代の社会状況とそっくりです。当時、国民は、窮乏にあっても領土拡大、扇動で植え付けられた敵を殲滅する度に、歓声を上げ、微かな希望を頼りに生き抜いたのです。そして、自らの残虐性や人間性破壊には目をつむる事が出来たのです。今のロシアは、そんな状況よりもまだ悪くないので、プーチンが野心を持ち続け、侵攻の継続を図る可能性が高いと、私は見る。

 もし、ここで世界が、ウクライナ側に立ち、ロシアをさらに牽制することが出来れば、特に経済封鎖等の一層の強化で、ロシア経済を追い込むことは重要だと思う。軍事支援も行うべきです。米国は、トランプがいる限り、信頼できないでしょう。今後の事を考えると、米国頼りから脱する事は不可欠です。

 ロシアが難なくウクライナを手に入れると、プーチンは次の侵略を行う可能性もあり、さらには北朝鮮、中国、イスラエル等も、力で国境を変更しようとするでしょう。これはヒトラーの領土拡大時の欧米の対応の間違いを思い出せば、予想できるでしょう。19世紀半ば、西欧各国が競争するように帝国主義に没入し、遂には第一次世界大戦に繋がった事も、領土の奪い合いを放置する危険性を教えてくれる。まして日本は、ロシアの隣国なので、何を優先すべきかを考えるべきです。一番危険の国は何処か? それならどの国と協力すべきかが、自ずと見えて来るはずです。

 

 

 

注釈1 この弱みを握るロシアの手法は、2013年、トランプがモスクワのホテルで行ったとされるセックススキャンダルを彷彿とさせる。プーチンなら必ず仕掛け、トランプなら確実に引っ掛かり、弱みを握られるだろう。これが米国内であれば、トランプは金で口止めし、暴露されてもとぼけるだろう。こうなっては、ウクライナ和平で、トランプがプーチン側に付くのは当然と言える。

 

注釈2 国会議事堂炎上事件は、確実な証拠が無いので、確定はしていないが、ヒトラーが仕組んだと考える学者は多い。

注釈3 この一連の爆破事件、チェチェン侵攻、リトビネンコ事件の詳しい説明は「プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち 上下」に詳しい。一方で「プーチンの世界 『皇帝』になった工作員」は、残念です。この本は、プーチンの思想や手法を説いてはいるが、彼の悪い噂のある事件について、ほとんど無視している。この本の著者達が、プーチン主催のバルダイ会議の常連なので、記事には限界がある。

 

参考文献

*l「プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち 上、下」キャサリン・ベルトン 著、2022年、日本経済出版社

*l「プーチンの世界 『皇帝』になった工作員」フィオナ ヒル共著、2016年、新潮社 

 

 

 










第16章  ウクライナ侵攻の真実 ― 諜報戦の勝者は

 

 ロシアによる2022年2月のウクライナ侵攻の理由について、いまだに様々な説が流布している。これに惑わされてしまうと、ヒトラー・ナチス侵攻と同じ罠にはまってしまう。今、誰かがほくそえんでいる。

 

第1節 ウクライナ侵攻の理由  様々な立場からの発言がある



ロシア側

NATO拡大による安全保障上の脅威

ウクライナは「真の主権国家ではない」

2014年以降のウクライナ政権は「非合法」

ロシア語話者の保護、「非ナチ化」

 

欧州側

侵略戦争であり国際法違反

プーチンの帝国主義

プーチンは民主主義の波及を恐れている

 


ウクライナ側

明白な侵略・植民地戦争

NATO加盟は防衛のため

「ロシア世界」思想の否定

 

トランプ側

「この戦争はバイデンの失敗」

 

 どの説明を信じるかで、この侵攻への対処が決まる。もし迷いが生じれば、決断が遅れ、戦力のある方を利することになる。私は、プーチンのこれまでの言動と、トランプ以前の欧米主脳の対応から、ロシアとトランプの主張を退け、欧米とウクライナの主張を採る。つまりプーチンの侵略です。

 しかし、事はそう簡単ではありません。これにはプーチンが仕掛けた罠を知りながら、利用している大国の大統領の存在があるからです。以下に、3冊の本から恐ろしい裏の手口を探ります。

 


第2節 著書「ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略」による

 遠藤誉著、2022年、PHP新書には、奇妙な話が載っている。

 

下斗米教授はウクライナ侵攻に関して「電話会談で、バイデンがプーチンに、『ウクライナで戦争が起きてもアメリカは介入しない』と、わざわざ告げた」を一つの理由に挙げている。

バイデンにはウクライナ侵攻で得るものが多いとして、様々な理由を挙げる。

アフガニスタンの米軍撤退の失敗を、ウクライナ侵攻で名誉挽回を図った。

ウクライナ企業での、バイデンの馬鹿息子のスキャンダルをうやむやに出来る。

アメリカは、ウクライナ侵攻で自国の液化天然ガス輸出が増やせる。

だからバイデンはゼレンスキーにNATO加盟を強く薦め、火種を点けた。

 

 私はこの著者の本を読むのは初めてだが、中国の情報には精通し肩書も立派だが、米ロに関しては論理の飛躍が多く、素人でも気付く矛盾がある。名誉挽回やスキャンダルつぶしの為にウクライナを攻めさせるとは奇想天外で、明らかにプーチン・トランプを利する展開です。この著者が所長を務める中国問題グローバル研究所(東京)には、二人のロシア人研究者がいるが、ロシア政府に近いのではないか。ウクライナの2014年マイダン革命で、米国が裏で画策した事実はあるが、重要ではない。欧米は、概ねNATOの扱いを慎重に進めていたのが事実でしょう。

 上記の下斗米教授は、旧ソ連・ロシア研究の第一人者と知られているが、今回のロシアへの入国禁止の対象になっていない。小泉悠や細谷雄一、広瀬陽子は対象者です。つまり、彼はロシア寄りの可能性がある。事実、上記のバイデンの失策とされる発言の証拠は確認されていないようです。これは「トランプの選挙は盗まれた」「ヒラリーは児童売春組織と関わっている」のと同様で、トランプを利する数多く出回ったデマの一部に過ぎない。

 

 

第3節 著書「プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち 下」による

 キャサリン・ベルトン著、2022年、日本経済新聞社刊には、プーチンとトランプの蜜月な関係が暴かれている。幾つか拾ってみます。


 第一期目、トランプは「大統領選挙にロシアが介入したというアメリカの情報コミュニティの主張を気にしていない。」と大統領執務室で、ロシアの高官に語っている。

 プリゴジンは「プーチンのシェフ」と呼ばれ、傭兵団トップで汚れ仕事を幾度もこなし、最後は反旗を翻したが、逆にプーチンから抹殺された。そのプリゴジンが大統領選挙でトランプが有利になるようにオンラインで介入した件で、米国の検察が訴追した事を、記者団がプーチンに聞くと、「民間の個人」だと軽くあしらっていた。こんな戯言を信じる人はいないが、二人は否定しないばかりでなく、二人三脚すら匂わせる。

 

 トランプは90年代初めに自己破産に直面していたが、ウォール街の銀行は、リスクを嫌って貸そうとしなかった。しかし突如ドイツ銀行が40億ドル以上を貸した。このドイツ銀行は、モスクワ支店を通じて90年代からプーチンの仲間と深い繫がりがあった。その後も、プーチンはトランプを陰で支援し続けた。モスクワのトランプタワー建設が分かり易い例です。彼はトランプを大統領という最強の手駒として育てようとしたようだ。トランプもそれを知って利用している節がある。

 

 プーチンの強力な配下の報道官ぺスコフとある元KGB将校は、トランプとロシアとの繫がりを調査すると米国の特別検察官モラーの努力を笑っていた。それは「水をふるいにかける」ようなものと例え、彼らはロシア御得意の防諜の観点が無いことを馬鹿にしていた。ソ連の防諜資料「ミトロヒン文書」(注1)をみれば、如何に徹底的に、大戦後、米国がまったく気付かない内に、KGBに情報操作されていたかが分かります。プーチンがトランプに仕掛た罠は、欲深い相手なので非常に容易かったことでしょう。

 

 元ニューヨーク市長でトランプの顧問弁護士のジュリアーニに多額の献金していたビジネスマンがいた。彼はプーチンと裏で繋がっていた。彼は、ジュリアーニにウクライナの腐敗疑惑を調査するように薦め、ジュリアーニはバイデンのスキャンダルをウクライナで積極的に探した。そして、2019年、トランプはウクライナのゼレンスキー大統領に、ジュリアーニに会うように指示し、断れば軍事援助を停止すると脅した。ウクライナ駐在アメリカ公使はこれに怒り、トランプの弾劾調査へと進展した(後に取下げられた)。

 

 外国人の献金で逮捕(米国)されたソ連生まれの二人のビジネスマンがいた。彼らはジュリアーニと親交があり、バイデンの息子が務めていたウクライナの会社の汚職疑惑の情報を持つ人物をジュリアーニに紹介した。さらにジュリアーニは「ウクライナは2016年に民主党と協力して、クレムリンとトランプが選挙戦で共謀したという主張」を煽り、プーチンの選挙戦妨害の信憑性を貶める事を目論み、トランプが広めている説を増幅出来るなら、何でもいいから手にいれようとした。

 

 要約すれば、一枚上手のプーチンが計画的に罠を張り巡らし、米国世論を操り、これを知りながら便乗して利を得ている人々が米国にいる。ミイラ取りがミイラになり、世界が朽ち果てなければ良いのだが。

 

 この著者は、フィナンシャル・タイムズ紙のモスクワ特派員を長年務めたイギリス人で英国暮らし。プロジェクトを組み、数年かけて、数多くのインタビューを重ねて、この本を書いた。彼の立場は、ロシアとも米国の党派にも関りが無いように思えるので、公正だろう。この著書は、私の疑問「ロシアはなぜこんな独裁国家になってしまったのか」にほぼ答えてくれた。凄腕のプーチンが深く蔓延る秘密警察KGBに助けられ、マフィアも巻き込んで、ロシアを乗っ取ってしまったと言える。

 

 別の情報でも、トランプとプーチンが互いに利するように動いる節がある。それはNHK「未解決事件:消えた470億円 ビットコイン巨額窃盗事件」で描かれていた。2014年、日本のマウントゴックス社から470億円相当のビットコインが消年したが、その犯人が米国に収監され、さらなる真相解明が続いていた。しかしトランプはその人物をプーチンとの人質交換で、帰国させた。その犯人は、プーチンとその周辺に近いか、利用されている人物だったからです。

 

 

第4節 著書「プーチンの世界 『皇帝』になった工作員」による

 フィオナ ヒル共著、2016年、新潮社 には、プーチンの明確な意思が語らえている。


そのまま本文を引用します。

「多くの点において、2008年のグルジア戦争から13~14年のウクライナ戦争までのあらゆる出来事には直接的な繫がりがあった。・・・・ 二つの戦争が起きることは、最初から決まっていた。プーチンは08年、ロシアとウクライナが死活的利益を共有することを明言した。ウクライナとNATOが正式な関係を結ぼうとしただけでも、それはロシアにとって直接の脅威となる、と。08年4月のNATOサミットで、プーチンは冷たくこう言い放ったと言う。『ジョージ(米国大統領)、君はわかっていないね。ウクライナは国家でさえない。では何なのか? その領土の一部は東欧に属しているが、大部分は我々からの贈り物なのだ』」

 同年同月、ブッシュは、ウクライナを訪問し、NATO加盟を支持している。

 

 この本は2022年のウクライナ侵攻前に書かれており、この発言では、侵攻の直接の理由は不明だが、2014年のマイダン革命とは関係なしに、08年の段階でプーチンの基本的な立場は既に決まっていた事は明らかです。つまりウクライナはロシアのものであり、プーチンのものなのです。この時のプーチンの発言がウクライナのNATO加盟に強く反応した可能性はあるが、彼の論理は異常だ。だが欧米は、プーチンにとってのウクライナは、米国にとってのキューバと同じなので、慎重に扱うべきだったとも言える。

 

 この本の二人の著者は米国のシンクタンクのロシア研究者で、かつプーチン主催のヴァルダイ会議の常連です。従って、この著書は、プーチンの暗黒面について、証拠が少しでも不確かなら一切触れていない。全体としては、プーチンの表の能力の高さを書いているに過ぎない。腐敗している社会でどう勝ち上がって来たかはまったく見えない。どちらかと言うと提灯本の類です。しかし、そんな本だからこそ、プーチンへの否定的な解説は信用できる。(著者らはマイナスと見做していない可能性はあるが)

 


第5節 元ウクライナ特命全権大使のウクライナ評

 

 角茂樹氏の2025年朝日講座での意見の一部を紹介します。

「ウクライナは欧州最大級の国土を持ち、人口は4千万人。肥沃な穀倉地帯と工業地帯を抱え、首都キーウは千年の歴史を持つ古都です。ロシアの影響を受けたのは近世以降で、それ以前はむしろ西欧文化に近い歴史を歩んで来ました。言語もロシア語とは大きく異なり、ポーランド語に近いです。第一次世界大戦後に独立を宣言したものの、ソ連に組み込まれ、農産物の強制徴発と大飢饉を経験しました。1991年に独立を果しますが、プーチンはウクライナこそがソ連崩壊の引き金であると考えました。こうした状況にあってウクライナは、NATO志向を強め、国民的合意に近い形で西側との結びつきを選びました。これを阻止しようと始められたのが今回の侵略です。しかしプーチンの誤算は、ウクライナ国民の強い意志でした。「ロシアの支配には戻らない」という決意が、徹底抗戦へとつながりました。私自身4年半ウクライナに駐在しましたが、人々の誇りや自立心を肌で感じていました。緊張は高まっていましたが、まさかこれほどの暴挙に出るとは、多くの国と同じく私も予想していませんでした。戦争はしばしば非合理に始まり、リーダーの誤った期待が惨禍を招きます。その中でゼレンスキー大統領が首都に踏みとどまったことは国民に大いに勇気づけ、NATOやG'の支援を呼び込む結果になりました。」

 

まとめ

 わたしのような外交の素人が、それぞれの専門家の説を判定しながら論を薦めるのはおこがましいのですが、語らなければならない理由があります。太平洋戦争やベトナム戦争に至る過程で、如何に日本と米国の天才・秀才が、つまらぬ予測を行い、対戦国への無理解には驚かされました。彼らはどちらかと言うと、欲に目がくらんだか、愛国で眼鏡が曇っていたのでしょう。国民一人一人が、冷静に事実を見抜く必要があります。

 

 

注釈1 旧ソ連の国家保安委員会(KGB)の元幹部ミトロヒンがソ連から密かに持ち出した、10年間25000頁にもなるKGBの諜報活動に関する最高機密文書です。西側諸国、特に米国におけるスパイ行為やプロパガンダ工作などが赤裸々に綴られている。これはミトロヒンが、KGBの存在に疑問を持ち、自ら記録を残し、西欧に明らかにしようとしたものです。

 

参考文献

* 「ミトロヒン文書 KGB・工作の近現代史」 山内智恵子著、2020年、ワニブックス

 

 

 

 

 

 

 

 

第17章  ロシアと中国、日本の選択は

 

はじめに

 このテーマは重要です。なぜなら日本は核兵器を所有する三つの独裁国に囲まれ、かつ米国の橋頭堡になっており、世界大戦になれば最初に侵攻が始まる可能性が最も高い国なのですから。


 日本で出回っている中国情勢の本は、中国を極度に敵視し偏ったものが多く、稀に中立か好意的であっても、政治社会を綜合的に分析出来たものは少ないように思う。30年ほど前、中国批判の急先鋒だった黄文雄の本に刺激されて、中国に旅行し確認したら、まったく事実と違う事に愕然としたことがあった。以下は、幾つかの本と私の経験をもとに感じた事を記します。

 私は、2016年、ロシアのモスクワとサンクトペテルブルク、さらにロシアに侵略された過去を持つバルト三国とポーランドを1度だけ旅行で訪れています。また中国には1990年頃から2019年まで、27省の内12省、沿岸部から高原地帯まで約10回、計40日間ほど旅行して来ました。私は元々、中国の古代史、中世史に興味があって、旅行を重ねていたのですが、長く通うようになると、中国の変化・発展が見えてくるようになりました。また中国で複数の知人を得た事も、中国の経済や社会の理解を深めるに役立ちました。

 


 

上の地図は私が訪れた都市と通過した陸路を赤線で示しています。空路は省いています。

 


第1節 中国とロシアを簡単に比較します

訪れた時の印象が中心になります。

 

経済発展

 2016年のロシアは、大都市の中心部では発展しているが、郊外や地方に行くと発展から取り残されている処が目立った。モスクワのアパートの外観はみすぼらしく、夜、窓に明かりが点いていない部屋が多かった。当時はまだ発展途上で、外観だけよく見せかけているように思えた。

 一方、中国の30年ほど前の建物は、沿岸部も地方も、都市の中心部を離れると一気にみすぼらしくなったが、現在は、沿岸部の都市の発展、林立する高層住宅や交通網には目を見張るものがあり、奥地でも中心的な都市は発展し、奥地の町や村すら建築ラッシュが起きていた。蘭州の砂漠に忽然と蘭州新区(50万人都市)が出現し、北京からの新幹線の車窓から見た雄安新区(200万人都市)の開発には度肝を抜かれた。政治主導の都市開発と民間の観光リゾート開発による建築ラッシュが目立った。これらは後に不動産バブルになったのですが。

 

少数民族と紛争



 私が中国の雲南省や甘粛省を旅行先に選んだのは、少数民族の動向が中国の不安定材料になると考え、自ら確認したいと思ったからでした。これ以前にも、広西チワン族自治区(桂林)の少数民族や福建省の客家(土楼で有名な民族)にも訪れていました。中国の雲南省や蘭州では、多くの少数民族が漢民族と一緒に暮らしており、彼らの暮らしの一端を見ることが出来た。中国の少数民族の人口は全人口の1割近く、55集団あり、1集団の最大人口は1千万人を越える。私が見た幾つかの集団は漢民族の中に溶け込み、誇りをもって暮らしているように見えた。休日、雲南の省都昆明の公園で偶然見た、各部族の集合ダンスは感動でした。中国でも少数民族は観光資源として扱われているが、これが総てではない。中国は、少数民族に手厚い支援策を行っている。おそらく中華人民共和国(中国)の建国当初は、少数民族の同化策は厳しいかっただろうが、欧米の先住民同化策よりは良く、現在は優れている方だと思う。米国開拓民のアメリカ先住民(インディアン)征服史と居留地問題は今も禍根を残している。全体として、中国政府は少数民族に対して適切な扱いをしている思う。但し、建国当時(1949-76年)のチベット族の扱いは苛烈だった(120万人の犠牲者)。また現在、ウイグル族への抑圧が厳しいと聞いているが、大規模な人権侵害はあるが、虐殺や絶滅政策とは断定出来ないようです。この二つの問題は、民族独立運動と関わっている為、中国は厳しく対処し、またデマが飛び交っている。

 

 ロシアの少数民族の暮らしを直接見る機会はなかった。しかし、ロシアの対応をニュースや歴史から知ることが出来る。ロシアには百以上の民族がおり、3割が非ロシア人です。プーチンは、国民統合をロシア民族とロシア正教中心に進めようとしている。その為には、プーチンは異教徒のチェチェン(イスラム教徒)を攻める事に躊躇がなく、ウクライナ侵攻では、地方の少数民族から主に徴兵しているとの報道もある。また世界大戦の戦間期、ソ連内で最も主要な穀倉地帯であったウクライナはロシア側に食料を収奪され、数百万のウクライナ人が餓死した。これは独裁者スターリンが命じたものでした。これらを見ると、ロシアは異民族に冷酷であるのが常のようです。歴史的にロシアは、隣接諸国(異なる民族)との戦争が絶えず、紛争後、融和の為(監視目的か)にロシア人を異民族地域に混住(植民)させることをして来た。これはウクライナだけでなくバルト三国にもおよび、ロシアとは異なるが旧ユーゴスラビアでは混住政策が内戦時に残虐な内部抗争を引き起こすことになったので、バルト三国は不安に思っているようです。

 中国は、古代より膨張する漢民族に押されて、少数民族は南部の山岳地帯に追いやられ、またチベットや中央アジアとは幾度も交戦と和平を繰返し、1世紀ほど前から支配した。台湾は古代より2世紀前までは中国の影響下にあったが、日本統治領を経て大戦後の1949年、中華人民共和国が建国された。その後、中国は国境以外への侵攻や、外国への派兵と目立った軍事支援などは行っていない。朝鮮戦争で北朝鮮を支援して韓国領内に入ったぐらいでしょう。その一方、ソ連の第二次世界大戦末期のポーランドや樺太侵攻を除いても、その後のソ連のアフガニスタン侵攻、バルト三国の占領継続、既に述べたプーチンの三ヵ国への侵攻がある。北朝鮮を独裁国家に導いたのもソ連でした。大戦後のソ連の軍事膨張の多くは米ソの冷戦の結果とも言えるが、明らかに両国は同じ共産国家だったが、他国への侵攻意欲に違いがあると言える。

 

 

人々の暮らし


 両国とも観光で滞在している分には、治安トラブルに遭うこともなく、不安もなかった。概ね、街路にゴミは少なく、清掃が行届いていた。 

 中国の奥地の町に行くと、不衛生な便所や市場の風景は残っているが、その一方で、近くの地下街やショップングモールは近代的な装いでした。中国のスーパーマーケットは大規模なものが多く、商品も安く、品数は豊富です。新旧が共存している。これは都会でも同じです。残念ながら衛生観念があまり発達していないようです。ロシアでは大型のスーパーマーケットしか入っていないが、商品は豊富でした。

 30年で、中国が大きく変わった事の一つに、旅行が非常に盛んになった事があります。1990年頃、帰省や買い出しで鉄道や船が一杯になる事はあったが、中国人の遠方の国内旅行は稀でした。この間、国内旅行人数は2000万人から60億人になった。さらに、今や中国人の海外旅行は年間1億3千万人、総人口の1割に達し、年々急増している。私が世界を旅していると、いつの間にか日本人を見る事が無くなった一方で、有名観光地でない所にも、多数の中国人観光客が押し寄せている。中国人は豊かになり、趣味が広がっている事を思わせる。まだ彼らのマナーの悪さに辟易することはあるが、そうで無い人も増えている。

 中国を旅行して感じる事に、マナーや品位の向上が見られる事です。多くの人は列で順序よく並び、行儀作法を守っている。さらに私の質問や困った時、現地の若者の対応には幾度も感心させられた。彼らの中には英語で答えて、親切に案内してくれたり、トラブルを救ってくれることもあった。ただ高齢になるほど、マナーが悪くなる傾向があった。稀に、騙して金銭を多めに得ようとする輩もいた。

 

 昔から中国の早朝・夕方の公園では、どこでも太極拳や詩吟などを仲間が集まって楽しんでいるのを見かける。2019年、沿岸の都市部の公園を平日の昼頃、散策していると、大勢の50~60代ぐらいの男女が幾つもグループに別れ、盤ゲームや様々なダンス・体操、合唱・詩吟に興じていた。実に楽しそうでした。彼らは少ないが年金があり、退職年齢が決まっているので、早々と余生を楽しんでいた。一人子政策が続いていたので、共働きの子供夫婦の為に一人孫の子守りが主要な愉しみなのです。中国の都市部の人々の暮らしは良いようです。都市部の人は、農村出身者と違う戸籍制度に守られ、優遇されており、農村とは格差がある。 

 残念ながら、ロシアの暮らしぶりは報告できるほ見ていません。

 

産業・経済力

 

 私が中国政府の力量を認める最大の理由は、自国の経済発展を促し続けて来たことにあります。初期には日本の技術や資金援助もあったのですが、一番は鄧小平による1978年からの開放政策でした。彼は対外開放、経済特区、農村改革、市場経済等を打ち出しました。一方、ソ連は1985年からのゴルバチョフによる自由主義経済以降に完全に失敗している。両国とも共産主義の計画経済からの変革でしたが、その力量に大きな違いがありました(米国・IMFの経済指導のミス)。しかし、これだけではありません。その後、国有企業より民営企業を重視するようになります。例えばスマホ決済は大手国年有銀行を圧迫し、滴滴出行(ウーバー)は既存タクシー業界を圧迫するにも関わらず、新規商業システムの導入に積極的でした。深圳には経済特区を土台にしてシリコンバレーが誕生し、さらに政府は2016年から北京シリコンバレーを造った。20~30年前は、まだ中国の工業製品は、安かろう悪かろうでしたが、今や日本人が買う製品はほとんど中国製になった。さらにITやAI技術まで日本を凌駕するまでになった。一方のロシアはエネルギ―輸出に頼るだけの経済から抜けて出ていない。当然、中国の大学レベル、特許出願件数など

も世界トップグループに入っている。 私は、この両国の違いは、IMF指導の拙さにもあったのだが、国の腐敗度の違い、そしてKGBなど秘密警察の浸透度の違いがあったのだろうと推測している。ロシアの秘密警察の歴史は、16世紀、イワン雷帝時代に遡る。中国共産党の歴史は半世紀あまりに過ぎない。

 

ロシアと中国の違いを社会指標から見る

腐敗(CPI); ロシアのスコアは約22(非常に低い)で世界の下位に位置。一方、中国は約43でロシアよりはかなり良い(とはいえ世界平均より低い水準)。

民主度(Freedom House): どちらも「Not Free(非自由)」だが、中国の方が政治的自由の得点がより低い。

報道の自由(RSF); 両国とも極めて低い。中国は常に最下位近辺の178位、ロシアも171位、いずれにせよジャーナリズムの独立は壊滅的。

幸福度(World Happiness Report); 住民の主観的幸福度は中国が68位、ロシアが66位、日本は55位。

 

経済の発展と軍事力の比較を見る

一人当たり名目GDP; 2000年US$969が2024年にはUS$13303(約200万円)と24年間で14倍になっている。

米中露日のGDPによる経済規模の比較; 2024年で米100として、中国64、ロシア8,日本15でした。

第二次産業のシェア; 1990年44%が2010年48%のピークに達し、2020年には40%に落ちている。これはサービス産業化が進んでいる為です。輸出に占める大二次産業製造品のシェアは、1990年73%で、2010年96%とピークになり、2020年には87%に落ちた。日本は1973年がピークで37%でした。ロシアはここ10年ほど30%前後で推移。

 

米中露日の軍事費の比較; 2024年で米100として、中国31、ロシア15、日本6でした。

これをどう判断するか?

 

 ロシアは1代で成り上がった独裁者プーチンが率いており、ナチスのように、いつか暴走する危険性が高い。中国は半世紀以上かけて党の独裁が強まり、世界最大の独裁国家になるだろう。プーチンは軍事・秘密警察と石油で国民をつなぎ止め、中国は産業と経済で国民を引き付けている。中国の方が、不安要因が少ないと考える。私は、三国志の天下三分の計と離間計が、最良と考える。今、日本にとっては最優先はプーチンの野望を封じ込める事、次いで中国がロシアとの同盟を深めないようにさせる事です。この為には日本は中国との対立を避け、友好策を模索すべきだ。中国国民総てではないが視野が広くなっている。中国政府は容易にロシアへの加担を扇動できないだろう。かつて日本が満州に侵攻して、中国の反日感情が高まり、それ以降、互いに敵意が燃え盛った経緯がある。日本はナショナリズムに踊らされないことが重要です。また米国は重要な同盟国だが、トランプ現象から分かるように、いつまでも米国を信頼するのは危険だろう。

 

 

ウクライナ侵攻の帰趨

 習近平による香港の雨傘運動に対する警察の暴行シーンは悲惨でしたが、既に見たようにプーチンの侵攻と圧殺の数々は、はるかに非道で計画的なものです。(中華人民共和国建国直後1956-59年のチベット弾圧は、現政権の関与ではない)

 トランプはロシア寄りの和平案をウクライナに押し付け、多くの米国民もトランプの仲介案を問題視していない。これは世界大戦の導火線になる可能性が高い。この「ロシアにウクライナ東部を譲り、和平を得る」、この手の取引はほとんど失敗する事は歴史が証明している。英仏がヒトラーの領土拡大を放置したのとまったく同じ過ちです。1967年の第三次中東戦争以降、イスラエルは、パレスチナの地にユダヤ入植地を拡大し続け、幾度も国連から国際法違反で、中止を求められている。しかし、イスラエルは現在も益々、植民地を拡大し、パラスナ人を暴力で排除し続けている。その後、米国などの仲介があり、1993年以降、イスラエルはパレスチナの占領地域から撤退することで、和平合意を繰返したが、結局はテロが活発化し、紛争が続いている。結局、イスラエルは紛争の種を撒き続けており、イスラエルに善意を期待しても収束は期待出来ない。また幾ら協議案をまとめても北朝鮮の核開発を止められないでいる。結局、善意による平和を期待し相手に譲るが、相手は裏切る事で利を得ている。侵攻側の完全撤退が無い限り、平和は得られない。

 これまで見て来たようにトランプは信頼に耐えない。ロシアに侵攻される可能性のある国々が、協力してロシアを止めるしかない。ウクライナの東部南部が占領され、次はウクライナ全土、そうなればロシアの経済力、工業力、軍需生産力はさらに増大する。

 

中国の台湾侵攻

 私は、この可能性は低いと見る。著書「ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略」において遠藤誉も可能性は低いと見ている。但し、条件がある。台湾政府が独立を宣言しない限りです。つまり、現状のあやふやな立ち位置を守れば良いのです。これで台湾に害が及ぶことはない。

 

 中国の外交と経済の戦略を見ていると、冒険主義どころか、経済と同盟を優先し、一帯一路、上海協力機構、BRICS(ブリックス)等で多くの国との連携を強め、着実に名声と力を得ている。ちなみに一帯一路では150ヵ国以上、上海協力機構では10ヵ国、BRICSプラスでは11ヵ国が加盟している。中印国境紛争で犬猿の仲だったインドも中国に繫がり、これで中印露が繋がった。これにより安倍が言い出した中国を包囲するクアッド(QUAD)は価値をかなり減じることになる。中国は、軍事手段よりも平和的な手段、経済力と貿易の拡大を通じて、君臨しようとしていると考えられる。したがって不名誉、軍事侵攻や国内の弾圧の海外の反応を恐れるだろう。ロシアのウクライナ侵攻にしても、中国は賛成はしていないし、軍事援助も目立たない。ただ貿易で利を得ているだろうが。

 中国は独裁国家ではあるが、まだ共産党独裁の面が残っており、まだ合理的な判断が出来る可能性があり、軍事力に勝る米国との戦争を考慮して、台湾に侵攻しないだろう。

 


 

 まとめ

 上記三人の独裁者の中で、手を結ぶとしたら、あなたは誰を選ぶだろうか? 日本はこの三ヵ国に囲まれている。上策は三ヵ国の分断です。もし日本が中国とより険悪になれば、この三ヵ国は、さらに同盟を強くするでしょう。プーチンの方が習近平より危険です。ロシアはプーチンが造りあげた独裁国家なので、プーチンが正常な判断が出来なくなれば、暴走する。すでにプーチンは、暴力と戦争の常習者であり、諜報機関を最大限に使い、世界を混乱に陥れている。さらに恐ろしいのは、米国の大統領がプーチンに操られている可能性です。

 中国の軍事力は大きいが、まだ外交が可能でしょう。少なくともプーチンとトランプの連携を抑えるためにも中国との繋がりは重要です。日本は永らく米国に守られ、かつ従属して来たので、トランプ政権を期に、しがらみから少しづつ脱するべしです。

 

 

第2節 日本人が陥りやすい偏見

 日本人は日頃善良なのだが、政府(軍・官僚)が戦時において、国が一丸となって事を進める時、他国だけでなく自国の国民の命を軽視する傾向が強い。これは今も社会に大きな災いをもたらし続けている。それぞれの国の国民性に優劣は無いのですが、日本の国民性で注意が必要なところが何点かあります。このことを簡単に見ておきます。(学問的には、文化心理学や文化人類学、エマニュエル・トッドの家族人類学が、この問題を扱いますが、トッド以外は国民性と歴史的事件との因果関係を説明しようとしていません)

 

 ロシアとその周辺諸国、また中国国内の人々と話した内容から、海外の人の対外意識を知ってもらいたい。

 

 私はポーランドの首都ワルシャワで、1対1で通訳に聞いた。

「ワルシャワの人は、大戦時、ドイツとソ連の両方から、酷い仕打ちを受けたが、どちらにより憎しみを感じていますか?」

彼女「ドイツは許せるが、ソ連は許せない」

私「ドイツの方が、酷い事をしたはずですが」

彼女「ドイツは謝ったが、ソ連は謝らない」

 このやり取りで注意して欲しいのは、日本がソ連と同じ仕打ちを中国にしていることです。河野談話の撤回の試みや戦時中の謝罪の不徹底、A級戦犯を合祀している靖国神社への政府要人の参拝等です。ヒトラーを祀る施設にドイツ政府要人が参るようなものです。日本の神道が異なると言い募るのは、世界の非常識です。

 

 ロシア国内で二人の通訳に、また中国国内で30年の間に5人ほどの通訳と知人に、国内政治に関わる事を聞いた。

 ロシアでは、否定的な質問だったせいもあるが、一人は返答に口ごもり、一人は終始プーチン大絶賛でした。

 中国では、さりげなくこっそり政府への不信感や監視への警戒感を示す人、または具体的に政府の肯定的な事例を挙げる人がいたが、絶賛する人は居なかった。客観的に見ている印象でした。

どちらの国も、発言には慎重でしたが、私は中国の方に、ロシアより希望を感じた。

 

 最後に、中国の知人の返答で驚いたことがある。

「あなたは台湾の独立を阻止する為に戦いますか?」と私が聞くと。

彼は即座に「銃を持って戦いに行く」と言ってのけた。

彼は、普通、知的で穏やかなのですが、態度が急変した。

 

 この事をもって、日本では、彼らは洗脳されていると一蹴する傾向にある。しかし、少し考えて欲しい。

 ここ1世紀余りの台湾の歴史は、中華人民共和国側にとっては腹立たしいものでした。1985年から1945年まで日本軍が台湾を支配した。太平洋戦争が終わると、当時中国を代表した蒋介石(国民党)が米軍の協力で台湾に乗り込んで、戦後処理を行います。ところが、中国本土で共産党政権(中華人民共和国)が誕生し、蒋介石軍は負けて台湾に兵力を移した。蒋介石は台湾で生き残りを図り、悪政を敷いた。台湾人にとっては日本の占領支配の方が良かったかもしれません。

 ところが朝鮮戦争が勃発すると、米国は、共産勢力の防波堤として、蒋介石に軍事援助を与え、台湾支配を認めます。その後も米国の関与が続き、国民党の独裁的な支配に釘を刺すようになり、台湾は徐々に民主化されて行きます。また米国の技術援助もあり、経済力が向上し、現在の台湾になったのです。台湾人にとって、大戦後は災厄だったが、現在は良好な民主国家であり、幸福な時代なのです。中国と一緒になる理由はありません。

 

 結局、中国にしてみれば、負けて逃げた敵が、すぐ横で米国の支援で、さらなる大きな敵(米国)の橋頭堡になってしまったのです。しかし国際正義から言えば、台湾の独立は当然でしょう。経緯から言えば、中華人民共和国にも言い分はあります。ここは角を立てず、つまり独立を声高に言わないで、年月の過ぎるのを待つのが良策でしょう。

 


 もう一つ、日本人が知っておくことがあります。それは中国は米国の暴挙を恐れているのです。12年前の日本の団体による中国人へのアンケートの結果が示唆的です。中国の圧倒的多数の人は、米国の軍事侵攻を一番恐れていたのです。中国は、日本に侵略され散々な目にあっています。それに加えて、大戦後、米国は冷戦体制に入り、徹底的に共産国家を敵視し、共産主義に染まり始めたと疑うだけで、予防策として、その国の殲滅を正当化しました。典型的なのはベトナム戦争でした、初期には裏で中国がベトナムを操っていると疑っていました。民主国家である米国は、国民を失望させない為に、一度侵攻してしまうと負ける事が出来ません。こうして5代の大統領にわたり、ベトナムを徹底的に破壊し、それでも遂には負けました。日本人は米国が行った世界中の侵略や破壊工作を知らな過ぎます。これでは世界を正しく見ることが出来ません。あまりにも簡単に、大戦前の鬼畜米英から大好き米英になってしまったのです。

 


 逆に、日本人は中国と朝鮮半島の人を嫌悪し過ぎです。この嫌悪の始まりは、明治維新以降に始まり、日中戦争で高まり、戦後は、互いの世論が敵愾心に燃えると、それが相手に伝わり、益々酷くなる繰返しでした。確かに、ある時期から中国は日本への敵愾心を植え付ける世論操作を始めました。しかし、中国人がここ十年で日本に訪れた人数は約4000万人になるでしょう。彼らは、間違いなく日本に対して好印象を受けたはずです。そうで無ければ、これほどの増加傾向を示さないでしょう。帰国した一人が十人に日本の良さを広めれば、既に人口の3割が日本に好感を持っている可能性がある。中国を旅行していて、日本人とわかって、中国人から嫌な対応受けた事は零ではないが、圧倒的に普通の対応か、より親切な対応が多かった(騙そうとする人はいるので注意ですが)。このまま行けば、多くの中国人はやがて、日本人の真の姿を知り、理解が深まると思います。これを続けることが重要です。中国の生活が豊かになり古い世代が退けば、マナーの良い人も増えるはずです。しばらくの我慢です。

 

 残念なのは日本の嫌中の言動です。日本の図書館に行って、中国について調べようとすると、圧倒的に嫌中の桜井、石平、黄さんの本で埋まっています。公正中立な本を見つけるは難しい。

 私が不思議に思うのは、同じ独裁国家のロシアに比べて圧倒的に中国を嫌う評論家が多いことです。嫌中の言い分が、独裁や人権問題、領土問題にあるとしたら、ロシアもさして変わらない。来日客が圧倒的に多いので目立つが、マナーの悪いのは重要じゃない。一番ネックなのは、やはり日中戦争への対応が後を引いている。謝罪が中途半端だから、いつまで経っても、中国や韓国から、反日のネタに使われる。そして、それに過剰反応し、日本の読者を満足させるのを仕事にしている評論家が多い。

 南京事件を例に考えよう。中国側は犠牲者が30万人以上と言う。日本の嫌中派はでっち上げだと言い、否定する。理由の一つに、それだけの死体を埋める暇も場所もなかったと言い募る。南京城のすぐ横は大河長江で、南京あたりの流量は1秒間に3万トンあります。実際、岸壁で処刑して流しています。または便衣兵(民間人に紛れた兵士)だから処刑して問題なかったともいう。それが便衣兵では無く敗残兵だとしたら、もっとも日本軍は国際水準の規則に従う気はなかった(注1)。私は南京事件に関して日本の肯定派・否定派の本を計10冊ほどと外国の本も読んだ。完全否定の論拠には無理がある。私の感触では犠牲者は少なくとも2万人以上で、10万人以上でも不思議では無い。どこの軍隊も残酷な事をしている。まして日本人は、組織に埋没してしまう国民性なので、より悪化してしまう。ナチス・ドイツの国民性と似ているのです。

 情けないが、日本の論客には、戦争中の日本軍を美化しようとする意識が強すぎる。これはダメだ。これでは歴史から正しい教訓が得られない。

 

 戦争中、沖縄の国民が洞窟から、出てこなかった理由は、捕虜になると殺されると軍部が脅したからです。こうして多くが洞窟内で自死か殺されました。なぜこんな事が公然となされたのでしょうか? また兵士も同様に軍事勅諭で、兵士の投降を禁じ、徹底抗戦に向かわせた。一方、米国は、自国の兵士が敵軍内に孤立している時、第二次世界大戦時もソマリア内戦時も、救援軍を送り、救援に大きな被害を出した例が数多く知られています。この違いを、皆さんはどう思いますか? 日本の支配層は、国民の命を昔から軽んじているのです。その薄ぺら精神は今も残っている。

 

注釈1 1929年ジュネーブ条約(捕虜の待遇に関する条約)に日本は署名したものの、軍部の反対により批准していませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第18章 ベトナム戦争の顛末、悲惨な戦争を防ぐ為に

 

 人類にとって最も不幸なのは戦争で、殺戮、破壊、飢餓、すべてが人々を襲う。なぜ戦争は起きるのか? 独裁国家なら、支配層の野望で始まるかもしれず、兵や国民の命はかえりみられない。一方、民主国家でも、なぜ始めてしまうのか? 多くは仮想敵国への疑心暗鬼から予防策として始まる。特に大国ほどその傾向が強く、大戦後の米国がその典型でした。この疑心暗鬼は、多くの場合、些細な誤解や思い込みがから始まり、敵対する中でエスカレートし、抜き差しならないものになる。この典型例を、ベトナム戦争から見ます。

 

ベトナム戦争の思い出


 私達団塊の世代(1947-49年生まれ)は多くの戦争をTVニュースで見て来た。中でも最も悲憤を感じたのはベトナム戦争でした。米国による大規模な爆撃、焼夷弾で火の海になるジャングル、ある村の殲滅等をニュースで知りました。世論の批判は高まるが止む気配は無かった。

 私は、2011年、ベトナム戦争終結の地ホーチミン(当時サイゴンと呼ばれた)に訪れ、ベトナム戦争証跡博物館に立ち寄った。中に入ると、合奏が聞こえたので、行ってみると、そこには二十数名の少年と青年が演奏中だった。私は彼らを涙なしに直視することが出来なかった。彼らは重度の奇形児達だった。彼らはベトナム戦争中、米軍の枯葉剤(ダイオキシン)によって、母体で奇形になり、生まれて来たのです。

 

 

 


第1節 ベトナム戦争の概要




  この戦争を一言で評すると植民地戦争、冷戦下の代理戦争、独裁政権打倒の革命が重なり、共産化するベトナム民族とそれを阻止したい米国の、意地をかけた泥沼の戦いと言えます。ベトナム戦争は1955年から1975年まで続いた米国と南ベトナム(サイゴン政府)対、北ベトナム(ベトミン)と南ベトナム解放民族戦線(べトコン)の戦いでした。

 


ベトナム戦争の引き金になった事件から、終結まで ChatGPTの回答を編集

 

植民地支配と第一次インドシナ戦争(~1954年) 

 ベトナムは19世紀後半からフランスの植民地支配を受けていた。第二次世界大戦中、日本が仏印に進駐し、フランスの統治力は弱体化する。1945年、敗戦直後にホー・チ・ミン率いるベトミンが蜂起し、北ベトナム(ベトナム民主共和国)を樹立した。しかしフランスは植民地回復を目指し再進出し、1946年から第一次インドシナ戦争が始まる。ベトミンは民族独立運動であり、当初は必ずしも共産主義一色ではなかったが、冷戦の進行とともに中国・ソ連の支援を受け、共産主義色を強めた。一方フランスは、反共の立場から米国の支援を受けるようになり、1950年以降、戦費の大部分を米国が負担する構図となった。1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランス軍が決定的敗北を喫し、植民地支配は終焉を迎える。

 

南北分断と暫定体制(1954~1960年)

 1954年のジュネーブ協定により、ベトナムは北緯17度線を境に暫定的に分断された。北は北ベトナム、南はフランスの影響下から脱した南ベトナムとされた。本来は1956年に南北統一選挙を行う予定だった。しかし南では、反共主義者のゴ・ディン・ジエムが米国の後押しで政権を樹立し、選挙を拒否した。米国は「共産化のドミノ理論」(共産化の拡大)を背景に、南ベトナムを反共の防波堤と位置づけ、軍事顧問団や経済援助を拡大した。一方、北ベトナムは南部で抑圧される共産系・反政府勢力を支援し、南北対立は次第に武力衝突へと傾いていく。

 

ベトコンの登場と内戦化(1960~1964年)

 1960年、南ベトナムでベトコン(南ベトナム解放民族戦線)が結成される。ベトコンは南部住民を基盤とする反政府勢力で、北ベトナムの指導・補給を受けていた。彼らはゲリラ戦を展開し、農村部で南ベトナム(サイゴン政府)の支配を切り崩した。南ベトナム政府は汚職や独裁、仏教徒弾圧で民心を失い、1963年には軍事クーデターでジエム大統領が殺害される。政権は不安定化し、米国は「助言者」の立場を超えて、より深く関与せざるを得なくなった。

 

米国の本格参戦と戦争拡大(1964~1968年)

 1964年のトンキン湾事件(米国のでっち上げ)を契機に、米国は北ベトナムへの空爆と地上軍派遣を開始する。これにより戦争は完全に国際戦争化した。最大時には50万人以上の米軍が南ベトナムに展開し、北爆、枯葉剤散布、捜索殲滅作戦が行われたが、ベトコンと北ベトナム軍は地形と住民支援を活かした持久戦を展開し、決定的勝利は得られなかった。1968年の北ベトナム側による広範囲・大規模なテト攻勢は、米国民に「勝てない戦争」という認識を与え、米国内の反戦運動を激化させた。

 

米軍撤退と南の崩壊(1969~1975年)


 ニクソン政権は、米国民の高まる反戦世論に答えて、戦闘を南ベトナム軍に委ねつつ、米軍を段階的に撤退させた。1973年、パリ和平協定が結ばれ、米軍は完全撤退する。こうして、米国の支援を失ったサイゴン政府は北の攻勢に耐えられず、1975年4月、サイゴン陥落。南ベトナムは崩壊し、翌年、ベトナムは社会主義共和国として統一された。

 

 ベトナム戦争の死者はベトナム側300万人、米側6万人に達し、投下爆弾量は第二次世界大戦を越え、枯葉剤による奇形被害は現在約300万人におよび、戦争による難民は数百万人に達した。アメリカは初の敗北戦争を経験し、米国は経済的にも社会的にも深い傷を負った。

  

 この大規模被害をもたらした戦争は、首脳達の誤解で始まり、米大統領の保身で長引き、そして世界と米国の良心が、終戦へと向かわせたのです。先ずは、当時の戦争指導者の認識に迫ります。

 

 

第2節 当時の指導者が戦争を振返った

 著書「我々はなぜ戦争をしたのか 米国・ベトナム 敵との対話」(東大作著、2000年、岩波出版)に貴重な発言が載っている。22年後、ベトナム戦争を回避する、あるいは早期に終結させる道はなかったのかを、ハノイで話し合われた。当時、戦争を牽引したマクナマラ元米国防長官が提唱し、戦争当時の両国指導者たちが、冷静な検証と白熱した議論を行った。NHK取材班の記録です。幾つかの重要な発言を拾い、解説します。

 

マクナマラ元国防長官

「我々は、ベトナムと中国の堅い同盟関係を信じて疑わなかった。だからベトナム戦争の終了後、わずか数年の間に中越紛争が勃発して、・・、私は心底びっくりしたんだ」

 

 当時、米国は、中国に支援された北ベトナム政府が南ベトナム政府を攻め、全土を共産化する目的だと考えていた。米国は、1947年から冷戦対決を始め、1950年の朝鮮戦争で共産軍の恐ろしさを痛いほど感じていたので、共産化の拡大を抑える為に、南北分断を維持し、南北統一選挙に反対し、反共を唱える南ベトナム政府(傀儡政権)を支援し始めた。中国もソ連も北ベトナムに武器、資金、軍事情報で支援し、軍事顧問団や防空・復旧の為の部隊を送っているが、直接米軍と交戦することは避けた。

 

元米国務省ベトナム専門官

「私は第二次世界大戦中、中国に行きましたが、・・、自分が中国の何が理解できないのかさえ、わからなかったのです。・・中国にいたというだけで、・・アジアの専門家ですよ!

今ベトナムの出席者から、1945年にホー・チ・ミン主席からアメリカに独立を支持してくれるように働きかけた時のことが持ち出されました。・・」

 

 当初、北ベトナムは、米国を反植民地主義の旗手と考えていた。確かに米国がそのように振る舞った時期はあった。そしてホー主席がトールマン大統領宛に独立支持を依頼する親書を出していた。しかし米国は、それに対処することなく、ベトナムは失望することになった。

 そこで、この専門官はベトナムに理解を求めた。

「当時、米政府のアジアへの関心は中国と日本だけでした。その中国すら理解出来ず、ベトナム語も解らない人々が情報分析官であり、当然、ベトナムからの親書の重要性を理解出来るものは居なかったのです。」

 

 米政府内に、誰一人としてベトナムが独立を目指して中国と2千年もの間、戦い続けて来たことを指摘する者はいなかったし、当然、ベトナム語を理解出来る人もいなかった。これだけの戦争をするのに、こんな情報収集で、戦争を始めたとは驚きです。

 

 

米のベトナム戦史学者

「アメリカは確かにアジアについて無知だったかもしれません。しかし無知の責任の一端はベトナム側にもあるのではないですか。あなた方はアメリカの政策責任者に対して、ベトナムが何を目指しているかということや、平和的解決を望んでいることなどを、全く説明しなかったのではないですか。」

 

 米側は、この会談で、北ベトナムが当初から民族独立を目指していたことを確認出来たので、それなら、当時、なぜベトナムはこの説明努力をしなかったのかと、戦史学者は北ベトナムを責めている。これは実に奇妙です。

 米国は1968年、勝てないと分かり始めるまで、開戦前からベトミンとべトコンとまったく交渉していないのです。勝手にホワイトハウスは反共一点張りで、初めは少ない軍事顧問団の派遣から始め、負けそうになると、派遣軍と爆撃を拡大して行ったのです。そして関わった米国大統領は5人にもなったのです。これは敗戦の不名誉を避ける為に、撤兵の決断が出来なかったからでした。実は、古くはベトミンが日本軍と戦っている時は、米国はベトミンを支援していたのですが、その後、反共を理由に接触を絶ったのです。

 ベトナム戦争当初、ベトミンは植民地からの独立、べトコンはサイゴン独裁政権の打倒が主だった、そして両者は繋がり、民族統一となったと私は見る。

 

 

元北ベトナム外務省対米政策局員

「我々は、アメリカと戦争を始める前に、10年間もジャングルの中でフランスとの独立戦争を続けていたのです。我々は、世界の情勢についてほとんど知るすべはありませんでした。・・・、アメリカというこの新しい敵についてはほとんど何もしらなかったのです。・・、私にはそんなことが可能だったとは到底思えません」

 

 彼は上記の米戦史学者の指摘に対してこのように答えた。私には、この時点でも、米国には驕りがあるように思える。米国がベトナムのジャングルに一方的に侵攻して来たのですから。

 

まとめ

 この会談は素晴らしい快挙でした。米国をベトナム戦争に引き入れた張本人マクナマラ元国防長官は、恥を凌いでこの会談を実現させた。そして、その結論「この戦争は互いの誤解が始まり」は有益でした。当時、誤解を解くまで話をしても、互いの望みは得られず、戦闘になったかも知れませんが、それでもここまで悲惨で長期化することを防げたと、私は残念に思う。

 

 

第3節 いくつかの注目すべき事

 ベトナム戦争に纏わる、戦争の側面を知る二つの例を挙げます。

 

著書「知られざるベトナム戦争 CIA謀略作戦」(テ・ナム著、1977刊、新日本新書刊)

これには、ロシア常習の諜報戦を米国CIAがベトナムで行っていたことが書かれています。ウクライナ侵攻を理解するのに役立つでしょう。但し、この著者は不確かなため、信頼性に少し不安があります。

 

 CIAは南ベトナムに傀儡政権を作り上げ、反共独裁体制を維持するために、選挙妨害、反対派の暗殺、仏教徒弾圧の黙認を行った。特に強調されるのは、心理戦と偽情報工作です。北の評判を貶める為に、北からの難民流入を演出した。彼らは「共産主義の北では信仰が禁止される」「南に逃げなければ殺される」といった流言を組織的に流し、カトリック住民を南へ移動させた。

 またCIAは、北ベトナムによる侵略を誇張・捏造し、南部の不満や社会改革要求をすべて「共産主義の陰謀」にすり替えた。村落では密告制度を導入し、住民同士の不信を煽ることで共同体を分断した。さらに、反政府活動家に偽装した破壊工作や挑発行為を行い、それを口実に弾圧を正当化したとされる。

 戦争後期には「フェニックス作戦」(CIA主導のべトコン無力化作戦、約7万人殺害、事実)に象徴されるように、裁判なしの殺害や拷問が常態化し、分断と恐怖による統治が戦略として制度化された。著者は、こうした「汚い戦争」が南北の和解可能性を徹底的に破壊し、戦争を長期化させたと結論づけている。

 私は他に幾つかのベトナム戦争の本を読んでいるが、概ね、事実が書かれているように思う。

 

 

著書「ベトナム戦争報告」(ダニエル・エルズバーグ著、1972年、筑摩書房刊)の著者は一人でベトナム戦争を止めようと立ち上がった。この本には、ベトナム戦争の真実が描かれている。


 70年、全米で百万人の反戦デモが起きた。彼は盛り上がりつつあった反戦運動の火に油を注いだ。ニクソン大統領が名誉ある撤退を公言する裏で、さらに戦争は拡大していた。1971年、ニューヨーク・タイムズ紙が国防総省の極秘資料を連載し始めた。これはエルズバーグ博士が、国防総省内でコピーして持ち込んだものでした。この資料は「ペンタゴン・ペーパーズ」と呼ばれ、1945年から68年の「ベトナム政策の意志決定過程」の調査報告書で、省内のあらゆる記録情報が網羅され、7000頁に及んだ。彼はこの報告書の作成にも関わり、かつ閲覧を許されている10名程の内で、全編を読んだ数名の一人だった。ペンタゴン・ペーパーズには、歴代政権が国民を欺き戦争を拡大した事実が記されいた。政府は彼を「アメリカで最も危険な男」と呼んだ。

 最初、彼はベトナム戦争収束のために、ホワイトハウスの最上級スタッフに働きかけた。しかし、それは総べて徒労に終わった。次いで、議会の有力議員にこの極秘資料の公開を依頼した。最初興味を示した良識派の議員も、土壇場になるとリスクに恐れをなし、公開を拒絶する。

そこで71年春、彼はニューヨーク・タイムズ紙の記者にコピーを渡した。しかし公表の確約はもらえなかった。告発を決心してから2年が経とうとしていた。少し遅れて、ニューヨーク・タイムズが極秘ファイルの連載を始めた。遅れたのは新聞社が、公表すれば責任が持てないと弁護団から忠告されていたからでした。彼は妻とホテルのテレビを見ていると、FBIが彼の自宅乗り込む様子を生々しく放送していた。たまたま、別の告発相手の議員と接触する為にホテルに泊まっていて難を逃れたのです。博士は匿名で動いていたのだが、誰かが彼の名を漏らした。博士は、命の危険と逮捕を予想して数多くのコピーを協力者に配布しておいた。その後、夫婦でホテルに潜伏することになる。

 一方、ニクソン大統領は彼を潰す為に、ホワイトハウスでFBI長官と秘密部隊にハッパをかけていた。政府の申し立てで、地裁は新聞社に連載停止の仮処分命令を出した。すると次いで他の新聞社が、そのコピーの公開に踏みだしたが、またもや連載停止命令が出た。しかし政府の意向に逆らってでも、勇気ある新聞社や出版社がこれに続いた。さらに17日後、新聞社の申し立てで最高裁は素早く掲載を認める判決を下した。しかし遂に、博士は逮捕され、機密文書の不法所持やスパイ容疑など12の罪状で禁固110年を越えていた。素晴らしい協力者もいたが、裏切りもあり、ついに絶体絶命となった。

 大統領は元CIAと元FBIで編制された秘密部隊「鉛管工グループ」に、博士の身辺を調査し、マスコミを使って彼の信用を失墜させることを命じた。彼らは博士かかりつけの精神分析医事務所に忍び込み、書類をあさった。ところが思わぬ展開が待っていた。その鉛管工グループが翌72年、大統領選挙の内情を探る為に民主党のビルに不法進入し、逮捕された(ウォーターゲート事件)。このことから、鉛管工グループの博士に対する犯罪行為や電話の盗聴が判明し、73年、地裁は博士に対するすべての控訴を棄却した。こうして博士は自由の身となり、圧勝で2期目を手に入れたニクソン大統領だったが、74年、この事件で弾劾され、去ることになった。

 

 こうして彼の勇気ある行動が、ベトナムからの撤兵を大きく促すことになった。

 

 

ベトナム戦争からの米軍撤退はなぜ出来たのか?

 重要なのは当時のマスコミがまだ健全だったことが大きい。ベトナム戦争中、米国のマスコミには国による報道規制はなかったが、自主規制を行っており、未知の遠隔地からの情報には慎重をきし、かつ記者たちの愛国精神も働き、マイナス情報は米国内に流れ難くかった。ところが、1969年、あるジャーナリストが「ソンミ村虐殺事件」の凄まじい写真を米国の雑誌で発表した。これをきっかけに米国は反戦ムードが高まり、マスコミは悲惨な状況を報じはじめ、大統領や政府機関に逆らってでも真実の報道姿勢を守った。

 この流れの中で、エルズバーグ博士の意志が叶えられたのです。彼の内部告発はそれこそ命がけでした。しかし当時の米国には内部告発の伝統が生き続けていたのです。米国では、ホワイトハウスの不正や企業の薬害を内部告発した重大な事例は幾つもあり、告発者を英雄視する文化があります。一方、日本では内部告発者は組織の裏切り者とみなされ、告発された上層部は容易に告発者を潰し、組織全体からも冷たくあしらわれるのが常です。社会も報道機関も、そして法も内部告発者を守る姿勢は弱い。これでは、社会が腐敗していっても良くはならないもは当然です。その端的な例が、兵庫県知事であり、他県も続発しています。悲しい現実です。

 

ベトナム戦争からの教訓

 

 米国がこの戦争に深入りした遠因はソ連(共産主義国家とみなす)の勢力拡大への懸念にありました。大戦後、米国は国内外の共産化の波及に神経を尖らせるようになります。米国内では赤狩りのマッカーシー旋風が吹き荒れ、海外に対しては、共産化の予防と称して、多くの国に対抗する為の軍事や資金援助を行いました。そして共産化した国家の転覆を図り、反共産を唱える独裁者を傀儡政権に育てて来ました。この典型例がベトナムでした。南ベトナム(サイゴン政府)は腐敗し住民を苦しめていたが、米国はそれを知っていても、反共産の為に援助し続けた。また南北統一を阻み、南ベトナムだけでも反共産国家として存続させようと、あがき続けた。

 当時の動きを見ていると、最初、軍事派遣団を南ベトナムに送り出した時は、ホワイトハウスは戦争拡大をまったく望んでいなかった。むしろ、それ以前のフランスの植民地政策には反対だった。しかし、フランスが負け、南ベトナムも負け始めると、取り敢えずは食い止めようとして、均衡を図る為の兵力増強を行い、徐々に深入りしていった。概ね、ホワイトハウス内の軍関係者と保守派は強硬手段を唱え、場合によっては核兵器投下も進言した。一方、大統領と文民派は、それを制止するので精一杯だった。また大統領の弱腰の姿勢は不人気に繋がり、選挙を考えると公に出来ない。こうして戦争は続いたのです。

 当然、既に見たように、敵(ベトミンとべトコン)の真意や支援国(中ソ)と繫がりをほとんど把握せずに、軍事力に頼ってのめり込んでいった。軍隊や軍事産業が強大になると、安易に軍事力で解決しようとするようになる。この傾向は、今の米国でも続いている。民主国家であっても、独裁と並んで戦争も安易に進んでしまうのです。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

第19章 日本の戦争


 なぜ日本は太平洋戦争へと突き進んだのか? 明治維新以来、世界でも稀に見る大発展を成し遂げ、軍事大国へと急成長し、多くの植民地を得て、一時、国民は高揚感を得た事だろう。しかし、太平洋戦争(第二次世界大戦)の敗戦により、国民はこの戦争で310~380万人が犠牲になり、970万人が被災し、経済的損害は非軍事資産だけで約4兆円で、当時のGDP(国内総生産)とほぼ同じでした。加えて、日中戦争と太平洋戦争における日本の戦費総額はGDPの名目33倍、実質9倍であり、これだけのものを生産し無駄に失った。さらにアジアにはさらなる甚大な損害を与え、いまだに隣国間で気まずい思いをしている。さらにその後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)駐留により、急な復興を遂げたが、また歪な政治社会構造を保持してしまうことになった。我々は二度と同じ過ちを繰り返さないために、なぜこのような馬鹿げた悲惨な戦争を選んでしまったかを知ることは重要です。

 

明治維新から太平洋戦争への道 年表

 


  

日本の聖戦論

 日本の太平洋戦争(大東亜戦争)における「聖戦論」とは、「アジア解放」「欧米植民地支配からの脱却」「八紘一宇(はっこういちう)による世界平和実現」などを大義名分とし、西欧勢力による東アジア支配への反撃という側面を強調する主張で、特に戦後の右派論壇で唱えられた歴史解釈です。実態は資源獲得や植民地支配であったとし、否定されています。

 おそらく、この聖戦論を信じる人は少なくなった思われるが、以下の論点については、漠然と日本が良い事をしたように思っている人がいるかもしれませんので、解説します。

 

現地の独立運動を支援したので良いことをした: 日本軍はインドネシアやビルマ等の西欧植民地において独立運動を支援したのは事実で、実際に戦後の独立に貢献した例もあります。しかし、これは英国(帝国主義国家)が、オスマントルコに支配されていた中東を占領する為、現地の部族に独立支援したのと同じで、占領地での常套手段でした。日本も、自らの占領支配に反抗する勢力は、叩き潰したでしょう。

 

植民地支配は現地に貢献しているので良いことをした: 良く引き合いに出されるのは、日本の植民地支配を受けた台湾やパラオの人が、戦後も日本人に友好的だとされていることです。私も台湾の人が友好的だと認めますが、これで植民地支配が正当だったとは言えません。この二つの地域には少し特別な事情がありました。先ず、一般論をお話します。帝国主義国は植民地に、現地の国家では不可能な莫大な投資をするのが常です。しかし最終的には、その投資額の回収を現物(作物、資源)や税金の形で過酷なまでに回収するものです(英国によるエジプト)。日本では朝鮮半島が同様でした。それでは台湾とパラオ諸島は何が違うのか。まずこれらの場所が戦略的に防波堤・橋頭堡では無かったことがあります。朝鮮半島は対ロシア戦略上、軍部にとっては完全な管理下に置いておく必要があったからです。台湾については日本支配はそれ以前の中国支配より過酷ではなかったことがありました。またこれらの場所は当時産業的に遅れていた事により、日本は食糧増産の為に、台湾では灌漑の稲作、パラオでは漁業と水産加工などの産業育成に貢献したことが大きい。さらに日本人は、ヨーロッパ帝国主義国よりも、民間人も含め多数の人々が、現地に赴き働いたことも大きい。しかし戦争になると、やはり日本の徹底抗戦の被害に巻き込まれたのも事実です。

 

日本はなぜ太平洋戦争に至ったのか?


 大きな転機は1931年の満州事変だったでしょう。この事変から日中戦争へと拡大し、中国の戦線は拡大し続け、泥沼化し、日中戦争開始から太平洋戦争開始までの日本兵の死者は43万人、負傷者100万人に達していた。中国を支援していた米国は、列強と組み日本を経済封鎖することにより停戦させようとした。これでは中国での同胞の死が無駄になるとし、日本は世界最強の米国を倒すしか勝利はないと意気込んだ。こうして早期決着と言う可能性の低い目論みに縋って開戦に踏み切り、結果9倍もの死者を出すに至る。短期決着を想定した日中戦争すら8年も続いたのだから。このように軽く見た背景に、当時の世界情勢があった。中国では国民党が各地の軍閥と戦い統一に向かっていたが、共産党とも戦い内戦状態になっていた。また西欧の列強も各地の植民地で反乱に遭い、米国も世界恐慌で弱腰になっていた事があった。

 

 満州事変は、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破(柳条湖事件)し、これを中国軍の仕業として満州全土を占領した事件です。日本政府の承認なしに独断で始まった武力衝突で、満州を傀儡国家化し、国際社会の非難を浴びて国際連盟を脱退、日中戦争の始まりとなりました。この事件で特筆すべきは、日本の満州軍の数名の参謀大佐や中佐が勝手に実行し、それを日本本土の軍中枢がまったく咎めなかったことであり、むしろ彼れらは後に出世することになった。この後、関東軍は中央政府の不拡大方針を無視して、あれよあれよと言う間に、一切制止されることなく、歯止めが効かなくなり、戦火は広がる任され、日本から増援が繰返され中国全土に拡大していった。そこには国民経済や兵站等への配慮がなく、何ら長期的な視点もなく、「撃ちてし止まん」と敵を倒す意気込みだけで突っ走った。

 

 広大な中国に踏み込めば、戦域が広がり、部隊はせいぜい各点を占拠するだけで、兵站は各点を結ぶ線を行くことになり、ゲリラ攻撃に遭い、すべにおいて苦戦を強いられる。まして国力も資源も乏しい日本にあっては戦闘力も兵站も先行きは見えないはずだった。その上、中国に味方する米国の軍事力は日本の10倍以上あり、深入りすれば将来、激突する可能性があるにも関わらず、自ら泥沼に入っていた。

 


 なぜこのような無謀とも思えることが出来たのだろうか?1920年代後半、日本は第一次世界大戦後に二回の恐慌、さらに世界恐慌の直撃を受け、農村の疲弊、失業、社会不安が拡大した。農民の生活は悪化し、何百万人が飢え、追い詰められた農民が娘を売春宿に売り飛ばすようになった。1931年までに日本の工場の半分が操業を停止し、ヨーロッパの植民地市場も崩壊し、さらに関税障壁で市場は縮小し、日本製品の輸出は2/3にまで減少していた。その結果、中国大陸への輸出が死活問題となっていた。一方、既存の政党政治は汚職・派閥抗争で信頼を失い、軍部や国家改造論者は「既存政治では国が滅ぶ」とし「国家改造運動」の思想を広めていた。国内では、暗殺やクーデターが頻発し、満州事変への伏線が引かれていった。1921年、23年、32年には右翼による要人暗殺や未遂事件が起こり、遂に32年、36年に海軍と陸軍の青年将校一団による政府要人の暗殺を含む大規模なクーデターが起きた。ここでもクーデターの軍人首謀者は軽い刑期で済み、むしろ国を憂う青年達として讃えられていた。これ以降、日本の政治は軍部独裁へと進み、30年代より徐々に言論統制が厳しくなり反対意見は封殺され、37年国民精神総動員、38年国家総動員体制により、軍国体制は完成域に達した。こうして、軍人と軍人魂がすべてに優先し、正論は封殺され暴力以外の解決の道は断たれた。

 

軍部が独走した背景

 なぜ軍人が幅を効かせる世の中になっていたのだろうか? 一つの答えは、台湾出兵にあった。1874年、日本政府が琉球漁民の殺害に対する報復を口実に台湾に出兵した。これが日本最初の海外派兵でした。当時、西郷隆盛らが盛んに征韓論という朝鮮半島への出兵を主張していたが、これは倒幕の主力軍に新たな役割として「外征」を与え、維新後の待遇低下に対する武士階級の不満を抑えようとするものであった。これに対して大久保利通らは内治優先を主張して征韓論に鋭く対立していたが、台湾に対しては出兵を推進していた。この台湾出兵は、朝鮮併合と並ぶ琉球併合というもう一つの領土問題だった。西郷と大久保の対立は、大久保が主導した台湾出兵、75年の江華島事件(朝鮮での武力衝突)、翌76年の日朝修好条規の締結、という外交上の「成功」によって大久保が勝利し、追い詰められた西郷らが武装蜂起した77年の西南戦争で敗れた。台湾出兵によって清朝に琉球が日本領であることを認めさせ、沖縄県を置くという琉球併合を可能にした。台湾出兵から20年後に日清戦争、その結果、95年台湾の日本への割譲が決定され、日本の中国侵略の第一歩となった。つまり、明治政府は主に薩長軍閥による国家であり、自らに外征意図を内包していたことになる。 

 

 明治政府は、一応なりとも議会を有していたが内閣は天皇が任命し、維新に功労のあった薩長土肥がほとんど占め、特に薩長閥が圧倒的に多かった。例えば薩摩閥海軍の山本権兵衛は大正12-13年(1923-24年)まで総理大臣を務めた。また、当時は現在のように各大臣はお飾りではなく、薩長閥の大臣が各省の官僚を牽引し、陸海軍は当然薩長閥で占められた。つまり、明治政府は主に薩長軍閥による藩閥官僚制国家であった。この時代、百姓の子供が出世を望むなら兵隊さんで、陸軍士官学校や海軍兵学校を出て出世することだった。社会は元武士階級の軍人さんが中心だったと言える。



 天皇の存在

 それでもなぜ明治から昭和初頭まで軍部が政治の中心であり続けることが出来たのだろうか? 重要なのは、明治憲法に定められた統帥権「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」でした。軍部はこれを盾に、軍事作戦を自ら立案し、天皇に奏上し、天皇よりの詔勅をもって、軍内に伝達し、執行した。この間、政府や帝国議会は介入出来なかった。この統帥権には憲法論上不合理な点もあったし、政府や天皇は問題に気づいていたはずだが、天皇自身は政治に関わらないとし、政治に口(是正することすら)を挟むことを控えた。こうして無為に過ぎていった。ここにも日本の誰も責任をとらない体制があった。特に太平洋戦争の開戦以来、天皇が臨席される御前会議は重要な決定を行って来た。天皇は基本的に発言しないのが慣例だったが、政府と軍部、あるいは元老の間で意見が対立した際、天皇の聖断によって決定がなされた

 

 この天皇については日本独特の問題があった。歴史的に見ると、天皇が政治の実権を握っていられたのは平安前期ぐらいまでだった。その後の鎌倉、室町、安土桃山時代にかけて名ばかりとなっていた。しかし天皇は日本の宗教的権威(神道・仏教)や古式文化保存において重要な役割を果し続けていた。徳川幕府は天皇家や公家の実権と財政基盤をさらに削ぎ、自らの権威づけに利用するだけになっていた。ところが幕末期、徳川幕府の権力基盤の行き詰まり、特に膨大な赤字財政が露わになると、貿易と藩政改革で赤字を脱した外様大名の薩長土肥は、朝廷に近づき、徳川外しを狙った。こうして維新後、別の武士階級である薩長土肥が天皇を頂点に戴き、政治を牛耳ることになった。さらに天皇を神として祀るまでになった。

 地球上、あらゆる王朝はその起源神話に、神との繫がりを持つのが普通でした。ヨーロッパでは、それまでのローマ教皇の権威から脱し、王権神授説(王の権力は神から直接与えられた)が16~17世紀に隆盛となった。しかし17世紀後半以降、「社会契約説」(人民の権利、権力分立)が唱えられ、王権神授説は批判され、やがて市民革命によって衰退した。19世紀、神の子孫と名乗っていた王家は、大陸と隔絶した南太平洋諸島の王家(ハワイ、タヒチ)ぐらいだった。ましてや、一度廃れた古代王家の血筋を復活させ、神として祀る日本ような事例は他にはなかった。こうして日本は産業革命の技術を真似ても民主主義を真似ることは出来なかった。

 

 天皇の存在は軍事大国への道を進むにあたり、統帥権以外にも大きな意味を持っようになる。明治から大正初期にかけて、新聞は政府を批判することが出来ていたが、1918年白虹事件(はっこうじけん)が起き、これが新聞報道の転機となりました。大阪朝日新聞が社説で政府の対応を厳しく批判し、その中で「白虹貫日」(はっこうかんじつ:君主に危険が迫る凶兆を意味する故事成語)という表現を用いて政府を非難しました。この記事が天皇を侮辱するもの(不敬罪)とみなされ、右翼団体や政府から激しい攻撃を受けました。結果、大阪朝日新聞は発行停止処分を受け、主筆や編集幹部が引責辞任に追い込まれました。当時、この不敬罪は言論統制に多用されていました。さらに1925年治安維持法が制定され、またさらなる厳罰化への改正が繰り返され、国政への批判は徹底に罰せられ、国民は沈黙せざるを得なかった。



  1882年軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)が下賜され、太平洋戦争まで軍人の精神的支柱となり続けました。一部抜粋します。「私(天皇)は皆さんの大元帥であり、皆さんは私の手足であり頭首であるから、その関係は非常に深くあるべきだ。国家を守り、天の恵みに応え、祖先の恩に報いることができるかどうかは、君たちが職務を全うするかどうかにかかっている」「政治に惑わされず、ただ一途に自分の本分である忠節を守り、義(国家への道)は山より重く、死は羽毛より軽いと覚悟せよ。その志を曲げて不覚を取り、汚名を受けることはないように」二つの文から、当時の兵士は天皇の為に命を捨てよと言うことを徹底的に叩き込まれたことが分かる。もう一つ兵士を拘束した戦陣訓がある。その中に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」という、捕虜を禁止する文がある。これは1941年東条英機陸軍大臣の訓令だが、古くは日清戦争中に山縣司令官が上記と同じ主旨の訓令を出していた。日本軍は各地の戦場で外国の捕虜を虐待したが、これについて、俘虜の待遇に関するジュネーヴ条約に批准しなかったから問題無しとしていた。この批准しなかった一つの理由は、自国の兵士が捕虜にならないので、日本軍が不利だからと言うことでした。どこまで狭量というか、国民の命、人権を顧みない国であることが見て取れる。

 

なぜ国内での解決ではなく海外侵攻に向かったのか

 1928年、小林多喜二が「蟹工船」(プロレタリア文学)を発表しました。これは蟹工船にて酷使される貧しい労働者達が群像として活写されていたが、これは実際に北洋工船蟹漁に従事していた船をモデルにしていた。著者は数々の労働問題、労働争議を題材に小説を発表して来たが、33年、不敬罪と治安維持法で警察に逮捕・虐殺された。

 当時の経済状況が関係しています。ヨーロッパ全域を巻き込む第一次世界大戦は、日本に空前の輸出ブームと好況をもたらし、工業生産が急増し、大企業は吸収合併を繰返し財閥誕生へと向かい、都市も発展した。しかし1918年大戦終了後には、政府の失策もあり、その後の10年間で三度の恐慌を被り、農村は農産物価格の急落により、極度の困窮に陥ります。一方、成金が闊歩するようになり、不平等が著しく拡大した。太平洋戦争までの大戦間期は、活況から疲弊へと落差の激しい時代だった。

 

 左図は、ピケティ『21世紀の資本』からの転載です。赤矢印の1920-40年の間、△印日本の1%の高所得層が国民所得の20%を得るまで格差が拡大していることがわかる。4ヵ国の中で日本が最悪でした。国民は著しく不満を持つようになったが、政府は共産主義革命に繋がることを恐れ、労働運動を禁止した。軍事国家にあっては、軍部と癒着した財閥を批判することは厳禁だったのかもしれない。

 これと対照的な動きをしたのが米国でした。19世紀末、米国は「金ぴか時代」と呼ばれ、新産業が勃興し、数々の大企業(スタンダード・オイル、カーネギー鉄鋼)が生まれていた。しかし、過酷な労働やスト潰しが行われていた。やがて20世紀になるとジャーナリストや市民活動家達が、過酷な労働の実態を暴き、抗議活動を行うようになると改革の世論が沸き起こるようになった。資本家と癒着していた政治家でさえ、規制法案の制定に賛成しなければならなくなり、反トラスト法や政治資金規制法が施行されるようになった。つまり、日本では国内の企業を規制し、経済システムを改革する方向に向き得なかった。残念ながら、軍人国家の日本には望むべくもなかった。

 もう一つの問題であった対外戦争の余韻でした。日清・日露戦争は画期的な大勝利とみなされていた。しかし、実態は厳しかった。日清戦争は軍事費に国家予算の2年分以上を使い、賠償金は4年分を得て、経済に大きなプラスとなった。続く日露戦争の戦費は、国家予算の9年分を要し、満州や朝鮮半島の部分的な権益を得たが、賠償金はまった得られなかった。こうなると、戦費調達の外債の返済に、国内に重税を課し続けることになり、国民の消費や企業の投資意欲を抑え込むことになった。また外債の返済もあり、政府は軍事費以外について、必死の緊縮財政を強いられた。こうして政府は、まともな経済政策を取ることが出来なくなっていた。三回の恐慌と1923年関東大震災にみまわれると、困窮する農民生活と大不況を打開する道は、広大な農地が広がる満州にしか無いように思えたことでしょう。これまで連戦連勝だったのですから、不可能は無いとも思えたことでしょう。また満州は、ロシアの南下の防御壁にもなるはずだった。

 概ね、このようにして大戦間期の日本社会は、海外侵攻へと向かった。私は日本には何かが欠落していたように思える。

 

まとめ

 明治維新から太平洋戦争への道のりは、一言で言えば、武士に始まり軍人による暴発が度重なり、政府はその場凌ぎで処理を繰返し、いつの間にか深入りし、敗戦でやっと終了した感がある。戦争への舵取りに最高位の独裁者の判断は不明瞭で、天皇でも東條でもなく、陸海軍の総意でも無かった。強いて言えば、軍人の誰かが場面場面で関わっていたが、一人に責任を追わせるには無理がある。これを「赤信号みんなで渡れば怖くない」という集団心理で表すのが妥当かもしれず、日本の精神風土だと言えるでしょう。

 明治維新は未完の市民革命と言えるでしょう。「藩閥官僚制国家」「文民統制の欠如した官僚・軍事国家」「無責任の分散による事実上の独裁」が政府の実態でした。これこそが、日本を一気に大国に押し上げたが、一方で歯止めの効かない軍事国家へと向かわせた。そして敗戦とGHQ支配によって、初めて民主国家へと片足だけ進むことが出来た。しかし既に見て来ましたが、米国の干渉による一党独裁と社会運動の抑え込みが功を奏したこともあり、国民は政治に無関心になり、凋落さへ気付かないようになってしまった。

 

 

参考文献

*「日本の歴史 1~21 」1992年、集英社刊

*「世界の歴史 1~10 」J.M.ロバーツ著、2003年、創元社刊

*「早わかり日本史」河合敦著、2000年、日本実業出版社刊

*「日本はなぜ戦争へと向かったのか 上下」NHK取材班著、2011年、NHK出版刊

*「戦争の日本近現代史」加藤陽子著、2002年、講談社刊

*「図説 経済学体系7 日本経済史」竹中靖一著、昭和47年、学文社刊

*「世界史」ウィリアム・H・マクニール著、2006年、中央公論社刊

*「戦争の世界史」ウィリアム・H・マクニール著、2002年、刀水書房刊

*「新聞 資本と経営の昭和史―朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩」今西光男著、2007年、朝日新聞社刊

 

 

 

これまで如何に間違った危険な道を進んで来たかを見て来ました。

これからは、私達が如何に進むべきかの指針となるものを歴史から学びたいと思います。

近い将来、新たな発展と混乱が私達を覆い尽くすであろう事を指摘し、心構えを示したいと思います。

最後の第Ⅲ部で、人類が改革して来た事と、これからの産業革命について語ります。

 

 

参考文献

この「取り戻せ豊かな暮らし! 危機に陥る前に」のレポートを書くにあたり、私の思索のバックボーンになっている著書・著者を紹介します。

ポール クルーグマンとジョセフ・E. スティグリッツの幾多の著作は、新自由主義による米国と世界経済と社会の問題を私に一早く気付かせてくれた。

ダロン・アセモグルの一連の著作は、民主主義こそが経済の発展に有効だとの自信を私にくれた。この三人は総てノーベル経済学賞を受けている。社会科学における米国の学者の層の厚さと、論述のスケールの大きさにおいて、日本に比肩出来る人がいないと思います。

トム・ピッケティの著作は、経済格差が世界な規模で歴史的な流れがある事を私に教えたくれた。

エマニュエル・トッドの数々の著作は刺激的で、多角的に歴史を見る助けになっている。特に、彼の「新ヨーロッパ大全 Ⅰ、Ⅱ」(1992年、藤原書店)で知った家族人類学は目から鱗でした。 

 

著書以外に、ウィキペディア(Wikipedia)、AIのChatGPT、Gemini、Copilot(Deep Research)をほぼ毎日利用しました。これら無しでは執筆は不可能だったでしょう。

 

このレポートをを書くために参考にし、または一部引用した翻訳本のリストです。

「新自由主義 その歴史的展開と現在」デヴィッド ハーヴェイ著、2007年、作品社

貿易戦争の政治経済学 資本主義を再構築する」ダニ・ロドリック著、2019年、白水社

「大不平等――エレファントカーブが予測する未来 」ブランコ・ミラノヴィッチ 著、2017年、みすず書房

「監視資本主義 人類の未来を賭けた闘い」ショシャナ・ズボフ著、2021年、東洋経済新報社

「民主主義の死に方 二極化する政治が招く独裁への道」スティーブン・レビツキー著、2018年、新潮社

「実力も運のうち 能力主義は正義か? 」マイケル・サンデル著、2021年、早川書房

「概説 世界経済史 Ⅱ」ロンド・キャメロン著、2013年、東洋経済新報社

「社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学」ジョナサン・ハイト著、2014年、紀伊国屋書店

「オリバーストーンが語るもう一つのアメリカ史 1、2、3」オリバー・ ストーン, ピーター・ カズニック 共著、2013年、早川書房

「民主主義の危機 AI・戦争・災害・パンデミック――世界の知性が語る 地球規模の未来予想」朝日新書、 イアン・ブレマー, フランシス・フクヤマ, ニーアル・ファーガソン, ジョセフ・ナイ他著、2024年、朝日新聞出版 

「格差はつくられた 保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略」ノーベル経済学者、ポール クルーグマン 著、2008年、早川書房刊

「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」ノーベル経済学者、ジョセフ・E. スティグリッツ 著、2002年、徳間書店

「技術革新と不平等の1000年史 上、下」ノーベル経済学者、ダロン・アセモグル, サイモン・ジョンソン共著、2023年、早川書房

「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源 上、下」ダロン・アセモグル著、2013年、早川書房

「図説世界の歴史 7、8、9」J.M. ロバーツ 著、2003年、創元社

「日米逆転 成功と衰退の軌跡」Jr. C.V.プレストウィッツ 著、1988年、ダイヤモンド社

「経済政策で人は死ぬか?公衆衛生学から見た不況対策」デヴィッド スタックラー著、2014年、草思社

「リベラリズムへの不満」フランシス・フクヤマ 著、2023年、新潮社

「21世紀の資本」トム・ピケテイ著、2014年、みすず書房

「西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか 」エマニュエル・トッド著、2024年、文藝春秋

「サピエンス全史 上、下」ユヴァル・ノア・ハラリ著、2016年、河出書房

「情報の人類史 人間のネットワーク上、下」ユヴァル・ノア・ハラリ著、2025年、河出書房

「ゴールドマン・サックスに洗脳された私 金と差別のウォール街 」ジェイミー・フィオー著、2024年、光文社

「自由の限界 世界の知性21人が問う国家と民主主義」(中公新書ラクレ)エマニュエル・トッド、ジャック・アタリ、マルクス・ガブリエル、マハティール・モハマド、ユヴァル・ハラリ他著、2021年、 中央公論新社 

「戦争中毒 アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由 」ジョエル アンドレアス著、2002年、合同出版

「大脱出――健康、お金、格差の起原」ノーベル経済学者、アンガス・ディートン著、2014年、みすず書房