Tuesday, March 31, 2020

中国の外縁を一周して 29: 古代へ誘う金沙遺址博物館






< 1. ここで黄金の太陽神鳥が発見された >


これから、数回に分けて四川省の省都成都を紹介します。
今回は、金沙遺址博物館を紹介します。
ここには最古の蜀人の暮らしがあった。


 
< 2. 成都観光地図、上が北 >

上: 成都の位置は赤矢印
成都には蘭州から飛行機で来て、二泊後、同じ空港から飛行機で麗江に移動します。

下: 赤矢印が、成都の観光地です。
A: 金沙遺址博物館、三星堆遺跡の文化を受け継ぐ遺跡の上に建っている。
B: 杜甫草堂(唐の詩人の廟)
C: 陈麻婆酒楼(金沙店)、元祖麻婆豆腐の店
D: 武侯祠(諸葛孔明の廟)
E: 天府广场東側のショッピング街、成都最大の繁華街

黒矢印は地下鉄で直結している成都双流国际机场の方向を示す。

2019年10月23日23:00、私は蘭州から成都双流国际机场に到着し、直ぐ近くのホテルに2泊した。
翌日、朝8:30にホテルのロビーで現地ガイドと待ち合わせし、日本語で1日案内してもらった。
移動はタクシーを利用した。
残念ながら、1日中雨でした。
観光はほぼ予定通り出来たが、写真が思うように撮れなかった。


 
< 3. 金沙遺址博物館 >

上: 金沙遺址博物館の地図、上が北。
600mx500mの広さ。
E: 乌木林
F: 発掘遺跡の展示館
G: 遺跡からの発掘品の展示館

この遺跡は、2001年偶然発見され、発掘調査後、2007年博物館としてオープンした。
私としては有名な三星堆遺跡を見たかったが、成都を1日で観光するには、近くにあるこの博物館見学で時間的に精一杯でした。
三星堆遺跡は北方45kmの位置にある。

この博物館の下には、紀元前1200~500年頃に栄えた蜀人の国が眠っている。
この時期は、黄河中領域の西安から洛陽とその北方で興った商(殷)の後期から、西周、春秋戦国時代の前半に重なる。
ここは蜀人の政治経済商業の中心地であったが城砦はなく、大きな住居址群と祭祀場、墓地からなる。
現在は埋め戻され、祭祀場跡だけが見学できる。


下: 乌木林
この敷地の川底に埋もれていた60本余りの黒檀が立てられている。
かつてこの地は黒檀の森で、今より温暖であった。
この黒檀は祭祀に使われた可能性が高い。
彼らは治水を重視し、河辺で祭祀を行った。
成都には有名な、水利を目的として紀元前3世紀築造が始まった都江堰がある。


 
< 4. 発掘遺跡の展示館 1 >

この展示館は大型の祭祀場跡を覆っている。


 
< 5.建築物跡と発掘品 >

上: 左側のパネルに高い櫓の絵が見える。
パネルの周囲の穴が、柱の跡なのだろう。
出雲大社の太古の復元モデルと似ている。

下: 黄金のマスクなどの金器が発掘された。
写真には他に玉器や青銅器も見える。

 
< 6.石虎と象牙 >

上: 中央右に数本の象牙が白いビニールで覆われている。
また猪の牙も大量に見つかった。
当時、この地には多くの象が生息していた。
右下のパネルを拡大したものが下の写真です。

都江堰が造られた岷江はしばしば氾濫し水害をもたらしていた。
古代の蜀人は、象牙には水の妖怪を殺し、洪水を鎮める神通力があると信じ、川辺のこの祭祀区で、象牙を柱状や円状に並べて供え、祭神を祭ったようだ。

下: 写真の右下に石虎が二つ見える。
崇拝の対象だったのだろう。


 
< 7. 発掘品の展示館 >

上: 二つの展示館の間の通路。
広々とした森林公園になっている。

下: 発掘品の展示館に向かう。


 

< 8. 蜀人の暮らし >

三枚の写真はジオラマを左から右に撮って、上から下へと並べた。
当時のこの地の様子を再現したものです。

森が残る平原に川が流れ、その周辺に多くの住居が建っている。
左には象、犀、鹿が見える。
川には数艘のカヌーのような小舟が見える。
右手前には住居と家畜の囲いが見える。

ここは蜀人の王国の一つだった。
これに遡り、城郭のあった三星堆遺跡が500年間続き、衰退した後にこの王国が興り700年ほど続いた。
蜀人の国は長江上流域の盆地にあったので、永らく黄河中流域の争いに巻き込まれることはなかった。
しかし、秦国がこの地に侵入すると蜀人は敗れ、一部は西側のチベット方面へ、または南下し東南アジアへ去った。


 
< 9.再現された住居と土器 >

上: 再現された住居。
土壁と草ぶきの屋根。

下: 土器
ほとんどの土器の形は他の地域と同じように見える。

下: 玉器
写真の下段に玉琮、割れた玉璧、上段に玉戈などがある。
玉器は殷周のものと似ており黄河中流域と交流があったことを伺わせる。
これらは祭祀用のはずです。
上部の物は、かなり大きい。




 
< 10. 青銅器と埋葬墓 >

上: 青銅器
殷で隆盛を極めた祭祀用の青銅器容器の鼎などをまったく見なかった。
なぜか青銅器は薄いか小さいものがほとんどです。
三星堆遺跡では大きな青銅製人形を作っていたが、こちらでは大きい物は造られていないようだ。
不思議だ。

下: 埋葬墓
一見した感じでは、貧富の差や格式がないようです。
またほとんど副葬品が見られない。
ここには見えていないが、遺体を二つのカヌー形状の棺で上下に被せるようにして埋葬することもしていた。

このような階層の無い社会(王国)で、金器・玉器や象牙を消費する祭祀が盛大に行われていたことに驚いた。


 
< 11. 主要な発掘品 1 >

左上: 玉鉞
右上: 玉琮
この二つは他の中国文明でもよく見られるものです。

左下: 青銅立人像
この人形は、服装や髪型、冠などから見てこの地に特徴的なものです。

右下: 黄金マスク、幅19.5cm、厚0.4mm。
これに遭えて、ここに来た甲斐があった。

三星堆遺跡の青銅人形には、他の中国文明には無い特徴があった。
それは目が異常に大きく、また飛び出していたことです。
このマスクには、その様式が受け継がれている。
もっとも三星堆遺跡の青銅製人形にも金箔が貼られているものはあったが、金沙遺址の方が三星堆遺跡よりも金製の造形品が多い。


 
< 12. 至宝 >

左: 金製の太陽神鳥、外径12.5cm、厚み0.2mm。
12本の火炎をもつ太陽を四羽の鳥がめぐっている(切り抜かれた部分)。
太陽の図案は、三星堆祭祀坑出土の大型神樹などにも取り入れられている。また火炎をもつ太陽は、前述の青銅立人像が頭上に戴く冠の形とも似ている。
金沙遺跡も三星堆と同様に太陽が重要な意味を持っていたようだ。

右: 顔が無い青銅製人形
面白い造形だ。


あとがき

初め、金沙遺址にはあまり期待していなかったが来て良かった。
黄金マスクと金製の太陽神鳥は特に興味深かった
北京の博物館で三星堆遺跡の青銅人形を見ているので、両遺跡を見たことになり、思いを果たした。

この遺跡博物館を見たことにより、漢民族の中心文明から離れた蜀人(羌族の一部?)、そして成都の古代を少しイメージ出来たように思う。
三星堆遺跡に代表される蜀人の祭祀は、祖先と太陽の崇拝だった。
殷の祭祀では、多くの奴隷を生贄に捧げたが、こちらではそのような事はなかったとされている。

今回、中国の外縁を巡る理由の一つは、古代中国の民族移動が後の少数民族の形成にどのように関わったかを知ることだった。
紀元前後以降、漢民族が覇権を広げるに従って、もともと中国大陸に広く散在していた民族は、南部や西部の山岳部に難を避けた。
このことで、各部族の神話が各地に分散し、全体として統一感を欠き、中国神話は纏まりの無いものになったと私は考えている。
今回の蜀人もそうだった。


次回に続きます。






Monday, March 30, 2020

世界が崩壊しない前に 9: 無視されているものにこそ






世界は良くなっているのに崩壊の危機などあるはずがない。
これが多くの人の気持ちでしょう。


平均寿命が延び、社会保障が向上し、経済成長が続き、大きな戦争もない、そして益々便利になってる。
この半世紀、世界は良くなっている。

* 安逸の陰に隠れているもの *

A. あなたは健康で医者に無縁と自慢している。
たまたま医者に診てもらうと、糖尿病がかなり進行していると分かった。
これからは節制し、薬無しでは生活出来ない。

B. いつも通行している橋が突然崩壊した。
あなたは助かったが多くの死傷者が出た。
古いと気付いてはいたが、そこまで老朽化が進んでいるとは思わなかった。

C. 会社は順調に業績を伸ばしていた。
しかし主力製品でリコールが発生し、その回収、加えて信用の失墜で会社は倒産した。
あなたは路頭に迷うことになった。

D. 株価上昇が続き、企業業績も好調で、国民も潤っていた。
しかし遂にバブルが弾け、世界は金融危機に見舞われ、過大な累積債務を抱える国はデフォルトを起こした。
そして年金支給額などが激減した。

E. 海外の観光客が大幅に増え、観光地は大いに繁盛し、国も潤っていた。
しかしコロナウイルスが伝染し、観光地の客足は途絶え、遂にはあらゆる産業活動が停滞し始めた。
多くの企業が潰れ失業者が増えるだろう。

これらの事例で本人に非があるものはAだけです。
後者になるほど被害が広範囲で甚大なものになる。
多くの人は後者になるほど予測出来るはずがないと思う。

しかし以下の実施で被害は抑えられる。

A 毎年の健康診断

B 定期的な劣化検査

C 開発時の安全検査と製造時の品質検査

D バブルを煽らない、政府財政の健全化(透明性の確保も)

E 感染症対策の拡充、世界との連携。
この10年間、世界の感染症は増加し、警鐘が鳴らされていたにも関わらず、日米も含めて多くの国で関連予算を削減していた。
 ]


 
< 2. 日本の感染研予算と防衛費の推移 >
両予算の金額を見ると、如何に国難が間違った方向に誘導されていたかが分かる。
これは米国も一緒でした。


私達は漫然と社会全体の風潮に惑わされるのではなく、むしろ隠れている危機の芽にこそ注視すべきなのです。


次回に続きます。



Saturday, March 28, 2020

早春の淡路島 2: 仁井と浅野公園間をハイキング






*1


今回は、淡路島北部の山村を歩き、桜の名所や遺跡を紹介します。
訪れたのは2020年3月26日でした。


 
< 2.散策マップ、上が北 >

上: 青線が散策ルート、Gがスタートでゴール地点です。

中央: スタート地点Gは本四仁井バス停から少し下った小田の滝です。
青線を時計回りに歩きました。
赤矢印のAは小田の滝、Bは浅野公園と不動の滝、Cは早良親王陵です。
黒矢印は今回歩いた中で最標高地点です。

今回は10時頃から歩き始め、浅野公園で弁当を食べて、2時過ぎに元の地点に戻って来ました。
登りの合計は300mほどです。



 

< 3. 小田の滝 >

上: この橋は浦川に架かっており、この川は東浦バスターミナルの横を流れ、大阪湾に流れ込む。
橋の向こうを左側に降りて行くと滝に行けるはずです。

中: 少し川を遡ってみたが、荒れていて行くのを断念した。

下: 小田の滝を離れ、道を登って来た所からの眺め。



 
< 4. あわじ花さじきを望む >

上: 畑は蓮華草が今や盛りと咲いていました。

中: 道から北側を望む。
右奥にあわじ花さじきのある丘陵部が見える。
左に神戸淡路鳴門高速道路が見える。

下: 道から南側を望む。
枝垂れ桜、遠方の山に山桜がちらほら見える。
あの山の頂き辺りに常隆寺があるはずなのですが。


 
< 5. 3kmほど登り坂が続く >

上: 左側(南)の景色。

中: 登りが延々と続く。
見晴らしが良く、舗装された道なのだが、木立の日陰が無く、盆地の為か風がない。
汗が噴き出して来る。

下: 来た方向を振り返ると、大阪湾が見えていた。



 
< 6. 峠を越えたと思っても >

上: 一つ峠を越えても、また手前に山が迫って来る。
中: 山桜が満開でした。

下: 一番高い峠を越えたので、瀬戸内海が見えた。


 
< 7. 有難い標識 >

中央: 地名と矢印を示す標識が、主要な道の分岐点に立っており、助かった。
この十字路を左に曲がると浅野公園に行ける。

下: この池の向こう、左側に浅野公園がある。


 
< 8. 浅野公園 >

上: 桜は未だでした。
一本だけが満開になっており、地元の中学生がピクニックに来ていた。

左下: 浅野公園の奥の階段を下ると、不動の滝がある。

右下: 不動の滝。


 
< 9. これから仁井に戻る >

上: 先ほどの池の横の道を右側に下って行く。

中: この道沿いには桜の木が植わっているが、開花は未だでした。
眼下に瀬戸内海が見える。

下: 舗装された車道から脇に逸れて、下って行くと高速道路が見えて来た。


 
< 10. 高速道路の横を進む >

上: 急な下り道を行く。
下りは足に応える。

中: 高速道路の下を横切る。

下: 今度は高速道路沿いを進む。
写真は振り返った所。
下った後の登りは気落ちする。


 
< 11. 仁井トンネル >

上: 左下に高速道路の仁井トンネルが見える。
山を右側に迂回している道を行く。

中: 急に前方が開け、道は左右に分かれる。
するとその手前右側に標識が見え、「早良親王墓」とある。
標識の示す小道を進む。

下: 右手に池が見える。


 
< 12. 早良親王墓 >

上: 早良親王墓。
彼は日本最大の怨霊と言われ、天皇と貴族が祟りを恐れ長岡京から平安京に急いで遷都した話は有名です。
彼は天皇家の後継争いに巻き込まれ、淡路島への流刑の途上で亡くなった。
そしてこの地に埋葬された。

まさか、こんな寂れた山の片隅に彼の墓があるとは思わなかった。
この親王の兄にあたる桓武天皇は、彼の為に近くの常隆寺に七堂伽藍を建て、勅願寺としている。
後に奈良に移葬され神社に祀られている。

他にも天皇家など高貴な人々が淡路島に流刑になっていた。
それにしてもこの場所がなぜ選ばれたのだろうか。
今は、墓のある小山は鬱蒼とした木々で覆われているが、これが無ければ、中央の写真のように、大阪湾を眼下に一望できる見晴らしの良い高台です。
更にうがった見方をすれば、常隆寺-早良親王墓-京都はほぼ一直線上に並ぶ。

中央: 眼下に東浦、大阪湾が見える。

下; 北側を望むと本四仁井バス停の駐車場が見える。


 

< 13.仁井に戻って来た >

桜や菜の花が満開で美しい。
空は曇り初めていた。

下: 小田に向かって下る。
車に乗って帰る。


今回の行程は、舗装された道を歩くので良かったが、上り下りが辛かった。
見晴らしは良いのだが風が無いと、この時期はもう暑い。
前回の諭鶴羽山登山では、スマホのグーグルマップは役に立たなかったが、今回は役に立った。
最後に歴史的な遺産に巡り会えて、良かった。

終わります。




Wednesday, March 25, 2020

世界が崩壊しない前に 8: 何が重要なのか 1





これまで危機への警鐘と対応について見て来ました。
どうすれば警鐘を生かし危機の防止に取り組めるのだろうか?


1. 警鐘が無視される主な4つの理由。

科学的な理解が困難、未来の事は後回しにする、強力な世論誘導がある、分裂している社会では論理が通じない。
加えて転換の難しが加わる。


2. 危機回避の正しい選択が困難

日本では原発からクリーンエネルギーへの転換が進まないが、最大の理由は既得権益を得ている人々が、今の社会経済の体制維持に巨大な力を使うからです。

このように問題(危険性、腐敗)、非効率(高負担、経済損失)が露見しても、一度、定着した事を捨て切れず転換できない社会・経済現象をロックイン現象と言います。
これは個人の消費行動から国策まで及び、特に経済的な規模が大きいほど抵抗が大きく、世論操作まで行われて転換が妨げられる。

一度、軍拡競争が始まるとほぼ止めることが出来ず、別の選択肢はなくなる。
双方の疑心暗鬼は深まり続け、膨張した軍需産業と軍隊は縮小を受け入れない。

1930年代、ドイツと日本は不満と恐怖を解消する為に、民主主義を捨て軍事独裁国家への道を選んだ。
国民はヒトラーに熱狂し、予想だにしなかった末路に至った。

このようなことが繰り返されたら、これからの危機に対応できず、人類の未来はないように思える。
しかし光明はある。

1980年代初め、フロンガスが南極上空のオゾン層を破壊し、放置すると紫外線が増大し人体を害すると分かった。
しかし80年代末には世界が協力してフロンガスの使用を禁止した。

これは地球システムの破壊を世界が一致して防止した最初の成功例でした(汚染物質の禁止は以前からあったが)。

なぜこうも素早く解決出来たのか?
フロンガス製造中止で影響を受ける産業と国が限られていたこと、代替えフロンが開発されたこと(但し地球温暖化の問題は残る)。

そうは言っても、世界が科学者の発見を受けて、経済負担が有りながらも、世界が一致協力出来たことは快挙に違いない。

一人の訴えが、社会を救った事例は他にもある。
南アフリカのマンデラは人種差別で、インドのガンジーは帝国支配の終りで、英国の経済学者ケインズは不況の克服で貢献した。



次回に続きます。




Monday, March 23, 2020

中国の外縁を一周して 28: 五泉山公园から蘭州空港まで





*1


今回は、商店街、五泉山公园、大型ス―パー、蘭州空港を紹介します。
また中国でお世話になった現地ツアー会社も紹介します。
これで蘭州の紹介は終わります。


 
< 2.五泉下広場近くの商店街 >

ここは前回紹介した五泉下広場を山側に歩いて直ぐの商店街です。
歩いたのは1時半頃でしたが、買い物客はそこそこいました。
売っているものは野菜や果物が多く、衣類、葬式で燃やす紙銭もありました。
中国らしく、店先が道路まで大きくはみ出している。
中国にはスーパーがたくさん出来ているが、このような昔ながらの商店街も市民に利用されている。


 

< 3. 五泉山公园 >

上: 商店街の続き。

下: 五泉山公园の前の広場。

蘭州の観光名所の一つで、北側の山裾にある旧跡を中心とした公園です。
総敷地面積27万㎡の中に、5つの泉、数多くの仏教建築や仏像群、動物園まであります。
ここには明代に遡る仏教建築があるそうです。



 
< 4. 五泉山公园 >

上: 五泉山公园の前の広場。

下: 北門を抜け、五泉山公园内に入った。
中央の奥に霍去病の銅像が見える。
紀元前120年、漢の将軍霍去病が匈奴遠征中、ここで泉を見つけ、軍隊の水不足を救った伝説が残っています。
霍去病は若くて勇猛な将軍と史記に記されています。


 
< 5. 五泉の一つ >

園内の所々で銀杏が黄金色に輝いていました。
私が歩いたのは、ほんの一部に過ぎません。

下: 五泉の一つ。


 
< 6. 浚源寺 >

上: 前述の泉の右手(西側)に浚源寺が見える。

下: 浚源寺に入る。

 
< 7. 浚源寺の境内 >

上: 入って来た門を振り返った。

下: 本殿。
この日は、毎年行われる仏教信者の集まりがありました。
多くは年配の女性信者ですが僧侶姿の男性も見られました。

共産主義国家で仏教の行事に多くの信者が集まることに少し驚きました。
けっこう信仰の自由があります。


 
< 8. 北門を出た所 >

上: 本殿の仏像。

下: 北門側から広場を望む。
この右手の小綺麗な店で、孫への土産、可愛い毛糸の手袋を買いました。
ガイド曰く、この店は日本に輸出する品質と同等の物を置いているそうです。
若い現地の女性も買いに来ていました。


 
< 9. 大型スーパー >

上: 五泉山公园の広場。

公園内や広場に居る人に少し違和感を感じた。
ここを通ったのは2019年10月23、水曜日の2時半頃でした。
観光シーズンが終わり、平日でもあり、観光客はほとんど見られなかった。
孫や子供を連れた家族、若いカップル、年寄りが少ない。
しかし中年の男性が多い。
服装から言って、市民なのだが、なぜこれだけの人がここにいるのか?
分からない。
定年を迎えた人々なのか?

下: 大型スーパーの华润万家(天水路店)
蘭州大学の前にある大きなスーパーです。
土産を買いたいと頼んだら、現地ガイドがここに連れて来てくれた。
蘭州名物としてワインと干した果実や氷砂糖が入ったお茶を買いました。

妻は安いバッグを買いました。
バッグは安いのですが、妻の好みのデザインでは無かった。
おそらく日本で日本人向けの中国製バックを買う方が、無難で価格も同じぐらいだと思う。
妻は中国で二つバッグを買ったが、結局、日本で安い中国製を買い直しました。


 
< 10. エアポートバスで空港へ向かう車窓から 1 >

中心街の眺め。

先ほどの大型スーパーから700m離れた所に民航售票处(城关区东岗西路588号)があり、ここからエアポートバス(兰州机场大巴 1号线)に乗って、空港に行きます。
30分毎に出発し、乗車時間は1時間15分ほどです。
料金は30元で安い。


 
< 11. エアポートバスで空港へ向かう車窓から 2 >

上: 高速道路に入る。

中央: 黄河を渡り、北に向かう。

下: 黄河を渡ると、間もなく荒涼とした低い山並みが続きます。


 
< 12.エアポートバスで空港へ向かう車窓から 3 >

上: 山肌はすべて、今にも土が崩れそうで、それを防ぐ為に植林が行われているが、カバー仕切れないようです。
このような景色が延々と続く。
山は手を抜くと今にも砂漠の山になってしまいそうです。

中央: バスの車内。
左の窓ガラスは砂塵を受けて曇っている。
空港近くになると、かなりの間、砂嵐が吹き荒れ、視界がかなり不良になった。
バスはそれでも走り続けたが。

この砂塵舞う山岳地帯を、かつて遊牧民や騎馬民族が隆盛を極め、往来していた。
万里の長城はここよりも北側にあって、さらに1000kmも西側まで延びていた。


下: 写真のように、今は高速道路がこの地帯を縦貫している。
他にも工事中の道路があった。


 
< 13. 蘭州中川空港に到着 >

上: 私は進行方向左の席、つまり西側しか写真を撮っていない。

しかし空港に近づくと東側に驚くべき光景を見た。
砂塵が舞う高原(ここの高度は2000mぐらいか)に、突如として巨大な都市が出現したのです。
建築中らしい高層ビルが幾層にも連なる光景が砂塵の向こうに十数分も続いた。
後で調べると、その範囲は長さ15km、幅5kmもあり、高層ビルだけで1000棟は優に超えるでしょう。
中国のエネルギー、開発力を見せつけられた。
これが今回のコロナ対策で、巨大な隔離病棟を10日ほどで幾つも建築してしまうことに現れている。

衛星写真を調べるにあたって気付いたことがあった。
この地域は百度地図の衛星写真が不鮮明になっている。
おそらく、この地域に中国軍の基地があるためだろう。
グーグルマップの衛星写真は鮮明だが、残念ながら中国では不正確で経路案内には使えない。


下: 向かいに見えるのが、蘭州中心部と往来する列車の駅でしょう。


 
< 14. 現地ツー会社 >

左上: エアポートバスを最初に降りて直ぐのターミナル入口。
この空港には二つのターミナルがあるのですが、私が乗る中国東方航空は第二ターミナルにあり、その前に降りた。

右上: カウンターに向かう。
無事、Eチケットから搭乗券の手続きが出来た。
このフロアで夕食をとりました。


下: 蘭州、成都、麗江で使った現地ガイドの「CHINA8」ホームページ。

これまでの私の中国旅行はほとんどがツアー観光でした。
今回初めて、現地ガイドを利用することにし、インターネットで調べた。
するとこの会社が、最も安くて、各地のツアーが希望通りに出来ることが分かった。
この「CHINA8」は各地ツアー会社の連盟です。

長所
日本語表示のホームページ。
旅程の希望や変更を日本語のメールで事前に交渉できる。但しすぐに返事が来ないこともある。対応の丁寧さは各会社で異なる。
価格設定が分かり易く、また安くできる。
現地ツアーの選択幅が広い。例えば、車と日本語ガイド、ガイドだけ、車だけ、時間や行く先も自由に選べる。
ツアー後の支払いが明朗会計。予想通りで超過はなかった。但し、多くは中国元の現金払い(事前に通知有)。
概ね親切で、土産物屋に強引に連れて行かれることはなかった。

気になるところ
年寄りに気を使った案内が出来ないようだ。歩行距離が少ないように駐車場を選ぶとか。
ガイドにより、日本語の習熟度が異なり、また現地の歴史の知識にも差がある。

全体の感想
普通に現地を観光するには、この会社を使うのが良いでしょう。
観光地、地元の生活、買い物を知りたいなら充分でしょう。
親切に対応してくれるのがうれしい。

最後に
彼らガイドの話によると、現在の日中関係を反映して、日本の観光客が激減しているそうです。
どうか皆さんも中国に旅行し、彼らガイドを利用してください。
彼らが失業してしまうと、今後不便になりますよ。


次回に続きます。





Saturday, March 21, 2020

早春の淡路島 :  国営明石海峡公園と諭鶴羽山




*1

今回は、早春の淡路島の花と自然を紹介します。
2020年3月17日と20日に訪れました。
両日とも素晴らしい快晴に恵まれました。

 
< 2. 訪問地、上が北 >

上: Aが国営明石海峡公園、Bが諭鶴羽山。

下: 赤矢印が諭鶴羽山、B1が諭鶴羽山ダム、B2が上田池ダム。
ここに来た目的は、約二十年前に登った諭鶴羽山にもう一度登りたったからです。
しかし、失敗しました。
私の勘違いで、諭鶴羽ダムから登れると思っていたのですが、途中で道が無くなり、引き返しました。
次いで、車で上田池ダムへ移動し、そこから登り始めましたが体力が持たず、諦めて途中から下山しました。
約4時間半かけて、15km歩きました。



 

< 3. 国営明石海峡公園のMAP >

地図を二分割し、右側(東)を上に左側(西)を下にしています。

私は上の右側のゲートから入り、黒線に沿って一周して戻って来ました。
途中、連絡口ゲートから夢舞台を少し散策し(茶色線)、また公園内に戻りました。


 
< 4. 「大地の虹」辺り >

早咲きのチューリップが咲いていました。
3月17日は平日であり、コロナウイルスの関係もあるのか園内の人影はまばらでした。


 
< 5. 「花の丘道」 >

上: 「大地の虹」辺り。
下: 「花の丘道」。
色々な種類の桜が咲いていました。



 
< 6. クリスマスローズ >

下: クリスマスローズ。


 
< 7. 「月のテラス」 >

上: 「月のテラス」から大阪湾、紀伊水道を望む。
チューリップの季節には、ここ一帯が色とりどりの花で満たされます。

下: 「空のテラス」から「せせらぎ広場」と大阪湾、神戸を望む。



 

< 8. 「せせらぎ橋」からの眺め >

上: 「せせらぎ橋」からの眺め。
下: 「案内所」の前辺りの水仙。



 
< 9.諭鶴羽ダムから登り始める >

アドバイスがあります。
諭鶴羽ダムは桜の名所で、湖岸を囲むように桜が咲きます。
しかし周囲を巡る道路は非常に狭く、対向車線が有りません。
ニ三十台の駐車場は、ダム湖の奥にあります。
従って、車は湖岸を時計周りで走行すべしと現地の人に教わりました。
この日は、桜は未だでした。


 
< 10. 鬱蒼とした林間を抜けると >

鬱蒼とした林間を抜けると、視界が開け、沢づたいにゆっくり登って行きます。
残念ながら、途中で道が無くなり、引き返しました。



 
< 11. 上田池ダムから登り始める >

上: 遠くにダムが見える。
ダム近く、道路沿いの空きスペースに車置き、湖岸沿いに歩き始めた。
この辺りに駐車場が無いので、ハイキングするには問題があります。
いっそのこと、車で頂上まで行く方が良いようです。
私達が歩いて行く間に、6台ほどの車が上に向かって行きました。




 
< 12. 椿が多かった >

途中、一か所、農家らしい廃屋がありました。


 
< 13. 役行者の碑 >

上: 途中、役行者の碑を見ました。
この辺りから、沢を越えて諭鶴羽山頂に向かう道があるようです。
おそらくかなり険しい山道になるでしょう。
頂上近くに諭鶴羽神社があり、諭鶴羽ダムからも行ける裏参道があるらしいのですが、分からなかった。
修験者の道が、山頂に向かって幾本もあったようです。



 
< 14.沢づたいにのぼるが、果てしない >

いくら歩いても、谷間を行くだけで、見晴らしは良くならない。
もっと上まで行けば見晴らしの良い道に出れるのですが、とうとう諦めました。
諦めた場所近くに標識「奥滝」がありました。


 
< 15. 来た道を戻ります >


 
< 16. ダムからの眺め >

上: つつじが咲いていました。
中央: 上流側を望む。
下: 下流を望む。
三原平野の向こうに、瀬戸内海が見える。


次回に続きます。