Wednesday, February 27, 2019

北欧3ヵ国を訪ねて 54: オスロ 13: ヴィーゲラン公園へ行く





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今回は、ヴィーゲラン公園に林立する彫刻群を堪能します。
途中、オスロ市内の大きな墓地を通りました。


 
< 2.散策ルート、上が北 >
上: 黒四角のホテルから青丸の国立劇場駅まで歩き、地下鉄でBorgen駅まで行きます。
そこから茶色線のように、大きな墓地を抜けヴィーゲラン公園を通り抜けました。

ヴィーゲラン公園に行くにはトラムで行く方法もあったのですが、同じ歩くのなら墓地を見てみたいと思ったからです。


下: 赤丸Sから墓地を抜け、彫刻公園の中央を進み、正面ゲートEに出ました。

この公園は無料で24時間開いています。


 
< 3. 地下鉄駅Borgen >

2018年6月6日(水曜日)朝7:50に着いた。

上: 向かいのホームの中央に墓地への入り口が見える。
下: 私がやって来た中心部、東側を陸橋の上から見ている。
右手が墓地。



 
< 4. 墓地 1 >

上: 日本では考えられないのですが、スウェーデンも同じで墓地内をジョギングする姿を見かけました。

墓地の形態はスウェーデンとまったく同じで、森林墓地とでも言うのでしょうか。
あまり飾り気が無く、大小の差があまりない石板の墓石が区画毎に整然と並んでいます。
だからと言って、広い区画を埋めつくすようなことは無く、小さな区画ごとに高木で囲まれています。

これら北欧の墓地のありようには、北欧人に根付いている心理が現れているように思える。
そのキーワードは「森と共に生きる」と「集団の絆」かもしれません。
これは個々に統率を乱すような主張をしない、共にあることを大事にしているように思える。
これはヴァイキングの精神でしょうか。

旅行中に出来るだけ世界中の墓地を見るようにしているが、そこにはその地域の文化が現れている。
墓地には文化の保守的な面が残っており、文化の深層を見ることが出来る。



 
< 5. 墓地 2 >

上: 墓地に隣接する教会。



 
< 6. 墓地 3 >

下: 墓地中央にある斎場。


 
< 7. 墓地 4 >

上: 珍しく、大きな墓石があり花も飾られていた。

下: 左側にトイレがある。
この場所は墓地と公園の境目にあり、この道を進み左に折れると公園に入る。
この右手にはドッグラン用の芝生公園がある。

北欧もトイレが非常に少ないので事前に調べたのですが、行きたい所の野外にあるかどうかほとんどわからなかった。

私は墓地に入ると便意をもよおし、墓地を清掃している人に聞いたら、教会横にあると教えてくれた。
しかし行ってみると、時間的にまだ開いていなかった。
墓地を抜けた辺りで別の人に聞くと、この写真のトイレを教えてくれた。
このトイレはカード式で、クレジットカード決済で扉を開けます。
中は広く、清潔でした。


 
< 8. ヴィーゲラン公園 1 >

上: 中央の石柱がモノリッテン
高さ14の花崗岩に121の人物像が浮き彫りにされている。

中央: モノリッテンのあるモノリスの丘の頂上から北西端にある生命の輪を望む。

下: 同じ場所から南東方向、正面ゲートがを望む。
今からこの方向へ進む、遠くに大聖堂の尖塔が見える。


この公園にはヴィーゲランの後半生に創作した212点の彫刻、人物像としては650体が配されている。
もっとも彼は粘土で原型を作り、弟子たちが鋳造や石像彫刻を行い、これだけの作品が20年間の間に生まれた。
彼の彫刻以外は置かれていない。



 
< 9. ヴィーゲラン公園 2 >

上: 噴水の後方にモノリスの丘が見える。
左側の6人の男性が円盤を掲げているのが中心部の噴水ですが、今日は水が出ていませんでした。
周囲の彫像群は、樹木と人間が一体になっています。



 

< 10. ヴィーゲラン公園 3 >

上: 市民がそれぞれ公園を楽しんでいました。

下: 彼の作品で最も有名な「怒りんぼう」
これは橋の欄干にある58点の内の一つです。


 

< 11. ヴィーゲラン公園 3 >

上: 橋の彫刻。

中央: 橋の全景。
朝早いせいか、公園内の観光客は中国系の一組だけで、後は市民がそれぞれに楽しんでいました。
この公園を出る9時頃になると、珍しくインドからの観光の一団が正門から入って来ました。

下: 正面ゲート。

彼の作品は、圧倒的に普通の人物像、それも老若男女問わず、幼児までいる。
それらは頭髪や筋肉の表現が割愛され、衣服をまとわず、多くは豊満か肥満気味です。

一番多いのは家族や恋人との生活の中での一瞬の喜怒哀楽を表現しているようです。
それも単体では無く、人との関わりを体を接触させた群像として表現しています。

この手の彫刻は始めて見たような気がします。
人と人が関りながら生きている、こんな率直な生命賛歌の表現が今までにあっただろうか。


次回に続きます。




Saturday, February 23, 2019

北欧3ヵ国を訪ねて 53: オスロ 12: 国立美術館からカール・ヨハン通り


 
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今回は、ムンクの絵がある国立美術館から最も賑やかなオスロの中心街を歩きます。


 
< 2. 散策ルート、上が北 >

赤丸がメトロの国立劇場駅、黄色矢印が国立美術館、ピンク矢印がオスロ大聖堂、白矢印がオスロ中央駅です。

最初、白線に沿って美術館に行き、次いでピンク線に沿って大聖堂の前まで歩き、それからカール・ヨハン通りに出て、中央駅まで歩いた。
中央駅の前を左に折れ、ショッピング街を目指した。
写真は撮影順に並んでいます。


 
< 3. 通り >

上: 交差点から東側に伸びるカール・ヨハン通りを望む。
下: 同じ交差点からメトロ駅を振り返る。


 
< 4. 美術館 >

この二つの建物は向かい合って建っている。

上: 歴史博物館。
翌日、訪れます。

下: 国立美術館。
大きくはないが、ウオータフロント再開発でこの美術館は移転します。
閉館時間の関係で、この日はこの美術館だけの入館になりました。



 
< 5. ムンクの部屋 1 >

ノルウェーの画家で最もよく知られたムンクの絵が、ここにはあります。
別の場所にもムンク美術館はあるのですが、この国立美術館にはムンクの部屋があり、彼の主要な作品が展示されている。

当然、この国立美術館にはノルウェーの美術や西欧美術(モネ、グレコ、ゴッホなど)も展示されている。
デンマークの美術館と比べると小さく、規模や展示数は見劣りする。

上: 『ハンス・イェーゲルの肖像』1889年。
下: 「叫び」1893年。
もっとも有名な彼の絵で、連作の内の一つです。



 
< 6. ムンクの部屋 2 >

上: 「マドンナ」1894-1895.
写真に撮れていないのですが、「生命の踊り」1899-1900がありました。
この絵は彼の悩める女性関係を夕陽が沈む海をバックにダンスする男女の群像で象徴しています。
「マドンナ」と時期が重なるこの絵の人物の表情からは悩ましい悲愴な恋慕の思いが伝わってきます。

下: 「橋の上の少女たち」1901.

ムンクの絵がこの部屋に30枚近くあったと思います。
おそらく彼の生涯を語るにふさわしい絵が揃っていたように思います。


 
< 7. ノルウェー画家 1 >

上: ムンクの風景画。
下: View from Åsgårdstrand, by Hans Heyerdahl, 1887.
オスロフィヨルドの中部の海岸が描かれている。


 

< 8. ノルウェー画家 2 >

上: Leiv Eriksson oppdager Amerikaby Christian Krohg, 1893.
この絵はヴァイキングの偉業を説明する時によく使われます。
この絵はノルウェー人のエリクソンが1000年頃、初めてアメリカ大陸に到達した航海を描いています。

下:  "Winter Night in the Mountains", by Harald Sohlberg,1914. 
この絵が私には目立ちました。

オスロを巡り、美術館を見て感じた事の一つは、世紀末を象徴するアールヌーボー作品に出くわさなかったことです。
ムンクは、ちょうどアールヌーボーの時代、世紀末に活躍したのですが、精神性を重視する方向に向かった。
オスロではアールヌーボーの花や植物などを使った新しい装飾様式が建築物を彩ることがなかったようです。
このことはおそらく、この地が当時、経済的に繁栄しておらず、また西欧と深く結びついていなかったことの証のように思える。
当時、スウェーデンの支配下にあり、特に西欧商人の居留地でもなかったからでしょうか。
私はほんの一部しか見ていないので自信は無いが。

もう一つは、美術館のノルウェー絵画を見て、北欧の特色や個性のようなものを感じられなかった。
私のような素人目には西欧絵画と変わらないように思える。
北欧美術が西欧文化圏と一体だとしら、少し寂しい気がする。
最も後に紹介する彫刻家ヴィーゲランは別格だと思うが。



 
< 9. 大聖堂 >

上: オスロの中心部を歩いていて、中世を感じさせる建物はこれぐらいではないでしょうか。
1697年に創建され、幾度も修復されて来た。
中には入っていません。

下: 大聖堂の向かいにある広場の花屋。


 
< 10. カール・ヨハン通り >

下: 左のレンガ造りの建物はCafé Cathedralです。

やはりかなりの賑わいです。
私が写真を撮りながらふらふらと歩いていると、後ろから追い抜いていく男性と肩がぶつかりました。
この二人の男性は振り返るやいなや、「すいません」と日本語で謝りました。
私は驚き、笑顔で答えるだけでした。


 
< 11. 中央駅前 >

上: カール・ヨハン通りを進むとちょうど中央駅前に出ます。

下: 中央駅の前で左に折れると、多くの高層ビルが見える。
そこは多くのショッピングモール、レストラン、ホテルが入っている。


 
< 12. Jernbanetorgeの交差点 >

この交差点の周りが最も賑やかで、巨大なショッピングセンターが幾つもあります。
私はその内のオスロ・シティに入りましたが、様々な最新の店舗が多くの人で賑わっていました。

またこの交差点には多方面に向かうバスやトラムの通過点、停留所が数多くあります。
ここからトラムに乗ってホテルに戻り、初日のオスロ観光を終えました。

この6月5日は、地下鉄に乗り湖Songnsvannのに行き、バスでビィグドイ地区に入りノルウェー民族博物館、ヴァイキング博物館、フラム号博物館、ノルウェー海洋博物館を歩いて巡り、渡船でオスロ湾ミニクルーズを楽しみ、ノーベル平和センター、オスロ市庁舎を見学後、路線バスでMalmøyaUlvøyaの島を巡り、戻って来てオペラ・ハウスから中央駅まで歩き、次いで地下鉄で移動し、国立美術館、大聖堂、カール・ヨハン通り、ショッピングセンターのオスロ・シティを歩いて巡りました。

朝、8時前にホテルを出て、ホテルに着いたのは午後7時半頃でした。
この日は昼食も夕食もとる暇がなく、14ヵ所以上見て、計画を何とかこなし、疲れでベッドに入りました。
次の日は半日オスロ観光すれば、フェリーでコペンハーゲンに向かいます。

事前にオスロの素晴らしを知っていればもっと宿泊数を増やしていたのですが、悔やまれる。


次回に続きます。




Wednesday, February 20, 2019

北欧3ヵ国を訪ねて 52: オスロ 11: オペラハウスから中央駅へ





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島巡りのバスを降りて、オペラハウスからオスロ中央駅へ歩きました。
斬新で活気溢れるウオータフロントの再開発が進んでいました。
ノルウェーの勢いを感じました。







 
< 2.散策ルート、HPから借用 >

上: 南側を望む、数年前の写真らしい。

下: 再開発中のウオータフロント全体の完成図らしい、西側を望む。
再開発はこの写真の範囲内の海岸沿い全てが対象で、集合住宅、商業施設、美術館などの文化施設が集積される。

赤線は島を巡ったバスのルート、ピンク線は今回紹介するバスを降りて散策したルート。
アルファベットのOはオペラハウス、Sは中央駅、Aはアーケシュフース城、Fはコペンハーゲン行きのフェリー乗り場、Rはオスロ市庁舎。


 
< 3.バスを降りて >


 
< 4. オペラハウスの横 1 >

下: オペラハウスの海側横を歩く。
デカい!


 
< 5. オペラハウスの横 2 >

下: 海側を見るとガラスのオブジェ、その向こうにフェリーが見える。
左側に見えるのがDFDSフェリーで、翌日コペンハーゲンに向かって乗ることになります。

 
< 6. オペラハウスの横 3 >

上: 不思議な建築だ!

下: 実は、このオペラハウスの屋根にあたる巨大な斜面は市民の憩いの場、日光浴する場所になるようです。

私は奇をてらった建築が嫌いなのですが、この斜面の効用には驚きました。
実に眺めの良い、周囲から視線を感じない、オープンな二次元空間なのです。


 
< 7. オペラハウスの横 4 >

上: 海に浮かぶ派手な鳥型のゴムボート。
近づいてみると、何にかのTVインタビューをしていました。

下: 私もここで少し寝てくつろぎましたが、6月5日、15:45だと言うのに暑かった。



 
< 8. オペラハウスの横 5 >



 
< 9. オスロ中央駅1 >

上: 白い建物が駅舎で右側にホームが並びます。
こちらから見た駅舎の外観は古そうですが、反対側に増築されており、少し複雑で、現代的な面も持ち合わせています。

下: 古い方の駅舎内のフードコート。


 
< 10. オスロ中央駅2 >

下: FLYTOGETの表記は空港に行く高速列車のことで、自動券売機があります。


 
< 11. オスロ中央駅3 >

上: ホームを見ている。
ここには19本の列車ホームがあり、ここから国内、隣国スウェーデン、オスロ空港に行くことが出来る。
前日の真夜中、私はここを通りました。

この中央駅の周辺には、上記の列車以外に地下鉄、トラム、バスの駅が集まっている。
地下鉄駅は少し離れている。
トラムとバスは、Jernbanetorgetのように同じ名前の停留場が異なる通りなどに幾つもあるので、行先とバス番号の確認が必要です。

そうは言っても、ストックホルム中央駅と他の交通機関の乗り換えほど分かり難いことはない。

下: 次の観光地に向かう為に地下鉄駅に向かう。


次回に続きます。



Sunday, February 17, 2019

北欧3ヵ国を訪ねて 51: オスロ 10: オスロ湾の島を尋ねる






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今回は、オスロ湾に面した島をバスで巡ります。
海沿いに素晴らしいリゾートエリアが広がっていました。
そこには豊かで嬉々とした暮らしぶりがありました。



 
< 2. 紹介するルート >


上: 上が北。
黄線はAの市庁舎前からBのバス停までの徒歩ルート。
この周辺に同じ名称のバス停が幾つかあり、バスNo.の確認が必要。
BはJernbanetorget

ピンク線はBから乗ったNo.85バスのルート。
普通の公共交通機関の路線バスを利用した。
このバスは先ずDまで行って折り返し、次いでEに行き、ここで少し時間待ちしてから、まったく逆のコースをBまで戻ります。

当初は途中で降りて散策し、30毎に来る次のバスに乗る予定だったのですが、そのまま乗って往復した。
往復の乗車は14:30頃からの約1時間でした。
ⅮはMalmøya、EはUlvøyaです。

Cはエーケベルグの丘で、画家ムンクが度々散策していたところだそうです。
ここで有名な「叫び」を構想し、連作を描いています。
ここへはトラムで行ける。

この日はこのバス乗車以外に11ヵ所を見学する予定だったので、気が急いていました。
また前日は、列車の遅れでホテル着が深夜2時を過ぎていたので疲れが出ていました。

下: 海側の市庁舎前にある彫刻が見える。
ここから歩き始める。



 
< 3.バスに乗る >

写真はすべてバスの車窓からの撮影で、ほぼ撮影順に並んでいます。

上: 前方に見える観覧車はオスロ中央駅の前にある。

中: 大規模な再開発が行われているウオータフロント。
右手の白い建物が後に訪れるオスロ・オペラハウスです。

下: これはウオータフロントのちょうど裏手。



 
< 4. ムンクが見た景色? >

上: 裏手からウオータフロントを見る。

中: 道路は崖にへばり付く様に走り、高くなって来た。

下: 眼下にオスロ湾が見える。

きっとムンクもこのようなオスロ湾を見下ろしたことでしょう。



 
< 5. 最初の島に渡る >

中: 最初の島に渡る橋が前方に見える。
下: 橋からウオータフロント側を望む。


 
< 6. 奥に続く島に向かう >

下: ちょうど橋を渡っているところで、右側車窓の景色。

橋を渡り切ると直ぐMalmøyaのバス停(地図D)があり、バスはここで折り返す。


 
< 7. 最初の橋に戻る途中 >


 
< 8. 次の島に向かう >

上: 次の橋が見えて来た。

中: ちょうど橋を渡っているところで、右側車窓からの景色。
電車が見える、この上は広い台地で住宅街が広がっている。

下: 同様に右側の景色。


 
< 9. 島の中央部へ >

中: ここが島の中央部でバス停Ulvøya(地図E)があります。
写真右側に小さなスーパーがありました。
バスはここで時間待ちして、来た道を戻って行きます。

下: この坂道を下ると海水浴場があるようです。



 
< 10. 来た橋に戻る >

上: 高台にずらっと家が並んでいる。
左端に橋が見えた。

中: 橋の中央で学生らが、海へのダイビングを楽しんでいた。
高校生らしい男女が一緒になって騒いでいた。
左側では数人の男性が釣りをしていた。

下: 橋の上から右側を望む。

この後、ウオータフロントまで戻るのですが、一つ手前のバス停で降りて散策を始めました。


*あとがき

オスロ市街からこのバスに乗る人はほとんどいなかった。
乗って来た人は少なく、それも中高生だけで、皆島内で乗り降りした。
平日の昼過ぎなのに、春休み中なのか、島内に学生の姿を多く見た。
それにしても、のんびり自然を満喫する姿が羨ましい。

島で見たハウス全てが大きいわけではないが、ボートと桟橋、ボート小屋が海と海岸を埋め尽くしている。
この辺りのハウスはサマーハウスかもしれないが、充分に都心に通える距離なので、レジャーハウスと住居の兼用が出来る。

実に豊かな暮らし、それも自然と一体になった暮らしがそこにはあった。

どうか皆さんも一度は訪れてください。


次回に続きます。