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Monday, June 15, 2020

徳島の海岸と漁村を巡って 7: 宍喰の漁港を訪ねる



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今回は、宍喰の漁港を朝に訪れました。
朝焼けの海と島影を堪能し、港町を見ました。


 
< 2. ホテルの窓から朝陽を見る >

下: 山の手前に宍喰川の河口があり、そこが漁港になっている。
左手の島影が前回と今回も介する所です。


 
< 3. 漁港  >

上: 橋の上からホテルの方を見ている。

下: 橋の上から海側を望む。


 
< 4. 競りを行っている漁協 >

上: 橋の上から上流側を望む。
河口がそのまま漁港になっている。

下: 漁協を拡大。
町の中に津波に避難タワーが見える。
朝8時を過ぎた頃ですが、競りを行っているので見に行きます。


 
< 5. 競り中 >

車を駐車場に停め、漁協に入っていった。
緊張しながら、「見せてもらっても良いですか?」と聞くと、一人の男性が笑顔を向けて「どうぞ」と言ってくれた。
幾人かに話しかけたが、忙しいにも拘わらず言葉短に答えてくれた。

私には豊漁に思えたのですが、ここでも少ないとの答えが返って来た。
確かに小魚が多いようです。


 
< 6. 獲れたもの >

上: ウツボ。
以前、高知でウツボ料理を食べたことがありますが、生きているのを直に見るのは始めてでした。

下: 「ままかり」のような小魚を処理していた。


 

< 7. 宍喰浦の化石漣痕 >

また海岸の方に向かいます。

化石漣痕は道路脇にあるので簡単に見れます。
断崖表面の無数の波型が特徴です。
3000万年~4000万年前、川瀬に立つさざ波が打ち寄せて土をはこび、この波形の地層が出来た。
右手から断面を見ると幾層もの層状になっている。


 
< 8. ペンションがあるビーチ >

化石漣痕を過ぎて直ぐにあります。


 
< 9. 早朝の湾 >

ペンションの湾から道に戻り、200mも行くと視界が開けます。
少し昇った朝陽を受けて海も島も生気を帯び始めた。


 
< 10. 宍喰の町 >

上: 阿佐東線の宍喰駅。
宍喰町の山側にある。
この線は南端が一駅先の高知県の甲浦駅で、後に紹介する鞆の浦のある海部駅が北端です。
この海部駅からはJR牟岐線で徳島まで行ける。

下: 宍喰川。

この町の中心部は海岸側の道路から山側に500mの奥行、道路に沿って1kmほどの大きさです。
ここは徳島県の最南端で、すぐ南は高知県になります。
ほとんどが山と森林に覆われている。

町の中を車でゆっくり通り抜けたが、漁師町の風情や街並み、建物はほとんどなかった。
古い家も見なかった。
漁師と言えども普通の家に暮らしているようです。


 
< 11. ホテル リビエラ宍喰 >

上: ホテルの横にある道の駅。

下: ここに泊まりました。
温泉で眺めの良い大浴場に満足し、夕食の「伊勢海老たっぷり会席」は美味しく食べきれないほどありました。


 
< 12. 宍喰を離れ、鞆浦に向かいます >

上: 北向きに走る。

下: 海岸沿いに2.5kmほど行って、振り返った。
水床湾の島影が見える。


次回に続きます。




Wednesday, June 3, 2020

徳島の海岸と漁村を巡って 6: 宍喰に泊まる




*1

今回は、日和佐から宍喰までのドライブと、
宍喰の散策を紹介します。
2020年4月23日、宍喰で一泊しました。


 
< 2. 宍喰へのルートと宍喰マップ、上が北 >

上: 日和佐から宍喰までのドライブルート
青線で示されるルートは距離34km、所要時間約40分です。
前半は内陸部、後半は海岸沿いを走ります。

下: 宍喰の町
黄色線: 日和佐からのドライブルート
白四角点: 宿泊した「ホテルリビエラししくい」
ホテルは宍喰の町中にあり、海岸沿いの道の駅の隣にある。

赤線: 展望台Aへのドライブルート
赤矢印: 展望台A
橙色線: 徒歩による展望台Bへの路
白矢印: 展望台B
黄色矢印: 竹之島
この島が宍喰で一番の観光地ですが、私は間違って手前の岬しか行っていません。
この島には車で渡れます。


 
< 3. 途中の道 >


 
< 4. 途中の海岸線 >

大砂海水浴場の辺りでしょうか。


 
< 5. もうすぐ宍喰 >

下: 左が那佐湾
岬が道路に沿うように延びて、湾を成している。
岬の途切れた遠方に宍喰がある。


 
< 6. ホテルが見えた >

上: 「ホテルリビエラししくい」
ホテルにチェックインし、さっそく岬巡りに向かいました。

下: 岬の路(赤線)を行く
途中まで車で行き、次いで徒歩で展望台B(白矢印)に向かいました。
山つつじや桜が綺麗でした。


 
< 7. 四国のみち >

今回の旅行では、岬を巡る細い路を幾度か歩きましたが、どこもよく整備されていました。
多くは「巡礼のみち」とか「四国のみち」だったと思います。




 
< 8. 展望台Bから >

下: 左手が竹之島の港です。
この港から、通常なら海中観光船が出ています。
サンゴや熱帯魚が見れるそうです。
今回はコロナでやっていませんでした。


 
< 9. 展望台より >

上: 展望台Aから北の方を望む
宍喰の前に広がる水床湾を望む。

下: ホテルの部屋からの眺め
水床湾の右手の岬が、先程訪れた岬です。


 
< 10. 部屋から望む水床湾 >

上: 水床湾の左手を望む


次回に続きます。


Tuesday, May 26, 2020

徳島の海岸と漁村を巡って 5: がんばれ日和佐





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今回は、美波町日和佐地区を紹介します。
ここには薬王寺と海亀産卵の大浜海岸があります。
幾度も来た所ですが、懐かしさよりも驚きが勝ちました。


 
< 2.散策ルート、上が北 >

上: 日和佐地区の全景
S: 散策の開始点と終着点、A: 日和佐城、 B: 薬王寺
下: 散策ルート
黄色線が恵比寿浜からのドライブルート、赤線が散策ルート、ピンク線が宍喰へのドライブルートです。
S: 散策の開始点と終着点
A: ㈱あわえ、地方創世で活躍する企業、散策中偶然知りました。
B: 観音寺
C: 美波町役場、御陣屋(郡代)跡 
D: 弘法寺
E: 八幡神社
F: 日和佐漁協
G: 日和佐城
H: 大浜海岸


 
< 3. 大浜海岸 >

防波堤のS辺りからの眺め。
右手から左手への眺めを、上から順に並べた。

上: 日和佐川の河口で、漁港への入り口でもあります。
中: 遠方左手に恵比寿浜と恵比寿洞
下: 大浜海岸、海亀が5~8月にかけて夜、産卵に上陸します。




 
< 4. 日和佐漁港 >

昼1時を過ぎていたこともあり、ほとんど人影はありませんでした。


 
< 5.町に入ります >

上: 海側から内陸側を望む。
中央に白い津波の避難タワーが見えます。

下: 特段、漁師町を感じさせるものはありません。


 
< 6. 古風な家屋がありました >

下: 大きな家がありました。
全景は次の写真です。


 
< 7. 廻船業で財を成した屋敷 >

上: ここは江戸末期より廻船業で成功を収めた「谷屋(たんにゃ)」です。
その繁栄ぶりは子供たちの遊び唄になったほどで、門構えは立派です。
現在改装中で入れませんでした。

下: 多くの家は改装が進んでいますが、写真のように昔の雰囲気を残す工夫が見られます。


 
< 8.古い銭湯  >

上: 銭湯の建物
私が、この趣のある建物で足を止め、石柱の「世間遺産・・・」に首をかしげていると、中から一人の男性が声を掛けてくれました。
呼ばれるままに中に入ると、そこは大正時代からの銭湯でした。

下: 事務所の内から表通りを見ている
中央に番台が見える。


 
< 9. ()あわえ >

実は、ここは銭湯の建物を保存しながら、ITソフトウェア開発と地方創生を行っている事務所でした。
上の写真の人物が案内してくれた社長です。
非常に気さくで、情熱を感じました。

彼を主人公に映画化されたのが、下の写真のポスターです。
味のある役者と日和佐の風景や暮らしが沢山出て来ます。
公開は2019年4月でした。

私は、これまで様々な国と日本の地方を訪れて、答えの見つからない問いを抱えていた。
北欧や中国では地方に行っても豊かさや発展を感じます。
北欧では、田舎は自然を生かした暮らしがあり、寂れている感じはなかった。
その一方、日本のほとんどの地方の町や村は活力を失い寂れています。
再生の術はないのかと・・・

この社長と言葉を交わす内に、日本にも可能性があると勇気づけられました。
詳しくは、後述します。


 
< 10. 美波町役場 >

明治が始まる60年前から明治に至るまで、ここに"御陣屋"(郡代所)
が設けられていました。
今は美波町役場です。

上: 役場前の史跡の説明板

下: 津波避難場所の看板
この町も、津波が襲って来ればひとたまりもありません。
この町の中で、避難出来る避難タワーは、先程の物とこれから紹介する物の二つで、後は数カ所の数階建てのビルだけです。
他は、裏の山に登るしかありません。

ここでも厳しい現実を見せられました。


 
< 11. 観音寺 >

上: 観音寺
ここは三十三観音霊場の第八番です。 
徳島海部郡をドライブしたり散策していると、海岸沿いの険しい道程、お遍路さんの路になっていました。

下: 広い道から狭い路に入ると石垣(塀)が所々に見られました。
道幅が狭く、漁師町の風情を残しています。

通る所が悪いのか、東由岐で見た「ミセ造り」などの漁師の民家を見ることはなかった。
どこかに残っているはずなのですが。



 
< 12.弘法寺 >

上: 弘法寺
江戸末期、日和佐の行者「栄寿法印」が評判を呼びました。
彼は荒行の末に数々の奇跡を行い、小松島では化け物を退治したそうです。

この寺は明治に入って信者によって建てられた。
石像は栄寿法印かもしれません。
この前の路は、かつて水路で船が入って来たそうです。

下: 山側(北側)の広い通り
東側を見ている。
通りの左奥に見える木々は八幡神社の境内のものです。


 
< 13. 日和佐八幡神社 >

上: 町民グランドの端に避難タワーが見えます。

下: 日和佐八幡神社
広い境内の周囲にだんじりの格納庫がたくさんありました。
10月中旬、布団だんじりが出て秋祭りが盛大に行われる。
この海岸側にウミガメ博物館があり、トイレもあります。


 
< 14. 大浜海岸に沿う通りより >

上: 遠方中央に、薬王寺が見える。

下: 防波堤の先端より、日和佐の町を望む。
一周し終わりました。

次の訪問地、宍喰を目指しドライブします。


 
< 15. 厄除け橋より >

地図のピンク線の橋の上から日和佐川の河口を眺める。
右手の小高い丘の上に日和佐城が見える。
翌日、またここを訪れます。


* ()あわえと地方創世 *

この美波町(由岐、恵比寿、日和佐も含む)は5年間で10%ほどの人口減が続き、65歳以上が占める高齢化率は日本の平均37%を上回り51%です。
また一人当たりの市町村民所得は182万円で、徳島県の最下位で、トップ阿南市の半分に過ぎません。

町を歩いても、見かけるのは高齢者が多く、家屋の新築も少ない。
漁師に声を掛けても、減り続ける漁獲量への嘆きが聞こえ、実際、漁獲量は減る一方です。

なぜ日本は、こうも地方の衰退が当たり前のように進むのか?
高齢化? 成長しない経済? それと生活スタイル?
前者二つは国の無策に起因しているが、後者はそれだけとは言えない。

例えば、クロアチアや北欧の海岸を行くと、豊かな自然が残る海岸に別荘が並び、港は漁船でなくレジャーボートで埋め尽くされていた。
スウェーデンでは、職住の地を郊外に求めるブームが起きているらしい。
それは物価が高く自然に乏しい都会を避け、仕事が終われば自然を愉しむことできる地を人々が求めているからです。

世界的には大都市への人口集中は穏やかになる傾向にあるが、日本だけはまだ続いている。

ところが、「あわえ」の社長の話を聞き、調べてみると、美波町に明かるい兆しが見える。

彼は、この地で生まれ、東京でセキュリティソフトの開発販売を手がけるようになった。
そして新たなワークスタイルの実現と人材採用の強化を目的に2012年この地にサテライトオフィスを開設し、現在はここを本社としている。
現在、地方と都市、自治体と企業を結び付けることにより、地域の活性化を目指している。

その一方、彼は漁船を所有し海釣りを楽しんでいる。
まさに職住一体で、自然との暮らしを楽しみながらリモートワークを行っている。

実績としては、ここ数年で19社のサテライト・オフィスをこの町に誘致し、全国1位を誇る。
日本全国の自治体100とも提携しアドバイスを行っている。

実は、美波町は2013年に転入者が上昇に転じ、翌年には転出者を上回った。
この町は大都市から2時間以上離れているにも拘らず、全国中でも好成績なのです。
当然、美波町も地域活性化に取り組んでいるお陰なのですが。

微かな動きかもしれないが、地域創生が一人の青年の想いから始まろうとしている。

つくづく、彼らの想いに答えられる政治が日本に興ることを願う。
そんな発見が得られた日和佐でした。


次回に続きます。



Friday, May 22, 2020

中国の外縁を一周して 39: 小さな橋と古城忠义市场






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今回は、麗江古陳内の美しく小さな橋と、
古い佇まいを残す庶民の古城忠义市场を紹介します。


 
< 2. 大石橋から始める >

上: 前回紹介した大石橋です。
これからこの川沿いを南下し様々な小さな橋を訪ねます。
最後に市場へと向かいます。

下: 百岁桥(百歳橋)
橋の上の左に、赤い漢服を着た女性が見えます。
観光客に写真の被写体を頼まれたようです。
若い女性が、漢民族風の着物を着て観光地を歩く姿をたまに見かけた。
厳密な漢民族の服と言うより、ファンタジクな中国歴史ドラマで見かける自由なデザインのようです。
多くは一人から数人です。

以前、私はフランス、アルザス地方のコールマールを訪れたことがあります。
この地も、花に彩られた古い町並みと小川や橋で有名でした。
麗江と比べて町や川、橋は大きい。
しかし、菊で飾られた麗江の街並みと小川はさらに見応えがありました。
菊で飾られた時期に行くべきだとは思いますが。


 
< 3. 様々な橋 >

右下: 橋を渡ると、概ねこのような家に挟まれた小路を行くことになります。


 
< 4. 少し広い通りに出た >

 
< 5. 万古楼が見える >

下: 獅子山公園の丘の上に立つ万古楼が見える


 
< 6. 古城忠义市场の一角に入った >

この一角は、植物、果実、根などの乾物が売られている。
この地は松茸の産地です。
サイズはかなり小さいが、大きな袋に沢山入って安かった。
妻は、大量の干し松茸を買った。
しかし香はほとんどせず、日本に帰ってからもあまり使用していない。
日本の松茸とは異なる。

 

< 7. 地元の人が買っているようです >


 
< 8. 食材が豊富です >

ここを訪れたのは13:30頃でした。
時間帯のせいか、あまり客はいない。
当然、この大きさなので、時間ともなれば多くの市民がくるのだろう。


 

< 9. 様々な店舗形態があります >


 
< 10. 肉売り場 >

先ず、この広さにびっくりした。
そして、ここでは相変わらずの衛生感覚のようです。
下の写真のように、客が肉を手づかみで選んでいる。
もっとも、麗江には近代的なスーパーや商店街もあり、衛生管理が行き届いた店も沢山あります。
違和感なく新旧が混在している、不思議な感じがする。


 

< 11. 鳥や魚類の販売 >

先ず驚いたのは、淡水魚の扱いが多い事でした。
それも活けで売られている。
こんな高地で、これだけあるとは思はなかった。
おそらく池などの養殖が進んでいるのでしょう。

左上: この一角では、鳥と日本人が口にしない様々な小獣をケージに入れて販売しています。
30年以上前、中国の広州や台湾の台北の市場で見た光景を思い出します。





 
< 12. そろそろ市場の端に来ました >

下: 民族衣装を着た老婆が足早に去って行きます。

私達が、例えばアイヌのように日本で民族衣装を着た人を見ると、観光用を連想します。
しかし、中国では少し趣が異なるようです。
特に雲南省で目立ちます。
それは観光用だけではなく普段着、さらに言えば誇りを持って着ているように見えることです。
これは中国の少数民族政策の反映だと思う。


 
< 13. 市場の本来の入り口 >


次回に続きます。