Friday, July 31, 2015

何か変ですよ 39: 今を忘れないでください


*1

今の政権運営は実に巧みで、実行力もあります。
安定感があり頼りがいがありそうです。
安部首相の手腕には、さすが政治家の家系だと感心させられます。
一方で長いスパンで見ると気になることがあります


安保法案を巡る議論
議論が枝葉末節過ぎるように思えます。

野党の指摘は間違っていないが現実の防衛に不安を感じる。
事実かは別にして、予想される脅威への対策が聞こえて来ない。
これを無視していると、些細な武力衝突で少しの人的被害が起きても、世論はパニックになり一気に好戦的になる可能性がある。
これが一つの懸念材料です。

国を軍事的な脅威から守り、また紛争拡大を防ぐには軍隊が必要であり、軍人の犠牲も伴います。
国として中立の選択肢もありますが同盟が必要な場合もあります。
確かに軍隊と同盟は運用次第でより大きな危険を招きますが、避けて済む問題ではない。


    

与党の主張は現実の不安に答えているが、将来に大きな禍根を残すかもしれない。
一つは、米国との同盟強化により中国との対立が鮮明になることです。
かつて歴史的遺恨や敵意を煽るに任せて戦争を回避した国がどれだけあったでしょうか。
残念ながら日本列島はユーラシアの二大国と米国の緩衝帯に位置しおり、ベトナムや朝鮮半島の二の舞になる可能性が非常に高い。

今一つは、憲法を軽視していることです。
憲法解釈の変更が絶対不可とは言わないが、憲法裁判が機能していない日本では拡大解釈がまかり通る危険性が大です。
拡大適用は明治から太平洋戦争にかけて起きたことであり、法を重視しない体質は今でも変わらない。

与野党は惰性(権益)とドグマに囚われて賛否の大合唱に終始している。
おそらく10年後には結果が出て、国民は後悔するかもしれない。


    

経済運営について
久々に景気が良くなる期待はあるが、どうだろうか?

日銀による大量の国債引き受けによるリフレ策は進んでいる。
このところ「何々減税」と色目の変わった経済振興策が数多く打ち出されている。

景気が良くなっている情報が増えて来た。
株高や大企業の好決算、就職率の上昇など。
一方で逆の情報もある。
消費財の値上がりや、不安定な雇用形態と賃金格差の拡大など。

ここ30年ほど、与党は同じ経済政策の繰り返しで景気は良くなるどころか、日増しに経済と財政は悪化した。
欧米が既に止めた公共投資と国債への依存を続ける与党にあって、今回、大胆にリフレ策を実施したことに驚かされる。
欧米にはリフレ策を実施している国は多いが、長期に行った結果が今の経済状況です。

良ければ株高と好景気が来るかもしれないが、必ずバブルが弾けてより深い経済低迷に陥るでしょう。
ここ半世紀の欧米の経済動向を知る人なら、また株投資に関心ある人なら実感出来るでしょう。
それでも莫大な累積債務がインフレで目減りしてくれれば少しはメリットがある。
しかし国債金利が高騰すれば財政破綻は現実のものになるでしょう。

根本にある懸念は一つです。
それは日本が米国流の貨幣供給重視に大きく方向転換したことです。
この結末がどうなるかについて断言出来ないが、おそらく今欧米で起きている経済の悪弊がより深まる結果になるでしょう。
それは景気不景気のより深い乱高下、貧富の差、失業の増大です。

早ければ、1年以内に潮目の変化が現れ、5年後に国民は後悔するかもしれない。


*4

どうか皆さん、今の分岐点を忘れないでください
国が衰退を深め、激動に巻き込まれる切っ掛けは些細な一歩の積み重ねでした。
過去を振り返れば、法や条約の発効・破棄、憲法の恣意的な解釈が戦争への分岐点になりました。
同様に金兌換や日銀券発行、国債発行の扱いは国の経済を大きく左右しました。
これは世界の歴史に共通しています。

皆さんにお願いしたいこと
この分岐点を覚えておいて頂き、数年から10年後の変化を比べていただきたい。
今の舵取りの成否を判断出来なくても、その時に、誤りに気がつけば方向転換出来るかもしれません。
ただ過去の日本では方向転換の努力は水泡に帰しました。





Wednesday, July 29, 2015

Go around the world of Buddha statues 29: The beginning of God statue in China 7


仏像を巡って 29: 中国の神像の始まり 7




< 1.  a statue of Taoism in Taiwan >
< 1. 道教像、台湾 >

This time, we look at the wonder of religion that was behind the background of the birth of god statue.
The beginning of God statue in China “ is the last at this article.

今回は、神像誕生の背景にある宗教の不思議を見ます。
これで、「中国の神像の始まり」は終わります。



< 2.  the change of the Chinese human statue for approximately 4,000 years >
< 2. 約4000年間にわたる中国の人物像の変遷 >

What had happened to Taoism and Buddhism?
In the despair of troublous times in those days, people didn't come to refuse Buddhism only because it was a religion of different ethnic groups.
Then, the people became fascinated by the cultivation of mind or the help of the Buddha that Buddhism advocated.
The people received the theory “a never-ending cycle of life and death” to endure temporal unreasonableness.
In addition, many dynasties came to use the influence.

On the other hand, Taoism became popular until it was favorably compared with Buddhism, but it was necessary to change to other direction from Chinese alchemy (medicine-making techniques) because of developing poisoning death by the medicine for immortality.
Therefore, Taoism incorporated the cultivation of mind from Buddhism as means of the perpetual youth and longevity.
In addition, Taoism had been necessary to theorization due to argument with Buddhism, and put the philosophy of Doka on a basis.

On the other hand, Buddhism adopted a prayer and execration of Taoism, too.
Buddha and Laozi that had been the founder of the each sect were advertised as the same person by both religions.


道教と仏教に何が起きていたのか
乱世にあって、人々は絶望の中で仏教が異民族の宗教だからと言うだけで拒否しなくりました。
仏教が唱える精神修養や仏の御加護は人々の心を捉えました。
民衆は現世の理不尽に耐える為に輪廻転生説を受け入れていきました。
また多くの王朝はその影響力を利用するようになりました。

一方、仏教を凌ぐまで普及した道教でしたが、錬丹術の失敗(不老長寿の薬で中毒死)から方向転換する必要がありました。(「病と医術の歴史30」参照)
そこで道教は不老長寿の手立てとして仏教の精神修養を取り込みました。
また道教は仏教との論争で理論化が必要になり、道家の老子、荘子(紀元前4世紀頃)の思想を基本に据えました。
荘子の思想「無」は般若心経(仏教経典)の「空」に似ていたことも有利に働いた。

一方、仏教も道教の祈祷(折伏、呪詛)を取り入れました。
両宗教は、宗祖である老子と釈迦は、同一だと互いに喧伝するようになりました。



< 3.  Laozi of China and “a never-ending cycle of life and death” of India >
< 3. 中国の老子とインドの輪廻転生 >

A mystery of the statue birth of Taoism

The supreme god of Taoism should have become clear from those days because sacred books of Taoism were accomplished from about the first century.
However, the statues birth of Taoism was the sixth century, and was 2 centuries later than Buddha statues had spread.
Even if people can make human statue, it seems to have had a hesitation to express supreme god by human image.

In many religions of the world, why was there such delay of god statues?

There is the hint a little.
In addition, the purposes of the worship were restrictive and intermittent, such as ancestor worship, burial, disease recovery, huge harvest, and exorcism.

However, when a unified dynasty was born, the guardian deities of each tribe were systematized, and a personal god like the king came out on the top.
This personal god became the supreme god who can accept all wishes from national prosperity to disease recovery.

In this situation, when a religion having the statue of personal god came in, a tendency of the molding of the god statue becomes lively.
In this way, the god statue was independently enshrined and came to be always worshiped.
As for this, not only China but also India and Japan were similar.


尊像(神像)誕生の不思議
道教の経典は後漢時代(後1~3世紀)に成立し、道教の最高神はこの頃から明確になったはずです。
しかし尊像の誕生は仏像が普及してから2世紀ほど遅れた6世紀でした。
初期の道教では道観(道教の神殿)と仏教の寺を併設することがあり、5世紀頃の記録に、仏像は置いてもまだ尊像を置かなかった記録があります。
人々は人物像を造ることが出来ても、尊像を人間の容姿で表現することに躊躇があるようです。

なぜ世界各地の宗教で、このように神像誕生の遅れがあるのでしょうか?

そのヒントは幾らかあります。
古くは、人々は超自然の力を期待して、人間の姿よりはむしろ架空の動物を崇拝対象にした。
また崇拝は限定的で断続的なものだった(祖先、埋葬、病気平癒、豊穣祈願、厄払いなど)。
しかし、統一王朝が誕生すると、部族毎の守護神は体系化され、王のような人格神がその頂点に立つようになった。
この人格神は、国家安泰から病気平癒まで、すべての願いを受け入れる最高神となった。

この状況で人格神の像を有する宗教が外来すると、その神像を造形する気運が盛り上がります。
こうして人格神の像が単独で祀られ、常時礼拝されるようになった。
これは中国だけでなくインドと日本(三徳山三仏寺の金剛蔵王大権現)も同様でした。




< 4. a crematory of Ganges and the mausoleum of first Qin Emperor >
< 4. ガンジス川の火葬場と秦の始皇帝の陵墓 >

It shows that a collision of different cultures further developed the view of society, religious piety and carving skill of people.
For example, by accepting of the concept ”a never-ending cycle of life and death”, Chinese burial culture united with Indian cremation culture that differed in " view of life and death", and it affected not only China but also Japan.

そこには人々の信仰心、社会観、造形表現力が異文化流入によって大きく発展する姿がありました。
例えば、輪廻転生の受け入れによって、死生観を異にする中国の土葬文化とインドの火葬文化が合体し、中国だけでなく日本にも影響を与えたのです。

Afterword

Religion has sublime idea, and particularly there is a power to grow splendid neighborly love.
On the other hand, the more believers’ piety is strong, the more they hate pagans intensely.
However, the syncretism was possible precisely even between the religions caused serious confrontation because there was a truth common to all humankind in those, and spread in the world.

From next time, I will treat another theme about god statue of the world.


あとがき
宗教には崇高な理念があり、特に素晴らしい隣人愛を育む力があります。
一方で、信仰心が強ければ強いほど異教徒を激しく憎悪することにもなります。
しかし対立を生む宗教間にも、人類共通の真理があるからこそ習合を可能にし、世界に広がって行ったのです。

次回からは、また別のテーマで世界の神像を巡る予定です。




Sunday, July 26, 2015

Go around the world of Buddha statues 28: The beginning of God statue in China 6


仏像を巡って 28: 中国の神像の始まり 6



< 1. A statue of Taoism in one of Taoism’s sacred spots >
< 1. 道教の聖地茅山、大きな尊像が見える >

This time, we look at the situation that statue of Taoism was born.
It resulted after Buddhism had become popular.

今回は、道教の尊像が誕生する瞬間を追います。
それは仏教が盛んになった後に起こりました。

How was god statue of Taoism born?
Here, I explain it by applying the word “statue of Taoism (Tianzun)” to god statue.


道教の尊像の誕生
ここで、私は神像に道教像(天尊)を用いて説明します。




< 2.  Triad statues
< 2. 三尊像 >
In fact, one of these is a Buddha statue, and the others are statues of Taoism.
These resemble closely so that we cannot notice the difference.

Fig. J:  Triad statues of Taoism in the early 6thcentury.
This was the first thing as single independent statue.

Fig. K:  Triad statues of Taoism in the middle of 6thcentury.

Fig. L:  Triad statues of Buddhism in the 4th – 6th century.

The characteristic of the statue of Taoism is a crown on the head, a short staff of bamboo with bundled hair, and a bent desk of three legs.
Fig. K and O show it clearly.

実は、この内、一つは仏像で他は道教像なのです。
見分けがつかないぐらいよく似ています。

J: 道教三尊像、北魏、6世紀初め。
単独の像としては初期のもの。

K: 道教三尊像、北周、6世紀中頃。

L: 仏教三尊像、北魏、4~6世紀。

道教像の特徴は、頭上の冠、団扇状の払子、脚三本の曲がった机にあります(図KOで明瞭)。




< 3.  Triad statues of Taoism (The Three Pure Ones) >
< 3. 道教の三尊像 >

In Buddhism, Buddha doesn’t stand in line with three persons, but in Taoism, statues of Taoism that are nearly same class (the supreme god) stand in line with three persons.
But after all, the middle statue is the highest class.
There are many kinds of statue of Taoism by the religious sect of Taoism.
In Buddhism, the middle of triad statues is a rule to be the Buddha, but there are many different types in Taoism.

Fig. M:  Yun Gang cave shrine, the 8thcentury
There are many huge cave temples in Buddhism, but only there are a few of small cave shrines in Taoism.
This cave shrine consists of 9 caves, but there are 1400 caves in Longmen Grottoes of Buddhism.

Fig. N:  No. 5 cave in Yun Gang cave shrine, the 8thcentury
This is the same as Buddha statue except a crown.

Fig. O:  Triad statues of Taoism in a Taoist temple of Shanghai

仏教では如来が三つ並ぶことはありませんが、道教ではほぼ同格の「天」(最高神)が並びます。
但し、やはり真ん中は一番格が高い。
尊像の種類は道教の宗派や道観(寺院)によって数多くあります。
仏教なら、中心にあるのは釈迦像が決まりですが、道教では様々なようです。

図M: 龍山石窟、山西省、唐、8世紀。
仏教には巨大な石窟は多いが、道教のものは小さく少ない。
この石窟は9窟のみだが、仏教の龍門石窟(前回の図I)には1400窟もある。

図N: 龍山石窟第5窟、8世紀。
冠を除けば如来像と同じ。

図O: 道教三尊像、太清宮、上海。
左から太清道徳天尊(老子の神格化)、玉清元始天尊(最高神)、上清霊宝天尊(「道」を神格化)です(三清の場合)。

A huge change of Chinese religion occurred

The Buddhism was introduced into China in the first century, but was not accepted very much first.
It was because Buddhism was a religion of different ethnic groups, and had  “a never-ending cycle of life and death” as a doctrine that opposed a view of life and death of Han people.
However, after about the 3rd century, the Chinese religion changed during war-torn era.
Confucianism that only preached the morality to government clerk declined, and Taoism became popular because of having preached perpetual youth and longevity, and disease recovery by prayer.
At the same time, some northern people that founded the many nations in the northern part of China adopted logical Buddhism.

Afterward, Buddhism and Taoism gained many believers along with competing each, and many dynasties made each a state religion or prohibited the religion.
Thus, Buddha statues had spread in first, and statues of Taoism were made by copying it.

On the next time, we look at the wonder of the religion behind the birth of statue of Taoism.


大きな信仰の変化が起きていた
紀元1世紀に仏教は伝わっていたが、当初、あまり受け入れられませんでした。
それは仏教が漢民族の死生観と対立する輪廻転生説と異民族の宗教だからでした。
ところが、後3世紀頃以降、三国時代(魏蜀呉)の戦乱とその後の異民族(北方騎馬民族)による戦乱が続くと、信仰に変化が起こりました。
官吏の道徳を説くだけの儒教は衰退し、祈祷による不老長寿や病気平癒を説く道教に人気が出て来ました(太平道、五斗米道)。
同時に、中国北部に幾多の国を興した北方民族(北魏など)は理路整然とした仏教を取り入れました。

その後、仏教と道教は競い合いながら信者を増やしていき、幾多の王朝がそれぞれを国教や禁教にしてきました。
このようにして、渡来した仏像が先行し普及し、それを真似て道教像も造られていきました。

次回は、神像誕生の背景にある信仰と宗教の不思議を見ます。




Thursday, July 23, 2015

Go around the world of Buddha statues 27: The beginning of God statue in China 5


仏像を巡って 27: 中国の神像の始まり 5




< 1.  Mogao Caves in Dunhuang is a Buddhist heritage in China. >
< 1.敦煌莫高窟、中国の仏教石窟 >

This time, we survey the situation that Buddha statue had been spreading in China.
今回は、中国で仏像が普及する様子を概観します。


The introduction of Buddhism
The introduction of Buddhism was unexpectedly early, and the 1st century A.D.
Before long, the troubled times of the Three Kingdoms period finished, toward about the 4th century, the predawn of Buddhism came.
From about this time, small Buddha statue for being portable began to be made.


仏教の伝来
中国に仏教が伝わったのは意外に早く、後漢時代(後1世紀)でした。
やがて騒乱の三国時代が終わり、後4世紀頃になると仏教が黎明期を迎えます。
この頃から携帯可能な小さな仏像が造られ始めました。



< 2.  these early Buddha statues were made before the Tang dynasty >
< 2. 初期の仏像、唐時代以前 >

A:  this gilt bronze statue of Buddha was made in around central Asia in the first half of the 4th century.
This is the earliest Buddha statue of China.

B: a Bodhisattva statue of the early 5th century in Mogao Caves of Dunhuang.
The appearance is influenced by India or Iran.
Mogao Caves were dug for a training place of Buddhist during the 4th and 14thcentury.

C:  a seated Buddha statue of the early 5thcentury in the Yungang Grottoes.
The nation of northern people that ruled the north China including Dunhuang engraved the largest statue on a rock like mountain by staking the national’s prestige.
The appearance is Mongolia-style.  

A: 金銅菩薩立像、4世紀前半頃、中央アジアで製作か。
中国でもっとも古い金銅仏。

B: 弥勒菩薩交脚像、敦煌莫高窟第275窟、5世紀前半。
その容姿にはインドとイランの影響がある。
莫高窟(4~14世紀)は修行の場として掘られた。

C: 仏座像、雲崗石窟第20窟、5世紀中頃。
敦煌も含む中国北部を支配した北魏が国家の威信をかけてこの巨大な像を作った。その風貌はモンゴル系の容貌です。




< 3.  Buddha statue of mature Chinese-style after the Tang dynasty >
< 3.成熟した中国風の仏像、唐時代以降 >

G:  Buddha Statues of the 7thcentury.

H:  this seating Buddha statue was made of wood in the 12th century.
The figure like a sexy woman is wonderful.

I:  this large Buddha statue is only one of statues engraved on Longmen Caves in the 8th century.
Big Buddha of Nara in Japan was modeled after this statue.

Around this time, these statues became the figure with clothes, hairstyle, and posture of Chinese-style.

G: 十一面観音菩薩像、唐、7世紀。

H: 木造菩薩座像、金(中国北部の王朝)、12世紀末。
なまめかしい女性らしい姿が凄い。

I: 毘盧遮那仏、龍門石窟奉先寺洞、唐、8世紀。
日本の東大寺の大仏はこれを手本に72年後に作られた。
この頃になると、仏像は服装、髪型、姿勢が中国様式を取り入れた仏像になりました。

Summary

Until now, we looked at the change of Chinese Buddha statue, god statue, and human statue during 7000 years.

Much of human figures in the early stage were half beast and half man, shaman, mountain hermit or ancestor gods.
Around the beginning of the first century, it was considerably drawn like human being.

These were for individual purpose or religious faith such as an amulet of grave, a prayer of something, a prayer of eternal youth and immortality.
Until that time, people had not prayed to one statue that was placed in a shrine on the ground each day.

Outside Buddha statue, there weren't all-around God having supernatural power and personal God that was expressed by a statue.

On the next time, we look at the situation that statue of noble character of Taoism was born suddenly in the Tang dynasty.


まとめ
これまで数回にわたり、中国の人物表現や神像、仏像の変遷の7000年間を見ました。

初期の人物図像の多くは半人半獣か、シャーマン、仙人、祖先神でした。
紀元前後になるとかなり人間らしく描かれた西王母などが現れました。
それらは墓の魔除けや祈祷、不老不死の祈願など、個別の目的や信仰の為のものでした。
まだ丸彫りの単独像を地上の祠に安置して日常的に礼拝するものではなかった。

仏像以外では、超自然の力を持つ万能の神、人格神を像で表現するにはまだ至っていなかった。


次回は、唐の時代に突如として道教の尊像が誕生する様子を追います。





Thursday, July 16, 2015

Go around the world of Buddha statues 26: The beginning of God statue in China 4


仏像を巡って 26: 中国の神像の始まり 4





< 1. a bronze mirror in a burial mound of the late of the 3rd century A.D. Kyoto
< 1.三角縁神獣鏡、京都、3世紀末の古墳から出土 
It is embossed with deities and sacred animals of Chinese image.
中国の神像と霊獣が浮き出されている。

This time, we look at the forerunner of god statue.
It happened during the beginning of the first century (the Han Dynasty) and the Tang Dynasty.

今回は、神像の前触れについて見ます。
それは紀元前後(漢の時代)から唐の時代に起こりました。

The forerunner of god statue
In ancient times, exquisite bronze wares were buried as burial goods in the grave of a person of power.
Before long, it was replaced with dead person’s belongings like bronze mirrors and the walls of picture-etched stones or terra-cotta figures.
And, various human images called gods by documents came to be expressed on these burial goods.


神像の前触れ
古くは、権力者の墓に精緻な青銅器(煮炊きや酒の器など)が副葬されていたが、やがて死者の身の回り品(銅鏡など)や画像石(壁画)、俑(土人形など)に替わっていきました。
やがてそれら副葬品に、文献で神と呼ばれる人物像(西王母など)が表現されるようになりました。




< 2.  a bronze mirror and picture-etched stones of grave’s walls >
< 2. 銅鏡と画像石 >

The bronze mirror for makeup had begun in around the 5th century B.C., before long it became an important tool of religious services and was buried in large amounts.
This picture-etched stone was line drawing carved on the wall of stone in underground grave, and it was made in large amounts in the era of the Later Han Dynasty.
We can see many figures of glamorous life in life, parade by horses and pedestrians, festival, auspicious image in the grave, and sacred animal, and immortal and supernatural being at the entrance and gate.

Fig. N, O: a bronze mirror of 19.6 cm in diameter in the middle of the Later Han Dynasty, the 2ndcentury A.D.
Simple patterns were described on the backside of the mirror at first, and such deities and sacred animals were described from the middle of the Later Han Dynasty.
These figures reflected the concepts of immortal and supernatural being, and symbolized the ideal of perpetual youth and longevity.
The backside of Fig. N is a mirror, and Fig. O shows the figure of Fig. N.
Two gods are located in the up and down in the center of the mirror, and other three gods are beside each god.
Blue dragon and white tiger of guardian deity are contraposed on central right and left.

After that, such mirror describing deities and sacred animals became filled with more many gods.

Fig. P:  "Seiobo" of picture-etched stones in the 2nd century A.D.
"Seiobo"The Queen Mother of the Westis a goddess who has a hair ornament on the head, and a god presiding over eternal youth and immortality.

Fig. Q:  a picture-etched stone in the Han Dynasty
A Seiobo sitting on the dragon and tiger, 9 foxes, a crow with three feet and other animals are described in it.


銅鏡は戦国時代(前5世紀頃)から始まった化粧用の鏡だが、やがて祭祀の重要な道具となり、たくさん副葬された。
画像石とは、地下の墓室の壁面に線刻された画像のことで、後漢時代に多く造られた。
そこには生前の華やかな場面、車馬行列、饗宴などや、吉兆の図、儒教思想に基づく図、入口や門には神獣、神仙の図が描かれた。

図N、O: 神人龍虎画像鏡、青銅製、直径19.6cm、後漢中期(後2世紀)。
多くの銅鏡の裏面には単純な模様が施されていたが、後漢中期からこのような神獣鏡が多く作られた。
これは神仙思想を反映し、不老長寿の理想を文様化したものです。
実物Nの裏が鏡面で、その浮き彫りを図示したものが図Oです。
中央上下に西王母、東王父が配され、それぞれ3人ずつの侍神が膝座している。
中央左右に青龍、白虎が対置されている。

後に、これらの神獣鏡(図N、O)はさらに多数の神々で埋め尽くされるようになった。

図P:西王母の画像石、後2世紀。
西王母は頭に髪飾りをいただいた女神で、崑崙山に住む半人半獣であり、不老不死をつかさどる神とされている。

図Q: 漢代の画像石。
龍と虎の上に座す西王母と九尾の狐、三足鳥と動物達が描かれている。


Development of the doll of burial goods

副葬品の人形の変化



 3. Tang sancais made of clay for burial goods in the 7th-8th century A.D. >
< 3.唐三彩、粘土の素焼人形、副葬品、7―8世紀 >
Fig. D:  The people of the Western Regions (west of Central Asia) are molded.
Fig. E:  The beautiful woman at the time was plump.
Fig. F:  A guardian beast was made with scary look for protecting the grave.

Using doll for burial goods was actively pursued from the soldier figures in the mausoleum of the first Qin Emperor.
In the Tang dynasty, colorful Tang sancais became popular.
Even if there is part deformed, it became considerably realistic.
People prayed for the happiness of the dead person, and the terrible beast was a protector against evil.
The statues buried with dead person were based on faith to the future life.

D: 西域(中央アジア以西)の人々が造形されている。
E: 女性像。当時の美人はふくよかであった。
F: 鎮墓獣。墓を守る為に怖い形相をした人獣が造られた。

人形が副葬されるのは、秦の兵馬俑から盛んになったが、唐代になるとカラフルな唐三彩が普及した。
デフォルメされている箇所はあっても、かなり写実的になっています。
これらは死者の冥福を願い、また恐ろしい人獣の像により魔除けを願った。
死者と共に埋葬される像は、来世への信仰にもとづいていた。

Summary

Before long, the people came to express the burial goods with the human statue from the symbol of beast to respect a dead person.
However, it was intended to pray for tranquility of dead person, and for perpetual youth and immortality of earthly life.
Tang sancais, this statue was ordinary person, and never an all-around god.

It lacked a little something of the development for all-around God's appearing.
This continues next time.


まとめ
やがて、人々は死者を敬う為に、供え物を獣の象徴から人間らしい図像で表現するようになった。
しかし、それは死者の安寧や現世の不老長寿を祈願する為のものであった。
唐三彩にしても、像は写実的な市井の人々であり、万能の神ではなかった。

万能の神が出現するには、今一歩の発展が必要だった。
次に続きます。




 




Monday, July 13, 2015

New fables of Aesop 12: a rabbit and a mole




    

Once upon a time, a rabbit and a mole lived in a valley.
Beautiful transparent crystals came out of the valley.
The rabbit and the mole gathered it and sold to villagers.

昔々、ある谷にウサギとモグラが住んでいました。
その谷からは美しい透明な水晶が採れました。
ウサギとモグラはこれを採って村人に売っていました。


    

Before long, the transparent crystals began to decrease and the crystals that impurities mingled with came to remain in plenty.
In this situation, the crystals to sell would have disappeared soon.

やがて透明な水晶は減っていき、不純物が混じった水晶が多く残りました。
このままでは売れる水晶が無くなってしまいます。


    

One day the rabbit said to a villager.
"You will be able to see brilliant things in this crystal, and this is popular just now."
Thus, the rabbit sold crystals more than ever.

On the other hand, the mole had sold only transparent crystals like always.
Because the numbers of sold crystals decreased, the mole’s living became hard.


ある日、ウサギが村人に言いました。
「この水晶の中にキラキラしたものが見えるでしょう。今、これが人気ですよ。」
こうしてウサギはこれまで以上にたくさん水晶を売りました。

一方、モグラは今まで通り透明な水晶だけを売っていました。
モグラは売れる数が減ってきたので暮らしは苦しくなるばかりでした。


    

Time passed, one day, a villager visited the rabbit.
" Rabbit!  This crystal that you sold is imitations."
The crystal that the rabbit sold came to include more impurities, so the transparency disappeared at last. 

The mole said proudly to the villager.
"Only my crystal is genuine."
The villager
" I do not need it, because I cannot trust the stone that came out of this valley."

Then, all villagers never bought stones of this valley.


年月が経ったある日、村人がウサギのところにやって来ました。
「うさぎさん、あなたの売る水晶は偽物ですね。」
ウサギの売る水晶は混じり物が増え、ついに透明さが無くなっていたのです。

モグラがその村人に自慢げに声をかけました。
「私の水晶だけが本物ですよ。」
村人
「いらないよ。この谷で採れる石は信用出来ないからね。」

すべての村人はこの谷の石を買わなくなりました。


The rabbit
" I think Crystal that included impurities is not bad. This villagers have a hard head."

The mole
"If I was right, I thought it would be enough. I was stupid"
They muttered in this way, and left this valley at last.


ウサギ
「水晶に不純物があっても良いではないか。村人は頭が固い。」
モグラ
「私は自分が正しければ良いと考えていた。私は馬鹿だった。」
こうつぶやいて、ついにウサギもモグラも谷を去りました。



Friday, July 10, 2015

Go around the world of Buddha statues 25: The beginning of God statue in China 3


仏像を巡って 25: 中国の神像の始まり 3




< 1. the soldier figures in the mausoleum of the first Qin Emperor in the 3rd century B.C.  >
< 1. 兵馬俑、秦の始皇帝陵墓、前3世紀   >

This time, we keep track of a change of human statues from prehistoric age to about the first century A.D.
Various feelings were included in these human statues.

今回は、先史時代から漢の時代(紀元前後)までの人物表現の変遷を追います。
これら人物表現には様々な想いが込められていました。

About the soldier figures in the mausoleum of the first Qin Emperor
The statue A of Fig. 1 that is one of 8000 statues became an epoch-making expression of the human statue in Chinese history.
The appearance of these statues is different each, it is very realistic and these heights are 1.8-2 m.
The burial goods (statue M of fig. 6) in the Imperial mausoleum of subsequent Han dynasty had many numbers, but looked inferior in small size.
But after that, many very expressive human statues started to be made.

Before that, human statues had been buried to grave of a lord, but it was rare and was very simple.
In the earlier years, humans and cattle were killed and buried.


秦の兵馬俑について
図1のA像は中国史上、人物像の画期となった兵馬俑8000体(武士像)の一つです。
この塑像群は、一体一体が風貌を異にし、身長は1.8~2mもあり、非常に写実的です。
これに続く漢王朝の陵墓の副葬品(図6のM像)は、数こそ多いが小型で見劣りするものでした。
しかし、後に表情豊かな人物像が作られるようになった。

これ以前も人物像が主君の墳墓に埋葬されたことがあったが、稀であり、簡素なものでした。
さらに古くは人間や家畜が殺されて殉葬されていました。


Let us keep track of a change of human statues

人物表現の変遷をたどります




< 2.  the map indicating the excavation site of these fig. >
< 2.図像の出土位置を示す地図  >




< 3.  the earliest type of human images >
< 3. 最初期の人物表現 >
Fig. B: a bowl made of painted pottery of about 4500 B.C.
A fish image with a human head drawn inside it means a hope of descendant prosperity that is based on fish laying a lot of eggs.

Fig. C:  a human statue made of stone with a height of 8.6 cm in about 4500 B.C.
This is a burial good, and seems to be Sherman by the clothes and the style, and had been sewed on a clothing of a religious leader.

Fig. D: a nude statue in 4000-3000 B.C.
This clay figure is suggestive of Venus.
This type made of stone was excavated here from about 6000 B.C., and was the earliest nude statue in China.

B:人面魚文彩陶盆、仰韶文化半坡遺跡、紀元前4500年頃。
人面魚文は魚がたくさん卵を生むことにあやかって子孫繁栄を願って描かれた。

C:玉人、玉製、高さ8.6cm、安徽省含山県凌家灘遺跡、紀元前3500年頃。
これは副葬品で、シャーマンを想わせる服装と姿勢をしており、宗教指導者の衣類に縫い付けられていたらしい。

D:裸婦像、紅山文化、紀元前4000~3000年頃。
これは氷河期のビーナス像を連想させる妊婦の土偶です。
この地域で、紀元前6000年頃から石製の裸婦像が出土しており、中国では最初期のものです。




< 4.  three figures of stone or bronze >
< 4. 玉と青銅器の図像 >
Fig. E: a ritual implement made of stone in about 3100 B.C.
This was a bracelet of priest at first, and after that, came to play a central role in rituals as implement.
Some animal heads have been engraved on the surface.
In animal heads of the lower side, the eyes and mouth are very clear.

図E:玉琮、玉製、良渚文化、紀元前3100年頃。
玉琮は初め司祭の腕輪だったが、祭祀の置物として中心的役割を果たすようになった。
その表面に神人獣面文が施されている。
下段の獣面は目と口が明瞭です。

Fig. F:  a bronze ware in 1300-1050 B.C.
This bronze ware had been for boiling, but was for rituals and a burial good of the upper class.
Such animal heads often were engraved on this type of wares.
Its figure consists of a central nose, symmetrical big eyes, ears like nail expanding outward, great horns bending overhead, and a greatly below opened mouth.
It seems to have been a charm against evil.

Fig. G:  a bronze ware originally used for serving wine of 1300-1050 B.C.
Dragons and animals are engraved on the surface of the tiger figure, and it is holding a human being.
In those days, the people thought that the power of animals was necessary for the contact between people and sky, ground, and divine spirit.

図F:劉鼎、青銅器。殷後期(紀元前1300~1050年頃)。
この器は煮炊き用だが、これら青銅器は祭祀用であり上層階級の副葬品でした。
この手の器には獣面文がよく描かれている。
それは真ん中に鼻、左右対象に大きな眼、外側に広がり爪状になった耳、頭上に大きく曲がった角、下には大きく開いた口からなる。
これは魔除けの意味があったと考えられる。

図G:食人虎卣、青銅器。殷後期。
これは祭器用の酒器で、虎の表面には龍や獣面文が描かれ、人間を抱えている。
当時、人々は天と地、神霊や死霊との交流には動物の力が必要だと考えたようだ。



< 5. statues made of bonze in 2000-1000 B.C. >
< 5. 三星堆遺跡の青銅像、四川省、紀元前2000~1000年 >
There were not such human statures, mask and head in other cultures of the same era.
The face was strongly emphasized such as these eyes, ears and mouth.
The people buried these figures in the underground for worshipping ancestor God.

Fig. H: a shaman statue with a height 1.8 m.

この遺跡の人頭像や仮面、立人像は、同時期の夏と殷の文化には無いものです。
その人面は目や耳、口などが非常にデフォルメされており、仮面では目が棒状で飛び出したものもある。
人々は祖先神を祀る為にこのような像や仮面を造り地中に埋めた。

図H: シャーマン像、人像高1.8m、祭祀と関係した特徴的な手をしている。



< 6.  two statues with wing and a clay dolls  >
< 6. 羽人と俑  >
Fig. K:  the statue with wing made of wood has been buried in a grave of 4th century B.C.
The statue stands on a bird on a beast.
The upper body is a naked human, the mouth is a bill, and the lower body is a bird.
These statues with wing showed mountain hermit in old books.

Fig. L:  a statue with wing made of bronze of from 202 B.C. to 8 century A.D.

Fig. M:  a woman statue made of painted pottery in the 2nd century B.C.
This is one of the things that were buried in large quantities in the mausoleum of a Han emperor.

K: 羽人、木製漆仕上げ、湖北省荊州市、戦国時代の楚の墓、紀元前4世紀。
羽人は獣形の台座の鳥の上に立っている。
上半身は裸の人間だが、口は嘴で、下半身は鳥の姿をしている。
羽人は戦国時代の神話と地誌の書「山海経」に書かれており、仙人を示した。

L: 羽人、青銅製、陕西省西安出土、前漢時代(前202~後8年)。

M: 彩色女俑、高さ63cm、漢陽陵考古陳列館蔵、前漢時代(前2世紀)。
これは漢の皇帝の陵墓に大量に陪葬されていたものの一つ。

Development of human statue
In ancient times, people emphasized the superior characteristic that people were in awe of animal at, and made the statues.
The statues like human had been buried almost always.
This was for using after the death of their load, and for respecting an ancestral spirits.

The most important thing is the people did not express the object of their belief as realistic human image, even as people probably had the arts of realistic expression in those days.

On the next times, we look at the forerunner of god statue.



人物像の発展
古くは、動物の優れた特徴や畏敬の対象を強調して像を作った。
人間らしい像の多くは埋葬されていたもので、主君の死後に役立つ為か、祖先の霊を敬う為に造ったようです。

重要なことは、当時、人々はおそらく写実的な表現力を持ちながら、信仰の対象を写実的な人間として表現していないことです。

次回は、神像の前触れについて見ます。