Saturday, January 3, 2015

何か変ですよ 37: 新年に想う 1



私は去年、大いに失望したが、今、失望から何かを掴んだように想う。
決意を新たにし、より良くするために少しでも役に立ちたいと思う。

失望したこと
予想通りであったとは言え、戦後の体制が踏襲されることに国民が大いに賛意を示したこと。
また知性の要と目されていた朝日新聞が捏造の挙げ句、ドタバタ劇で終演したこと。

最初、私はこの二つに失望し無気力になったが、やっと日本と世界の姿が見えて来たように思う。

今回の出来事から見えてくるもの
現政権の是非はさて置いて、現政権が受容される背景に二つの潮流があり、それは益々大きくなりつつある。

一つは、先進国の経済政策が悪化の度合いを深め、かつ中毒症状を呈していることです
簡単に経済史を見ます。
20世紀になって、経済学者ケインズの説いた「需要を重視」の経済政策が、大恐慌から欧米諸国の景気を回復させた。
それは多くの国民の失業を減らし賃金上昇をもたらした。
やがて、先進国でスタグフレーション(不景気とインフレが同時進行)が吹き荒れるようになった。
経済学者フリードマンの唱えた「貨幣供給を重視」の金融政策が功を奏し、スタグフレーションは治まった。
しかし現在、世界経済はほぼ10年毎の金融危機(恐慌)に見舞われている。
問題は、より深みへと進む社会構造が出来上がっていることです。

それは端的にタイ通貨暴落やリーマンショック等に見られます。
恐慌が起こると、深刻な不景気と厚生予算削減のダブルパンチで貧しい人々は寿命を縮め、より貧しくなり、その家庭は再生不能に陥ります。
その一方、元凶である金融業界に対して、金融破壊を防止するとして大規模な国費が投じられます。
タイ通貨の暴落は1ヘッジファンド(ジョージ・ソロス)が仕掛け、巨額の利益を得た。
またリーマンショック時、米国では約80兆円の国費が投じられた。
これを繰り返すことにより貧富の差は拡大し、さらに集中する富が益々政治を動かし、より富は集中することになる(直接税減税など)。
これが多くの欧米諸国をじわじわと苦しめている元凶です。
このような貧富の差が拡大する悪循環は、形を変え歴史上幾度も繰り返されて来た。


更に日本固有の迷路から抜け出せない理由があります。
これには二つの理由があります。

戦後、日本は画期的な経済成長を成し遂げましたが、その後長期衰退に陥りました。
原因の一つは人口構成ですが他は構造的なもので、認めようとしませんが。
財政赤字、低経済成長、円高、非正規雇用増、これら指標はここ数十年悪化するだけでした。
これらは経済問題と言うより、経済や産業の不適応を温存し、恣意的な経済政策しか採れない政治の問題です。

今一つは、是正システムと選択肢がないことです。
欧米が大戦の反省から取り組んできた二大政党制強化を、遅まきながら日本も小選挙区制導入で目指したが未発達のままです。
これは日本が東アジア文化圏に属し、島国に起因した政治文化に起因している。
このことが適正な野党勢力の育成を困難にし、政治の惰性を修正出来ず、かつ選択肢を無くしてしまった。
こうして、不安で不透明な社会状況になると、国民は安易で強力なものにすがり易く、時には偏狭にもなる。
これは幾度も、日本が繰り返して来た道でした。

残念ながらこれらの潮流から逃れる具体策は見つからない。
唯一の良策は国民が見識を高めることかもしれない。


さらに今回、切実さを増した問題があります。
それは朝日新聞の記事捏造に関わります。
朝日新聞の従軍慰安婦や沖縄珊瑚、吉田調書の報道は他社の捏造・誤報記事と異なり、国民の心情を逆撫でするようです。
マスコミ報道において捏造や誤報は日常茶飯事ですが、多くはスクープ争いと視聴率稼ぎによるゴシップや「やらせ」の類で、一笑に付されている。

ここで少し日本の新聞史を振り返ります。
日本では明治維新後に新聞が多数刊行され、国民の啓蒙に有益であるとして政府もこれを後援した。
やがて自由民権運動が盛んになると、それまでの御用新聞より政府批判の新聞が勢力を増し、これにより日本は欧米に追いつくべく革新を推し進めた。
一方、政府は言論弾圧に乗り出し、その後、政府(御用新聞)と政府批判の論陣を張る新聞とのせめぎ合いが続くことになる。

日本が戦争に深入りしていく時、新聞はどのような役割を果たしたのだろうか?
多くの政府批判の新聞も始めこそ、他国への戦争介入に反対したが、一度戦争が始まり犠牲が拡大して行くと、特に終戦時の講和条件で政府の弱腰を非難するようになる。
これが政府の足枷となり次の紛争を招くことにも繋がった。

新聞業界の決定的な曲折(戦争反対から賛成)は、1930年代の軍事クーデターから始まった。
これは戦争に沸き立つ国民感情と軍部・政府・右派の徹底的な攻撃が大きいが、さらに空しい抵抗の末、記者達にも愛国心が芽生えて来たことによる。
また戦争記事は新聞の増発に大いに貢献した。
御用新聞は戦争に当然賛成であり、政府に徹底抗戦する新聞社は廃刊させられていった。
こうして新聞業界は軍事政権の戦争推進の一翼を担っていった。

ここで指摘すべきは、朝日の国政批判の態度です。
かつてそれが国民に有益であり人気を博したこともあったが、現在二つの問題がある。

捏造による国政批判は、露見後、信頼喪失と言う甚大な打撃を一社のみならず社会に与えることになる。
おそらく、この捏造が止まないのは朝日が官僚化し、それが出世へと結びつく構図が出来ており、日本特有の組織文化(内部批判や内部告発の不毛)が災いしているのだろう。
この問題を最も熟知しているのは朝日自身だろうから、率先して打破することを期待する。
御用新聞と異なり、政府批判の新聞は取材で大きなハインディーを負うが、耐えるしか生きる道はない。
望みうるなら、かつての米国や日本のように、マスコミが強権の不正を正すことに賛美を与え、支えるようになる国民でありたいものだが。

今一つは、欧米先進国のマスコミ、特に米国で顕著であるが、保守と革新のなじり合いが過激で、世論は疑心暗鬼になり、ムードやキャンペーンに流され易くなっている。
この状況にあって、朝日はいつまでも批判だけで生き延びることを考えてはならない。
願わくは、シンクタンクを要し、3万人のキャリヤ組に対抗出来る政策提言を盛り込んでいくべきである。

それが瓦版から始まった新聞が取材報道を経て、これから進むべき姿ではないだろうか。


次回は、私のブログの取り組みを書きます。


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