Wednesday, November 25, 2015

社会と情報 65: 戦った報道 22



< 1. 憂国の志でありファシズムを牽引した人々 >

今回は、軍部や右翼がなぜ大陸侵攻(満州)を目指したかを見ます。
この地は経済的にも重要だったのですが、それ以上に軍事的な狙いがありました。
この事を当時の軍部と右翼の思想などから探ります。

何がくすぶっていたのか
1931年に満州事変が起こり、国内で1932年の血盟団事件と五・一五事件が発生した。
前者は中堅の将校が国防と自給圏確立を目指した国防方針の刷新だった。
後者2件は国内の窮状を憂い、右翼と急進派青年将校が共同して政府要人を暗殺し、政治の刷新をもくろんだ
1936年の二・二六事件で軍部独裁に拍車がかかり、1937年の日中戦争へと進み、戦争に歯止めがかからなくなった。
これを契機に日本はファシズム一色となって世界大戦へと突き進んだ。



< 2. 北一輝 >

この国内事件の理論的支柱となった北一輝の「日本改造法案大綱」(1919年)は何を目指していたのか。
彼は3年間の憲法停止、戒厳令施行、軍人中心の改造内閣を目指し、政策としては特権的官僚閥・軍閥の追放、労働者の企業経営参加、限度以上の私有財産の国有化などをうたった。
さらに植民地朝鮮や台湾の分離を認めず、「持たざる国」日本は「持てる国」大国に対して戦争によって日本の領土とすることを当然の権利とした。
彼は武力使用について共産主義革命に倣って正当化したが、実施には天皇の大権に頼った。

このファシズムの経典は、社会主義と資本主義、帝国主義の折衷案に見える。



< 3. 「世界最終戦論」を著した石原莞爾 >

一方のファシズムの旗頭、関東軍参謀として満州事変を牽引した石原莞爾は何を目指していたのか。
これを1928年「我が国防方針」、1929年「関東軍満蒙領有計画」から見る。
世界は最終戦争に向かい対米戦争で決着する、その為には満蒙から始め全中国を領有し、この資源をもってすれば20年、30年は戦争を続けられる。
またソ連の脅威を食い止めるべく防衛ラインを北上させる必要がある(海軍とは異なる)。

この方策は当時の陸軍の中堅エリートがほぼ共有するものだった。
すでに1920年代より日本の国防方針は最大の仮想敵国をそれまでのソ連から米国に替え、弱体化している中国を手始めにアジア全土を掌中に収めてこそ勝機があると考えていた。
この時点では軍上層部と文民の指導者は米国との戦争を望んでおらず、米国は強硬な態度に出ないと踏んでいた。
この軍事戦略の一環としての満蒙侵略で、国民の窮状打開は二の次であり、宣伝文句だった。

ここに当時の情勢判断の甘さが出ているのだが、火付け役の軍事の天才と言われた石原は、後に中国侵攻や対米戦争に強く反対することになり、一時左遷されることになった。
如何にも情報収集や戦略が稚拙だったように思えるが、その真相はもっと根深く、実につまらないものだった。

次回、政府や軍部の首脳が当初から抱いていた大陸領有と中国の状況を検討します。


参考文献
「日本を滅ぼした国防方針」黒野耐著、文芸春秋刊、p23、26.
「中国文明史」エーバーハルト著、筑摩書房刊、p319~333。
「近代国際経済要覧」宮崎編、東京大学出版会刊、p116.
「集英社版日本の歴史19」
「集英社版日本の歴史20」p19~59。
「図説日中戦争」河出書房新社刊。
「アジア太平洋経済圏史1500―2000」川勝平太編、藤原書店刊、p145~164。
「Wikipedia」<石原莞爾><日本改造法案大綱>
「世界大百科事典」<石原莞爾><日本改造法案大綱>



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