Tuesday, May 26, 2020

徳島の海岸と漁村を巡って 5: がんばれ日和佐





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今回は、美波町日和佐地区を紹介します。
ここには薬王寺と海亀産卵の大浜海岸があります。
幾度も来た所ですが、懐かしさよりも驚きが勝ちました。


 
< 2.散策ルート、上が北 >

上: 日和佐地区の全景
S: 散策の開始点と終着点、A: 日和佐城、 B: 薬王寺
下: 散策ルート
黄色線が恵比寿浜からのドライブルート、赤線が散策ルート、ピンク線が宍喰へのドライブルートです。
S: 散策の開始点と終着点
A: ㈱あわえ、地方創世で活躍する企業、散策中偶然知りました。
B: 観音寺
C: 美波町役場、御陣屋(郡代)跡 
D: 弘法寺
E: 八幡神社
F: 日和佐漁協
G: 日和佐城
H: 大浜海岸


 
< 3. 大浜海岸 >

防波堤のS辺りからの眺め。
右手から左手への眺めを、上から順に並べた。

上: 日和佐川の河口で、漁港への入り口でもあります。
中: 遠方左手に恵比寿浜と恵比寿洞
下: 大浜海岸、海亀が5~8月にかけて夜、産卵に上陸します。




 
< 4. 日和佐漁港 >

昼1時を過ぎていたこともあり、ほとんど人影はありませんでした。


 
< 5.町に入ります >

上: 海側から内陸側を望む。
中央に白い津波の避難タワーが見えます。

下: 特段、漁師町を感じさせるものはありません。


 
< 6. 古風な家屋がありました >

下: 大きな家がありました。
全景は次の写真です。


 
< 7. 廻船業で財を成した屋敷 >

上: ここは江戸末期より廻船業で成功を収めた「谷屋(たんにゃ)」です。
その繁栄ぶりは子供たちの遊び唄になったほどで、門構えは立派です。
現在改装中で入れませんでした。

下: 多くの家は改装が進んでいますが、写真のように昔の雰囲気を残す工夫が見られます。


 
< 8.古い銭湯  >

上: 銭湯の建物
私が、この趣のある建物で足を止め、石柱の「世間遺産・・・」に首をかしげていると、中から一人の男性が声を掛けてくれました。
呼ばれるままに中に入ると、そこは大正時代からの銭湯でした。

下: 事務所の内から表通りを見ている
中央に番台が見える。


 
< 9. ()あわえ >

実は、ここは銭湯の建物を保存しながら、ITソフトウェア開発と地方創生を行っている事務所でした。
上の写真の人物が案内してくれた社長です。
非常に気さくで、情熱を感じました。

彼を主人公に映画化されたのが、下の写真のポスターです。
味のある役者と日和佐の風景や暮らしが沢山出て来ます。
公開は2019年4月でした。

私は、これまで様々な国と日本の地方を訪れて、答えの見つからない問いを抱えていた。
北欧や中国では地方に行っても豊かさや発展を感じます。
北欧では、田舎は自然を生かした暮らしがあり、寂れている感じはなかった。
その一方、日本のほとんどの地方の町や村は活力を失い寂れています。
再生の術はないのかと・・・

この社長と言葉を交わす内に、日本にも可能性があると勇気づけられました。
詳しくは、後述します。


 
< 10. 美波町役場 >

明治が始まる60年前から明治に至るまで、ここに"御陣屋"(郡代所)
が設けられていました。
今は美波町役場です。

上: 役場前の史跡の説明板

下: 津波避難場所の看板
この町も、津波が襲って来ればひとたまりもありません。
この町の中で、避難出来る避難タワーは、先程の物とこれから紹介する物の二つで、後は数カ所の数階建てのビルだけです。
他は、裏の山に登るしかありません。

ここでも厳しい現実を見せられました。


 
< 11. 観音寺 >

上: 観音寺
ここは三十三観音霊場の第八番です。 
徳島海部郡をドライブしたり散策していると、海岸沿いの険しい道程、お遍路さんの路になっていました。

下: 広い道から狭い路に入ると石垣(塀)が所々に見られました。
道幅が狭く、漁師町の風情を残しています。

通る所が悪いのか、東由岐で見た「ミセ造り」などの漁師の民家を見ることはなかった。
どこかに残っているはずなのですが。



 
< 12.弘法寺 >

上: 弘法寺
江戸末期、日和佐の行者「栄寿法印」が評判を呼びました。
彼は荒行の末に数々の奇跡を行い、小松島では化け物を退治したそうです。

この寺は明治に入って信者によって建てられた。
石像は栄寿法印かもしれません。
この前の路は、かつて水路で船が入って来たそうです。

下: 山側(北側)の広い通り
東側を見ている。
通りの左奥に見える木々は八幡神社の境内のものです。


 
< 13. 日和佐八幡神社 >

上: 町民グランドの端に避難タワーが見えます。

下: 日和佐八幡神社
広い境内の周囲にだんじりの格納庫がたくさんありました。
10月中旬、布団だんじりが出て秋祭りが盛大に行われる。
この海岸側にウミガメ博物館があり、トイレもあります。


 
< 14. 大浜海岸に沿う通りより >

上: 遠方中央に、薬王寺が見える。

下: 防波堤の先端より、日和佐の町を望む。
一周し終わりました。

次の訪問地、宍喰を目指しドライブします。


 
< 15. 厄除け橋より >

地図のピンク線の橋の上から日和佐川の河口を眺める。
右手の小高い丘の上に日和佐城が見える。
翌日、またここを訪れます。


* ()あわえと地方創世 *

この美波町(由岐、恵比寿、日和佐も含む)は5年間で10%ほどの人口減が続き、65歳以上が占める高齢化率は日本の平均37%を上回り51%です。
また一人当たりの市町村民所得は182万円で、徳島県の最下位で、トップ阿南市の半分に過ぎません。

町を歩いても、見かけるのは高齢者が多く、家屋の新築も少ない。
漁師に声を掛けても、減り続ける漁獲量への嘆きが聞こえ、実際、漁獲量は減る一方です。

なぜ日本は、こうも地方の衰退が当たり前のように進むのか?
高齢化? 成長しない経済? それと生活スタイル?
前者二つは国の無策に起因しているが、後者はそれだけとは言えない。

例えば、クロアチアや北欧の海岸を行くと、豊かな自然が残る海岸に別荘が並び、港は漁船でなくレジャーボートで埋め尽くされていた。
スウェーデンでは、職住の地を郊外に求めるブームが起きているらしい。
それは物価が高く自然に乏しい都会を避け、仕事が終われば自然を愉しむことできる地を人々が求めているからです。

世界的には大都市への人口集中は穏やかになる傾向にあるが、日本だけはまだ続いている。

ところが、「あわえ」の社長の話を聞き、調べてみると、美波町に明かるい兆しが見える。

彼は、この地で生まれ、東京でセキュリティソフトの開発販売を手がけるようになった。
そして新たなワークスタイルの実現と人材採用の強化を目的に2012年この地にサテライトオフィスを開設し、現在はここを本社としている。
現在、地方と都市、自治体と企業を結び付けることにより、地域の活性化を目指している。

その一方、彼は漁船を所有し海釣りを楽しんでいる。
まさに職住一体で、自然との暮らしを楽しみながらリモートワークを行っている。

実績としては、ここ数年で19社のサテライト・オフィスをこの町に誘致し、全国1位を誇る。
日本全国の自治体100とも提携しアドバイスを行っている。

実は、美波町は2013年に転入者が上昇に転じ、翌年には転出者を上回った。
この町は大都市から2時間以上離れているにも拘らず、全国中でも好成績なのです。
当然、美波町も地域活性化に取り組んでいるお陰なのですが。

微かな動きかもしれないが、地域創生が一人の青年の想いから始まろうとしている。

つくづく、彼らの想いに答えられる政治が日本に興ることを願う。
そんな発見が得られた日和佐でした。


次回に続きます。



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