Saturday, April 14, 2018

岡山と広島を訪れました 6: 縮景園 1





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今日は広島最後の観光になった、素晴らしい庭園を紹介します。
絶賛です!
日本の景観が凝縮されています。


 縮景園について

この名称は林羅山が「海山をその地に縮め 風景をこの楼に集めた」の意で名付けたとも言われている。
2年後に築庭400年になる。
広島藩主浅野家の別邸として広島城から800m東の京橋川沿いに造られた。
当時の築山は今と違ってほとんど芝生で覆われていた(侵入者発見の為)。

江戸時代、広島の大火で多くが焼失した後に、京都の庭師により現在のような様々な橋、建物、小川が設けられ池泉回遊式庭園が完成した。
戦前、この庭は浅野家から広島県に寄贈された。

しかし、これがまた原爆によって完全に破壊され、戦後の復旧によって今があります。
この隣地にある広島県立美術館は、浅野家の私立美術館「観古館」の跡に拡幅されて建てられた。


私達が訪問した日は素晴らしい快晴で、朝一番9時に入園したので空気も冷たく爽やかな散策を楽しめた。
65才以上は入園料と美術館入場料が無料で、両方を楽しみました。
ちょうどこの日から夜桜の鑑賞会が始まるところで、庭の桜が咲き始めていました。



 
< 2. 庭園マップ、上が北 >

私は地図上の赤矢印の方向に歩いており、写真もほぼその順に並んでいます。
今回は、Sから始めMまでを紹介します。


東西300mほどの敷地に日本の美観を代表する小山、林、せせらぎ、池、さらにそれらを愉しむ茶室、望楼、橋が、またそれらが逆に景観となるように織り込まれている。

この庭園を歩いていて最も驚嘆したのは、数m進むに従って山、川、池の景観が千変万化することです。
それは庭園中央の池の北側に造られている、うねるように続く小山を歩いている時に最高潮になる。
私は機械設計者でしたが、当時の庭師がここまで三次元の造形を完璧に成し得たことに驚嘆しました。
この驚きを写真で再現出来ないのが残念です。

また庭の管理者が数多く働いておられ、実に丁寧な作業をしておられました。
是非とも皆さんも一度行かれることをお薦めします。





 
< 3.入り口 >


 
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< 5. 最大の茶室、清風館(せいふうかん) >


 
< 6. 中央の池、濯纓池(たくえいち) 1 >

下の写真: 跨虹橋(ここうきょう)。
中心的な橋で、花崗岩で出来ており数少ない戦前からの建造物です。
この日はアスリート風の西欧系の若者達で橋が埋め尽くされ、遂に渡らず仕舞いでした。


 
< 7. 中央の池、濯纓池(たくえいち) 2 >

 
< 8. 池の西側を行く >

上の写真: 右の望楼、超然居は小橋で渡る小島に建っています。
この辺りも楽しめます。

下の写真: パノラマ写真。


 

< 9. 梅林 >

上の写真: 梅林とその後ろに美術館。

下の写真: 北側の起伏のある小山に入る。

この辺りで、最初に築山の造形美を思い知らされることになった。


 
< 10. せせらぎ 1 >

 
< 11.せせらぎ 2 >

少し小山を登り降りするだけで、何処かから導水されたせせらぎが池に何条も流れるのが見られ、その趣がまたそれぞれ違います。



 
< 12. 茶室、明月亭 >

上の写真: 明月亭は北側の小山の頂上にある。

下の写真: その頂上から東側を望む。
右側は庭園側で、左側は京橋川の堤になる。


 
< 13. 様々な景観 >

このように木々に囲まれた入り江のような池や、植栽が異なる起伏に富んだ林が散策道に連なる。



 
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次回は、縮景園の後半です。




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