Thursday, February 1, 2018

フランスを巡って 58: 目次と感想






*1








旅行記の最後に目次と感想を記します。
この旅行で念願の南仏、アルザス地方、モンサンミッシェル、幾つかのゴシック大聖堂を訪れることが出来ました。
またフランスのお国柄を肌で感じ、また歴史が身近なものになりました。


旅行の概要
トラピックスのツアー「13日間のフランス夢の大周遊」
期間:2017年5月17日(水)~29日(月)

関空深夜発、ドバイ経由でニースに着き、旅行が始まりました。
フランスを9日間宿泊し、移動はすべて観光バスでした。
帰国は午後パリ発、ドバイ経由で関空に着きました。

ニースの朝だけ小雨になった以外はすべて快晴に恵まれ、最高の観光日和になりました。
一方で、最高気温が予想外の30℃近くにもなりました。


< 2. 旅行ルート >

数字は観光地を示し、観光はその順に進みました。
黒い数字は観光のみ、赤い数字は観光した宿泊地を示す。
赤字のTは宿泊だけのトゥールです。
茶色の線は観光バスでの移動を、赤線は航空路を示す。


* 目 次

 
*3

写真は記事の巻頭写真で、写真番号は記事の番号です。


1 はじめに
旅行の概要と各地の代表的な写真を紹介しました。

2 モンサンミッシェルの朝昼晩
モンサンミッシェル全景をほぼ一昼夜撮影しました。
陽に輝く雄姿、夕陽に浮かぶシルエット、朝霧に霞む遠景など。

3 セーヌ川クルーズ
休日のセーヌ川クルーズは夕陽と歓喜に包まれました。
両岸で憩う市民が手を振り、クルーズ船を温かく迎えてくれた。

4 古都ボーヌ
ワインと修道会創立で有名なブルゴーニュにある中世の古都ボーヌを尋ねました。
街と周辺の風景を紹介しました。

最も感動した上記2~4を最初に紹介しました。
次からは、訪問順に紹介しています。

5 鷲の巣村エズ
地中海を望む険しい山頂に鷲の巣村と呼ばれるエズがあります。
この要塞化した村は長い戦乱を生き延びる為でした。

6 小国モナコ
モナコは争いを経て、また小国として活路を見出さなければならなかった。
それが断崖絶壁の王宮であり、高級リゾート地への道でした。

7 旅行2日目のまとめ
ニース空港からエズとモナコ、そして宿泊地のニースまでの景色とフランス最初の食事を紹介しました。

8 大リゾート地のニース
ニースの海岸と旧市街で露店が並ぶサレヤ広場を紹介しました。



 
*4


9 ニースからエクス・アン・プロヴァンスまでの眺め
バスの車窓から見たブドウ畑とセザンヌが愛したサント・ヴィクトワール山を紹介しました。

10 古都エクス・アン・プロヴァンス
ここは陽光溢れる粋なプロヴァンスの古都、セザンヌの生誕の地であり晩年を過ごした地でもありました。

11 古都アルル
古代ローマの遺跡が残り、ゴッホが愛し傷つき去った古都アルルを紹介しました。
ローヌ川の突風を遮るための糸杉がゴッホの思いを彷彿とさせます。

12 要塞都市アヴィニョン 1
巨大な宮殿が聳える中世の宗教都市は巨大でした。
衰え始めていたはずなのに、教皇の権力がまだ絶大だったことに驚いた。

13 要塞都市アヴィニョン 2
アヴィニョン旧市街と市場の自由散策を紹介しました。


 
*5


14 ポン・デュ・ガールの水道橋
山間の川に架かる巨大なロ―マ時代の水道橋を訪れました。
この近くの山に氷河期の人類最古の洞窟壁画(ショーヴェ)がありましたが、行くことは出来ませんでした。

15 ポン・デュ・ガールからリヨンへ
ローヌ川沿いの平野を眺めながらリヨンに向かいました。

16 大都市リヨン 2
フランス第2の都市リヨンの大聖堂とその展望台、そして旧市街を紹介しました。

17 大都市リヨン 3
新市街のベルクール広場と、その後の自由散策、夕食を食べたレストランの光景を紹介しました。

18 リヨンからボーヌまでの景色
リヨンからボーヌまでの車窓からの景色を紹介しました。

19 中世の施療院オテル・デュ
ボーヌ旧市街にある中世の施療院オテル・デュを紹介しました。
医術史に関心がある方には特に興味深いものがあるでしょう。


 
*6

20 ボーヌからストラスブールまで
共にワインで有名なブルゴーニュからアルザスの風景を車窓から眺めました。

21 ストラスブール 夕刻と朝に
夕刻のストラスブール旧市街と朝のホテル周辺を紹介しました。
この地を訪れるのは長年の夢で、その上二泊も出来て大満足でした。

22 ストラスブール旧市街1
朝、いよいよ待ちに待った旧市街、プチットフランスと大聖堂を観光しました。
この都市は交易で栄え、活版印刷誕生の地になった。
この豊かな都市民の熱意が数百年をかけて大聖堂を作り続けた。
一方で周辺の貧しい農民の不満が宗教改革の起爆剤となった。

23 ストラスブール旧市街2
主に大聖堂の雄姿と内部を紹介します。

24 可愛い町、コルマール
川縁に並ぶ木骨組み家屋が、まるで中世の御伽の国に迷い込んだような感じにさせる町でした。

25 「ブドウ畑の真珠」と呼ばれるリクヴィル
ここはワイン畑の丘陵地にある小さな村、アルザスワインのワイナリーでも有名な所です。
実は、かつてこの村は城壁で囲まれた要塞でした。


 
*7

26 ストラスブール最後の夜
ストラスブールの最後の日、夕方から自由散策を始めました。
ホテル近くの大型スパー、川沿いの旧市街、夕食のレストランでのハプニングを紹介しました。

27 アルザスに想う
アルザスの風景を紹介しながら、この地が大国の狭間で如何に戦火に見舞われ続けたかを紹介しました。
そして今、人々は何も無かったように平和に暮らしています。

28 ストラスブールからランスへ
フランスの東北部、ロレーヌ地方からシャンパーニュ―地方の景色を紹介しました。
この地はフランスの源流、フランク王国誕生期の中心に位置し、このことが後にジャンヌ・ダルクを生み、ランス大聖堂の名声へと繋がった。

29 ランスの大聖堂 1
大聖堂を取り囲む町の景観を紹介しました。

30 ランスの大聖堂 2
大聖堂の外周を一周し雄姿を紹介しました。

31 ランスの大聖堂 3
大聖堂の内部を紹介しました。



 
*8

32 サン・レミ聖堂
同じランスにあるロマネスク様式で建てられたサン・レミ聖堂を紹介しました。

33 ランスからパリへ
ランスからイルドフランスの景色、パリとホテルから見た夕陽を紹介しました。
パリには3泊するのですが、この日はモンサンミッシェルに行くために途中一泊した。

34 パリからモンサンミッシェルへ
モンサンミッシェルがあるノルマンディー地方の景観を紹介しました。
バスで走行した午前中は曇りだったこともあり、物悲しい雰囲気が漂っていた。

35 モンサンミッシェル 1
対岸のホテルからモンサンミッシェル入口近くまでの景色を紹介しました。

36 モンサンミッシェル 2
歩いたモンサンミッシェルの城壁を紹介しました。
巨大さに圧倒されました。

37 モンサンミッシェル 3
城内のメインストリートとその先にある修道院までを紹介しました。


 
*9

38 モンサンミッシェル 4
巨大で打ち捨てられた修道院の中を紹介しました。

39 モンサンミッシェル 5
修道院を出て外周を廻り、村の暮らしを感じさせる裏道を下りました。

40 モンサンミッシェルからロワールへ
王侯貴族が愛したロワール地方までの景色を紹介しました。

41 シュノンソー城 1
女性城主達が住み続けた優美な城の外観と庭園を紹介しました。

42 シュノンソー城 2
城内を紹介しました。

43 シャンポール城に向かう
ロワール地方のもう一つのシャンポール城に向かい、ロワール川沿いを走りました。



 
*10

44 シャンボール城
こちらは巨大で複雑な形をした城で、庭園と言うか森が巨大でした。
外観を見るだけでした。

45 トゥールへ
宿泊と夕食の為にトゥールに向かいました。

46 シャルトルへ
ロワール渓谷からイル・ド・フランスの大穀倉地帯の景観を紹介しました。

47 シャルトル 1
シャルトルの町と初期ゴシック建築のシャルトル大聖堂の外観を紹介しました。

48 シャルトル大聖堂の内部
シャルトル大聖堂の内部、特にステンドグラスが美しかった。

49 ベルサイユ宮殿へ
シャルトルからベルサイユ宮殿の入口までの景色を紹介しました。



 
*11

50 ベルサイユ宮殿
ベルサイユ宮殿の内部を紹介しました。

51 前衛都市ラ・デファンスに泊まって
パリの宿泊地ラ・デファンスの2日間を紹介しました。
近代的なビル、広場での交流、大型スパーを紹介しました。

52 ルーブル美術館
車窓からのパリとルーブル美術館の代表的な美術品を紹介しました。
ルーブル美術館は三度目の訪問になり、ミロのヴィーナスは京都も含めて思い出深い対面となりました。

53 パリ散策 1
5回に分けて地下鉄で巡ったパリの下町を紹介しました。
この回は、アンファン・ルージュの市場が主になります。

54 パリ散策2
パリ誕生期を偲ばせるサン・ジェルマン・デ・プレ教会の紹介でした。

55 パリ散策3
大学の街カルチエ・ラタンからシテ島までの散策を紹介しました。
アラブ世界研究所からの眺めが良かった。


 
*12


56 パリ散策4
パリ最古の通りで、様々な飲食店が並ぶ庶民のムフタール通りを紹介しました。

57 パリ散策5
ムフタール通りの人々との触れ合い、地下鉄の風景を紹介しました。

これで目次は終了です。


*フランスを旅して思うこと
海外旅行は高揚の連続です。
旅では好奇心が旺盛になり、建築や景観を見て、文化や人に触れ、多くのことを学ぶことが出来ます。
そして旅行前に抱いていた疑問の多くに、それなりの答えが得られます。
中には、より深い疑問が生まれることもありますが、これも励みになります。
また以前から抱いてたイメージの多くは覆され、多くは好印象を得ることになる。
今回もそんな連続でした。


南仏に始まり、アルザス、ノルマンディー、パリは長年の戦火に見舞われた来た。
印象派の画家達が好んだ太陽と緑豊かな地中海沿いの南欧、ライン川沿いに開けたワイン畑が広がる丘陵地のアルザスは幾度も戦火をくぐり抜けた。
アルザスは第二次世界大戦まで争いが続いていた。
この間、南仏とアルザスでは国や領主が頻繁に変わった。
そして今は言葉や文化が混じり合い、かつての憎しみは消えており、観光客が訪れる平和な地域となった。

私はこのアルザスの歴史に「戦争と平和」の答えがあるように思えた。
残念ながら、今回の旅行では納得のいく答えを得ることが出来なかった。
しかし、一つの確信を持つことが出来た。
それは隣国同士が融和策を主導すればアルザス、ストラスブールのように安寧と平和が訪れるのだと!


ノルマンディー(フランス北西部)の屋根瓦や家の作りに他のフランス地域との違いがあり、かつてヴァイキングがここに住み着いたことを連想させる。
また、パリは幾度もヴァイキングの侵略を受けていた。
フランスを建国したフランク人も、植民し攻撃したヴァイキングも元をただせば同じゲルマン人だ。
また英仏戦争を戦い続けた英国もゲルマン人(アングロサクソン)とヴァイキングの作った国だ。
そして、今は英仏で異なった国造りを行い、フランスでは両者は溶け込んでいるように見える。

ヨーロッパの歴史は、日本から見れば民族の衝突が繰り替えされた悲愴なものに思える。
その一方、この民族や宗教の違いを乗り越え、仲良く暮らす工夫が成功している唯一の地域だろう。

今回、ゴシック建築の歴史を身近に感じることが出来た。
シャルトルでゴシック建築が生まれたのは、フランスの初代王朝がパリを首都にしたことに起因しているいたことを実感できた。


一番の収穫は、多くの楽しくて温かいフランス人に接したことでした。
セーヌ川クルーズでの歓迎、様々場面でカメラを向けた時に返してくれる笑顔が忘れられない。
中には機嫌を悪くする人もいたが。

エクス・アン・プロヴァンスで飛び入りした昼食レストランでの親近感溢れるウエイター、リヨンの地下鉄で道を教えてくれた移民家族の親切な青年、日本から予約していたストラスブールのレストランでのハプニング、ムフタール通りの魚屋のユーモア溢れる青年、プラス・モンジュの公園で会った喜びを隠さない女性、ラ・デファンス広場の親子の親しみ易さなど、良い思い出が多い。

様々な地で、キャンピングカーや自然が残る河畔で余暇を楽しむ家族の多いのに驚いた。
人生の楽しみ方が日本と異なり、羨ましく思った。

大都市では肌の色が異なる多くの人々が仲良く暮らし、結婚もしていることに感銘を受けた。
移民を受け入れることは分裂や社会の停滞を生み出す恐れがあると不安もあったが、むしろこれを乗り越えているフランスを力強く思えた。

こうして多くのことを体験し学び、フランスと旅行に感謝し旅行記を終えます。
長きにわたりお読み頂きありがとうございました。





No comments:

Post a Comment