Wednesday, March 29, 2017

海外旅行のすすめ 2: 初めてのヨーロッパ 1






< 1.当時の飛行機 >


私は33年前に初めてヨーロッパを訪れました。
この時、私はヨーロッパの街並みに感動し、異文化と接することに興奮しました。
当時の感動と興奮を紹介します。



 

< 2. 旅行の地図 >

上の図: この時、私達はルフトハンザ機に乗って伊丹空港から成田、そしてアンカレッジ経由でフランクフルト空港に辿り着き、やっとヨーロッパに入った。
しかし、すぐさまコペンハーゲンまで飛び、ここでヨーロッパの1泊目となりました。

下の図: ヨ-ロッパ内の移動経路。
1=フランクフルト。 2=コペンハーゲン。 3=ストックホルム。 4=ガブル。 5=ニュールンベルグ。 
この番号順に移動し、番号2から1までの順で宿泊した。
黒線は空路、茶色は鉄道、橙色はバスです。


旅行の概要
これはヨーロッパの優良企業を視察する研修旅行でした。
参加者は多くが中小企業の人で約40名になりました。
期間は、1984年11月18日から8日間でした。
訪問したのはドイツ、デンマーク、スウェーデンの計6社でした。

観光する暇もなく、飛行機とバスで移動を繰り返しました。
しかし、得たものは非常に多かった。
実際に工場を見学し、さらに現地の人と話を出来たことが良かった。
ホテルでの体験やバス移動時の車窓の風景は強く印象に残りました。

一番は、当時、疑問に思っていた日本と西欧の違いについて、私なりの答えが得られたことでした。
そして海外旅行が私の最大の楽しみになったことです。

残念ながら、この旅行の写真が残っていませんので、イメージとして借用した写真を使いますのでご了承ください。



 
< 3.ストックホルムからガブルへ >


旅の思い出
この旅で最も印象深い景色はストックホルムからガブルに行く途中のバスからの景色でした。
ストックホルムを北上して3時間ほど走って港町ガブルに着いた時は、既に真っ暗でした。

ガブルに近づくに連れて一面の収穫後のジャガイモ畑から、遠くに非常に背の高い杉の森が現れ始め、やがて一面が雪に覆われる景色へと変わっていきました。
陽が暮れた森の所々に、1軒の尖がり屋根がちらほら見えるようになりました。
暗い森を背景に、雪を被った家の窓から暖かい光がこぼれ、白い雪が少し赤みを帯びていました。

正に、幼い頃に夢見たサンタクロースの世界がそこにはありました。



ホテルでの経験
最初に泊まったのがデンマークの首都コペンハーゲンの中心部のホテルでした。
当時のホテルはシェラトン-コペンハーゲン・ホテルでしたが、今回調べてみると、外観は当時のままですが、スキャンディック・ホテルに変わっていました。

到着が遅かったので、食事して寝るだけになりました。
それでも私にとっては、ヨーロッパ最初のホテルでした。
一番、印象に残ったのはフロント係りの女性の美しさでした。
未だに、私はヨーロッパ各地の人種(ゲルマン、スラブなど)の見分けが定かではないのですが、これは北欧女性の美しさと思いました。



 
< 4. 北欧のホテル >

上左の写真: コペンハーゲンのスキャンディック・ホテル。
上右の写真: 当時のガブルのグランド・セントラル・ホテル。
私達が泊まったこのホテルは2005年に焼失し、現在はスキャンディックCHのホテルに変わっています。

下の写真: グランド・セントラル・ホテルの当時のレストランらしい。


私はこの旅行で幾つかのカルチャーショックを受けたのですが、このグランド・セントラル・ホテルの経験はインパクトのあるものでした。

このホテルは駅前に建つ非常に立派な建物で、大理石がふんだんに使われており、驚いたものです。
三人で写真のような地下のレストランに行き夕食を食べた時のことです。
このレストランは半地下で、上部の小さな窓から月明りが微かに差し込んでいました。
実に趣がありました。

最初の経験を紹介します。

一つ料理を注文したら、出てくるのに30分はかかりました。
2回目も3回目も、同じように時間がかかり、私はいらいらしていました。
私は食事に普通15分以上はかけていませんでしたので。

しかし周りを見ると、現地の様々なカップルが談笑しながら、時間をかけて楽しんでいました。
テーブルの仲間と話し合い、これは料理を作るのが遅いのではなく、歓談の間合いを考えての給仕だという結論に達しました。
この時、大いに私は自分のせっかちに反省したものでした。
日本に帰ってからも半年ぐらいは、食事をゆっくり食べるようにしたものですが、すぐ元に戻ってしまいました。
去年のクルーズの食事でも、始めは1時間半ぐらいかけていたのですが、途中から、時間がもったいなくなり、ブッフェに通うにようになった。

この夕食の後、さらに恥ずかしい経験をしました。
私達同行メンバーはほとんど男性でしたが、夕食後、大挙してこの地下のダンスホールに乗り込もうとしたのです。
ダンスホールでは沢山の西欧人が社交ダンスを踊っていました。

一人では行けないのですが、皆で酒の勢いで突入しました。
ところがボーイが私達を制止し、入れてくれないのです。
誰かが「ここは男女のカップルでないと入場出来ないぞ!」と言い、皆、急に酔いが醒めて引き下がりました。

今、思い起こすと、ロシアからバルト三国の旅行で出くわした集団の中国人観光客
の振る舞いに閉口したもですが、昔の私達もよく似たものだったのかもしれません。

こうして3泊目の夜は更けて行きました。


次回に続きます。









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