Tuesday, December 1, 2015

社会と情報 69: 戦った報道 26 最後に




< 1. 明治時代の新聞売り >

これまで、明治から昭和初期まで、日本の報道が激動の社会とどう関わったかを見ました。
あれほど活躍した報道がいとも簡単に国民を裏切ったこと、またその背景も見てきました。
今日はこのテーマの最後で、まとめになります。

この連載の概要
「戦った報道 1~6」: 明治維新から太平洋戦争までの道のりと報道の役割を概観した。
「戦った報道 7~11」: 具体的に、1920~1930年代の新聞の活躍と転向を追いました。
「戦った報道 12~26」: なぜ新聞が転向したかを、軍事大国化、財政・経済、人々の暮らし、軍事戦略、政治、ファシズムの観点から見ました。
各記事を見るにはカタゴリーかテーマ、ラベルで「社会と情報」を選択するのが便利です(YAHOOはなし)。


    

新聞が転向した理由のまとめ
既に見たように日本はファシズム化し、軍のもとに一丸となって戦争へと進んだ。
このファシズム化は社会を沸騰させ、その過程で起きたのが報道への弾圧であり、新聞の転向でした。
これは、鍋料理を火に掛け、具がぐつぐつと煮えたことに例えられる。
「具が出来たから、鍋は出来た」と言えるが、「具のせいで、スープが熱くなった」とは言わない(具が新聞、スープと火は・・)。

ファシズム化は人類社会の根にあって、民族紛争を悪化させ、社会が戦争に向かう時、今も起こり続けています。
これは、暴力に頼る集団興奮状態で、悪化した社会状況とある組織文化を持った社会におき易い。

戦争は、例えばベトナム戦争のように、いくつものステップを踏み誤り、ついには引き戻せなくなって起きる。
これには数多くの大統領が関わっているが、その発端はトルーマン・ドクトリン(1947年)にあり、その後、徐々に抜け出せなくなり1960年に戦闘が始まった。注釈1.

今まで見てきた戦前の社会変化を「戦争の甘い罠」にかかった状態と言えます。
これは私の連載「戦争の誤謬」「私達の戦争」などで詳しく説明しています。
ある社会が一度戦争で味を占めると、社会の主要な要素(国民感情や経済、軍隊など)が戦争を常態化させる力として働くようになります。
残念ながら、多くの社会は敗戦で徹底的に叩かれるまで気づかないことが多い。
稀に、大失敗しても気づかない社会もあれば、その途中で、その罠から脱する社会もあります。


    


どう理解すれば良いのだろうか
残念ながら、歴史を辿り、日本が戦争に向かう道筋を理解したとしても、あなたの心は晴れないでしょう。
かつて朝日新聞の幹部が、「我々が道を踏み誤ったのは、1918年の米騒動の折、白虹事件で政府に折れた」ことだったかもしれないと記していた(弾圧の初期)。
確かに、新聞が何処で踏みとどまれば良かったのか、また本当にそのようなことが出来たかは難題です。

今、私はファシズム化と太平洋戦争への道を振り返り、あの事件、あの法案、あの人物の誤断がなければ、また公の場で誤りを指摘した人が幾人かでもいたのだから、国民の意識が高ければ防げたのではないかと思うことがある。
しかし、それすら過去の選択や予期せぬ出来事の積み重ね、さらには社会や文化の成熟度により、選択の余地がなかったようにも思える。

例えば、昭和恐慌を手際良く収めた高橋蔵相が次いで行った通貨膨張策によって際限のない軍事費膨張が起きたと批難されることがある。
彼はこれを防ごうとして、軍部の恨みを買い二・二六事件において銃弾に倒れた。
彼が通過膨張策を採用しなかったら軍部の独走が起こらなかったと思うこともあるが、彼は天才が故に誰よりも早く行っただけで、所詮、誰かが似たことを行っただろう。



< 4.言論弾圧 >

私達は何を学ぶべきか

新聞の転向に限れば、一番の罪は当時の朝日と毎日新聞にあっただろう。
なぜならこの両新聞が最大の影響力を持ち、反権力代表としてデモクラシーをリードして来たのだから。

しかし我々がこの過ちを繰り返さない為には、数々の言論弾圧を推し進めた政府・議会、それを国民が看過した誤りに気がつかないといけない。
政府による報道支配は、世界中、ファシズムや戦争開始時には必ず起きているのだから。
かつて米国の上院議員が言った「戦争が起こった時、最初の犠牲者は真実である」と・・・
注釈2.

結局、一人ひとりが事の正否、ここでは社会が悪化する要因を知って常日頃からその事を注視するしかありません。

今まで見てきた戦前の社会悪化(ファシズム化)の要因をいくつか挙げます。
項目が左から右にいくほどより深い要因を示しています。

拡大した貧富の差< 逆累進性の苛酷な税(低い所得税)< 膨大な軍事費、工業優先、普通選挙未完。

社会運動弾圧< 治安維持法、不敬罪、憲兵の司法警察権 < 未熟な人権意識が労働運動弾圧に繋がった。
(欧米は20世紀初めに累進課税と労働権擁護を行っていたので、1920年代、労働運動を敵視することがなかった)

言論支配< 検閲、新聞紙条例、軍の情報支配 < 「言論の自由」「公正な報道」の価値認めず。
(島国日本にとって軍部が国内と海外の情報を牛耳ったことは致命傷だった)

腐敗政治< 利権争いと汚職の藩閥政治から金権体質の政党政治へと続いただけだった < 未熟な民主主義、低い政治意識(金や地縁で決まる投票行動)。

軍部の専横< 貧弱な国家戦略、軍の身内に甘い処分、陸軍と海軍の反目、統帥権による文民統制欠如 < 縄張り根性(日本の組織文化)、憲法不備(天皇の大権)と拡大解釈。

これらの要因を当時、取り除くことが出来れば大事に至らなかったかもしれない。
しかし、今も遅れたままの法意識と政治意識の現状で当時どれだけのことが出来ただろうか。

また、これら要因やファシズムについて異なる意見もあります。
中には、人々に心地良い簡単明瞭な答えが準備されています。
残念ながら、これら答えや歴史認識には歪曲され、都合良く解釈され、党利党略で歪められたものがあります。
これらの正否を確認するには、合理的な疑いを持ち、自ら日本の歴史や社会を知る努力が必要です。

結局、行き着く先は、我々が社会の真実を歪められることなく知るにはどうすれば良いか、その為には何が重要かを理解することです。
それがこの連載「社会と情報」のテーマでもあります。


ここで問題です



< 5. NHK受信契約者数と新聞部数の推移 >
凡例: 黄線は満州事変を示しています。
解説: 日本のラジオ放送は国営の放送局が1925年から始めました。
この放送局の初代総裁は後藤新平で、彼は台湾総督府長官、満鉄総裁などを歴任した植民地経営者であり、右翼を使った新聞社妨害の噂もあり、正力が読売を買収する際に多額の資金援助もしていました。

当時、そのような国のラジオ局が放送を始め、人気が出てくると既存の反権力新聞と御用新聞にはどのような影響が出ると思われますか。
ファシズム化が進んでいる状況で、どちらが危機的状況になり、どちらに追い風が吹くでしょうか?
そのことにより何が起きたかは、現実の証拠を挙げなくても、多くは察しが付くはずです。
このように、いくつかの証拠を合理的に疑うことで、真実が見えて来るはずはずです。


今回で、「戦った報道」シリーズを終え、一端休息の後、また別のテーマで始めるつもりです。
皆さま、長らくお読み頂き頂いたことを心から感謝します。


注釈1: 「戦争の誤謬7,8:ベトナム戦争1,2」「社会と情報8~11:**」にてベトナム戦争を説明しています。

注釈2: これは米国が第一次世界大戦の参戦を決めた時に、米国のグラハム上院議員が発言した。










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