Tuesday, August 25, 2015

社会と情報 50: 戦った報道 7


    

今日から、1920年代と1930年代にかけて報道が活躍した様子を見ます。
数回に分けて、主に新聞社と記者達の動きを追います。


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参考図書
「戦争とジャーナリズム」茶本繁正著、三一書房、1984年刊。
著者:1929年生まれ、「主婦と生活社」退職後評論活動。

「帝国主義と民本主義」武田晴人著、集英社、1992年刊、日本の歴史全21巻の一冊。
著者:1949年生まれ、東京大学教授。

この連載の既述の多くは両著作から引用しますが、要約するために短縮し編集しています。


大正時代のはじまり
「これからの日本の乱れ!」
これは足尾銅山鉱毒事件に一生を費やし戦った田中正造が永眠する時の言葉でした。

この前年の大正元年(1912年)、朝日新聞の石川啄木は詩を書いていた。
「はてしなき議論の後の/ 冷めたるココアの一さじをすすりて/ そのうす苦き舌触りに/ われは知る、テロリストの/ かなしき、かなしき心を。」
この詩は多くの社会運動家が処刑された大逆事件(1910年)を歌ったものです。

明治時代は、日清・日露戦争と韓国併合によって大陸進出を果たし、天皇崩御で終わりを告げた。
国の財政は戦費の返済で悪化していたが、大陸進出の立役者である軍には勢いがあった。
軍は内閣に更なる軍拡(2個派遣師団の増設)を訴え、聞き入れられないと見るや天皇を巻き込んで(統帥権干犯)、内閣の解散を引き起こし抵抗した。

「頑強なる陸軍の要求は、口に国防の本義をうんぬんするも、実は海軍との競争、さらには閥族の権勢維持に努めんとするものにして、国家の財政を考慮せず、国民の善悪を眼中におかざる無謀の行い」
東京日日新聞はこのように指弾し世論を背景にして軍部攻撃を展開した。

「(今回の政変は)・・、男女学生より素町人、土百姓、馬丁車夫に至るまで、湯屋髪結床にて噂の種になり、元老会議の不始末に対しては、裏店井戸端会議に上り、炊婦小間使いまでがひそかに罵り合う次第にて、近来珍しき政治思想の変化普及を実現いたし、万一新聞社が教唆の態度に出れば焼き討ち事件の再燃もあることをご高察下さい」
これは大阪毎日の社長が逓信省大臣に宛てた親書で、当時の国民感情と一触即発の様子を伝えている。

1913年1月、新聞記者約400名が全国記者大会を開き「憲法擁護・閥族掃討」の宣言を発した。
こうして天皇周辺(公家、侍従)と明治維新の元勲(薩長閥)の軍人らが政治を私物化していると、国民と新聞が一緒になり攻撃し大正政変が起こった。



< 3. 桂太郎弾劾演説 >

その年の2月、衆院本会議で内閣弾劾決議案が上程されたおり、議員の尾崎行雄が演説を行った。
「彼らは玉座をもって胸壁となし、詔勅(天皇の公務文書)をもって弾丸に代えて、政敵を倒さんとするものではないか」
桂首相(長州軍人で元侍従長)も軍部も天皇を利用し、政治的決着を図っていた。



< 4. 議事堂に押し寄せる民衆 >

その5日後、議会は数万の民衆に包囲され、これを排除しようとする警官隊と衝突し、流血の惨事が発生した。

大阪毎日はこれを報じた。
「騎馬巡査は群衆のなかに躍り込み、罪の無い良民を馬蹄に踏みにじった。・・都新聞社付近にて一大接戦となり、一巡査は抜刀したのでこれを一大学生が奪い取って非立憲だと大喝する。群衆はソレやっつけろと数カ所で巡査を包囲し、・・・」
激昂した大衆は、御用新聞「国民」「都」・・「報知」「読売」を襲った。

後に朝日の記者が語っている。
「群衆の一人が国民新聞の大看板を引きずりおろそうとしたので、副社長が抜刀で飛び出し斬りつける。・・。社長徳富蘇峰の車夫が副社長危うしとみてピストルを撃ち、群衆の一人が死ぬ。」

大阪毎日はこう報じた。
「報知新聞襲撃を終えた群衆は、すぐその前の東京日日新聞社前に赴き万歳を唱えた」



< 5. 当時の政党を揶揄した風刺画、桂屋は桂内閣を指す >

この間の事情は石川啄木が前年に書いた日記からわかる。
「万朝報(新聞)によると、市民は交通の不便を忍んでストライキに同情している。それが徳富蘇峰の国民(新聞)では、市民が皆ストライキの暴状に憤慨していることになっている。小さいことながら、私は面白いと思った。国民が団結すれば勝ということ、多数は力なりということを知っているのは、オオルド・ニッポンの目からは、無論危険極まることと見えるに違いない」

この焼き討ち事件のとき、新聞は桂派と憲政擁護派に分かれて対立した。
憲政擁護派は新聞と政党が組み、全国記者大会に結集した新聞「万朝報」「時事」「朝日」「東京日日」「東京毎日」などであった。

こうして翌日、権謀術策でならした桂内閣は崩壊し、新聞と民衆が初めて倒した内閣であった。
また御用新聞は読者を失い、「読売」は経営的に追い込まれ、主筆が社を去った。


次回に続きます。









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