Thursday, January 18, 2018

フランスを巡って 54: パリ散策2





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今日はサン・ジェルマン・デ・プレ教会を紹介します。
この教会はパリに現存する最古の教会でロマネスク建築です。
このセーヌ川左岸の教会でパリの始まりを偲ぶことが出来るはずです。





< 2. 散策の地図 >

上の地図: 乗り継いだ地下鉄と散策の場所を示します。上が北。
今日紹介するのは黒字No.2の青枠です。

中央の地図: おそらく6世紀頃のパリ。上が北。
フランク王国の最初の王朝(メロヴィング朝)が506年にパリを始めて首都にした。
セーヌ河の中州のシテ島に王宮が見え、ノートルダム大聖堂が後に出来ることになる。
赤い矢印がおそらくサン・ジェルマン・デ・プレ教会だと思います(地図の表記は異なりますが)。

下の地図: おそらく10世紀頃のパリ。左側が北。
シテ島を中心に左岸(地図右側)と右岸が城壁に囲まれ、町が拡大発展している。
この城壁は幾度も拡張され、19世紀に造られた城壁が現在のパリを囲むようになった。
赤い矢印がおそらくサン・ジェルマン・デ・プレ教会だと思います(表記は不明)。





< 3. 地下鉄駅 >

上の写真: サン・ポール駅から地下鉄を乗り継ぎ、サン・ジェルマン・デ・プレ駅を目指す。

下の写真: 途中、地下鉄を乗り換えたシャトレ駅。






< 4. 車内にて >

上の写真: 地下鉄の車内でカメラを向けると笑顔を返してくれた人。
今回のフランス旅行では、街角の人々のさりげない表情を撮りたいと思い、至る所でカメラを向けました。
中には嫌悪感を示す若い男性の視線に躊躇することはあったが、圧倒的に多くは笑顔で対応してくれ、ポーズを取る男性も居た。
フランス人の気さくさに惹かれました。

下の写真: サン・ジェルマン・デ・プレ教会の全景。




< 5. サン・ジェルマン・デ・プレ教会外観 >

この教会は王都パリの最初期の歴史を物語る。

古くは、パリにはケルト人が住んいたが、紀元前後にローマ人に支配された。
当時は、シテ島と左岸に小さな集落があっただけだった。
その後、東方の異民族の侵略などにより荒廃した。
やがて勢力を拡大して来たフランク王国の初代王朝(メロヴィング朝)のクローヴィス王が506年にパリを首都にした。

542年、この王の子(キルデべルト王)がスペイン遠征の際、サラゴサで殉教した聖人の遺物を持ち帰った。
パリ司教サン・ジェルマンはこれを納めるためにこの教会を建築した。
この王はここに埋葬され、この教会は初代王朝の霊廟となった。

その後、フランク王国の分裂、バイキングの度重なる襲撃を経て、パリは王都から一地方都市になっていた。
987年、ユーグ・カペーはフランスの初代国王(カペー朝)に選ばれ、パリを首都にした。

この頃から12世紀にかけてパリは帝国の首都、学術と教会の拠点として発展していった。
政治と宗教生活の拠点であったシテ島では1163年、ノートルダム大聖堂の建設が始まった。
左岸(セーヌ川の南側)は教会が運営する様々な学校が置かれた学術の中心であり、後に大学の町へと発展した。
逆に対岸の右岸(セーヌ川の北側)は商業と経済の中心として発展していった。

こうして、1136年頃にパリ北端のサン=ドニ大聖堂ゴシック建築で改造され、ゴシック建築がフランスで開花し、ヨーロッパに広がった








< 6. サン・ジェルマン・デ・プレ教会 1>

教会は修復工事中で観光客も少なかった。
教会内は暗く、ロマネスクらしい重厚で質素な趣がある。
この教会はロマネスク建築だが、後にゴシック様式で改造されている。




< 7. サン・ジェルマン・デ・プレ教会 2 >

右下の写真: パリ司教サン・ジェルマンの像と礼拝堂。
彼がこの教会を建て、鐘楼の下に眠っている。





< 8. サン・ジェルマン・デ・プレ教会 3 >

今は小さな教会だが、かつて8世紀と17世紀は大規模な修道院で隆盛を極めたが、フランス革命で多くを焼失した。




< 9. サン・ジェルマン・デ・プレ教会前の交差点 >

上の写真: 右奥がレンヌ通りで南側を望む。
下の写真: サン・ジェルマン大通りの西側を望む。






< 10. 地下鉄駅 2 >

上の写真: 路線が異なるのでオデオン駅まで歩き乗車。
マピヨン駅が近かったが、迷ってしまって次の駅まで行った。

下の写真: クリュニー・ラ・ソルボンヌ駅で降車。
ここから大学街を歩き、アラブ世界研究所に向かう。


次回紹介します。



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