Sunday, February 14, 2016

クロアチア・スロベニアを巡って 28: 古代ローマの宮殿スプリット 2



< 1.鐘楼からの眺め >


今日は、ディオクレティアヌス宮殿跡を観光します。
2015年9月4日に訪れました。




< 2.青銅の門と宮殿の地下 >
上の写真: 海に面した「青銅の門」(南の門)。
他の二枚の写真: ディオクレティアヌス皇帝の私邸の地下部分。



< 3.宮殿の中庭 >
上の写真: 宮殿の中央部にある中庭です。
私達は今、中央の建物の地下を通って来ました。

中央の写真: このスフインクス像は中庭の奥左側にあります。
これは皇帝がエジプト遠征で持ち帰ったものです。

下の写真: この鐘楼は、皇帝の霊廟跡に建てられた大聖堂の鐘楼です。
大聖堂は8世紀、鐘楼は16世紀に完成している。



< 4. 鐘楼 >

私にとって、これがスプリット観光で最も印象深いものでした。




< 5.鐘楼からの眺め >
下の写真: 東側を見ている。
ここは人口20万の都市です。



< 6. 前庭 >
上の写真: 鐘楼が覗いています。
ここは皇帝の私邸の前庭で中庭に続いており、この下が先ほどの地下部分です。
このコーラスは、クロアチアの伝統音楽クラパです。
素朴で素敵な男性合唱で、私はCDを買いました。
私の録画ではありませんが、どうぞ楽しんでください。
https://www.youtube.com/watch?v=ae0gQ78lBTE



< 7.宮殿と民家 >
上の写真: 鐘楼と八角形の大聖堂が見える。
手前にあるのは、宮殿跡で暮らしている人々の住居です。

下の写真: 金の門(北の門)。
もっとも古い形が残っているようです。


ディオクレティアヌス皇帝と宮殿
彼は3世紀、この地方(ダルマチアのサロナ)で生まれたローマの軍人皇帝です、
彼はローマ帝国を2分割し、キリスト教徒を迫害したことで知られている。
彼は自ら引退し、生まれ故郷に近いこの地に宮殿を造り、余生を過ごした。

7世紀になるとスラブ人が侵入し、この地方は破壊され、離散した一部の人が廃墟になったこの宮殿内に暮らすようになった。
その後、至るところ民家に改造されていった。
一部復興はされているが、全体としては雑然とした不思議な空間になっている。
したがって世界遺産にはなっていない。



< 8. 銀の門と青空市場 >
上の写真: 銀の門(東の門)の外側に広がる露天。

下右側の写真: 宮殿外の東側にある青空市場。
観光客と地元の人で賑わっていた。




< 9. 広場 >
宮殿内の広場。


次回に続きます。





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