Sunday, September 13, 2026

迫る多難な危機  第一章 第二章

 


「一時の自己満足の為に人類を破滅させては、神も悲しむだろう」

 

 

まえがき

 現在、深刻な危機が同時多発的に地球と人類に迫っています。特に、この20年あまり、一部の大国が身勝手に振舞って来たことでより加速しています。今、私達が立ち上がらないと、子孫に顔向け出来なくなる。家族と世界を再び幸福にしましょう。Make the world and people happy again!

 

 第一章では、世界に迫っている危機を簡単に紹介します。

 第二章では、人類がこれまでに危機に対してどう対処して来たかを紹介します。 

対処出来ない時期の方が長かったが、やっと国が、遂には世界が対処出来るようになって来た。

 第三章では、我々が直面している重大危機を説明します

残念ながら、ここ半世紀、特に21世紀になってから、世界は危機を回避する力を無くしつつあり、むしろ危機を加速させている

 第四章では、世界が危機回避能力を失った主因である米国の衰退と混乱を採り上げます。

トランプ政権の乱脈ぶりがこのまま続くと、米国だけでなく世界が大きな災厄に見舞われます。

トランプ現象は米国特有の要因もあるが、本質は新自由主義経済の行き過ぎにあります。

この問題を、解決しない限り、他の国、特に日本も遅かれ早かれ、混乱に見舞われる。

 第五章では、このレポートの結論です。

独裁の阻止、世界大戦の防止の為に我々は何をすべきかを問います。

 第六章では、参考に、北欧の政治社会状況を説明し、資本主義の道が一つで無いことを示します。

 

--- 目次  ---

1章 様々な危機

 

1.戦争と紛争が増えている

2.独裁が増えている

3.経済格差が酷くなっている

4.金融危機は必ず起きる

5.マネーが世界を巡り、逃げている

6.温暖化が暮らしと生命を脅かしている

7.AI産業革命が始まった

8.分断と対立が益々深刻になっている

9.世界が対立し分裂し始めている

10.最重要課題:米国の衰退が限界に達しつつある

 

第2章 人類は危機にどう対処したのか?

 

2-1 繰り返される紛争と戦争       

   紛争や戦争を終結させた事例

   紛争や戦争を未然に防ぐ試み

 まとめ

2-2 繰り返される独裁           

   独裁から民主主義を取り戻した例

  まとめ

3-3 繰り返される経済格差の拡大と縮小   

   歴史上、重要な格差是正策

  まとめ

2-4 繰り返される金融危機・恐慌      

2-5 金融危機を招いた悪辣なマネー     

   金融危機対応から見える金融経済の問題

  まとめ

2-6 繰り返される環境破壊と気候変動  

  環境を守った事例

  まとめ

2-7 幾多のエポックが社会を変え、発展をもたらした     

    まとめ           

2-8 分断と対立を非暴力で乗り越えた社会があった  

2-9 国家は対立・分裂し、また融和・統合を繰り返してきた 

 

第3章 我々が直面している危機

 3-1 進む独裁  プーチン       

    プーチンが大統領になった経緯から彼の恐ろしさが見える

     順調なロシア経済がプーチンに味方している

 3-2 ウクライナ戦争  

   まとめ        

 3-3 現在の経済格差、最悪になった米国と大幅に改善された世界

  米国を見ます            

  それでは世界全体はどうなったのか? 

  まとめ

 3-4 これから起きる金融危機に備えて

  金融危機のからくり

  それでは現在はバブルなのか? 

 3-5 荒稼ぎし逃げ回るマネー

  ここ10年間で荒稼ぎする横暴なマネー

  横暴なマネーは逃げ回る 

  まとめ

3-6 地球温暖化を防止しなければ    

  温暖化を実感させる5つの事実

  温暖化の原因が温室効果ガス排出である5つの証拠

  温暖化が進んだ場合の10の重大被害

  人類が取るべき対策

  まとめ

3-7 ITAIがもたらす新たな産業革命  

   簡単な歴史                

  IT革命が与えた影響

  グローバル化とIT革命が労働に与えた影響、米国について

  まとめ

   AI革命の社会・経済への影響              

   AIの本質的に恐ろしい側面

  まとめ

3-8 分断と対立の深みに喘ぐ世界  

     まとめ

3-9 世界は協力しなくなった  

    何が世界で起きているのか?

 

 

第4章 緊急に対処しなければならない危機

-1 米国で起きている悲惨な状況

 経済的な状況

 社会的な状況

  富裕層は一般市民に恩恵をもたらすか

 著しい所得格差がもたらしたもの

4-2 なぜこのようなことが起きてしまったのか

 経済的な側面

 国民はなぜ悲惨な状況を改善できないのか?

 目くらまし戦術1

 目くらまし戦術2

 宗教と道徳について

 米国の宗教と共和党の合体

 真実はどうして葬られたのか 1

 真実はどうして葬られたのか 2

 すがり続けた夢の果てに

 基本的な考え方

4-3 手強い相手

 破綻は不意に必ず訪れる

 歴史は繰り返す

 テクノリバタリアン(テクノファシズム)

 様々な経済理論

 

第5章 放置すれば最大の危機、どう対峙すべきか

 5-1 米国は独裁国家に向かう

 5-2 世界は戦争に向かう

  5-3 我々は如何にすべきか

 

第6章 参考

 6-1北欧に学ぶ

     * 北欧の素晴らしさ

     * 労働市場での施策とシステム

  

 

 

1章 様々な危機

 放置すれば国民だけでなく地球全体に波及する危機を10件選んで、要点を述べます。これ以外にもパンデミック、天然資源枯渇等、甚大な被害をもたらす危機がありますが、もっとも喫緊の課題である一方、世界が一丸となって解決しなければならない危機を選んだ。

 

1. 戦争と紛争が増えている

 各大陸で紛争とテロが多発し増加傾向にある。現在世界で200近い紛争が起きてている。さらに、ここ数年、相次いで大国が隣国を侵略するようになった。ロシアがウクライナ、イスラエルがパレスチナ、米国がイランに甚大な損害を与えている。

 これらを放置すれば、世界大戦へと拡大する可能性がある。ヒトラーの初期の侵攻を許したがゆえに大戦が始まった。侵略を放置し、大国の横暴を許せば、次の侵攻を誘発することになる。中国の台湾侵攻が現実味を帯びてくる。第二次世界大戦で、戦争当時国の犠牲者は人口の3~17%でした。核兵器が使われれば、計り知れない。

 

2. 独裁が増えている


 20年ほど前から、世界は異様な熱気を帯びてきた。欧米先進国でポピュリズム、右翼政党が人気を博し、遂に独裁者が軍事大国を掌握するようになった。プーチン、習近平、金正恩が筆頭だが、多くの国で独裁化が進んでいる。長期の与党支配による議会独裁も増えている。既に世界の半数90ヵ国が独裁体制(半独裁)になった。米国も着実にトランプ独裁に向かっている。社会が混乱していると、容易に独裁が生まれ、第二次大戦と同様に世界大戦が簡単に起きる。腐敗と困窮が独裁をもたらすが、より悪化と戦争をもたらす。

  

3. 経済格差が酷くなっている

 現在の経済格差(貧富の差)には二つの側面がある。先進国内で、貧富の差が著しく拡大し続ける一方で、かつての発展途上国では国民所得が上昇し、先進国との差を縮めている。前者は行き過ぎた放任経済、後者はグローバル経済に起因している。

 最重要問題は、米国を筆頭に英国、日本等で加速する格差拡大と貧困率増大です。このことが欧米の社会混乱、分断、ポピュリズム台頭を招いた理由の一つであり、独裁を容認する社会を醸成している。これが世界に悪影響をまき散らしている。

 

4. 金融危機は必ず起きる

   これまで世界を揺るがした金融危機は、ほぼ米国発で繰り返し起きた。リーマンショック後、16年を経て、問題はいつ起きるかで、損害額はこれまでになく巨大になるだろう。バブル崩壊の時期を前もって予測できないが、民間債務がある限界を越えると起きている。そして今、民間債務は増え続けている。前回の危機では、世界の時価総額の約3000兆円が吹っ飛び、不良債権の処理費は300兆円以上にもなった。さらに、その後10年におよぶ景気後退による損失(機会)は、世界で数十から百兆ドル(最大1京6000兆円)にもなった。

  

5. マネーが世界を巡り、逃げている


 この写真はカリブ海に浮かぶ英領ヴァージン諸島で、タックスヘイブン(租税回避地)の代表格です。人口3万弱で世界からの登録企業は80万社以上。富裕層や企業が租税回避している世界の総額は2000~5000兆円に達する。欧米は、概ね企業と富裕層への累進課税を廃し、優遇策をとり、さらに租税回避を取り締まらないので、国の税収
は減るばかりです。また為替・商品・株への投機で巨額の資金が世界中を巡っている。投機家は、20倍を越える借金をし、為替取引で実需の百倍にもなる1500兆円を毎日動かし、日夜、利ザヤ稼ぎに奔走している。我々には見え難いが、影響は甚大です。

 

6. 温暖化が暮らしと生命を脅かしている



 世界中の多くの人が、今や地球温暖化を身近な脅威と感じるようになった。雪と氷が消え、台風の強度が増し、集中豪雨が増え、夏の気温が耐えがたいほど上昇している。海面上昇が既に幾つかの島に迫り、砂漠が増え、サンゴ礁が半減している。これにより陸海の食料生産が大規模に損壊され、水資源が枯渇し、大量の移住が迫られる。今後、世界の年間損害額は6000兆円になるとされている。

 我々が温暖化ガスの排出を今すぐ止めても、地球の上昇した気温を元に戻すことは出来ない。既に取返しの付かない状況に突入している。科学的事実を捻じ曲げ、環境破壊を続ける米国などの大国の身勝手を許してはいけない。

 

7. AI産業革命が始まった

 既にIT革命が進行し、次いでAI革命が始まった。ITAIが経済と社会に与える影響は計り知れない。単に経済・金融・産業を変革するに留まらず、社会に深く入り込み、遂には人間生活に多大な影響を与え、人間はそれから逃げることができないだろう。今の革命も2世紀前と同じ道を辿るかもしれない。初期に、労働者への圧迫と失業が起こり、次いで、国民が立ち上がることにより、国と世界にその成果が行きわたった。しかしその保証は無い。今度の相手は、企業家達だけでなく、人間を遥かにしのぐAIだからです。これを仕切れるのは、聡明で科学的思考が出来る大統領でなくてはならない。パンデミック時、米国の大統領がうまく制御できていれば約39万人の命を救えた。

 

 8. 分断と対立が益々深刻になっている

 宗教、移民、人種、同性愛者等よる対立が深まり、テロや紛争に繋がっている。移民排斥が、欧米の右翼ポピュリズムの主眼になっている。他の大陸では宗教、部族、民族の対立が深刻です。米国の分断は、移民・黒人への差別もあるが、社会経済政策で異なるリベラルと保守の対立に原理主義的な宗派が加わったことが大きい。半世紀前から、米国筆頭に、融和から対決姿勢に代わり、民主主義を否定するようになった。そして独裁が横行する世になってしまった。

 

9. 世界が対立し分裂し始めている

 この写真はオランダにある国際司法裁判所です。第二次世界大戦まで、戦争犯罪を裁く世界が認めた手段がなく、戦争終結後、戦勝国が恣意的行って来た。世界が協力し同意の下に、犯罪を認定できるようになったことは、一歩前進です。これは戦争犯罪への抑止策に繋がる。しかし、大国の都合で、これが破られている。

 世界は団結して紛争や戦争を抑止する一環として、これを育て発展させる必要がある。

 


10. 最重要課題:米国の衰退が限界に達しつつある

  米国では超富裕層が出現し、新規産業に勢いがある。多くの国民は日々淡々と暮らしてはいるが、徐々に夢を無くし、絶望が広がっている。ところが政治は、混乱し暴走している。これは半世紀に及ぶ自由放任と金融重視が、企業・富裕層優位と労働軽視を生み、これにより経済格差が拡大し固定化した。この人々の不満が政治家によって煽られ、社会は分断し、やがて独裁者が待望されるようになった。これが進むと、米国内がさらに悲惨な状況に陥るだけでなく、世界に甚大な危機を呼び込むことになる。

 

  これまで見て来た様々な危機、地球規模の危機を回避するには、世界が一致団結しなければならない。しかし、ここ20年ほど、米国を筆頭に世界も急速に分断され始めた。日本のように大国の横暴に尻尾を振るだけでは、破滅の手助けをしているようなものです。世界各国、国民が協働して、大国の横暴を拒否し、先ずは米国が正常な国家に再起出来るように手助けすべきです。逃げていては地球は最大の危機に見舞われるでしょう。かつて日本は米国に無謀にも挑んだことがあったが、当時の方が今よりもGDPの倍率は多かった(冗談ですが)。

 

 今も、惰性で夢を求めている人々が多数いる。しかし歴史を振り返ると、国が一度衰退し始めると再起不能になった栄枯盛衰の事例は事欠かない。さらに、急激な内部崩壊で破滅に向かう事例を多い。米国はその瀬戸際にある。見果てぬ夢と引き換えに、周囲で起きている現実の苦難に目をつぶらないでください。現在は、日本一国だけの問題ではなく、世界が同時進行的に衰退と危機に見舞われているのです。

 

 

 

第2章 人類は危機にどう対処したのか?

 

 地球上もっとも聡明なはずの人類だが、初期には自然の猛威だけでなく、自ら作り出した災厄からし逃げ出すしかなかったこともあった。一方で、危機を乗り越えて来た数々の成功談もある。歴史的な失敗や成功の事例を見ていきます。

 

-1 繰り返される紛争と戦争

 

 多くの戦争が繰り返されたが、いつまでも容易に始めてしまっている。そして深入りし、ほとんど手の打ちようが無いか、片方が完膚なきまでに負けるまで、戦争は続いた。二回の大戦、ベトナム戦争、プーチンのウクライナ侵攻、トランプのイラン侵攻等は、分かり易い例でしょう。上層部は失敗だと気づいていも、認めることを避け、勝つまで続けようとする。独裁者なら、なおさらで、自分の身に危険が及ばない限り、方針を変えない。振り返れば何と馬鹿げた理由で戦争が始められ、国民の犠牲と破壊が一顧だにされなかった事に気づく。古代ギリシャのペロポネソス戦争(BC431404年)も同様でした、アテネとスパルタの勢力争い(慢心したアテネに脅威を感じたスパルタ)で始まり、戦禍で疲弊したギリシャの諸都市国家は、この後、アレキサンダー大王の支配下に屈し、歴史の舞台から消えてしまう。一斉風靡した盟主アテネは民主主義国家だったことで知らていますが、ペロポネソス戦争当時、衆愚政治に見舞われていた。指揮官が無謀な遠征を試み大失敗するのですが、アテネ市民も好戦的になっていて、拍手喝采で指揮官を送り出し、誰も責任を感じることなく、深みに嵌っていった。今の米国に似ていませんか。私には、大国の驕りと、煽られた敵意が燃え盛り、見境が無くなっているように思えるのですが。人類の戦争とは、本来、デタラメなのかもしれない。先住民の部族・村同士の闘争は、些細な事で始まる場合がある。例えば、アマゾンのジャングルにおいて(百年以上前の話)、別の村人の狩猟の矢が間違って当たって一人死んだとする。すると死者の家族が、相手の村の誰かをこっそり一人殺害する。こうして復讐戦は拡大し、村人に多くの被害者が出るまで続くことがある。人類は、戦争の危機を、自ら招いてるように見える。指導者が自らの権威を高めたい時、国民が熱情(敵意や恐怖)に突き動されている時に多い。それは国が疲弊し焦る中で、まだ国力に驕りを感じている時に起きる。上記に挙げた古代ギリシャから今のプーチンやトランプの戦争に通じるている。

 

紛争や戦争を終結させた事例

 

 紀元前1259年カデシュの条約締結。シリア・パレスティナ地方の要衝カデシュをめぐる「カデシュの戦い」の終結後、エジプト新王国のファラオ、ラムセス2世と、ヒッタイト王ハットゥシリ3世の間で締結され、現存する世界最古の成文化された平和条約です。

 合意内容: お互いの領土を侵略しない。第三国から攻撃された場合、または国内で反乱が起きた場合は互いに軍隊を派遣して助け合う。自国から逃亡してきた政治犯や難民の身柄を互いに送還し、帰国後の処刑や処罰を免除する。

 こんな古い時代に、和平条約を結び戦争を終わらせ、さらに人道的扱いも配慮していた。

 

 1648年、ウェストファリア条約を締結。

 ヨーロッパで30年間続いた大規模な宗教・政治戦争である三十年戦争を終結させた講和条約です。世界最初の大規模な近代国際条約とされており、現在の国際社会の基本である「主権国家体制(ウェストファリア体制)」が作られるきっかけとなりました。三十年戦争は、宗教改革によりドイツ国内がくすぶり続けていた時、神聖ローマ皇帝がカソリックを強制したことにより、この戦争が勃発し、近隣のフランス、スウェーデンが参戦し、800万人以上の死者を出し終戦となった。この条約には、神聖ローマ帝国皇帝、フランス、スウェーデン、スペイン、オランダ、およびドイツの多数の諸侯(領邦国家)など、総計66国・地域の代表が参加しました。

 合意内容: 新教のカルヴァン派が公認され、個々の領主や都市が自領の宗教を自由に選ぶ権利が確定した。神聖ローマ帝国内の約300の諸侯が、独立国と同等の外交権や同盟締結権が認められ、これにより、敗戦国の神聖ローマ帝国はここに事実上崩壊した。それまで事実上の独立状態にあったオランダとスイスの独立が、国際条約によって正式に承認されました。この条約は、戦勝国側の一方的な略奪と敗戦国の屈服ではなく、「それぞれ対等な主権を持つ国家が、国境を定めて互いの内政に干渉しない」という現代の国際関係のルール(主権国家体制)を誕生させた。

 

 

1998北アイルランド和平合意(ベルファスト合意)を締結。イギリスとアイルランドの間、および北アイルランドの主要政党間で結ばれた北アイルランド問題に関する歴史的な和平合意です。1960年代後半から1998年まで続いた、イギリスから独立し、アイルランドとの統合を求めるカトリック系住民と、イギリスとの連合維持を望むプロテスタント系住民の対立による犠牲者3500人以上を出した凄惨な内戦・テロ紛争が、これで終結した。紛争の発端は数百年に及ぶ英国の植民地政策にあり、イギリスとそこから独立したアイルランドに挟まれ、イギリスのプロテスタント主流派に差別され続けたカソリック教徒が、互いに英国帰属とアイルランド統一で対立していた。

 解決策: 英国統治を望むプロテスタント系と、アイルランド統一を望むカトリック系の双方が議席に応じて自治政府のポストを分け合い、共同で統治するようにした。北アイルランドの地位(英国帰属か、アイルランドへの統一か)は、住民の多数派の合意(同意の原則)がない限り変更されないと定められました。北アイルランドの住民は、英国籍、アイルランド籍、あるいはその両方の国籍を選択・保持する権利が認められました。準軍事組織(IRAなど)の武装解除や、政治的背景を持つ囚人の早期釈放が進められました。こうして凄惨なテロが終息した。この合意の推進者はノーベル平和賞を受賞した。

 

 

紛争や戦争を未然に防ぐ試み

 

 1951年、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立。何度も凄惨な戦争を繰り返してきたフランスとドイツが、戦争の物理的基盤となる「石炭」と「鉄鋼」の管理を自国から超国家機関に委ねることで合意しました。経済的な相互依存を強制的に作り出すことで物理的に戦争を不可能にし、現在の欧州連合EUへと繋がる歴史的融和を実現しました。これは、かつてフランスが第一次世界大戦の戦争賠償としてドイツの資源地帯(ルール)を強硬に支配し、それがドイツの経済苦境と恨みを買い、第二次世界大戦を招いたことへの深い反省が生かされていた。武器の製造に不可欠な「石炭」と「鉄鋼」を共同管理することで、特定の国が秘密裏に軍備を増強し、再び戦争を起こすことを物理的に不可能にしようともした。このために、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国が参加し、高等機関(のちの欧州委員会)が設置されました。加盟国が自国の主権の一部を共通の機関に委ねるという、画期的な試みでした。敵対でもなく、相互監視でもなく、相互依存へと向かった。これが今のEUの母体とり、さらなる発展を遂げている。

 

 

1945年、国際司法裁判所(ICJ)設立。2002年、国際刑事裁判所(ICC)設立。共に世界が一致して「紛争の平和的解決」と「大量虐殺(ジェノサイド)を裁くことで抑止」を目指している。加盟国は前者193ヵ国、後者125ヵ国(米国、中国、ロシア、インド、イスラエルなどは非加盟)です。

 

 ICJは国家間の利害対立が武力紛争へと発展する前に、法の支配に基づいて客観的な裁定を下すための常設の国際司法機関です。領土や国境の画定、海洋権益を巡る対立、条約の解釈などにおいて、当事国同士が合意の上で裁判所に付託し、国際法に則って解決を図ります。武力ではなく法廷での決着を促すことで、戦争の火種を平和的に消火する役割を担っています。最も模範的な成功例としては、チャド対リビアによる領有権紛争(1994年)において、リビア軍は速やかに同地域から撤退し、武力紛争を法的手続きによって完全に終結させた事例です。また気候変動問題などにおいて「国家には対策を取る法的義務がある」といった重要な勧告的意見を出しています。

 

 ICCは大量虐殺や人道に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪などを犯した個人を訴追・処罰する、常設の国際刑事裁判所として設立された。実績としては、2012年、指導者トマス・ルバンガ(コンゴ民主共和国)が15歳未満の子どもを兵士として徴募・使用した罪で初の有罪判決(禁錮14年)を下しました。これは、少年兵問題を国際社会に強く印象付ける契機となりました。

  国連安全保障理事会によって特別設置された旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所が、ボスニア内戦(19921995年)で、8,000人以上のイスラム教徒系住民を虐殺したセルビア人勢力の司令官が終身刑が下され、収監先で死亡している。この内戦の虐殺に関わった161人が起訴され、90人に有罪判決が下された。「ジェノサイド罪」が初適用され、第二次世界大戦後のナチス・ドイツを裁いたニュルンベルク裁判以降、欧州で初めて「ジェノサイド」の罪が公式に適用・認定されました。セルビアも日本もそうですが、戦争犯罪と認定されても、中々受け入れず、むしろ英雄と称える国民感情がある。これらを無くす為にも、コツコツ積み上げていく必要がある。

 

 これらの動きは、国際法による刑事罰(被害者救済も)を下す人類史上初の試みです。これらが浸透することにより、紛争と虐殺への意識が高まり、抑止になるでしょう。しかし、これらには処罰の執行機関が無い為に、加盟国の協力無くしては実効性がないのです。今の米国のように、ICCの所長に制裁をかけたり、加盟しないことにより虐殺者の逮捕を拒否する事が起きています。まったく時代に逆行した愚行です。

 

まとめ

 国際連合、核兵器不拡散条約(NPT)とIAEAによる「査察体制」、「戦争を予防する平和維持ミッション」を担う国連予防展開部隊や国連平和維持活動(PKO)などの国際機関が機能しています。また様々な戦争予防の条約を結んでも来ました。全欧安全保障協力会議・ヘルシンキ体制、米ロによるミサイル削減交渉(20262月失効)などもあります。

 人類は紛争・戦争を繰り返して来ました。しかし、一方で紛争を終わらせ、予防する策を講じて来ました。敵対国・紛争当事国だけでなく、世界各国が自らの事として、紛争・戦争予防に協力するようになって来ている。一方で、大国の驕りとエゴで、この動きを牽制し、破壊を試みる例が後を絶たない。

 

 

 

 

2-2 繰り返される独裁

 

 人類は独裁と相性が良いのかもしれない。マケドニアのアレキサンダー大王、漢王朝の創始者劉邦、江戸幕府の家康、モンゴル帝国のフビライは、偉大な独裁者だから、広大な領土を統一し統治出来たのだろうか。しかしナチスのヒトラー、ジンバブエのムガベ前大統領、インドネシアのスハルト元大統領、シリアのアサド元大統領、チリのピノチェト元大統領の残忍さや悪辣さは如何にも独裁者らしい。

 ヒトラーは国民の熱狂にも支えられ既存政権の上層部を丸め込み、合法的にトップになった。ムガベは独立戦争を率いた指導者からトップになった。スハルトは独立後の軍最高司令官だったが、英米の要望と引き換えにクーデターによってトップになった。アサドは独裁者の後継者で、苦も無くトップになった。ピノチェトは、米国の意向に沿い、支援を受けてクーデターを成功させトップになった。 彼らの独裁への道はバラバラだが、一つ重要な事がある。それは合法であろうが、暴力であろうが、一度独裁を手に入れた後の政権維持が独裁の要だと言うことです。様々な王朝が、すぐ瓦解しているのはこれが拙いからです。存続の絶対要件は、独裁者が如何に彼を支える強固な同盟集団を繋ぎとめるかにかかっている。この同盟集団は多くの場合、暴力装置である秘密警察や軍隊のトップ連中です。繋ぎ止める為に、多額の資金が必要で、稀に権利(独占等)を与える場合もある。従って国民は税金を巻き上げられ、これが独裁者と同盟者に配分され、トップは裕福に、国民は貧乏に、社会は腐敗が蔓延する。ところが、民主主義国と独裁国がこれら独裁者に軍事援助と資金を提供するのです。米ソ対立の中で、両国は世界中に独裁者を育てて来た。米国の傀儡だった南ベトナムもその一つでした。

 実は独裁は国だけでなく、都市の議会や民間組織でも存在します。代表例はFIFAや国際オリンピック委員会で、さすがに暴力は聞かないが、腐敗と汚職まみれで、トップを支える同盟者らで、暴利を貪っている。民主主義を表面上保っている半独裁国は、与党の国会議員を手懐ける資金力が潤沢にある存続できるのです。つまり腐敗は不可欠です。

 漢王朝(前漢)や徳川幕府は独裁と言えるのでしょうか。それぞれの寿命は210年と264年で、唐王朝は289年でした。不思議に、この2千年の間、三つとも300年弱なのです。これは政権が経済や技術の発展に適応出来なくなったこともあるが、創始者の子孫と同盟集団の施政能力低下と腐敗が大きい。何世代も経ると、既得権益が蔓延り、経済は停滞し、貧富の差が拡大することになる。こうして反乱や内部分裂が起きて、滅びるのです。やはり独裁は国民にとって有難くない。

 この独裁システムは、人間世界に特有です。人間に最も近いチンパンジー社会はけっして独裁ではありません。群れを引っ張るアルファオスは腕力だけでなく、他のオスと連合を組んだり、メスらにも気を使っています。ただの乱暴者だったら、群れから弾き出されます。

 

 

独裁から民主主義を取り戻した例

 

フィリピン、アキノ  

 第二次世界大戦後、ゲリラ戦争が続いていたが、1965年より、反共を唱え、米国に支援された独裁者マルコスは政権を樹立し、20年もの間、フィリピンを私物化した。そして国民の不満は高まっていた。1983年、反マルコスの大統領候補アキノがマニラ国際空港に帰国した時に暗殺され、国民の反発が一気に高まった。86年、マルコスは大統領選で、暗殺されたアキノ氏の未亡人に勝利したが、この不正選挙を米国大統領が批判すると、マルコス支持派の勢いは、あっという間に衰えた。アキノ未亡人が民衆に抗議を呼び掛けると、通りに200万人以上の市民が集まり、軍幹部や有名政治家が辞任してデモに加わった。軍部は市民を制圧しなかった。この革命は「無血革命」として知られ、マルコス夫妻はハワイへ亡命し、独裁体制は終焉した。米国は、米軍基地を持っていたので、内乱が起きるのを懸念して行動に出たのでした。米国は72年から83年までに25億ドル(約4000億)の軍事・経済援助をしていた。亡命時のマルコス夫妻の総資産は、50~100億ドル(7500~1兆5000億円)だった。フィリピンの当時のGDPは約150億ドル(2兆円)程度だった。

 

 独裁者マルコスは米国に支援されて君臨したが、米国の支援が無くなると分かるとと、盟友の軍部と与党は一気に離れ、終焉を迎えた。さらに亡命が確保された事で、マルコスは徹底抗戦しなかった。しかし、死を恐れず立ち向かった人々がいてこそ、道が切り開かれた。

 

韓国

 1961年以降、軍人朴正煕(ぼく せいき)がクーデターにより権力を握り、独裁を行っていたが、79年、側近により暗殺された。80年、またしても軍人全斗煥(ぜん とかん)がクーデターによって大統領になり、民主化運動を弾圧した。この光州事件の死者は200名、別の発表では2000名以上とされている。87年になると、全斗煥政権下で、大規模な「6月民主抗争」(左写真)が発生した。これを受けて、88年、盧泰愚(ろ たいぐ)が国民の直接投票により大統領に選出され、本格的な民主化が始まった。97年、金大中が当選し、初の保守系と革新系の政権交代が実現し、2016年には、キャンドルデモにより朴槿恵(ぼく きんけい)大統領が退陣に追い込まれるなど、市民の力が民主主義を支える力として発揮されるようになった。

 韓国の民主化は1987年の「6月民主抗争」が転換点でした。この時、官憲による実力阻止が行われたにもかかわらず、全国33都市と4郡で少なくとも20万以上(主催者発表180万人)が平和大行進を敢行した。これは今までのバラバラだった抗議運動が、学生、野党から知識人、一般市民が加わるようになったからでした。また政権は、翌年のオリンピック開催を控え、強硬措置を執る事が困難であった。さらに政権の後ろ盾となっていた米国のレーガン大統領が全斗煥政権に戒厳令宣布に反対し、民主化を促進するよう促したことも、大きな影響を与えた。加えて政権の主要支持基盤の軍内部にも強硬措置に反対する意見が出ていた。こうした中、在野勢力と野党は、政権に、大統領の直接選挙制改憲等を要求し、大規模なデモの後、大統領は野党側の要求を受け入れ宣言を発表し、事態は急転換した。

 

 ここでも米国の支持態度の変化、軍部の離反がポイントになっているが、やはり国民の激しい怒り、改革への想いと集団による示威行為が重要だった。

 

 

バルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニア


 この三国は、悲運な歴史を背負わされて来た。18世紀からロシア帝国に支配されていたが、ロシア革命の後、1918年、三国はそれぞれ独立した。しかし第二次世界大戦が始まると、40年、再びソ連に占領され、4144年にはナチス・ドイツに支配され、44年以降、またソ連に占領された。

 

 1980年代後半、ソ連でペレストロイカが進展すると独立回復運動が高まり、1988年にはバルト三国でそれぞれ独立を目指す民主化運動体としての人民戦線が結成された。1990年、リトアニアは独立を一早く宣言し、1991年、首都ヴィリニュスで独立派がデモを敢行した。ソ連軍は戦車でこれを制圧し、14人の死者と数百人の負傷者が出た。この様子はメディアを通じて世界に伝えられ、世界の同情を集めた。この翌日、ソ連軍はラトビアの首都リガの占拠を開始した。これに対して数万の市民は車や廃材を持ち込み、旧市街の要所にバリケードを造り、非暴力で防衛した。この日、ロシア大統領エリツインがタリンを訪問し、エストニアの支持を表明した。すると、モスクワで10万人のデモが起こり、バルト三国への支持を訴えた。同年、残りのバルト諸国も独立を宣言した。

  バルト三国は稀に見る平和的な独立運動を行った。1987年まではソ連により大規模集会は禁止されており、その度に逮捕者が出ていたが、1988年以降は許可された。1988年、エストニアの首都タリンの音楽堂で、全エストニア人の4分の1以上に当たる30万人が参加し、独立の想いを大合唱し、4年以上続いた(左写真)。これは恒例の音楽祭の一環だった。1989年、タリンでバルト三国の独立の為の会議がもたれた。また同年、およそ200万人が参加して手をつなぎ、バルト三国を結び、約600km以上の人間の鎖(左写真)を形成した。このデモは三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。幾つかの東欧諸国は、ソ連の軍事侵攻を牽制する動きに出た。(注2)

 

 この成功には、占領国ソ連がペレストロイカを遂行しようとして、自らの民主化とソ連邦分裂の危機の板挟みで揺れ動いた事が大きい。しかし、それだけではない。小国のバルト三国は過去、占領者への長きにわたるレジタンスで苦汁を舐めていた。そして、この度は平和的な手段で訴えることで、スカンジナビア諸国、東欧諸国、さらには世界に理解を求め、支援を得ることが出来た。かつてスカンジナビア諸国も、この道を選んだ。三ヵ国は戦時中、中立を堅持し、大戦後は一早く、国連の創設メンバーとなり、1代と2代目の国連事務総長はノルウェーとスウェーデン人がなった。彼らは小国が身を守るには、世界に貢献し、認知してもらうことが重要だと考えたのです。

 

 

まとめ

 上述の例から、独裁制から民主制に転換する場合に必要な事が見えて来る。独裁者の健康状態が悪くなった時が好機で、マルコス退陣の理由もその一つでした。最も効果があるのが、独裁者やその盟友(軍部と与党等)の存続に危険信号が点いた時です。例えば外国からの支援が停止されそうな時、国民の怒りや不信感が最高潮に達した時、経済が絶望状態になった時です。このような時、独裁者が踏ん張っても、彼の盟友(支持者、軍部など)は、見返りを期待出来ず、自身も危ういとなると、独裁者を見限り、新たな独裁者か国民の側に付くことがある。

 特に米国は自己都合で数々の独裁政権を育てて来たが、都合が悪くなれば切り捨てて来た。それは反共、米軍駐留、敵国に対する橋頭堡が目的だった。独裁国に民主化を迫るには、周辺諸国の協力、独裁国内の宗教権威者の言動、国際世論と経済封鎖も効果がある。

 それにしても改革には捨て身の国民が立ち上がら無い事には始まらなし、有能で素晴らしいリーダーはいつの世にも欠かせない。

 

注釈2 この記事は「物語 バルト三国の歴史」(志摩園子著、2004年、中公新書)とWikipediaを参考。

 

 

 

 

2-3 繰り返される経済格差の拡大と縮小

 

 概ね貧富の差は王朝(すべて独裁国)の栄枯盛衰と共に拡大した。王朝の権力者達が益々国の富を奪うようになるからです。

 古代ローマの800年間を振り返ります。帝国が発展するにつれて、奴隷と土地所有が富裕層に集中していきました。帝国最盛期2世紀頃の格差の推計値があります。人口の約1.5%のエリート(皇帝、元老院、大地主)が、帝国所得の約20%を得るようになっていた。約90%の人々は生存ぎりぎりの生活をしていた。上層エリートと最貧困層の年間所得は800倍以上開いていた。元老院になるには中間層年収の1千~8千倍の資産が必要だった。当時の所得のジニ係数が推定されており、土地所有について、初期に約0.48で末期に0.84と見積もられ、極度に悪化していた。ジニ係数が1であれば、ただ一人がすべてを所有している。ローマの土地は富の源泉でした、今で言えば株でしょうか。

 今の米国の上位1%の所得は、総国民所得の20%前後で推移しています。金融資産だけで見ると上位1%が約36%を所有し、企業株式・投資信託に限れば50%を所有している。米国の所得の不平等を示すジニ係数は0.390.48とされている。民主主義の米国が、2000年前の独裁国家とほぼ同じなのです。西ローマ帝国は異民族の侵入と傭兵の反乱で滅んだ。しかし既に統治・経済・社会は疲弊していて、帝国の体をなしていなかったので、民衆にとっては統治者が素早く代わっただけだった。

 日本の平安時代と江戸時代を振り返ります。奈良時代から平安時代になると宮廷の政策失敗(税制変更と積極財政)が祟り、荘園化が進行します。これが土地を持つ者と持たない者に分離させ、数百年を経て、上層エリート(貴族・寺社・武士)に土地・租税・政治権力が集中するようになった。そして贅を極めた藤原道長の時代に貴族文化が花開いた。結果、経済格差が拡大し、農民は苦しむことになった。江戸時代は、戦国の騒乱から平穏な世への転換に成功し、幾度か飢饉に見舞われたが新田開発、商業・都市経済が発達していきました。経済全体は上昇したが、商人・地主の台頭で、経済格差は拡大した。この背景に幕府創設時の米物納経済(年貢)と後に発達した貨幣経済のちぐはぐがあった。これにより生活困窮を強いられた武士・農民・都市庶民が不満を募らせ、やがて外圧(外国の開港要求)を引き金に爆発し、明治維新へと向かわせた。 

 

 これで概ね、なぜ栄華を誇った文明や王朝がやがて滅亡し、その内部で経済格差が拡大し、人々の不満と失望が蔓延していた様子を感じていただけたと思います。最後に、英国の産業革命(1760年~1840年)を採り上げます。これは技術革新と新産業の興隆が何を引き起こすかをよく示しています。現在進行しているITAI革命がもたらす現象の一端を知ることが出来ます。

 産業革命は、最初、綿工業の技術革新で始まり、次いで機械化が進み、蒸気機関が使われ始め、工場制機械工業が定着して革新は終わります。この間、農民は農業地帯から都市部の工場労働者へと吸収されて行き、都市は急成長しました。ところが英国国内は順調で無く経済格差が悪化しました。産業革命開始し前の英国の格差は大きかったのですが、半世紀も経つと格差はさらに拡大し、さらに半世紀が経ち、終了の頃には、格差は1世紀前より縮小した。この間の所得のジニ係数で見ると、0.54→0.60→0.48となった。格差は20世紀前半にかけて、さらに改善されることになった。

 

 このような事が起きた理由は、生産性は急速に上昇していたが、収益は資本家・企業が得て、賃金は停滞し、労働条件の悪化すら起きていたからです。それではなぜ格差が縮小する事態が起きたのでしょうか。初期に、発明家・企業家・投資家らは収益を上げることに血眼でした。当時、国民、特に労働者を守る法律は無く、組合やストは犯罪でした。痺れを切らした労働者は逮捕覚悟で労働組合結成に動き、やがて組合やストが合法化され、労働条件の改善が図られた。遂に農民・労働者の選挙権を獲得するまでになり、1906年には労働党が国会に議席を獲得するまでになった。このために英国民は約80年を費やした。こうして資本家らの暴挙を抑え込むことで、多くの国民は産業革命の成果にあずかることが出来たのです。そして産業革命終了後の英国、新世界や日本は経済も含めて大いに恩恵を受けました。

 


「この図は、トップ10%が総国民の何%を所有しているかを示す。ピケティ」

 このグラフによれば、この間の格差の推移がよくわかる。赤矢印は産業革命期、緑矢印は労働運動期、茶矢印はサッチャーの新自由主義政策を示す。結局、二つの大戦も関わっているが、労働運動が格差を縮小させた事がわかる。



「この図は、英国の一人当たりGDPの推移を示す。マディソン」


 上図は二つの大戦を乗り越え、大戦後の経済は急速に伸びている事を示す。労働運動は経済成長を阻害したのではなく上昇させている事は、賃金の上昇などから明らかです。

 

 これらから判明したことは、国家はやがて形骸化し腐敗し、経済格差を拡大してしまう。これを放置すると、内部崩壊(革命、ファシズム)するか外部から潰される。このような悲劇の再発を防ぐには、国民の手で不適合を修正出来る民主制が必要になる。独裁制では不可能です。

 

 

歴史上、重要な格差是正策

 

紀元前6世紀、古代アテネのソロンの改革

 古代ギリシャのアテネでは、平民が貴族からの借金によって土地を失い、債務奴隷に転落することで極端な格差が生まれていました。大土地所有者・富裕層と貧しい農民との対立が激化していました。執政官に就任したソロンは、社会の崩壊を防ぐため「重荷下ろし」と呼ばれる抜本的な改革を断行しました。すべての債務を帳消しにし、借金を理由とした奴隷化を法的に禁止し、奴隷となったアテネ市民の解放、富裕層だけに政治権力を独占させない制度改革を行った。これは、土地を富裕層から没収し大規模に再分配したのではなく、貧困層が社会から脱落することを防いだ改革でした。これは、一時的な施しではなく、社会の分断と独裁(僭主制)の台頭を未然に防ごうとした古代の代表的な是正措置です。

 

紀元前2世紀、古代ローマの土地改革

 当時、ローマは度重なる征服戦争によって領土を拡大していました。しかし、その裏で深刻な社会問題が発生していました。大土地所有の拡大、長年の従軍による中小自由農民の没落が起きていた。護民官になったグラックス兄弟は、平民会の承認を得て改革を断行しました。公有地の占有面積に上限を設け、それを超える土地を国家が強制的に回収し、自作農として自立させる為に、土地を持たない貧しい無産市民に分配しはじめた。他にも穀物の低価格販売制、同盟国住民にローマ市民権を与えるなどを試みた。しかし、土地を奪われることに猛反発した元老院の策略により、兄弟は任期中に追い込まれ自害し、改革は挫折しました。この後、ローマは内乱に突入した。

 これと似た例が中国にもありました。紀元1世紀、中国の皇帝王莽は大改革を行いました。当時、土地が大土地所有者に集中していました。彼は、土地・奴隷の私有禁止、土地の再配分、税制改革などを行った。しかし有力地主層などの抵抗によって短期間で挫折した。飢饉への対策も不十分だったことから各地で大反乱が勃発し、わずか15年で滅亡した。

 

19世紀後半~20世紀初頭、ドイツ・ビスマルクの社会保険。


 当時台頭していた社会主義運動(労働者運動)を抑えるための「飴と鞭」の政策として、弾圧策と同時にこの社会保険制度を打ち出した。これは世界初の近代的な社会保障制度でした。この宰相は、疾病保険法、労災保険法、障害・老齢保険法を相次いで法制化しました。これらはいずれも現在の社会保険の原型となった。目的は、労働者を保護することで、国家への忠誠心を高め、革命や社会主義暴動を防ぐことでした。また労働者と雇主が保険料を出し合う社会保険方式が定着し、世界各国に影響を与えました。

 


20世紀前半~70年代、西欧の黄金時代。

 これは産業革命中盤(19世紀中頃)から生まれた労働運動、民主主義運動の発展過程でした。初期に、英国での労働の権利確立、国会に労働党議席確保が始まりで、これが欧米に波及していった。次いで、二度の大戦の戦費調達もあり累進課税が普及拡大し、大戦後は福祉国家を目指す為に、採用が続いた。高所得層に対する高率の所得税、相続税・資産税、法人税の強化が行われ、税収を社会保障や公共投資に充当された。特にヨーロッパでは普遍的医療・教育、失業保険・年金、家族手当、公共住宅などの普遍的サービスが充実していった。米国では、1930年代、大恐慌の救済策としてニューディール政策が導入された。これは公共事業による雇用創出、社会保障制度の創設(老齢年金)、労働組合の保護、金融規制などでした。これらの結果、欧米の経済格差は歴史上最低を継続出来た。高い税負担と引き換えに高い生活水準と社会的信頼が形成された時期だった。

 

まとめ

 都市の出現以降、覇権を握った国家は必ず腐敗し格差が拡大した。やっと民主主義が定着したと思われた20世紀になってからも、北欧等の一部の国を除き、やはり腐敗と格差は広がっている。特に新自由主義を牽引した米英日の悪化は先進国の中でトップです。どうやら人類社会は、国民がのんきに構えていると、必ず富裕層に政府が牛耳られ、腐敗と格差が拡大する運命にあるようです。それでも悪化が行き過ぎると、国民は立ち上がり、それを担う指導者が現れる。そして新たな指導者層と改革された社会システムが始まる。この改革システムの基本はあまり変わらない。結局は、ほぼ資産や機会の平等を準備し、また富裕層に政治や経済を支配させないようにすることでした。残念なことに、今は末期に近いづいているようです。

 

 

 

2-4 繰り返される金融危機・恐慌

 

 今に続く金融危機、恐慌が始めて起きたのは産業革命末期の英国が最初で1825年でした。資本主義経済では、自由競争によって景気循環の波が大きくなり、好況と不況(倒産)を繰り返します。恐慌下では、多くの国民・労働者が長期に失業と賃金低下に喘ぐことになります。その後、ほぼ10年毎に起きています。大きいもので1857年米国発、1873年オーストリア発、1907年米国発がありました。この頃になると世界各国に影響が広がるようになり、遂に1929年米国発の世界恐慌が、第一次世界大戦で負けたドイツを困窮のどん底に陥れ、ナチスヒトラーの台頭に繋がった。追い打ちを欠けたのが各国の保護関税で、意図とは逆に、さらに貿易が減少してしまった。大戦後は、南米の債務危機、株式市場の過熱、アジア通貨危機、ITバブル、住宅バブルのリーマンショック等が頻発するようになりました。これらは、基本的に投資家が借用した莫大な資金で、当初儲けるようになるのですが、いつか価格(株や為替等)の下落が始まると、資金回収の為に売り急ぎ、暴落が加速し最後には多くの債務者が負債を返せなくなる。このバブル崩壊時、それぞれに投資物件、金融商品、金融システムに違いはあるが基本は同じです。このバブルを生む経済システムは、今の世界の現実です。ただバブルを抑制し、崩壊の衝撃を和らげる手段はあります。それは、主に金融業界への様々な規制で、過去の恐慌の反省から幾度も法制化されて来まし。規制の多くは、投機手段の制限、投資する企業への制約と透明化などでした。しかし、残念ながら幾度も廃止され、再発を繰り返しています。理由は、投機家の多くが富裕層や大企業で、これが政権に圧力を加えるからです。

 

 実は、さらに古い時代にも金融危機はあった。最古は西暦33年の古代ローマで、元老院議員らによる大規模な債務不履行(デフォルト)が発生し、ローマの銀行が次々と崩壊。皇帝が現代の価値で数百億円〜数千億円規模を無利子で市場に融資し、史上初の公的資金による銀行救済を行いました。その後も各国政府が債務返済を拒否した金融危機はありましたが、1637年には、投機によるバブル崩壊が起き、オランダのチューリップ・バブルです。珍しい品種のチューリップの球根価格が異常に高騰し、家一軒が買えるほどの額に達したのちに大暴落。市場の熱狂と崩壊のサイクルを示した世界最初の事例です。金融危機は景気循環、投機過熱、政府の債務不履行によって起きています。

 日本も恐慌で喘いできた歴史があります。大正から昭和にかけて、192019271930年と度重なる恐慌が襲いました。最後の恐慌は米国発の世界恐慌が波及し、さらに政府の貿易政策の失敗と農業恐慌が重なり甚大な被害をもたらした。農業恐慌は、製糸の対米輸出の激減と米の豊作による米価の暴落が大きかった。この恐慌により国民の不満は高まり、農民にとって満蒙開拓は救いに思えるようなった。こうして1931年の満州事変へと繋がっていった。江戸時代にも、様々な経済危機は起きていた。幕府は、財政難を貨幣の改鋳で度々しのいだので、激しいインフレが起きました。また幕府が進めた新田開発により、米の生産量が劇的に増加し、深刻なデフレが起き、不況が起きました。

 

 人類は多くの経済危機、金融危機・恐慌、債務不履行、ハイパーインフレ、デフレを経験し、悪戦苦闘しながら乗り越え、今もその恐怖に晒されている。人類が金融危機を如何に乗り越えようとしたかは、次の項で紹介します。

 

 

 

2-5 金融危機を招いた悪辣なマネー

 

 マネーの暴虐さは近年勢いをさらに増し、日々新たな手口が使われています。ここでは、ここ50年ほどで、金融危機に繋がったマネーの危険な動きから三つだけ採り上げます。

 

 1970年代~80年代、中南米債務危機が起こりました。石油危機後、産油国に大量のドルが蓄積され、このオイルマネーが途上国へ流れた。途上国はその借入金で国内投資を行ったが返済不能(デフォルト)になった。何が問題なのか、貸したのはほぼ米国の銀行で、米ドル建て・変動金利でした。ところが米国の国内事情から米国金利が高騰し、途上国は金利負担に耐えきれず破綻した。さらに悪いことに、IMFや世界銀行が追加融資したが、返済は進まなかった。このIMF等の運営は、米国の金融家が牛耳っているので、公共の福祉削減と投資抑制等の緊縮財政を押し付け、国民の税金で借金を取り立てるのが目的です。こうして概ね経済は一気に冷え込みます。こうしてメキシコ、ブラジル、アルゼンチンなどは苦境に陥り、国の再建に必要な2200億ドルが流出し、ハイパーインフレ、6%以上の所得低下、数千万人が極貧状態になりました。米国はあくどい高利貸しで、帝国主義時代の植民地政策と変わりません。

 

 1997年、アジア通貨危機が襲い、被害は甚大でした。アジア5ヵ国の国民5億人に何が起きたのか。GDP減少率は各国で5627%でした。貧困率はインドネシアや韓国で約2倍に上昇し、韓国の自殺者数は1.7倍になった。生活物資(食料など)の高騰と失業者増大で、飢えと栄養失調が蔓延した。さらにIMFの勧告による福祉・医療予算の削減が輪を掛けて彼らを追い込んだ。タイで、その後の5年間で肺炎、結核、HIVによる死亡者数が5万人増加した。これは、巨大ヘッジファンドが、タイ通貨(バーツ)の下落を予想し、空売りを仕掛けたのが発端で、バーツの価値はほぼ半分になりました。この時、海外のヘッジファンド群は総額数百億ドルをつぎ込み、5ヵ国から数十億ドル(数千億円)をせしめた。これは為替投機であって違法では無い。各国が経済実力(外貨預金)を遥かに凌ぐ海外から多額の借金をしており、韓国やタイでは不動産バブルで湧いていた。これは、これらの国の落ち度だが、これを持って利益の為に国民を苦しめて良いとは思わない。ヘッジファンドは正に生き馬の目を抜く守銭奴です。

 

 2008年、リーマンショックが起こり、株価が暴落し、世界の株価時価総額の約半分15兆ドル(約1500兆円)が数か月で吹き飛んだ。米国は救済に7000億ドルも税金を注ぎ込みました。大企業の倒産が相次ぎ、当然景気後退が襲いました。なぜ起きたのか? 金融業界の恐ろしさがよくわかります。

発端は6年ほど続く好調な米国の住宅需要にありました。政府が景気刺激策と国民の持ち家奨励策が刺激になっていた。住宅購入者はローンを組むのですが、通常は借りることが出来ない低所得者でも高金利で借りれるようになっていた。問題は、このサブプライムローン債権を細切れにし、優良な債権と組み合わせ、最高に安全な証券CDOとして高利回りで世界中に販売した事にありました。ここで、有名な格付け会社がデタラメに安全を保障するという不正を働いていた。この証券は総額1.5兆ドル(170兆円)になっていました。やがて米国金利が上昇すると住宅バブルが弾け、サブプライムローンの焦げ付きが急増しました。さらに悪いことが起きていた。先ほどの証券CDOが販売されている時、「サブプライムローン等の証券CDOが万が一焦げ付いた時は、全額補償する(保険金を払う)」という保険CDSを世界中の銀行が買っていたのです。この保険の世界の総額は58兆ドル(5800兆円)にもなっていた。この保険買うことにより危険が無いと信じて、世界がこのバブルに巻き込まれた。当然、こんな膨大な金額を払える保険会社は無く、相次いで保険会社は破綻した。こうしてサブプライムローンだけでなく様々な投資や金融商品による負債が連鎖的に増え、投資家や金融機関が膨大な被害を被った。普通の神経なら、保険CDOの総額が世界の株価時価総額よりも多いと知った段階で、危険と判断するはずなのですが、無視されるからこそ、毎回のように金融危機が起こるのです。当時、総額は知られていたが、個々に把握できず、投機家は「皆で渡れば怖くない赤信号」のムードに囚われてしまった。

 

 採り上げた三つは、金融危機の起こり方が異なりますが、それぞれについて似たような金融危機は繰り返し起こっています。最近、多いのはリーマンショックのタイプで、必ずと言ってもよいのでが米国発です。このパターンは、何か好調な物件、不動産でも株でも金融商品(暗号資産)でも良いのですが、投機家が寄ってたかって買い始めると、さらに一般人も遅れて参入し、膨大な金額になる。ところが、不思議に何か欠陥や不安が市場に漂い始めると、一斉に売りが始まり、多くは借金で購入しているので、値下がりを見て、さらに買い急ぎ、暴落が起きる。暴落直前まで、この欠陥や不安に誰も気づかない。この欠陥や不安の対象になるものは、多くが従来になかったものです。つまり、毎回新しいものに取り憑かれるので、予測が困難になる。逆に、投機家は新しいものにこそ莫大な儲けがあると先駆けて挑戦し続けている。金融以外で、この精神が生かされば良いのですが、どうしても楽な方に向かうようです。

 

 

金融危機対応から見える金融経済の問題

 

 2008年〜2009リーマン・ショック後のG20協調対応未曾有の世界的金融危機に対し、G20(主要国首脳会議)が中心となり、世界規模での協調的な利下げと、総額5兆ドルにも及ぶ大規模な財政出動を同時に実行しました。各国の迅速な連携により、世界経済が世界恐慌クラスの壊滅的な打撃に陥るのを防ぎました。しかし、一連の対応から金融危機と金融業界の恐ろしさが見えて来ます。

 

 対応は大きく二つに分かれる。一つは、倒産対応で、大手銀行を「秩序立てて潰せる」ようにする破綻処理枠組みが整備された。米国は、1930年の大恐慌時、安易な救済がモラルハザード(倫理の欠如)を生むとし銀行の連鎖倒産を事実上放置し、深刻化させました。そして1984年、イリノイ銀行の取り付け騒ぎでは、「大きすぎて潰せない」として、巨額の公的資金を投じて救済し、2008年までこの慣行が続いた。これをまた大転換した。この枠組みは、株主や債権者に損出を負担させる等の破綻処理枠組み、破綻時に損失補填に充てられる社債の保有等、破綻した際の手順書作成を巨大金融機関に要求した。もう一つは、今後の金融危機防止策で、金融機関の自己資本比率の大幅引き上げ、店頭デリバティブの透明化(中央清算機関CCPを通じる)、シャドーバンキング(非銀行金融セクター)への監視強化が主です。 

 

 それでは、幾度も金融危機に見舞われているのに、なぜ事前にこの対応が出来なかったのでしょうか? 一言でいえば、個々の金融現象は見えていたが、新たな金融商品、規制外取引、規制抜けや詐欺まがいの行為が入り乱れると、全体のリスクが見えなくなる。つまり投資家たちは大丈夫と思うようになる。サブプライム・ローンを証券化したことでリスクは低減すると考えたが、世界にバラ巻かれて、逆にリスクは広がった。もう一つ繰り返される問題は、景気が順調になると、楽観論が支配し、規制強化は成長やイノベーションを阻害するとし、金融業界が猛烈に政府に圧力を掛けて反対するからです(景気が悪い時も同じ)。もう一つは、問題が深刻にならない限り、欧米や世界が協力して、新しい規制・監督システムの構築に乗り出せないことがある。今のトランプ政権では、金融危機が起きても、世界は協力出来ないでしょう。

 

 それでは2026年現在、金融危機が起こる可能性はかなり低くなっているのでしょうか? 答えは、従来と同じ状況(取引形態)であれば安心出来るが、新しい状況が加わると分からないと言えるでしょう。新しい状況とは、プライベートクレジット、レバレッジドローン、暗号資産、AI関連リスクなどで、これがどのようなショックをもたらすかが予測できない。FRB等は現在の高い株価上昇だけをもって金融危機が起こるとは考えていないようです。民間債務総額がリーマンショック時ほど大きくないからです。

 

まとめ

 金融危機は、規制緩和⇒危機⇒規制⇒安心⇒規制緩和⇒が繰り返されている。これを引き起こす力学は、資産の増加は多くの人にメリットがあり、毎回、金融イノベーションにより状況が変わり、バブル崩壊を予見できない為に、過熱しやすい。さらに米国は、金融資本家の勢力が大きいので、政府に規制緩和圧力を掛け、規制緩和に戻ってしまい。金融危機が起こると、投資利益は金融資本家に行き、負債は政府が被った。これが繰り返されている。金融はブラックボックスのようだが、国家と世界が協力して、正確に把握しないと、悪化するばかりです。

 

 

2-6 繰り返される環境破壊と気候変動

  公害は古くからあった。人々の経済活動によって環境破壊は幾度も起こっていた。気候変動が重なることもあった。最古の事例として、出エジプト記に登場する「十の災い(エジプトで起きた異常現象)」があります。これらはナイル川の水位低下(紀元前1500年頃)と関係しています。水位がかなり低下し滞留すると赤い藻が発生し、蚊やアブを食べるカエルが死に絶え、蚊やアブが大量発生し、これが家畜や人に感染症を大量発生さえることになったと科学者は推測しています。また農作物も不作に見舞われるので追い打ちをかけました。この遠因は、彼らの農業が川の氾濫による灌漑に依存し、それが成功していたので、人口が密集していたからです。しかし気候変動には勝てず、都市が壊滅状態になった。この気候変動はエーゲ海のサントリーニ島の大噴火が原因で、地球の平均気温はマイナス1℃ほどと考えられています。古代エジプトのように気候変動による地域的な寒冷、乾燥化が、多くの文明の興亡や民族の大移動を誘発しました。ヒッタイト、スキタイ、モンゴル、渤海等もそうだったと考えられます。

 明らかに人間が原因となった古い事例では、トルコのエフェソスに残っています。古代ギリシャ人は各地に乗り込んで、自ら耕作や貿易を行いました。そして港湾に流れ込む川沿いを開発し、森林を伐採し、牧草を植え、羊を飼いました。そして上流からの土砂が湾に堆積し、マラリアが発生し、人々は浚渫を繰り返した。紀元前3世紀に始まり紀元後14世紀、遂に捨てられ、都市遺跡は今の海岸から6kmほど内陸に引き離されてしまった。南太平洋のイースター島や中国の黄土高原などの殺風景な風景も、長年の森林伐採が原因です。今の米国は、地球温暖化を否定することで産業の発展を促進しているが、そのツケは米国民だけでなく世界が負うことになる。

 

 しかし20世紀になると、国内や世界が一致団結し、国内だけでなく地球を守る機運が高まるようになった。

 

環境を守った事例

 

1987年、モントリオール議定書によるオゾン層の保護が始まった。世界規模の環境問題を国際条約で解決した最も成功した例の一つです。197080年代、冷蔵庫やスプレー缶に使われるフロンガスが地球のオゾン層を破壊し、有害な紫外線の増加を招いていることが判明しました。世界各国がフロンガスの製造・使用の段階的廃止に合意しました。先進国が途上国へ技術的・資金的な代替フロンへの転換支援を行ったことも功を奏し、現在オゾン層は回復傾向にあります。

 実は、この裏で二つの重要な動きがあった。一つは科学者達の孤軍奮闘でした。1971年、一人の科学者が高感度検出器で大気中にフロンを発見します。当時、フロンは何とも反応しない無害な化学物質とされていました。別の科学者が、計算により、フロンが成層圏で壊れ、オゾンを連鎖的に破壊すると発表した。これを米国の巨大産業だったフロン業界が「根拠のない空想科学だ」「机上の空論だ」と猛烈なバッシングを行いました。しかし9年後の1985年、日英の南極観測隊によって、上空のオゾン層が極端に薄くなっている事を発見しました。ここでもう一つの動きが重要でした。1978年、民主党政権(カーター)は、スプレー缶へのフロン使用を禁止しました。しかし、欧州は規制を行わなかったため、不公平だと米国の産業界は規制に強く反対していました。一方、代表格のデュポン社は代替え物質の開発を進め、1980年代半ばには完成させていた。そして1986年、米国産業界は突如、規制賛成に廻った。この豹変は、規制によって自社の代替え製品の巨大な市場を独占できると目論んだからでした。結果、地球が救われることになった。

 

 これらから二つの教訓が得られます。政府トップは科学的事実を真摯に受け入れなければならない。トランプは1期目の折り、オバマが新設した国家安全保障会議内のパンデミック対策の専門部署を解体し、パンデミックが始まると非科学的な対応し、多くの国民を無駄死にさせている。また産業界を保護し、真実を隠し、規制をかけないと産業界は暴走し、取り返しのつかないことになる。規制が始まったからこそ、企業は代替え物質の開発を始めた。兎にも角にも、地球を守る為には最新の注意が必要です。

 

1980年代~、ヨーロッパ複数国の協力によりライン川の水質浄化。スイスからフランス、ドイツ、オランダなどを経て北海に注ぐライン川は、高度経済成長により工場排水や生活排水が流れ込み、1970年代には生態系が破壊され「ヨーロッパの下水道」と呼ばれるほど汚染されました。1986年のスイス企業の化学物質流出事故を契機に、1987年には「ライン川行動計画」が策定されました。流域国が国際機関を作り、国境を越えた水質監視、厳しい排水規制を共同で実施しました。また「サケの遡上計画」などの具体的な生態系回復プロジェクトを実施し、現在では水質が劇的に改善し、実際にサケが戻る川へと回復しました。国境を越える環境問題は、国境を越えた共同管理によって解決できる事を示した。

 2017年、水銀規制の水俣条約発効。日本の熊本県の工場から排出されたメチル水銀が魚介類に蓄積し、それを食べた人々の間で中枢神経系に重度障害を引き起こした。これは国内最大規模の公害病で、被害者は7万人を越えた。企業は廃液に毒性があることを知りながら、これを隠し流し続けた。1950年代から被害が知られはじめたが、被害者らが勝訴したのは1971年だった。世論は怒りで沸騰した。原因物質が製造中止になったのはこの3年前に過ぎず、大量の廃液が川と湾に沈殿した。同様の公害が新潟県でも発生した。

 2013年、日本が主導して「水銀に関する水俣条約」が130か国以上の合意で採択されました。先進国と途上国が協力し、水銀の採掘から輸出入、製品(蛍光灯や電池など)への使用、廃棄に至るまでのライフサイクル全体を国際的に規制する体制を構築しました。一国の悲惨な公害の教訓が、未来の地球環境を守る世界的な枠組みへと昇華された事例です。150か国以上が批准し、水銀需要の減少、代替製品の普及、公衆の意識向上などが進んでいる。

 もう一つ、日本が誇れることを行っている。日本の公害裁判において、「原因の証明は、被害者(市民)ではなく、企業側が科学的に反証できない限り認める」という形で、被害者に有利な判決が出されました。実は、米国の南部諸州で市民が公害で苦しめられている理由の一つに、「原告(被害者)が厳密な科学的メカニズムと予見可能性を証明する必要があり、高度な専門証拠を完璧に揃えらえない限り、企業は免責される」がある。米国の企業優先・経済優先が、あまりも露骨です。ヨーロッパの判例も、概ね日本のように被害者側に立っています。

 

 

まとめ

  

 人類が自然と共に暮らし、自然から恩恵を得る限り、環境を痛める可能性はいつもあり、放置すれば我が身に災厄が降りかかった。一方で、気候変動も数千年の間に地球の平均気温は±1℃の範囲で変化し、局所的に大きな異常気象を起こし、人々は苦境に陥ったことが度々あり、文明の崩壊もあった。人類は科学を発達させ、民主主義が広がる中で、自ら招いた公害や環境破壊について、多くの人が協力し乗り越えるようになってきた。だが気候変動による異常乾燥などには、つい最近まで無力だった。少しづつ科学技術で対処できるようにはなっているが、ほんの一部に過ぎない。

 

 

 

2-7 幾多のエポックが社会を変え、発展をもたらした

 

 人類の進化・進歩は、幾たびかの「大きなエポック(技術的・社会的転換点)」を経て行われた。しかし社会内部では大きな対立と攻防がもたらされた。人類はこれらをどう乗り越えて来たのか、それは多くの人々に恩恵をもたらすものだったのか、それとも苦しみをもたらすものだったのか? エポックが多数の人々に何をもたらしたかを見ます。農業革命、精神革命、商業革命、産業革命が19世紀までの大きなエポックと考えます。


 農業革命は約1万年前に始まり、それまでの採集から栽培・家畜化へ進み、定住と貯蔵が可能になった。そこから大変動が始まります。定住と土地の所有、食料の貯蔵が普及し人口が増えました。一方、不作になると他村の備蓄、家畜や土地を奪う事で生き残りを図るようになり、襲撃・略奪が増えた。やがて富の格差が生じ、支配者が生まれるようになった。後に青銅器時代になると戦争と都市化が加速しました。紀元前3300年頃から始まり19世紀まで続く王権のスタイルが誕生し、強化されていったので、平民・奴隷は重税・賦役に耐える長い時代を生きることになった。狩猟採集民時代の暮らしの方が、よほどのんびりで平等だった。しかし生産効率を格段に上昇させた農業革命は、戦乱が平定され王権が安定すれば、平和が訪れて経済と文明の発達をもたらした。


  精神革命は紀元前800年~紀元前200年に、ユーラシア大陸の4つの地域でほぼ同時に興りました。ユダヤ教、ギリシャ哲学、諸子百家、仏教等の新しい哲学や宗教が誕生した。これらには以前に無い特徴を持っていました。それは部族や小国を越えた広い地域に適用できる普遍的な真理とか道徳を求める新たな思想や宗教でした。これが生まれた背景に、鉄器の普及により生産力と軍事力が向上し、大規模化する戦争により都市国家が大規模国家へと統合されていったことがある。また交易網もユーラシア大陸で発展し、異なる文化や異質な価値観が接触することで、自民族のローカルな神話を客観視し、より抽象的で普遍的な真理が生まれる土壌が育った。この過程で、敗れた王権の伝統的権威が失墜し、王宮の形骸化した祭祀(宗教)に批判が向けられた。一方で祭祀者や参謀らの知的エリート層の中から、新しい思想や宗教が生み出された。彼らの思想や宗教は、血縁や共同体の崩壊で混乱する民衆の心を捉え、大きな広がりを見せた。やがて新生帝国は、これらの宗教を社会に強い紐帯や安寧をもたらし国家に役立つとして、国教とし押し広めた。こうして国家と宗教が精神的に強く結ばれるようになり、世界宗教として現在まで絶大な力を持っようになった。ギリシャ哲学でさえ、宗教(神)を否定することなく、神事は継承され都市民の絆として残った。精神革命は、社会の混乱の中から生まれた思想・宗教が民衆と国家に受け入れられ、その後も国家平定に役立ち続けた。


 商業革命15世紀から18世紀にかけてヨーロッパで起きた。大航海時代を契機に世界規模の貿易ネットワークが形成され、金融制度・商業組織・社会構造が劇的に変化した。交易はそれまでの地中海主体から大西洋・インド洋へと広がりました。資源・商品・人・資金が地球規模で循環するようになった。これによりイタリアの都市が衰退し、北西ヨーロッパの都市(アムステルダム、ロンドン等)が発展し、後の産業革命に繋がってた。新世界から大量の銀がヨーロッパに流入したことで物価が急騰し、封建領主の収入が目減りし、自営農民や商工業者が台頭した。この過程で、為替手形等の金融制度が発展し、株式会社が誕生し、近代資本主義の原型が生まれた。二つの社会構造の変化が起きた。商人・金融家は、港湾都市が発展すると、農業収入に依存していた封建領主に代り、巨富を築き、力を得るようになり、後の市民革命の担い手になった。また大航海時代から探検家や交易者は、王家による後援(巨額の資金、物資、さらに安全や保障・特権)を必要とし、代りに王家は莫大な利益を得た。さらに商人が王に資金を提供するようになり、共に強大になり、スペイン、フランス、英国では絶対王政が成立した。一方で、先住民社会の破壊、植民地支配と奴隷貿易が拡大した。新規なものに投資することにより富を築く事が可能になったことで、従来の身分や慣習に囚われない、自由な発想が商人を中心に広がっていった。こうした中、彼らの思いを代弁するような思想がいくつも生まれた。16世紀英国のトマス・マン、17世紀英国のジョン・ロック、18世紀スコットランドのアダム・スミスへと経済思想が結実していきました。アダム・スミスの言う「個人が自らの利益を追求して自由な経済活動を行えば、市場の価格メカニズム(見えざる手)によって、結果的に社会全体の富や便益が最大化される」が、現在も呪文のように唱えられている。

 

 16世紀の宗教改革は、商業革命の商人や絶対王政に起因したのではないが、その思想は影響を受けていた。北フランスで育ったカルヴァンが指導しカルヴァン派(プロテスタントの一派)が誕生した。これは西ヨーロッパの都市市民(商工業者)を中心に爆発的に広がり、後に英国から北米に植民するピューリタン(英国での名称)となり、今の米国の最大宗教派の礎を作った。ピューリタンは、中世カトリック教会が否定した金儲け・高利貸し行為に対して、「勤労による利益は神の恵み」と肯定するようになっていた。 

 なお宗教改革は、ローマ教皇下の教会の腐敗、搾取される農民の不満、ルネサンス人文主義による批判精神の高まりが発火点になった。また大航海時代の発端は、オスマン帝国の台頭で地中海ルートが遮断され、またポルトガルやスペインにおけるレコンキスタ(国土回復運動)の完了が大きかった。

 グローバル交易の結果、貿易と工場制手工業を営む商人が台頭し、経済的な自由を求める近代的市民階級(ブルジョワジー)が誕生するようになり、後に市民革命の原動力となった。また貨幣経済が農村まで浸透し、西ヨーロッパの領主は農民から「労働(賦役)」ではなく「貨幣(地代)」を徴収するようになりました。これにより農民は土地や領主の縛りから解放され、人格的な自由(移動や職業選択の自由)を手に入れる動きが進みました。一方で、宗教革命により、教皇と教会は力を減じていった。

 

 英国の産業革命は、18世紀後半から19世紀前半にかけて、手工業中心の経済が、機械・工場・蒸気動力・大量生産を中心とする経済へ移行した大変化です。この変化は現在のITAI革命に重要な指針を与えてくれる。

 産業革命前、既に英国では商業と金融が発達しており、農村では綿織物等の家内工業が広く行われていました。綿織物の重要が急速に増えると紡績・織布の各工程の機械が17331779年に発明され導入されます。機械が大型化すると、動力としての蒸気機関が大幅に改良され、鉱山だけでなく工場・船舶・鉄道にも利用されるようになった。次いで製鉄・運河・鉄道が発達し、重工業化と輸送革命が進行した。工場が増えると都市化が進みましたが、労働者の住宅、上下水道、ごみ処理が不足し、人口過密と衛生問題が深刻化しました。工場では長時間労働、低賃金、事故、労働環境の悪化が問題となり、女性や子どもも多数働きました。農村から都市へ移動した人々が、危険で長時間の工場労働に従事したことが、社会問題になりました。

 こうして資本家階級と労働者階級の対立が明確になり、宗教家・改革者・労働者の運動を背景に、18021842年にかけて議会は次第に労働者保護の規制を導入するようになりました。そして1871年労働組合結成、1906年スト権が合法化され、後に普通選挙を国民が手に入れることになった。こうして産業革命の初期、労働者は悪条件下で賃金が低下し、半世紀も上昇しなかった。やっと労働運動によって国民全体が産業革命の成果を得るようになった。

 

 資本家(ブルジョワジー)は商業革命で蓄積された富を工場や機械に投資し、巨大な利益を上げました。彼らにとって時間はコストとなり、労働者を時計の針で徹底的に管理・規律化する「工場制機械工業」のシステムを確立しました。イノベーションの利益を独占し、経済的エリートとして社会を主導するようになります。何ら規制や国のコントロール(抑制と促進)が無ければ、イノベーションは「労働者の生産性を高めて豊かにする」ためではなく、「労働コストを限界まで切り詰め、資本家の利潤を極大化する」のようになってしまう。もう一つの問題として、産業革命時の機械化は熟練工を不要とし非熟練化を招き、賃金低下を招いた。また当時の政治体制は、一部の資産家のみが参政権を持つ制限選挙だったこともあり、労働者の意見は無視され続けた。

 

 産業革命において旧産業に働く人々は失業したはずだが、社会全体ではどうなったのだろうか? 当時の失業率データーは無いが、学者らの推計によれば、全期間において平均としては1~3%程度と低いようだった。初期の農林業従事者が鉱工業・建設業とサービス業に向かい、新産業が旧産業の失業者を吸収した。しかし二つの問題があった。機械に仕事を奪われた職人は機械生産との価格競争に晒され、過酷で低賃金に耐えた。今一つは、資本主義経済が定着したことで、景気循環による恐慌が頻発し、失業率が1020%になることもあった。

 

 産業革命は最終的に経済を発展させ国民所得を上昇させ、次の米国の自動車や電気産業の発展へと繋がっていった。そして資本主義経済と自由貿易体制が確立した。一方で、労働運動から民主主義(人権尊重、多数決)と社会保障の充実が進み、1970年頃まで中産階級は上昇し続けた。

 

 産業革命は今に通じる、科学尊重、チャレンジ精神、勤労習慣、自由と権利の平等、民主主義等の重要な国民の意識を育んだ。一方で、大航海時代より世界に植民地を広げる中で、白人以外を差別・搾取する事に躊躇せず、さらに産業革命終了頃からヨーロッパは帝国主義(植民地獲得)へと突き進み、各国が競争・武力衝突を繰り返し、第一次世界大戦の勃発に至った。

 

 

まとめ

 これまで4つの革命と一つの改革を見てきました。農業革命では、平等だった狩猟採集社会に終わりを告げ、戦争と国家を生み、軍隊を持つ王の下に階層社会が出来上がりました。

 精神革命では、文明の発展と経済圏の拡大により、戦争と国家の規模が拡大し、戦火で疲弊した社会を安定させる説得力を持った宗教が生み出され、より広大な領域に精神的な一体感が生まれた。

 商業革命では、武力だけが権力基盤だった社会から、商人が第二の権力を握れる貨幣経済社会が到来し、やがて封建社会が廃れることになる。また宗教改革で分離したプロテスタントは教会権力から、各人が神と対峙するという意味で、主体性と権力からの自由の意識を持つようになった。一方、神の救いは決まっているが不明とされたので、自分が選ばれることを望み、地上で勤労に励み、自由な経済活動を尊んだ。この革命が終わる頃には、ヨーロッパ人は自由と主体性を持ち得るようになった。しかし一方で、奴隷アフリカの奴隷黒人、新大陸の先住民の酷使、東欧の農奴化と、ヨーロッパ人による搾取と差別が地球規模で行われ、その後も大きな傷痕を残し続けることになる。日本でも、13世紀、鎌倉新仏教と呼ばれる宗教改革が起こっていた。

 産業革命は、資本主義経済(工場、金融、法制度、市場)と工業製品によるグローバル経済を確立した。都市化と鉄道等交通網が発達し景観が一変し、地主貴族、新興資本家(ブルジョワジー)、都市労働者(プロレタリアート)の新しい階層が生まれ、中産階級(商人・専門職・事務職)も拡大し、社会も一変した。この資本家と労働者の対立が激化する中で、国民には二つの道が示された。一つは、資本家の横暴を根絶するために労働者が政権を担う共産主義を目指す。もう一つは、労働者の要望を国の制度に反映し続ける福祉国家を目指す。英国は後者を選び、人権尊重や福祉制度が進んだ。20世紀前半まで、多くの欧米諸国はこの方向を目指し、北欧は遅れて福祉国家を選んだ。 

 

 人類は実に不思議だ! 上述のエポックの前後関係(起因⇒経過⇒結果)を、どれか一つでも、ましてすべてについて予測することは不可能だ。新技術の採用が生産性を向上させ、それが社会内部の階層化や対立構造を作り出す。また戦乱や生活圏の拡大、社会の腐敗や混乱、圧迫が引き金になり、大衆が立ち上がり、知的エリートが道筋を示し、社会の改革を成し遂げて来た。それには死を覚悟しなければならい時もあった。しかし、いま振り返ると、多くが成功したように思う、それぞれ完ぺきではなかったが。また改革と安定が継続可能なシステムを作りあげても来た。倫理観をうたう聖典、自由と権利の尊重、これらを守る民主主義、弱者を救いあげる福祉制度等が社会をより良くして来た。また私有財産権、保険・為替等の金融制度、自由市場、工業所有権・株式会社等の経済システムを数千年をかけて確立して来た。

 一方で、破滅や大後退の危機もあった。それはファシズムと共産主義革命でした。第二次世界大戦を始めたのは、ファシズム(軍事独裁)3ヵ国でした。代表格のヒトラーは、当時のハイパーインフレや大不況を実に単純な手段で乗り越えれるとして、国家体制をひっくり返し、まったく新な体制で臨んだが、大失敗だった。ロシア帝国からソ連への共産主義革命、これも失敗し、今のプーチン独裁を生むに至っている。この地域の民族は独裁を受け入れやすいので、他の道は難しいのかもしれない、日本や中国も同じだが。一つ言えることは、国家体制を完全に破壊し新たに作る事は非常に危険なので、民主主義体制を維持し、階層の対立を調整・規制で改造していくことが重要です。独裁者に国家運営を委ねるのは墓穴を掘るようなものです。

 

 

 

2-8 分断と対立を非暴力で乗り越えた社会があった

  歴史上、深い分断を乗り越え、暴力なしで国家や社会の統合に成功した事例を振り返ります。


 1930〜1960年代、米国はニューディールと公民権運動成し遂げた。米国は、1929年の大恐慌による空前の失業率(約25%)と経済の崩壊に直面していた。また南部における露骨な人種隔離(ジム・クロウ法)など、階級や人種を巡る凄まじい分断があった。民主党のF・ローズヴェルト大統領は、労働者、農民、南部保守派、都市部の移民やアフリカ系アメリカ人を政治的に結びつける「ニューディール連合」を形成し、手厚い社会保障や経済的不安を緩和する公共事業を行った。さらにケネディ大統領らが1960年代の公民権運動を支援し、法的な人種隔離を撤廃し、少数派を国家の枠組みへと統合するプロセスを進めました。ニューディール連合とは、19321960年代末にかけてアメリカの民主党を支えた、多様な支持層(南部白人、都市労働者、人種的・宗教的少数派・農民・知識人)による選挙協力の枠組みです。なぜ成功したのか。彼は、社会・人種的に対立しがちな人々に「雇用」や「社会保障(年金制度など)」という実利を提供することで団結させた。黒人は南北戦争以降、解放してくれた共和党を支持していたが、ニューディールの救済策が黒人層にも及び、民主党支持へと転換した。また第二次世界大戦の勃発が国内を団結させ、彼の強力なリーダーシップもあって改革は完遂できた。この政策は、ケインズが説いたばかりの「有効需要理論」の最初の大きな成功事例でした。

 公民権運動が成功したのは、キング牧師らの非暴力の抗議活動とテレビによる全国中継が大きかった。また連邦権力の介入による司法・行政・立法の連携が功を奏した。しかし、民主党大統領が黒人の権利を法的に認めたことで、南部の保守白人層が民主党を離脱して共和党に鞍替えし、二大政党の対立を深め、現代に至ることになった。

 

 1938年〜、スウェーデンは国家的な労使協調路線を創り上げた。1930年代の世界的不況の中、スウェーデンでも労働者側(労働総同盟)と資本家側(経営者連盟)の激しいストライキや暴力沙汰が相次ぎ、社会秩序が崩壊寸前でした。労使双方が政府の介入を待たずに直接交渉を行い、「サルツシャーデン協定」を締結。「労働争議におけるルール作り」と引き換えに、資本家側は雇用や賃金の安定を約束し、労働者側は経営権への不介入を受け入れました。これを機に「労働組合・経営者・政府」の協調体制が生まれ、世界最高水準の社会保障を支える強固な社会的連帯(国民の家構想)の土台となりました。サルツシャーデン協定は、それまで不安定だったストライキやロックアウトなどの激しい労働争議を抑制し、協調的な関係を目指して労使双方が参加する共同の紛争処理・調整機関を作り、平和的解決を図る仕組みを整えた。このモデルは北欧各国に浸透し、今も高度な福祉国家を支え続けている。

 なぜ北欧だけに、このような合理的なシステムが出来たのか。これば厳しい自然環境から生まれた「対話と連帯の文化」が息づいているからです。この精神はバイキングの民主的な共同体から息づき、アイスランドの直接民主主義等や国民の高投票率にも現れている。彼らは敵対者への暴力で社会体制を破壊し、新たにするのでは無く、妥協と協力で社会の統合を成しえたのです。

 

 1990年代南アフリカは平和裏にアパルトヘイトを乗り越えた。アパルトヘイト(白人による人種隔離政策)の崩壊直後、白人支配層と被支配層の黒人、さらには解放を目指す黒人派閥間にも、数十年におよぶ弾圧と暴力による、修復不可能なほどの深い憎悪と分断が存在していました。黒人の解放活動家のリーダーだったネルソン・マンデラは、国際世論の後押しで白人政権から平和裏に政権を引継ぎ、大統領になった。しかし前政権支配層の加害行為、また解放方針の違いで敵対する黒人集団への対処が喫緊の課題でした。彼は、過去の人権侵害の加害者が公の場で真実を告白すれば刑事訴追を免除する「真実和解委員会」を設置しました。彼は、復讐に走り厳格な処罰を行えば報復合戦が始まれば内戦に至ることを憂慮し、多人種国家として永続させる道を選んだ。この道は、想像絶する苦難を伴いました。武装闘争で対立していた黒人グループが白人の支援を受け、マンデラ路線を葬るために、彼のグループを2万人以上殺戮していたが、彼は皆に耐えるように訴え、内戦勃発を防ぐことが出来た。インドの解放を成し遂げたガンジーは、若い頃に21年間、南アフリカを訪れ人種差別を目のあたりにしていた。そしてマンデラはガンジーの非暴力不服従闘争を学び、「寛容・団結・和解」の精神を引き継いでいた。

 

 

 1965年〜、シンガポールは独立時に多民族国家構築を成し遂げた。シンガポールは中華系(約75%)、マレー系(約15%)、インド系(約8%)などの諸民族間で血生臭い人種暴動(1964年の人種衝突)が発生した直後であり、国家として極めて脆弱な分断状態にありました。リー・クアンユー政権は、特定のマジョリティ優遇ではなく、英語を共通の行政・ビジネス言語としつつ、4大公用語(英語・マレー語・中国語・タミル語)を平等に扱い、すべての民族が等しく恩恵を受けられる住宅政策(HDB)や義務教育を徹底しました。民族ごとの居住区の固定化を防ぐため、公団住宅に各民族の入居比率制限を設け、日常的な交流と融合を促しました。特定の民族優遇を避け、4つの公用語(英語・中国語・マレー語・タミル語)や主要宗教の祝日を平等に尊重する政策をとりました。民族に関わらず、能力と実績に基づいて評価・登用する仕組みを徹底し、国家の安定と経済成長につなげました。

 シンガポールがマレーシアから独立した経緯は、同じ三民族からなる多民族国家ゆえの対立がありました。マレーシア側はマレー系が多く、シンガポール側は中華系が多く、共に主導権争いで疑心暗鬼になり、分離独立の道を選んだ。互いに、三民族を平等に扱う事に成功し、今の発展を手に入れた。

 

まとめ

 人類は歴史を重ねる中で社会内部に多くの対立を生み出しては、紛争を経て統合を成し遂げることもあれば、上述のように稀に融和策で団結を図り、次代の発展へとバトンを渡すことが出来た。

成功の要因。

l 一方が他方を力で抑え込まない。

l 異なるグループがそれぞれ公平な利益配分を得る為の制度的妥協点を見出す。

l 互いに合意出来る、対立を処理できる制度が必要。

l 多くの場合、優れたリーダーが牽引した。

 

 

 

 

2-9 国家は対立・分裂し、また融和・統合を繰り返してきた

 

 ここでは、紛争と公害防止以外の社会・格差・健康などで世界が協力した事例を見ます。

 

 先ず世界最古の国際法とみなせるローデス海法がありました。古代ギリシャ・ローマ時代〜7世紀

頃まで採用された海上法規です。嵐の際に船を軽くするために積み荷を海へ投げ捨てた場合「救われた船や残りの積み荷の持ち主全員で、失われた損害を分担する」というルールを世界で初めて定めました。また、難破船を救助した人に対し、海の深さや危険度に応じて積み荷の10%50%の報酬(救助料)を支払うことも義務付け、略奪ではなく正当な救助を促しました。これ以前は、「漂着した難破船の財産は、その海岸の領主や住民のものになる」という略奪的な慣習がまかり通っていました。

 

1919年、ILO(国際労働機関)設立、加盟国187ヵ国。これは、第一次世界大戦後世界の労働条件の改善することにより労働者の不満が社会不安や革命につながるのを防ぎ、社会正義に基づく「世界の恒久平和」を実現する事を目的としたまた人道的な労働条件を導入した国が、労働者を酷使する国との国際競争で不利にならないようにする経済的な目的も兼ねていた。児童労働強制労働労働時間結社の自由最低労働基準差別などについて国際基準を作ってきた。「18時間・週40時間労働」や「有給休暇」などの制度は、ILOのおかげで世界中に広まった。日本は当初加盟したが、戦争で脱退し、戦後また再加盟した。ところが、日本は基本条約の5件の内3件は批准せず、また米国の批准数はさらに少なく世界でも最低水準です。両国の国内法との兼ね合いもあるのですが、労働者の権利が軽視されている証左でしょう。

 

19441947年、ブレトン・ウッズ体制からGATT誕生まで。これは、戦間期の保護主義と通貨混乱を二度と繰り返さないために、国際金融の安定(IMF・世界銀行)と国際貿易の自由化(GATT)を柱として構築された。為替安定・短期資金支援を担うIMF(国際通貨基金)、復興・開発資金を担う

世界銀行、 関税及び貿易に関する一般ルールを協定するGATT3本柱です。前者二つは、為替相場の安定、国際収支の赤字国への融資、戦後復興と途上国開発への融資を担い、戦後復興と国際取引を活性化させた。GATTは、関税の引き下げと非関税障壁の撤廃などにより、貿易摩擦を解消し世界貿易量の爆発的な拡大を後押しした。世界は貿易ルールに従って経済的孤立から互いに経済的繁栄を目指した。これがグローバル化でした。

 やがてこの体制は米国の対外赤字の増大により固定相場制が崩れ変動相場制に移行し崩壊した。またGATTは協定であり、強制力がなく、またサービス貿易の増大などで、対応できなくなり、1995年にWTOへ転換した。

 上記体制が無ければ、今の世界の発展は得られなかっただろう。まさにグローバル化を推進したからこそ、世界経済全体が潤った。一方で、先進国の国内労働者の転職対応を疎かにした国は、大きな混乱を生んだ。特に米国は、その混乱の中で、80年前の禁じ手(関税)にしがみつこうとしている。

 

1980年、世界保健機関(WHO)による天然痘根絶。WHO(世界保健機関)の主導のもと、冷戦下であったにもかかわらず米国とソ連を含む世界中の国々が協力しました。資金提供、ワクチンの大量生産、世界各地での徹底した接種キャンペーンと監視活動を連携して行い、人類史上初めて感染症を地球上から根絶することに成功しました。米国とソ連がワクチンを提供して協力し、ワクチン技術の移転も含まれていました。当初は全人類への100%のワクチン接種を目指していましたが、途中から「患者をいち早く見つけ出し、その周辺住民に集中的に予防接種を行う」という戦略(サーベイランス・封じ込め作戦)への転換で劇的な効果を上げました。1977年、ソマリアでの発生を最後に、地球上から無くなりました。

 

1987年~、Erasmusスタート。欧州連合(EU)が主導する大学生等の国際交換留学・教育支援プログラムです。目的は、ヨーロッパ圏内および世界各国との間で学生や教職員の流動性を高め、多様性の理解や国際的なキャリア形成を促進することで、累計参加者は1300万人を越えている。主な効果は、「就職活動・キャリア」「個人の内面的成長」「国際的な人間関係」で顕著に現れています。この参加者は、就職や失業率で良い結果を出し、長い目で見ればEU内の国際交流・国際理解に役立つことは間違いない。

 

2000年、国連ミレニアム開発目標(MDGs)採択。全加盟国によって採択され、2015年までに貧困・飢餓・初等教育・母子保健などを改善する8つの目標を掲げました。極度の貧困と飢餓の撲滅、普遍的な初等教育の達成、ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上、乳幼児死亡率の削減、妊産婦の健康状態の改善、HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止、環境の持続可能性の確保、開発のためのグローバル・パートナーシップの構築が目標でした。上記目標の「極度の貧困率の半減」や「栄養不良人口の割合半減」などは見事に達成されました。また、安全な飲料水へのアクセス向上や初等教育の就学率向上などにも大きな進展がありました。しかし、サハラ以南のアフリカなど一部の地域で達成が遅れたほか、スラム居住者の増加、気候変動・二酸化炭素排出量の増加、依然として残るジェンダー格差などが課題として残りました。この成果と反省を引継ぎ、SDGがスタートしました。MDGsが主に開発発展途上国を対象としたが、SDGはすべての国を対象にし、17の目標でスタートし、2030年まで行われる。

 MDGs成果の一つとして、1990年から2015年にかけて10億人以上の人々が極度の貧困(11.25ドル未満での生活)から脱却することができました。2000年からの15年間で、先進国やNGO、各種財団による拠出額1兆数千億ドルが投じられた。SDGではさらに巨額を必要としている。ちなみに、2025年のODA(政府開発援助)の拠出額は米国が約290億ドル、日本が約162億ドルでした。

 


2015年、パリ協定(気候変動対策)批准。190か国以上が批准した気候変動対策の国際枠組みです。       各国が自主的に温室効果ガス削減目標(NDC)を提出し、5年ごとに見直す「ボトムアップ型」の仕組みにより、事実上すべての国を巻き込む合意を実現しました。世界の平均気温上昇を産業革命前と比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力を追求することを掲げています。1997年に採択された「京都議定書」は先進国にのみ温室効果ガスの削減義務を課したため、途上国の排出量増加に対応できず、アメリカの離脱や先進国内の対立を招きましたが、このパリ協定で全員参加となった。しかし現状、国連環境計画の試算では、現在の各国の政策のままでは今世紀末までに2.6℃〜2.9℃の気温上昇が予測されており、1.5℃に抑えるための削減ペース(2030年までに約42%削減など)には遠く及んでいません。一方で、概ね世界は、身の回りで起きている気候変動と温室効果ガスの関連を理解し、削除目標を共有するようになった。しかし三つの問題がある。温室効果ガス排出量世界2位の米国はトランプ政権の意向によってパリ協定からの離脱・復帰を繰り返し国際協調を阻害している。目標達成に法的拘束力がない。途上国への資金援助をめぐる対立がある。

 炭素税が対策として優れており、80ヵ国以上で採用されているが、順調ではない。炭素税は、CO2排出に税金を掛け、CO2排出の少ない産業への転換と排出抑制技術の革新を進め、その税金を環境対策に使うのが目的です。しかし、化石燃料の高騰と米国の炭素税導入拒否がネックになっており、採用国は苦労している。ここでも米国が足を引っ張っている。

 

まとめ

  世界は、先ず地中海周辺でヨーロッパで協力が始まり、次いで大航海時代を経て大西洋とインド洋まで繋がり、第二次世界大戦後は、世界各国が協力するようになった。それはグローバル化と併走していた。明らかに一国の努力では解決出来ない課題が増えており、各国が協力しなければならなくなった。様々な国際機関を作り、機能させて来た。だが、うまく機能しているとは言えない。各国間の所得格差(貧困度)は緩和・縮小傾向にありますが、名目GDPで約800倍、購買力平価(実質的な生活水準)で約80倍の差がまだあり、経済的・技術的な協力には限界がある。また多極化が進み、南北問題から南の代表としてブリックスBRICSが影響力を高めている。さらにロシアと中国の独裁だけでなく、右派ポピュリズムが米国を筆頭に多くの国を内向きにさせている。ただでさえ国連は軍事・制裁の執行力を持っていないのに、拒否権により決議すらできないでいる。不安な状況が続いている。