Friday, April 12, 2019

北欧3ヵ国を訪ねて 62: 古都ロスキレ 1





< 1. ヴァイキングの故地 >


今回は、コペンハーゲン港から古都ロスキレまでを紹介します。
私はデンマークではコペンハーゲンを中心にシェラン島を旅しました。
シェラン島の訪問地を簡単に紹介します。


 
< 2. デンマークの訪問地、上が北 >

上: シェラン島の主な訪問地。
赤枠が主な訪問地で。黒線は電車です。
1日かけてコペンハーゲンを離れて北側の二ヵ所、お城と野外民俗博物館を訪ねた。
数時間かけてコペンハーゲンの西側にある古都ロスキレを訪ねた。
1日半かけてコペンハーゲン中心部の街並み、博物館、美術館、宮殿、教会、図書館などをバス、地下鉄や船など使い観光しました。

下: ロスキレではヴァイキング博物館と大聖堂を見て、公園と市街地を散策しました。
ピンク線は行きのバスで、青線は帰りの徒歩です。
黒線はコペンハーゲン間の電車です。

今回の写真は2019年6月7日、10:00~12:00に撮影したものです。



 
< 3. フェリーを下船 >

上: 下船したばかりのフェリーを見上げる。

下: 予約していたシャトルバスからの眺め。


 
< 4. シャトルバス >

上: 右側の路側帯に数多くの自転車が見える。
首都の中心部に近いのに車が少ない。

下: シャトルバスの停車場、普通の道路端で下車。
電車や地下鉄駅から少し離れた所で降りる。


 
< 5.Nørreport駅付近 >

上: シャトルバスの停車場側からNørreport駅付近を望む。

下: この地下を電車(国鉄)や地下鉄が走っている。


私は電車を利用する前にCopenhagen Cardの72hを買う必要があった。
7-Elevenで販売していることが分かっていたので、写真のような道路中央にある店に入った。

ここで注意があります。
店員がカード使用開始時間を聞いてい来るので、今から使うのか、また使用開始の日時を指定する必要があります。
私は直ぐ使うので、カードのvalid form欄に購入時の時間10:30を記入してもらった。
初め何を言っているか分からず、戸惑った。
オスロのホテルでカードを買った時もそうだったのですが。

この地下に降り、電車に乗って2駅先のコペンハーゲン中央駅に向かう。



 
< 6. コペンハーゲン中央駅 >

上: 地下1階のホームだが、地上は見える。

下: エスカレーターに乗って1階のコンコースに出た。
この写真は西側寄りから東側を見ている。
中央の青色の表示板が電車の行先表示で、ここで電車の発車時間とホームを確認した。
この周辺に案内係がいたので聞くことが出来た。
この写真の反対側のエレベーターで階下に降りて、ロッカーに荷物を預けた。
ここでは荷物を人手で預かってもくれる。

ホテルは近いのだが、この駅でスーツケースなどの荷物を預けた。
直接ロスキレに電車で向かう方が時間ロスが無いので。
ここには様々な飲食店やコンビニ、スーパーはあるのだが、11時少し前なので、食べずに電車に乗った。

Copenhagen Cardを買っておくと、今回の遠出と中心部の観光入場と交通がすべてフリーパスのなので、非常に楽です。
入場券と切符を買う手間暇がまったく不要でした。



 
< 7. ホームにて >

上: コペンハーゲン中央駅のホームで電車を確認。

中: 電車内の表示で、行先と車両を確認。

下: ロスキレ駅に到着。


 
< 8. ロスキレ駅 >

上: 待合室。

下: 待合室の前のバス停。
駅前のバス停からは目的地に行かないようです。






< 9. バースターミナルに向かう >

上: 駅前の道路脇の表示板。
ヴァイキング博物館に行くには左に行く方が良いようです。

下: 駅を出て左側に進むと、バスターミナルが見えた。

数多くのバス停があったので、どのバス停で乗るべきかを近くの人に尋ねた。
ここでも若い女性に聞くと通じず、年配の男性が教えてくれた。



 
< 10. バス停からバスに乗る >

上: バスターミナル横の店舗。

下: バスに乗った。

私が何処で降りるべきか不安がっていると、左前の女性が次で降りなさいと教えてくれた。
私がバスに乗車する時に、運転手に「ヴァイキング博物館に行きますか」と尋ねたのを聞いていたからだろうか。

旅ではちょっとした親切が身に沁みるものです。


次回に続きます。






Wednesday, April 10, 2019

平成の哀しみ14: 深まる亀裂 12: 沖縄と本土 2


 


沖縄の問題とは?


 


俗説
A 左翼や海外からの支援に毒されているだけで基地反対は一部。
B 法外な補助金を貰い軍事基地の恩恵を受けながら身勝手。
C 日本の防衛を無視。

A 今回、間違いだったことが判明した。
基地反対への県外からの支援はあるだろうが、むしろ基地賛成派(自民党、公明党、既得権益層)の締め付けを跳ね返しての結果でした。


B 複雑だが誤解がある。

沖縄は国の補助金(交付税、振興予算)を貰っているが、総額で全国12位、一人当たりで5位、最大ではない。

問題は、一人当たりの県民所得が全国最低で、全国平均より30%も少ないことです。
これは大戦後の27年間の米軍支配で産業経済が破壊されたことが大きい。
この時の本土復帰に反対したのは米軍と言うより、基地利権を持っていた人々でした。
その後も軍事基地化が続き、自立するチャンスを失っている。


沖縄の人口は日本全体の1/89、本島の面積は本土の1/190。
ところが米軍の人数は本土の2.4倍、米軍基地は平地の少ない沖縄本島の面積の18%を占める。
ベトナム戦争当時、従軍した米兵による市民の被害が続出した。

沖縄にとって米軍基地は深刻な生活問題です。


次回、Cを検討します







Tuesday, April 9, 2019

平成の哀しみ13: 深まる亀裂 11: 沖縄と本土 1






国内でも亀裂は深まっている







この2月、沖縄は県民投票で基地を不要とした。

52%の投票率で反対72%は沖縄の総意と言える。

憲法に「地方の住民の投票において、その過半数の同意を得なければ、国会は・・・制定出来ない」とある。
しかし政府は辺野古の埋立を続行する。

住民投票は無効なのか?

体制側とウヨは、沖縄県民の高々38%の反対に過ぎないと言う。
これは稚拙なミスリードです。

世界を見ると国民投票は大きな力を発揮して来た。
ノルウェーやバルト三国の独立は国民投票で決した。
英国はスコットランド独立とEU離脱を投票に掛けた。
(投票率72%、賛成52%で国民の37%が離脱賛成、僅差が問題)

対案を示さず、反対だけで身勝手だと言う。
これは法の理念に反している。
被害を被る側が、その回避策を出せないからと言って我慢する必要はない。
例えば、原発の放射性廃棄物があなたの町に捨てられるとしたら。

救済手段が無く国会も無視する場合、住民の総意をどう実現すれば良いのか?

訴訟の手はあるのだが、日本の裁判所は国政について憲法判断をしない(不備)。
残るは国会での法制定しかないが、現状では著しく困難です。

完全に八方塞がりです。


次回に続きます


















Sunday, April 7, 2019

平成の哀しみ12: 深まる亀裂 10: 捏造される歴史




*1


なぜ日本では歴史が簡単に否定されるのか?


 


歴史を否定する人は、日本は大陸の侵略も非道もしていない、自ら望んで戦争したのでは無いと言う。
そこには惨劇があったかもしれないが、日本に非が無いと言う。

世界の歴史家が答えを出しているので、ここでは捏造され易い日本固有の事情を考えます。

A 記録を残さない、不都合な事実を隠蔽する
記録を残す場合もあるが、都合が悪ければ隠蔽し消却する。
また最後まで平然と大嘘を続け、責任を取らない。

大戦時の軍部から現在の政権までこの体質は続いている。


B 人々は組織の守りに徹し、権威に盲従する
所属する組織に都合が悪ければ、社会正義に反していようが口をつぐむ。
ボスに付き従い、裏で悪口は言っても表立って批判しない。

こうした組織文化が軍隊、官僚、企業からの内部告発を許さない。


C 日本列島に閉じ籠る
これは地理的、言語的に避けられないのですが、さらに残念なことに日本人は海外に関心が薄い。

だから大陸で起きた事実を直接見聞出来ないだけでなく、確認しようともしない。

これは最悪です。
正しい歴史を持つためには、近隣諸国と共通歴史書を作るしかない。
今は不可能だが欧州共通教科書の例もある。


次回に続く




Saturday, April 6, 2019

北欧3ヵ国を訪ねて 61: フェリー 3



 1


今回は、室内の紹介、そしてクロンボ―城の眺めからコペンハーゲン港への入港までを紹介します。



 
< 2. 船内の紹介 >

中: フロント階の直ぐ下の階。

下: その階の窓側にこのモニターがあったと思います。

4時頃からデッキに出てクロンボ―城の撮影を狙っていたのすが、いつまで経っても見えません。
それで船の位置を示すものは無いかと探していると、モニターを発見した。
モニターを見ると、赤い船の印はまだ海峡に入っていませんでした。
この時刻は6:07で、クロンボ―城に最接近したのは7:57でした。


 
< 3. 船内の様子 >

上: フロント、案内所のある階。

中: 船内の紹介。


 
< 4. 両側に陸地が見えて来た >

上: 前方左舷のスカンジナビア半島。

中: 前方右舷のシェラン島。

下: 前方に微かに海峡らしきものが。


 
< 5. やっと海峡が見えた >

上: 左はスウェーデンのヘルシンボリ、右はデンマークのヘルシンオアです。
この海峡の幅は4kmで、スカンジナビア半島とシェラン島の距離が最も近い。

中: ヘルシンボリ側。

下: ヘルシンオア側の先に、クロンボ―城が見え始めた。
7:50です。


この海峡の狭さが、このクロンボ―城を歴史的に有名にした。
このことがハムレットの舞台になった理由かもしれない。

中世の時代、ドイツを除く西欧諸国は北方交易の為、船で北海からバルト海に行くには、この海峡を通過せざるをえなかった。
ドイツだけはリューベックから直接、バルト海に出ることが出来た。
このことがこの都市をハンザ同盟の中心都市にした。
この頃、バルト海からヴァイキングが去って久しく、ハンザ同盟も盛りを過ぎ、交易は各王国が主導権を担っていた。
中世初期の交易は地中海が注目されていた。

14世紀、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間連合が結ばれた。
この盟主となったデンマーク王は戦争による疲弊した財政を立て直す為に、この地にクロンボ―城を作り、通行税を徴収し始めた。
これが財政を豊かにさせた。

第二次世界大戦時、ドイツがノルウェーに侵攻した大きな理由は、英国海軍のバルト海進出とノルウェーの海運を封じる為でした。

この海域は西欧、北欧、東欧、ロシアにとって非常に重要だったのです。



 
< 6. クロンボ―城 >

下: 最も近くなったところ。



 
< .  離れて行く >



 
< 8. 私のキャビン >

二段ベッドの二人部屋を一人で使ったので、狭くはなかった。
シャワーも使った。
安価なので窓はないが、気にはならない。
静かでよく寝れた。



 
< 9. コペンハーゲン港が見えた >

上: コペンハーゲン港。

下: 中央に要塞島が見える。
これはかって英国との海戦でデンマーク側の守りの要になったことだろう。


次回に続きます。



Tuesday, April 2, 2019

平成の哀しみ11: 深まる亀裂 9: 美化される歴史






なぜ美化されるのか





 



日本の歴史は自虐史観によって歪められていると説く人がいる。

彼らは、日本民族は他と異なり特段に優れ、長い歴史を持つ神代の国で、文化は物真似ではなく独創的であるとする。
これを聞いて思い当たるものがある。

これは紀元前後の聖書、史記や日本書紀などの国史に通じる。
これらは民族や国がまとまりつつある時期に、為政者側で作られた。
そこには悲願や正統性が高らかにうたわれている。
面白いことに、他の宗教や民族から見ると眉唾物だとされる。

一方、古代ギリシャのヘロドトスの歴史やトゥキディデスの戦記は、これらと異なる。
この二つは個人が書き上げ、市民に当時の二大戦争を語るものでした。

何が異なるのだろうか?

歴史を見る目、意図が真逆です。
前者は国民に国体を、後者は市民に真実を伝えるものでした。

ある時は自国の歴史を見直すことにより独立機運を高めた、また戦争の歴史を確認し自戒を求めたこともあった(聖書の預言書も)。

一方で、幾たびも現れるホローコースト否定論、これは反ユダヤ主義者を勢いづけて来た。
ヒトラーもゲルマン民族の歴史を美化し、他民族への敵意を煽った。

歴史の美化は曲解をうみ易く危険です。


次回に続く




Monday, April 1, 2019

平成の哀しみ10: 深まる亀裂 8: 勘違い 2



*1


日本民族には世界に類を見ない崇高な精神がある








世界の歴史家が認める日本の帝国主義を無かったことにし、自虐史観と非難する人々にとっては、これが譲れない。

彼らがこの矛盾に気づかない限り、けっして自国の罪業を認めない。
そして隣国との宥和は遠のくでしょう。

答えは、人類は皆同じ行動パターンを取る事に尽きる。

右翼の雄でさえ「世界は一家、人類は皆兄弟」と言っていた。
これはさておき、人間は極限状態で常軌を逸することは心理学実験や歴史的事実として知らている。

武士道が例証されるが、高々数百年の軍人階級に育まれた文化で、この恥や名誉を重んじる行動パターンは世界中の先住民から英国にもある。
特段優れたものとは言えず歪もある。

日本の精神文化は強い軍隊を生み出すが、人道的な問題を生じやすい。
これは東アジア、特に日本で強い帰属意識が原因です。
これは同胞外への迫害、同胞域外での倫理観放棄、権威への盲従(ドイツも同じ)、同胞の悪事隠蔽、これらが外地の軍隊の非道を招くことになった。

また日本軍の個人無視と無責任な作戦が災いし、兵站無視による飢えで外地では極限状態が頻発した。

こうしてせっかくの崇高な精神は潰えた。


次回に続く







Sunday, March 31, 2019

北欧3ヵ国を訪ねて 60: フェリー 2





*1


今回は、DFDSフェリーの食事とフェリーからの景色を紹介します。
今回でオスロ湾ともお別れです。



 
< 2. 夕食 1 >

写真は予約していた18:00からのブッフェの光景です。
非常に沢山の北欧らしい食材と料理が並んでいます。

乗船客は時間を分けて予約しているので、多くの人が取り合うことは無かった。
下の写真の左、男性が今まさに取ろうとしているのは骨付きリブ肉で、一つが大きい。
私も取ろうとしたのですが、大き過ぎるので止めました。



 
< 3. 夕食 2 >

上: シーフードのコーナー。

下: 最初に取った料理。
ビールは予約していたものです。
ウエイターはしきりにワンランク上の飲料を薦めたが断った。


 
< 4. 夕食 3 >

二度目の料理とデザートです。

今回の北欧旅行で、レストランで食べったのはこれを含めて3回だけでした。
当初はスウェーデンの港町でバルト海のシーフードを食べるつもりでしたが、電車が突如不通になり、叶わなかった。
またデンマークの港町でも食べようとしたのですが、祭りの為か町のレストランの多くは閉まり、簡単なものしか食べられなかった。

どちらにしても北欧の物価は高く、貧乏旅行では高すぎて手が出なかった。
結局、ホテルの朝食を充分食べて、昼と夜はコンビニでサンドイッチのようなものを買って済ませた。


 
< 5. オスロ湾に別れを 1 >

時刻は18:40前後です。
出港から2時間10分が経っていました。
左右の陸地は遠のき、その間を行き交うフェリーが見えます。

上中: 前方を見ている。

下: 後方を見ている。



 

< 6. オスロ湾に別れを 2 >

時刻は18:45頃ですが、ジャグジーを楽しんでいる人々がいる。



 
< 7. 船内 >

上: 免税店。
中: エレベーターホールに出る。
下: キャビンの通路。


 
< 8. 夜明け 1 >

朝4:25、夜明けの瞬間です。
朝陽はスカンジナビア半島、スウェーデン側から昇ります。

この辺りは東側だけで陸地が微かに見える。
他の方向の眺め大洋を行くが如しです。



 
< . 夜明け  >

時刻は4:40~4:55です。

上: 進行方向右側、西、デンマーク側を見ている。
漁船らしいものが数隻見える。
その奥に、ユトランド半島か島らしいものが微かに見える。

中: 進行方向左側、東、スウェーデン側を見ている。
望遠側で撮影すると、陸地に無数の風力発電用の風車が見える。

この手の風車を最初に製造したのはデンマークだった思います。
「持続可能な発展」を提唱したのノルウェーだったと思います。
北欧とは不思議な国です。
小国ながら自然に対して世界に先駆けた発想を持ち、やがて実現し、そして世界はそれを見習うようになった。

下: 前方に微かに島か陸地が見え始めた。






 
< 10. 夜明け 3 >

時刻は5:50頃です。

やっと前方に、陸地が確認できる。
左はスカンジナビア半島、右はデンマークのシェラン島でしょう。
シェラン島にコペンハーゲンがある。

実は、早くから起きて海を見ているのには理由があります。
それはもうすぐ訪れる最も狭い海峡の一方にクロンボ―城が見えるはずだからです。
クロンボ―城はハムレットの舞台になった所です。


次回に続きます。