Introduction
I wrote this report because, far from escaping a long slump, Japan's international rankings have continued to fall, and even the seemingly healthy United States is in turmoil as the Trump whirlwind rages. What's even more alarming is that many countries seem to be convinced that right-wing populism alone can solve these problems without addressing the root causes of these worsening conditions.
First, I will analyze the current situation in the United States and explain why economic inequality has widened and division has occurred. Next, I will discuss Japan and show how Japan's unique weaknesses are further exacerbating the situation. I will also introduce countries that have achieved happiness by making different choices from those of the United States and Japan. Based on the differences between these two groups, I will clarify where Japan, the United States, and the United Kingdom made poor choices. I will address these issues in Part 1.
Then, I will discuss the dangers of the United States getting out of control, as well as the dangers of a global resurgence of dictatorship. I will consider Putin and the war in Ukraine, and the wars plaguing China. I will address these issues in Part 2.
Finally, I will explore a path of hope for escaping the current predicament we have fallen into. First, I will introduce the wisdom and courage that humanity has achieved so far, as well as real-life success stories. At the same time, I will touch on the difficulties of predicting the future, analyzing the current situation, and accepting warnings. Fortunately, however, a single, yet firm ray of hope has begun to shine. This is "A Millennium of Innovation and Inequality," written by a Nobel Prize-winning economist. It is fair to say that this book contains all the answers I was looking for. I will provide a summary here. I will discuss these in Part 3.
はじめに
私がこのレポートを書いたのは、日本が長い低迷から脱するどころから、益々、国際ランキングを落とし続け、さらに好調そうな米国でさえトランプ旋風が吹き荒れて混乱しているからです。さらに私が危機感を強めているのは、これら状況の悪化の本質に手を付けることなく、右派ポピュリズムの勢いだけで、解決出来るようなムードに世界が支配されてしまっているからです。
先ず、私は米国の現状分析を行い、なぜ米国で経済格差が拡大し、そして分断が起きたかを明らかにします。次いで日本も扱い、日本独自の弱点がさらなる悪化をもたらしていることを示します。一方で米国や日本と異なる選択をして幸福を手に入れた国々を紹介します。この両グループの違いから、日米英はどこで間違った選択をしてしまったかを明示します。第一部でこれらを扱います。
その後、米国の危険性と共に、世界に蔓延しつつある独裁制復活の危険性を取り上げます。プーチンとウクライナ戦争、そして中国に纏わりつく戦争について考察します。第二部でこれらを扱います。
最後に、堕ちてしまった現状の苦境から脱出する希望の道を探ります。一つは、人類がこれまでに成し遂げて来た叡智や様々な勇気、そして現実の成功事例を紹介します。一方で、未来予測や現状分析、そして警鐘を受け入れることの困難さに触れます。だが幸いなことに、一筋だが確固たる光明が射し始めた。それはノーベル経済学者が著わした「技術革新と不平等の1000年史」です。ここには、私が求めていたすべての解答が書かれているといっても良いでしょう。この要約を掲げておきます。第三部でこれらを扱います。
各章を簡単に紹介をします。
第Ⅰ部 疲弊し暴走する国家
第1~4章で、米国の惨状の分析を行います。そこにはエスタブリッシュメントに好都合な新自由主義政策と戦争中毒、結果としての金権政治と経済格差の関連を明らかにします。
第5~7章で、日本の惨状の分析を行います。これにより日本の長期衰退の原因を理解出来るでしょう。特に19世紀に始まる欧米の労働運動のうねりと、日本の労働運動の悲惨な結果をみます。最後に、新自由主義が如何に煽情されて、国民に受け入れられたかもみます。
第8~10章で、我々に新自由主義以外の選択肢があることを紹介します。それも遥かに幸福を手に入れた国々があることを。
第Ⅱ部 独裁と戦争
第11~12章で、トランプの危険性、独裁者の側面に焦点をあてます。
第13~17章で、ヒトラーを例に独裁とは何かを知った後に、独裁者プーチンと習近平を考察します。またウクライナ戦争の背景を知って、対処を考えます。
第18~19章で、ベトナム戦争と日本の戦争を振り返り、戦争がつまらない誤解や思い込み、そして国のトップ連中の都合で国民が振り回される様子をみます。
第Ⅲ部 未来を切り開く
第20~23章で、現実に幸福を手に入れた国々、また人類が長い年月を掛けて民主主義や人権(男女平等)を如何に手入れたかを紹介します。
第24章で、如何に現状分析と未来予測が困難だと言うことを、多数の経済書を例にみます。一方で有効な警告の書もありました。
第25章で、アセモグル著「技術革新と不平等の1000年史」の要約を挙げ、彼が唱える「民主的な力で、技術の進歩をコントロールしてこそ、国民全体が豊かになって来た、これからもそうあるべきだ」を、著書の流れに沿って説明します。皆さんがこの著書を自分で読んでいただければ、私のレポートの1/3は不要になります。
おわりにで、レポートのまとめと、皆さんへの最後のお願いを書きました。
このレポートは、多岐にわたる問題を網羅した結果、注意点が分散してしまった感があります。もっとも手短に読むのなら、第1~5章で現状を知って、第25章の著名な学者の分析と解決策を理解していただければ良いでしょう。あとは、関心のある項目だけ読んでいただければと思います。
--- 目 次 ---
第Ⅰ部 疲弊し暴走する国家 既に投稿済み
第Ⅱ部 独裁と戦争 既に投稿済み
第Ⅲ部 未来を切り開く
第20章 植民地支配や独裁から脱した国々
南アフリカ、リベリア、フィリピン、チリ、アルゼンチン、韓国、バルト三国
第21章 幸福と豊かさを手に入れた国々 北欧にみる
第1節 北欧の概要
私が肌で感じた北欧の良さ!、北欧の気になるところ、
第2節 北欧の素晴らしさを客観的に確認します
幸福度、一人当たりGDP、所得格差、世界競争ランキング、ベンチャー投資
第3節 なぜ北欧は、これだけのことを成し遂げることが出来たのか?
有機的な連携、合理性を重んじる、試行錯誤、北欧理事会、教育の重視
第4節 スウェーデンの具体的な施策
第5節 日本は北欧型になることは出来ないのか?
第6節 それではなぜ北欧はこんな素晴らしい国になったのだろうか?
第22章 我々が生み出して来た社会システム; グローバリズムと民主主義
第1節 グローバリズム
グローバリズムの2百年の歴史、グローバリズムのメリット、
グローバリズムのメリット・デメリット、移民問題、壮大な移民の歴史、まとめ
第2節 民主主義
私の民主主義への想い、民主主義の起源、その後の民主制の歴史、民主主義の定義
民主主義の長所と短所、上記表の民主主義の長所と短所の補足、
自由主義、資本主義と民主主義の関係、自由主義の長所と短所、
資本主義と自由民主主義との関係、
資本主義と自由民主主義が共に行われることの長所と短所、まとめ
第23章 我々人類は何を変革して来たのか
人権の大まかな歴史
第1節 男と女の間にあるもの
1.古代における女性の立場
先ずはオリエントから、古代アジアでは、古代ギリシャでは
2.中世以降の女性の立場
12世紀頃のヨーロッパでは、10~12世紀の中国では、12世紀頃の日本では
3.少数民族、先住民族
4.現代
厳格主義のイスラムでは、欧米の1960年代以降、各国の男女差を比較、
スウェーデンでは
5.男女差別の背景にあるもの
第3節 堕胎について
1. 各聖典において
2. 中世から現代まで
第4節 宗教について
第24章 かつて未来を予言した人々がいた
はじめに
第1節 著書「大丈夫か日本経済」の予測
本書の目次毎に要点を整理します
著書から見えて来るもの
第2節 著書「超大国日本の挑戦」の予測
予測の根拠と外れた理由の対比
第3節 日本の識者の予測
経済学者竹内宏、経済評論家長谷川慶太朗、経済学者野口悠紀雄、経済学者金子勝、
経済アナリスト森永卓郎、経済学者高橋洋一、岩田規久男
第4節 外国識者の予測
米国未来学者 アルビン・トフラー、米国経済学者 レスター・C・サロー
米国リサーチ機関社長ジョン・ネイスビッツ、
米国経済学者ジョセフ・E・スティグリッツ
米国の環境学者 D・H・メドウズ、D・L・メドウズ、J・ランダース
医師・教育者 ハンス・ロスリング
まとめ
第25章 技術革新は何をもたらし、我々は如何に対処すべきか
はじめに
「技術革新と不平等の1000年史 上下」の要約
まとめ
おわりに
第Ⅲ部 未来を切り開く
第20章 植民地支配や独裁から脱した国々
独裁国家は、独裁者の首がすげ替わっても続き、腐敗国家では当然のように独裁者が政権を奪う。また民主国家で選ばれたトップと言えども、放置すれば独裁者になった例は数知れない。ここでは、独裁や占領支配から、困難な民主化を成し遂げた例を幾つか挙げます。図の赤枠の国々を扱います。
南アフリカ、マンデラ
しかしマンデラは苦境に立たされていた。彼は、抵抗運動を率いた弁護士で、27年間の監獄生活を強いられ、90年に釈放されていた。その時に白人政府からアパルトヘイト撤廃の交換条件として政治暴力の停止が要求されていた。しかし黒人勢力の一部が暴力抗争を続けていた。彼らは、体制の復帰を望む白人保守層から強大な支援を受け、黒人の殺戮を続け、社会を騒乱に巻き込もうとしていた。警察は黙認し、93年には15000人の黒人が殺された。
マンデラは、国民の暴発を抑える為に、1万人の支持者に向かって語りかけた。
「第一の大きな問題は、政府、警察、防衛軍に、我々黒人を守る姿勢がないことだ! ・・虫けらが死んでしまったかのように考えている」
「・・人々が怒りに燃えているとき、非暴力に訴えるのは難しい・・。しかし解決策は平和だ。・・政治的寛容だ」
聴衆の多くは不満を露わにした。
「暴力に終止符に打つのは、・・我々の責任である。・・罪のない人々を殺すなら、我々の党員ではない!」
聴衆は耳を疑った、殺人者は我々ではないのに。
大きな不満の声が上がった。
彼は意を決した。「静かに!・・私に指導者として留まって欲しいか?」
彼は更に迫った。
聴衆は「イエース!」と大声で応えた。
するとマンデラは笑みを浮かべ「イエーーース!」、「ありがとう」と言い演説を終えた。(注1)
そして、1994年、南アフリカ史上初の黒人を含む全人種が参加する初の民主選挙が実施され、ネルソン・マンデラが初の黒人大統領に就任した。こうして南アフリカは奇跡を成し遂げた。成功のポイントは、独裁集団である白人層が国際的な経済制裁に遭い、かつ身の保全を約束されたからだと言える。
ゲーム理論が説く独裁のメカニズム(利欲に動く)ではなく、一個の崇高な魂が、3700万人の未来を救ったと私は思う。
私がケープタウンに訪れた時の二つの光景が、南アフリカの今を象徴していた。夕陽が海に沈むのを見る為にシグナルヒルに行くと、様々な人種のカップルや家族が斜面を埋め尽くしていた。幸せそうな彼らを温かい夕陽が包み込んでいた。その後、大渋滞を経て港に戻ると、幾つもの20代の男女のグループが、ウォーターフロントのモールに向かっていた。格差社会で治安は悪そうだが、希望に溢れている若者が多くいこと安堵した。
リベリア、リーマ・ボウイー
リベリアは第14章末で紹介したように、80年代から、部族間の抗争が続き、殺戮、レイプ、破壊、貧困、少年兵が蔓延していました。この内戦で25万人の犠牲者、100万人の難民が生まれた。2002年、リーマ・ボウイー(写真の女性)は、平和を手に入れるために、聖歌を歌い訴えようと立ち上がりました。最初、キリスト教徒の女性から始まったが、やがてイスラム教徒も参加するようになった。彼女たちは、戦う夫への性交拒否、大統領の行列に歌と踊り、プラカードで停戦を訴え続けました。
この頃、反政府武装グループが首都に迫り、独裁体制を続ける大統領は窮地に追い込まれていた。一方、リベリアを含む近隣15ヵ国は西アフリカ諸国経済共同体を結成していた。この組織は平和維持軍を有し、その首脳達もリベリアの停戦を望んでいた。
彼女と彼女達の訴えはメデイアを通じて国内とアフリカ諸国、欧米に伝わりました。やがてリベリア大統領は和平交渉に同意します。西アフリカ諸国経済共同体が仲介するガーナ和平会議に、リベリアの各武装勢力が参加した。しかし、交渉はいっこうに進展しなかった。そこで彼女達の代表団は、ガーナの会議場に座り込み、交渉成立を迫った。強制排除が始まると、リーマ・ボウイーは服を脱ぎはじめた。アフリカでは、自分の母親の全裸を見ると不幸になるという言い伝えがある。男達は、ようやく重い腰を上げた。
2003年、それまで経済制裁を行っていた米国と国連は平和維持軍をリベリアに送った。2006年、リベリアで選挙によるアフリカ初の女性大統領が生まれた。この女性とリーマ・ボウイーがノーベル平和賞を受賞した。2023年の大統領選でも平和的に権力が移譲されるなど、民主的なプロセスが継続しています。
ここでも周辺諸国と国連・米国の関与が、民主化を促しているが、一人の勇敢で知恵のある女性と多くの女性が、武器を持たずに男性社会を打ち負かし、国の平和を勝ち取った。
フィリピン、アキノ
第二次世界大戦後、ゲリラ戦争が続いていたが、1965年より、反共を唱え、米国に支援された独裁者マルコスは政権を樹立し、20年もの間、フィリピンを私物化した。そして国民の不満は高まっていた。1983年、反マルコスの大統領候補アキノがマニラ国際空港に帰国した時に暗殺され、国民の反発が一気に高まった。86年、マルコスは大統領選で、暗殺されたアキノ氏の未亡人に勝利したが、この不正選挙を米国大統領が批判すると、マルコス支持派の勢いは、あっという間に衰えた。アキノ未亡人が民衆に抗議を呼び掛けると、通りに200万人以上の市民が集まり、軍幹部や有名政治家が辞任してデモに加わった。軍部は市民を制圧しなかった。この革命は「無血革命」として知られ、マルコス夫妻はハワイへ亡命し、独裁体制は終焉した。米国は、米軍基地を持っていたので、内乱が起きるのを懸念して行動に出たのでした。米国は72年から83年までに25億ドル(約4000億)の軍事・経済援助をしていた。亡命時のマルコス夫妻の総資産は、50~100億ドル(7500~1兆5000億円)だった。フィリピンの当時のGDPは約150億ドル(2兆円)程度だった。
独裁者マルコスは米国に支援されて君臨したが、米国の支援が無くなると分かるとと、盟友の軍部と与党は一気に離れ、終末を迎えた。さらに亡命が確保された事で、マルコスは徹底抗戦しなかった。しかし、死を恐れず立ち向かった人々がいてこそ、道が切り開かれた。
チリ
1970年に社会主義政権が誕生した。これは世界初の民主的選挙によって成立した社会主義政権であった。しかし、米国はこれを受け入れず、すぐにニクソン大統領は就任阻止を指示した。これは失敗したが、その後も金融封鎖やストライキの支援などにより経済に打撃を与えた。最終的には米国の支援した1973年のクーデターにより、ピノチェト軍事政権が発足した。この政権による反体制派への弾圧が苛烈を極め、4万人以上が殺害、拷問、投獄された。1980年にはピノチェトが大統領に就任した。しかし、新自由主義経済政策は行き詰まり、1982年の経済崩壊が起き、また周辺諸国の民主化が進む中で、国際的な批判を呼び、1983年から88年にかけての大規模な市民抵抗などが発生した。政府は徐々に集会、言論、結社の自由を拡大し、労働組合や政治活動も認めるようになった。そして、1988年の国民投票ではピノチェトの続投が否認され、議会制民主主義の道を開いた。1985年から1996年までの実体経済における平均成長率は、チリ以外のラテンアメリカ諸国を上回る7%を記録し、「チリの奇跡」とも称される。
ピノチェトの決断の背景に、自ら作った憲法で88年の国民投票を約束していた事、米国レーガン大統領が国民投票で不正があれば経済制裁と軍事援助の停止を表明、また軍部が国民の人気低下と米国の態度表明で軍事弾圧出来ないと判断した事にある。
さらにバチカンの教皇がピノチェトの独裁に対して国民は立ち上がるべしと語った事も影響している。これはフィリピンの「無血革命」でも同様の事があった。この逆が、ウクライナ侵攻を、「西側の悪徳からロシアとウクライナを救うための『聖戦』」と支持しているロシア正教会の総主教です。プーチンと総主教はギブアンドテイク関係にある。
アルゼンチン
1976年、再び官僚主義的権威主義体制がアルゼンチンに生まれた。この政権は以前の軍事政権よりもさらに強い抑圧・弾圧を進め、周辺の軍事政権と協調し、左翼を大弾圧したことで治安回復には成功したものの、経済全体を拡大しようとした経済政策には大失敗し、天文学的なインフレーションを招いた。軍事政権は行き詰まり、1983年、英国が実効支配するフォークランド諸島を奪還しようと軍を派遣して占領したが、サッチャー首相の決断により、イギリス軍の反撃に遭って失敗した。建国以来初めての敗戦によって高まった国民の不満を受けた軍事政権は崩壊した。この年、大統領選挙と議会選挙により民政移管が行われた。
この新しい大統領は軍政時代に人権侵害(投獄、拷問など)を行った軍人を裁き、軍の予算や人員、政治力を削減した。こうした政策に対して3度にわたる軍部の反乱もあったものの、彼は、結果として軍部を文民の統制下に置くことに成功した。現在は「活気ある代表民主主義」を維持していると評価されています。
民生移管の背景に、フォークランド戦争の敗北により軍部の支持が完全に喪失した事、国家テロによる失踪者年3万人への批判、100%のインフレが起きたことにより、民主勢力の圧力が強まった事がある。
韓国
1961年以降、軍人朴正煕(ぼく せいき)がクーデターにより権力を握り、独裁を行っていたが、79年、側近により暗殺された。80年、またしても軍人全斗煥(ぜん とかん)がクーデターによって大統領になり、民主化運動を弾圧した。この光州事件の死者は200名、別の発表では2000名以上とされている。87年になると、全斗煥政権下で、大規模な「6月民主抗争」(左写真)が発生した。これを受けて、88年、盧泰愚(ろ たいぐ)が国民の直接投票により大統領に選出され、本格的な民主化が始まった。97年、金大中が当選し、初の保守系と革新系の政権交代が実現し、2016年には、キャンドルデモにより朴槿恵(ぼく きんけい)大統領が退陣に追い込まれるなど、市民の力が民主主義を支える力として発揮されるようになった。
韓国の民主化は1987年の「6月民主抗争」が転換点でした。この時、官憲による実力阻止が行われたにもかかわらず、全国33都市と4郡で少なくとも20万以上(主催者発表180万人)が平和大行進を敢行した。これは今までのバラバラだった抗議運動が、学生、野党から知識人、一般市民が加わるようになったからでした。また政権は、翌年のオリンピック開催を控え、強硬措置を執る事が困難であった。さらに政権の後ろ盾となっていた米国のレーガン大統領が全斗煥政権に戒厳令宣布に反対し、民主化を促進するよう促したことも、大きな影響を与えた。加えて政権の主要支持基盤の軍内部にも強硬措置に反対する意見が出ていた。こうした中、在野勢力と野党は、政権に、大統領の直接選挙制改憲等を要求し、大規模なデモの後、大統領は野党側の要求を受け入れ宣言を発表し、事態は急転換した。
ここでも米国の支持態度の変化、軍部の離反がポイントになっているが、やはり国民の激しい怒り、改革への想いと集団による示威行為が重要だった。
バルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニア
この三国は、悲運な歴史を背負わされて来た。18世紀からロシア帝国に支配されていたが、ロシア革命の後、1918年、三国はそれぞれ独立した。しかし第二次世界大戦が始まると、40年、再びソ連に占領され、41~44年にはナチス・ドイツに支配され、44年以降、またソ連に占領された。
1980年代後半、ソ連でペレストロイカが進展すると独立回復運動が高まり、1988年にはバルト三国でそれぞれ独立を目指す民主化運動体としての人民戦線が結成された。1990年、リトアニアは独立を一早く宣言し、1991年、首都ヴィリニュスで独立派がデモを敢行した。ソ連軍は戦車でこれを制圧し、14人の死者と数百人の負傷者が出た。この様子はメディアを通じて世界に伝えられ、世界の同情を集めた。この翌日、ソ連軍はラトビアの首都リガの占拠を開始した。これに対して数万の市民は車や廃材を持ち込み、旧市街の要所にバリケードを造り、非暴力で防衛した。この日、
ロシア大統領エリツインがタリンを訪問し、エストニアの支持を表明した。すると、モスクワで10万人のデモが起こり、バルト三国への支持を訴えた。同年、残りのバルト諸国も独立を宣言した。
バルト三国は稀に見る平和的な独立運動を行った。1987年まではソ連により大規模集会は禁止されており、その度に逮捕者が出ていたが、1988年以降は許可された。1988年、エストニアの首都タリンの音楽堂で、全エストニア人の4分の1以上に当たる30万人が参加し、独立の想いを大合唱し、4年以上続いた(左写真)。これは恒例の音楽祭の一環だった。1989年、タリンでバルト三国の独立の為の会議がもたれた。また同年、およそ200万人が参加して手をつなぎ、バルト三国を結び、約600km以上の人間の鎖(左写真)を形成した。このデモは三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。幾つかの東欧諸国は、ソ連の軍事侵攻を牽制する動きに出た。(注2)
この成功には、占領国ソ連がペレストロイカを遂行しようとして、自らの民主化とソ連邦分裂の危機の板挟みで揺れ動いた事が大きい。しかし、それだけではない。小国のバルト三国は過去、長きにわたり、占領者へのレジタンスで苦汁を舐めて来た。そして、この度は平和的な手段で訴えることで、スカンジナビア諸国、東欧諸国、さらには世界に理解を求め、支援を得ることが出来た。かつてスカンジナビア諸国も、この道を選んだ。三ヵ国は戦時中、中立を堅持し、大戦後は一早く、国連の創設メンバーとなり、1代と2代目の国連事務総長はノルウェーとスウェーデン人がなった。彼らは小国が身を守るには、世界に貢献し、認知してもらうことが重要だと考えたのです。
まとめ
上述の例から、独裁制から民主制に転換する場合に必要な事が見えて来る。独裁者の健康状態が悪くなった時が好機で、マルコス退陣の理由もその一つでした。最も効果があるのが、独裁者やその盟友(軍部と与党等)の存続に危険信号が点いた時です。例えば外国からの支援が停止されそうな時、国民の怒りや不信感が最高潮に達した時、経済が絶望状態になった時です。このような時、独裁者が踏ん張っても、彼の盟友(支持者、軍部など)は、見返りを期待出来ず、身も危ういとなると、独裁者を見限り、新たな独裁者か国民の側に付くことがある。
特に米国は自己都合で数々の独裁政権を育てて来たが、都合が悪くなれば切り捨てて来た。それは反共、米軍駐留、敵国に対する橋頭堡が目的だった。独裁国に民主化を迫るには、周辺諸国の協力、宗教権威者の言動、国際世論と経済封鎖も効果がある。
それにしても改革には捨て身の国民が立ち上がら無い事には始まらなし、有能で素晴らしいリーダーはいつの世にも欠かせない。
注釈1 この会話は「二人のマンデラ」(ジョン・カーリン著、2014年、潮出版社)による。
注釈2 この記事は「物語 バルト三国の歴史」(志摩園子著、2004年、中公新書)とWikipediaを参考。
第21章 幸福と豊かさを手に入れた国々 北欧にみる
私は40歳代と60歳以降に世界75ヵ国を訪れました。多くは観光旅行ですが、たくさんの感動と刺激を受けて来ました。一言で言うと、世界は自然、文化、社会において多様性に富んでおり、それぞれに魅力があります。中でも、私が理想に近い社会と考えるのは、スカンジナヴィア3ヵ国のスウェーデン、ノルウェー、デンマークです。この国々には1983年と2018年の2回、前者は視察旅行で、後者は一人で廻りました。北欧の素晴らしさは、自然にも有りますが、やはり人々とその社会にあります。これら国々の社会・経済指標のほとんどが世界198ヵ国の上位1~5、悪くても10位以内に有り続けています。街を歩き、人々と触れ合い、深く知るようになるに連れて、この国が非常に羨ましくなりました。
第1節 北欧の概要
フィランドとアイスランドも北欧ですが、私は訪れていないので説明を省きます。フィランド民族は東方系のフィン人です。スカンジナヴィア3ヵ国とアイスランドはドイツと同じゲルマン系で、ヴァイキングの子孫です。小さな島国のアイスランドはかつてデンマーク領だったが独立している。グリーンランドはデンマーク領です。
上記表から、北欧と日本の違いが見えて来ます。北欧は小国だが、経済的に優れ、環境や福祉でも進んでいることが伺えます。北欧は国王を象徴とし、伝統文化を守りながら、移民も多く、開けた国と言えそうです。
私が肌で感じた北欧の良さ!
三ヵ国を35年を隔て2度訪れ、社会の変化もあり、それぞれ異なる処もあるのですが、日本と比べて良いと思われる特徴を挙げます。私が北欧を訪れた日数は合計3週間で、三ヵ国8都市ほどに過ぎない。
l 家族と友人を優先する暮らし
勤労者は日本のように残業に明け暮れている様子はなく、定時が来れば、直ぐに会社を出て、街に繰り出し友人と過ごすか、自宅に帰って家族と共にするかです。人々は初夏になれば水着になり、首都や大都市であっても公園、森、湖や川は綺麗なので、泳ぎや日光浴を楽しんでおり、午後4以降であれば平日でも。当然、高齢者は公園やカフェで日長談笑している。昔は、日本のように会社の同僚と赤提灯で一杯やるところはなかった。基本、週末に夫婦で買物だった。確証はないが日本に比べてのんびり暮らしているように思えた。
l 高所得で豊かな暮らし
概ね住居は、贅沢な造りは少ないが新しく、貧富の差が無い。伝統ある邸宅街や高級マンションもあるが、全体から見れば少ない。列車から見える農家にしても古びたものは少ない。目に付くのは、海岸・湖岸や森林にある大き過ぎない別荘の多さです。
l 優れた教育文化
小学生が集団で自然豊かな公園で楽しく郊外学習をしている風景によく出会った(待ちに待った初夏のせいかもしれない)。コンビニ等の店員に若い素人が多いのですが、これは高卒者が大学入学までに、社会経験を積み、自分の進むべきを方向を見定める為の猶予期間だからです。またこの期間に、家族が海外に出ることを奨励する文化があります。小学時代に母国語以外に二つの外国語を勉強するようです。大学も含め教育はすべて無料です。
伸び伸び暮らしている高齢者を至るところで見た。高齢者が一人で街を行く姿を見ることはあるが、駅などでは必要に応じて援助されていた。福祉や介護は無料です。中国都市部で見られるような高齢者が集団で踊りやゲームを楽しむ光景はほとんどみなかった。組んで何かを楽しむより、のんびり会話を愉しんでいるようでした。
l 進んだ政治文化
現地で政治について質問し、答えてくれた人は口を揃えて、国会議員の腐敗・汚職は皆無で、手弁当で誠意を持ってやっていると言う。日本のような汚職まみれの議員は理解出来ないようです。彼らは政治意識が高く、北欧の投票率はいつも80%を越えるが、日本の道府県議選の投票率は下がり続け、40%を割り込む寸前です。日本のように政治に無関心が当たり前と言うことは、彼らには想像できない。
l 企業と労働文化の違い
1983年の北欧の数社の工場視察で驚いたのは、従業員数百名の中堅企業が、海外支店を持ち販路を世界に展開している事、また部品製造を外部に発注していない事(自社生産)、組立作業は時間に終われる流れ作業では無い等でした。これらは、企業が高付加価値商品を持っている事と、低賃金が売りの下請け企業が存在しない事とも関係しているようでした。見たのはデンマークだけでした。
l 自然環境の保存
元々、湖と森林に囲まれた広大な国土なのですが、自然を汚さず、自然を愉しむのが当たり前の社会です。首都中心部の川や海で泳げるのですから。だから女性の環境保護活動家グレタがスウェーデンから生まれたのです。
l 親切で日本に好意的
どこに行っても、私が困っている時は、相手の方から助けてくれることが多かった、総てではないが。特に、私が日本人だと分かると親しみを持ってくれることが多かった。
北欧の気になるところ
スウェーデンの変化で気になるところがありましたが他の北欧二ヵ国では目立った問題はないようでした。それでも幾つか挙げておきます。
l 移民が多い
スウェーデンで移民の多さが目立った。1983年当時、移民が目につくことはなかったが、2018年、首都ストックフォルム郊外の通勤圏にある駅やバス停の朝の出勤時間帯は、どこも移民で一杯でした。ストックフォルムの駅、空港、ホテルでの職員の接客態度から、移民に不快感を持っようになっていたことが察せられた。特に彼らは中国人を嫌悪しているようで、日本人も同様に見られ、私も冷たく扱われ不愉快な思いをすることがあった。一般の人や地方都市では、このようなことはなかった。スウェーデンはかつて移民の受け入れで模範国だったが、現在は苦しんでいるようだ。数人の意見を聞いた所では、現在の経済政策や移民政策に不満を持っていた。北欧の中でもスウェーデンだけが1990年代から新自由主義を取り入れたことで、新自由主義型福祉国家へと変貌した事と関係しているようです。
l 物価が高い
レストラン等の料理が高く、価格は日本の2倍ぐらいでした。最も所得が2倍近いので、現地の人には問題ないでしょうが。米国も同じですが。
l 交通機関は遅れることがある
海外ではよくある事でしょうが、三ヵ国で幾度か経験し、国際列車で6時間の遅れもありました。
l 国民負担率(税金、社会保得の掛金)が多い
スウェーデンの消費税率は25%で高かった。2021年の国民負担率は国民所得ベースでスウェーデン55%、日本48%、GDP比でスウェーデン37%、日本34%でした。スウェーデンを含めて、高福祉国家の北欧は高負担ですが、国民への再分配は、教育・医療・介護で充実しており、これでは不満が出ないのは当然でしょう。
l 福祉社会の気になる所
以前、別の海外旅行で、北欧に一度住んだカップルが北欧に嫌気がさして、別の国に移住した話を聞いたことがある。彼らは、彼らの子供にエリート教育をしたかったようですが、それが叶わなかったことが理由らしい。真実は分からないが、どうやら平等社会か労働者優先の教育システムの問題と言えそうです。補足するなら、北欧はIT部門で先進国家で有り続けています。けっして教育水準や科学水準が遅れているわけではありません。
不思議なこともあるものです
北欧がこんなに素晴らしいのに、日本人はほとんど知らないし、関心もない。北欧と言えば、観光でフィヨルド、オーロラ、歴史でヴァイキングぐらいしか印象が無いのではないでしょうか。さらには税金が高く、社会主義だから窮屈で、雪と氷で寒々とした国のイメージが強いのではないのではないでしょうか。これは単に日本から遠い国だからではなく、あまりにも社会・文化が異なり、また米国を礼賛しなければならに保守系報道は北欧を否定的に扱うからでしょう。私の見立てでは、米国を蝕んでいる欠点が、ほとんど生じない稀有な国々であり、最も幸福な国と言えます。
第2節 北欧の素晴らしさを客観的に確認します
北欧は毎年上位総なめです。幸福度の評価は、各国1000人にアンケートを答えてもらい、3年間の平均値を取ります。アンケートは、最高の人生を10、最悪の人生を0とし、回答者に自分の人生がどの段階にあるかを評価してもらいます。この値の多い方から順位を付けます。2024年の世界幸福度ランキングで、日本は143カ国中51位となり、順位を下げ続けている。
2024年、一人当たりGDPの世界ランキングは、デンマーク10位、日本38位です。左図の緑折れ線が日本で、唯一低下している。本来は微かに増加しているのですが、円安で落ち込んでいる。
l 所得格差
北欧は一人当たりGDPが高かく、かつ所得格差(ジニ係数)が低い。日米と比べると違いが分かる。北欧は比較的平等なのに、経済が成長し、所得も高いのです。
l 世界競争力ランキング
北欧の競争力は世界トップレベルです。ノルウェーは通年10位に入っていることが多い。評価は経済状況、政府の効率性、ビジネスの効率性、インフラをさらに細かく計20項目で分析して行われている。かつて日本は1989-1992年に1位を獲得し続けたことがあった。現在、日本の競争力は対象67ヵ国中35位で低下の一方、評価項目で20位に入っているのは5項目に過ぎない。
l 他の指標を見る
北欧の腐敗認識指数、民主主義指数、報道の自由度、ジェンダー平等指数は、総て日本より評価が高く、ランキングは上位にある。教育水準では、北欧と日本は同等と言えるようです。
l ベンチャー投資
ヨーロッパで北欧のアイスランドとスウェーデンが多いことが分かります。一人当たりベンチャー投資額の世界ランキングの1~10位はシンガポール、イスラエル、米国、スイス、UAE、英国、カナダ、スウェーデン、アイルランドでした。2024年、一人当たりベンチャー投資額は米国630$、スウェーデン270$、日本14.9$で、日本の投資総額は米国の124分の1、北欧の18分の1に過ぎない。これでは北欧に負けるのは当然だと思われます。
こうして見ると、北欧は幸福、社会の安定性、豊かさ、成長性総てを持ち合わせていることになる。北欧が半年以上雪に覆われることぐらいが欠点でしょう。経済社会の指標で日本が良いのは、低い失業率と肥満率、そして平均寿命が2年長いぐらいでしょうか。但し、失業率の数値だけで良し悪しを決められない。
第3節 なぜ北欧は、これだけのことを成し遂げることが出来たのか?
欧米先進国は「アングロサクソン型(英米等)」「欧州大陸型(独仏等)」「南欧型(伊等)」「北欧型」の4タイプに分類できます。北欧型は非常にユニークであり、最も成功しています。その良さを解説します。主にスウェーデンの経済、特に産業と労使関係に焦点を絞ります。福祉、教育、社会にも学ぶべきものは多いのですが、日本は「アングロサクソン型(英米等)」の隘路に陥った状況から脱出するには、北欧の経済政策「産業と労使関係」を学ぶことこそ最重要です。
北欧の政策の底流にある発想と取り組みを見ます
l 有機的な連携
異なる制度間のトータルメリットこそが重要と考える。例えば、産業政策面では経営不振に陥った企業を政府は救済しない。その一方で、積極的労働市場政策と呼ばれる就業支援策には充分な予算を付けることで、リストラによって職を失った労働者が新しい職を得ることを強力に支援している。こうして産業の生産性向上と労働者の就労を確保し、経済成長と社会保障の両立を可能にして来た。
一方、日本では、デービッド・アトキンソンの主張、「日本の低い労働生産性を抜本的に改善するため、中小企業の数を半減させ、賃金を上げ、強い企業に再編・淘汰を進めるべき」がある。一方、小泉政権時代の竹中平蔵の主張、「雇用流動性の向上により労働市場の変革(首切り、非正規拡大)が必至」とした(新自由主義的政策の旗振り役)。日本では、政府だけでなく学者、マスコミも企業だけに目がいき、労働者を置き去りにして来た。なぜか国民すら異論を唱えることに躊躇する。その結果が、現状の悲惨な結果になった。北欧は、低生産性企業の排除と雇用流動性獲得を共に成功させるという、困難だが当たり前のことが行われている。
税制を例にとれば、個人からは多くの税を徴収する一方、法人実効税率は引き下げることで、政府の財源確保と経済活動にも配慮している。現代貨幣理論(MMT)でも、法人税への課税は経済を冷やすので、インフレを抑える為だけに行うべきとしている。日本では、省庁が縦割りの為に、このような省庁間にまたがる連携した政策が採れない。
l 合理性を重んじる
例えば、勤労所得と資本所得に異なる税制を適用する「二元的所得課税」が北欧4ヵ国で導入されている。金融のグローバル化に対応し、足の速い金融資産とそうでない勤労所得を分けるという画期的な税制が考案された。勤労所得は累進課税が適用され、資本所得は所得額に関わらず一定の比例税率が適用される。資本所得への税率を低く抑えることで、投資を促進し、資本流出を抑えている。福祉国家とは思えない発想であり、ここでも公平と効率の両立を目指している。また日本がやるような予測に合わせて政策を立案するのではなく、理想の目標と期日に到達する為に何をすべきかを決め、実行する(前者はフォーキャストと後者はバックキャステイングと呼ばれる)。
l 試行錯誤
かつてスウェーデンは一足早く、単身の高齢者を介護用マンションに住まわせ、充分なサービスを行う画期的な福祉政策をリードした。しかし、高齢者の孤独死や高額な費用が問題となり、現在の介護サービス制度に転換し、これを日本が真似て導入している。北欧は、時代に先駆けて、とにかくやってみて、失敗したらやり直す精神がある。金融政策面ではインフレ・ターゲティング、環境分野では炭素税の導入を行っている。炭素税は地球温暖化対策としてCO2排出に課税するもので、最良の政策とされているが、世界で北欧中心に30ヵ国ほど、日本も導入し始めた。
l 北欧理事会
北欧理事会は、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドの5カ国とその自治領(グリーンランド、フェロー諸島、オーランド諸島)が、外交・安全保障を除く社会、文化、経済、法制などの分野で協力するための地域協力機構で、1952年に設立された協力組織です。労働者の自由移動(北欧労働市場)の実現や、環境問題、バルト三国との協力など、多岐にわたる活動を展開し、北欧諸国の連携を深めています。 この存在はあまり知られていないが、日本から見れば実に羨ましい限りです。一つは隣接する小国同士が連携し、かつ競うように各国の制度改革を行い、切削琢磨していることです。就業者の有給休暇や産休休暇の拡大では、各国が競争していた時期がありました。今一つは、EUの先駆けとなる居住・就労・就学の相互承認を早期に実現していたことです。例として、ノルウェーで中等学校を卒業し、フィンランドの大学に出願することができます。また、市民権を取得することも簡単で、北欧市民はスウェーデンに2年間住むだけでスウェーデン国民になれます。
l 教育の重視
北欧は教育を重視しています。公的教育費のGDP比は、デンマーク7.8%、スウェーデン6.7%ですが、日本は3.4%です。北欧は保育所でも教育が行われ、大学授業料が原則無料です。北欧で民主主義が発達しているのは、教育によって「自立した強い個人」を育て、彼らがコミュニティの自治に主体的に関わっていくことが大前提だからです。小学生から環境問題を扱い、中学・高校では政治討論を行い、各政党から政策の説明を受ける機会が設けられている。こうして、投票率が上がり、腐敗の無い議員が育っていくのでしょう。
第4節 スウェーデンの具体的な施策
労働市場での施策とシステム
就労を促す社会規範・社会制度、高い労働組合の組織率を背景とした労使協約重視の労使関係、労働移動を促進する様々な仕組みに特徴がある。
老後生活保障の基本となる年金制度は、給付が就労時の所得に比例する社会保険方式が基本にある。これは、社会保障制度の受益者に対して必要な職業訓練や人材投資によって労働市場に戻そうという考え方で、日本の就業率61%に対して、スウェーデンは76%ある(就業率=就業者数/15歳~64歳人口)。つまり多くの人が働いている。これは、賃金の男女差が少なく、女性の就業率が高い為だと考えられる。年間労働時間は、日本の方が12%ほど長い。一方、スウェーデンの失業率は7.6~8.3%で、日本2.5~3.6%で数倍高いが、前者は3ヵ月以内、後者は1年以上に失業者が多い。
スウェーデンの労働組合組織率68%に対して、米国は12%、日本も18%と非常に低い。これは、後者2ヵ国の政府が組合潰しを先導して来たことに一因がある。スウェーデンでは、組合員以外にも影響が及ぶ全国労働協約の適用率は9割といわれている。この高い組織率を背景に、かつて賃金交渉は、スウェーデン経営者連盟とスウェーデン全国労働組合連盟の間で、総括的に行われて来たが、現在は、徐々に産業レベルで行われるようになって来た。後にみるが、これは日本の企業内組合内での交渉とは、大きく異なる結果をもたらすことになる。
スウェーデンの労働移動は活発で、男性の平均勤続期間は10年ほど、日本の13年より短い、但し米国は4年ほどです。スウェーデンの若者は転職することに前向きです。これは労働組合が企業の整理解雇を容認する一方、職種毎の同一労働同一賃金により、労働者は転職による不利が無いからです。したがって日本のような最低賃金制はない。こうして転職を促進し、低生産部門を圧縮し、産業構造を高生産部門(高付加価値)へと拡大させていった。低生産部門の大量失業者を、積極的労働市場政策(教育と休業補償)によって、シフトを可能にしているのです。このことが、「アングロサクソン型(英米等)」とそれに追従する日本、つまり新自由主義国との差になってしまったのです。この北欧の産業転換を可能にしたのは、政策によって転職意欲を持つ労働者とマクロ的な経営者連盟と全国労働組合連盟の協議体制があったからです。この協議体制で産業転換も話し合われる。北欧などの労働者はキャリヤアップの為に、日頃から研鑽を積むことになるが、日本では、学校を卒業すれば学業はお仕舞いというわけです。歴史的な背景と政治状況が異なるので、日本の労働組合が北欧型に脱皮出来ないとは思うが、残念です。
整理解雇が自由な一方、企業が離職者の再就職に対して責任を果たしている。政府からの財政支援の無い民間団体が加盟企業の支援によって、その任を果たしている。
上記の施策やシステムの効果はどのようなものなか? スウェーデンの雇用調整スピードは日本より数倍高く、景気後退からの立ち直りの期間も数割早い。スウェーデンの賃金調整スピードは日本の6倍遅く、日本のように簡単に低下することはない。また、産業を跨ぐ労働移動はスウェーデンの方が活発に行われている。
スウェーデンでは、政権交代が行われ、現在、新自由主義が取り入れらているが、基本的な福祉国家としてのスタンスは変わらない。変わったのは、高福祉や充分な補助はモラル・ハザード(責任感の欠如)を招くとし、働くことへのインセンティブ(動機付け)を重視するようなり、転職時の休業補償期間の削減や、その手続きを実態に即したものにすることにより、失業期間の短縮に成功していることです。
北欧には学ぶべきものは多々あるのですが、基本的な考え方を知ってもらえれば充分です。このやり方で、あらゆる分野が日々革新され、世界トップ10の幸福度を満喫し続けているのです。
第5節 日本は北欧型になる事は出来ないのか?
私は、日本はもっと謙虚に北欧から学ぶべきだと考える。あまりにもアングロサクソン型に埋没しまっている。敗戦で米国の管理下に置かれたから仕方がないところはあるが、いまだに追従はから抜けだせない。日本が北欧の経済政策を取り入れらえない理由に、北欧の経済が小規模だからと言われているが、スウェーデンと比べて考察します。結論は、政府と国民の発想が変われば、可能でしょう。
l スウェーデンと日本の経済構造で似ている点
資源に乏しく輸出依存型の製造業国家。教育水準が高く、技能労働者・技術者の層が厚い。産業エコシステム(大企業と中小企業や連携、但し日本は下請けが多い)。
l 異なる点
雇用流動性の違いと、全国組合・産業別組合と企業内組合の違い等により、日本では失業の深刻度と産業構造転換の困難さが大きい。また長期的に生産性の差が出てしまった。新自由主義と福祉国家の差もある。
l 経済規模の違い
日本は人口規模で12倍の差があり、小国に比べれば、政策変更に時間がかかったり、財政負担が大きいとは言えるが、これが問題にはならないだろう。ドイツやフランスも北欧のように高負担・高福祉を取り入れている。
l 出来ない理由
簡単に見たが、経済や貿易構造について、日本が北欧型を受けいれる事に何ら問題は無いが、出来ない理由は経済以外に多すぎる。一番は政治です。日本政府が目指して来たのは、一番に企業の保護と現状維持、次いで雇用者数の維持に過ぎない。面白い事実があります。デンマークの企業は首都コペンハーゲンに本社を構えないのです。これは企業が海外販路を重視し、かつ政府や官僚、議員と接触する必要が無いからです。また行政や官僚は産業界の存続に関し口を出さない、出せない仕組みになっているのです。日本では官僚が法律も無いのに、行政指導で企業や業界の規制をしています。日本有数の上場企業の社長さえ官僚に頻繁に電話をしていると明かしています(注1)。こんなことだから、デンマークでは天下りがないのに日本では常識なのです。これだから日本の首相は財界から依願されて主要企業が海外で稼げるように資金流出を斡旋し、国内での新規産業育成に資金が廻らなくても気にしないのです。労働者についても、政府は雇用者数が確保出来れば、組合を潰して賃金がいくら低下しても放置するのです。企業は大助かりです。つまり、北欧とはまったく異なる労働者と企業への対応なのです。他には、政策の効率の悪さが際立っており、財政赤字が増えるのに経済が成長しない。これでは、真逆の社会である。米国の真似は出来ても、人を大事にするシステムへの転換は難しいように思うのだが、皆さんはどうみるのでしょうか?
第6節 それではなぜ北欧はこんな素晴らしい国になったのだろうか?
左はストックフォルム郊外の墓地の写真ですが、スカンジナビア三ヵ国に共通しています。森に囲まれ、墓石が簡素で平等で、同一方向を向いて整然と並んでいます。ここに北欧の精神が象徴されています。
北欧の特徴は、その一つが大地に有ります。非常に寒冷で、氷河に覆われていた為、大地は肥沃ではないのです。国によって多少異なりますが、作物栽培や牧畜に適せず、1千年前頃、ヴァイキングの時代は入り江や湖の岸での漁労、採集、畑作を行っている小規模な村落が散らばっていました。従って略奪や交易を求めて、船で遠洋航海を目指したのです。ノルウェーは豊富な木材で強靭な大型船を造れた。村人は貧しい農民として、また荒海を航海する船員として、比較的平等な社会を作り、有能なリーダーを総意で選ぶようになったと考えられる。しばらくするとヴィキングはキリスト教を受け入れ、航海の為に船団が大きくなり、やがて王朝を造るようになった。航海は略奪からキリスト教徒同士への交易に重きをおくようになった。こうして、現在のスカンジナビア三ヵ国の芽がそれぞれの地に初期王朝として誕生した。こうした歴史があり、人々は自治の意識が強く、王権に服従的では無く、王権は絶対権力を発揮出来なかった。例えば19世紀半ば、農民は農地の60%を所有しており、この率はヨーロッパ大陸と比べ格段に高った。残念ながらスウェーデンはヨーロッパ大陸と比べて農民人口が多く産業化は遅れていたこともあり、19世紀後半の飢饉で、人口の20%を米国へ移民に出すことになった。
スウェーデンで、19世紀末から「国民運動」が勃興し、これが後の社会民主主義へと繋がって行きました。この運動の主体は、労働者と下層の農民、手工業者で人口の1/3が加わり、労働運動、自由教会運動、禁酒運動を行った。これらの運動は、禁酒にみられるように政治民主化だけでなく、生活規範や文化の向上をも狙った。スウェーデンでは、現在でも、飲酒には制約が課せられている。このようにして、二度の大戦以前に、スウェーデンは既に民主主義の意識が高揚していた。
デンマークとノルウェーは、それぞれ幾分違った道筋を進みながらも、民主主義は育っていた。この三ヵ国の王家は近い血縁関係にあります。もう一つ、重要な北欧の特徴があり、それは戦争をしない、中立を守ることでした。古来よりデンマークは陸続きのドイツから、フィランドも陸続きのロシアから幾度も侵攻されており、スカンジナビア三ヵ国間でも戦争をしたことはあった。しかし、スカンジナビア三ヵ国は伝統的に中立政策を堅持し、二度の大戦には参加しなかった。残念ながらデンマークとノルウェーはナチス・ドイツの侵攻と支配を受けた。しかし、明らかに両国は軍事行動を起こさなかったことで、膨大な物的・人的損耗を回避出来、さらに戦後の駐留軍支配を逃れ、すぐさま戦後復興に着手出来た。このことが北欧発展の最大の要因かもしれません。この差は、日本と比べると明らかです。
まとめ
先ず、確認したいことは、北欧は現在、欧米先進国で起きている分断・混乱を招く経済の悪因をほぼ抑制出来ていることです。それもこのグローバリズムにあって貿易で稼いでいるのです。この素晴らしい成果を出している北欧型は、単に経済システムが優れていると言うより、政府と国民の意識・発想に依っていることです。この意味で、日本は北欧型を受け入れる下地と文化を持ち合わせていないことになる。願わくば、国民が日本の欠点に気がつき、社会改革の道が開かれることです。
注釈1 「日米逆転」C・V・プレストウィッツJr.著、1990年刊、ダイヤモンド社。
参考文献
*「これからの日本と社会保障、そして私たち」日野秀逸著、2017年刊、あけび書房。
*「スウェーデンを知るための60章」村井誠人著、2009年刊、明石書店
*「なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくことに成功したのか」ケンジ・ステファン・スズキ著、2008年刊、合同出版
*「北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか」翁百合共著、2012年、日本経済出版社
第22章 我々が生み出して来た社会システム; グローバリズムと民主主義
これまで我々の世界が危機に瀕していること見て来ました。様々な問題点とその改革の必要性を指摘して来ました。一方、これまで人類が生み出し、守り続けて来た幾多の社会概念があり、これさえも現在脅かされています。ここでは、我々が守り、強化しなければならない重要な社会概念について考えます。
第1節 グローバリズム
この意味は、人・モノ・お金・情報が国境を越えて地球規模で活発に動き回り、世界中が一体化していく現象のことです。現在、インターネットや交通網の発達で、海外の文化に触れたり、海外の製品を買ったり、海外の企業と取引したりすることが当たり前になり、世界が「一つに繋がった」状態を指します。グローバリズムの動きは歴史的に幾度も起きていたのですが、ソ連が崩壊し、冷戦が終結した1990年以降、米国と英国を中心に新自由主義経済が広がり、世界を一つの市場とする動きが加速していった。これは世界経済の成長を促進したが、一方で弊害をもたらし、脱グローバリズム運動が活発化することにもなった。
以下で説明しようとすることは、「グローバリズムは人類自然の流れであり、もたらされた災いは扱いの問題に過ぎない、正しい方向に導くことで人類はより幸福と成長を得られる」というものです。
グローバリズムの2百年間の歴史
グローバリズムのメリット
経済的メリット
国際分業による生産性向上・価格低下が起こった。これは新興国(中国・ASEAN等)の急速な輸出産業の拡大と工業化を生み、その結果、世界全体の貧困人口が大幅に減少した。例えば、世界の極度の貧困率(1日2.15ドル未満で生活者/全人口の割合)は1970年の約60% から2020年代には約9%へと大幅に低下した。また我々消費者にとって安価で多様な商品への選択肢拡大は日々の暮らしを豊かなものしてくれている。
これは世界の貿易額/GDP比率が1970年の27%から2008年の61%への急上昇に現れている。これに伴って技術・資本・知識・人材の国境移動が加速した。
左図は、「大不平等」の著者ブランコ・ミラノヴィッチが2022年12月に発表したエレファント・チャ-ト追加版です。青線は1988-2008年における世界の所得階層別の年間所得増加率(従前)です。Cはトップ1%の富裕層の増加率が5%より少なく、Aは中国など発展途上国(世界の中位層)の増加率が5%を越えている事を示す。A層の所得は20年間で100%以上も増加している。その一方、Bの富裕国(欧米日)の下位中流層は20年間、まったく増加していない。今回、追加されたオレンジ線は、それ以降2008-18年の10年間の年間所得増加率を示す。これを見ると、驚くべきことに、低所得ほど増加率が著しいことが歴然としている。逆に超富裕層の増加率が減っている。この10年間で世界の最下層は70%も所得を増やし、富裕国では40~15%の増加に留まった。しかし、これをもって、世界が豊かになって、格差が縮小し始めたとは言えない。例えば最富裕国である米国は2007年のリーマンショック(金融危機)後、鉱工業生産額が一度20%近く減り、また同じまで戻るのに6年弱もかかった。つまりこの10年間は富裕国にとっては国民所得と資産を大きく減らした時期と重なっていた。一方、発展途上国は、金融危機の影響が大きくなく、経済成長率が半減したに過ぎなかった。最も重要な事は、グローバリズムは先進国以外の経済力を高め、これらの国の所得を急速に上昇させたことです。
左図は、世界経済の推移を示している。黒線は世界経済(GDP)が1980年半ばから伸びだし、2000年代からさらに急成長していることを示している。また紫線は、新興・途上国の経済シェアも20から40%へと拡大していることを示している。経済背長は先進国よりも新興・途上国の遥かに高いのです。
世界全体で経済格差縮小と豊かさが訪れた原因のすべてが、グローバリズムのお陰とは言えないが、欠かせないものだった。
左図の世界貿易シェアの拡大からグローバリズムの拡大が伺える。
しかし、一方でグローバリズムによる問題も幾つか生じた。その一つが、エレファント・チャ-トのBとC層の関係です。これは米国を考えれば分かり易い。米国では資産が30~60兆円の超富者が生まれた反面、多くの人は30年ほど所得は横這いに近かった。さらに社会保障の減額もあり、多くの人にとって、この30年は不遇の時代であり、不満は著しく高まった。これがトランプ現象になった。これは先進工業国の米国から製造工場が発展途上国に移り、国内が空洞化したことが大きかった。これをもってグローバリズムが悪玉とされるようになり、さらに移民も同様に見られるようになった。これを転職推進策で乗り切った北欧の状況は既にみました。
グローバリズムのメリット・デメリット
グローバリズムはこれまで多くのメリットをもたらして来たし、これからも無くてはならないものです。一方、デメリットの多くは企業利益優先で、はぼ無法状態におかれていたからです。
デメリットの説明
上記表のデメリット欄の各項目について説明します。先進国中間層以下の実質賃金停滞については、既に他の章でも説明しましたが、これは国内の産業構造の転換(製造業からサービス業へ、IT化)に対して労働者の転職支援制度(職業教育、転職時の休業保障、代替え仕事の提供)等が適切になされていなかったからです。金融危機の国際連鎖による問題とは、大量の資本移動が容易になり、金融経済が波及したことにより、米国発の金融危機が世界に瞬時に伝播し、世界全体が一気に経済後退に巻き込まれることです。これも投機を奨励し規制を無くして金融危機が生じ易くなっている為です。また発展途上国の経済破綻(デフォルト)に対してIMF指導の緊縮政策に問題がある。国内政策の自由度低下の一つの問題は、為替管理や産業保護、所得増税などが自国の裁量だけで出来なくなっていることです。経済大国である米国が金利上昇、法人・所得減税、カルテル容認等を推進すると、追従しなければならない。特に日本は米国の押し付けに弱い。欧米の多国籍企業の政治的影響力増大は、世界的な規制が必要なのですが、特に米国が、自国の多国籍企業を優遇し、規制をなし崩しにして来た。国内の分極化・ポピュリズム台頭は、既に他の章と、今説明して来たように、主に80年代に始まる新自由主義による弊害であって、グローバリズムだけのせいではない。
文化の均質化(英語・米国文化偏重)と伝統文化の衰退、アイデンティティ不安の拡大は、やはりグローバリズムによると言えるでしょう。しかしこれとて、解決策が無いわけではない。カナダやオ―ストラリア等、移民が多い国でも、多文化主義を唱え、多様な文化や民族(言語、宗教、習慣など)を尊重し、それぞれの独自性を認め合いながら、対等に共生していくことを目指し、成功している国はある。
移民問題
経済効果の割に誤解が大きいのが移民問題です。ここでは著書「移民の経済学」の研究から、いくつか移民の真実を抜粋します。国際労働移動の障壁を撤廃することで、世界全体のGDPは50~150%も増加すると言う。これは例えばベトナム人が米国の高生産性の工場で働くことで生産量が増えることを指している。1990~2006年の間に米国への移民が高校中退以下の米国人の賃金に及ぼした影響は、短期的にわずか0.7%の引き下げだけであり、長期的には0.6~1.7%も上昇させたことが明らかになったとしている。これは、移民の多くが低学歴で拙い英語力なので、米国生まれの高校中退以下とは代替え困難だからです。移民増による米国人の就労機会の減少はあっても僅かか、ゼロ近辺に集中しており、長期的には移民による経済便益はわずからながらもプラスになる。少なくとも、移民が無ければ出生率が低く高齢化が進み人口が減少せざるを得なかった欧州では、移民の流入により、ここ数十年の経済成長が0.2~1.4%上昇し、人口バランスが改善され、社会保障(年金)などに良い影響を与えて来た。左図は移民によって、中年・若年の就労層が増え、ドイツの人口バランスが改善されていることを示しています。米国の経済成長率の10~30%は毎年130万人の移民流入によるものです。
移民による治安悪化は、ほとんどの移民受け入れ国で起こっています。私の感じでは概ね移民割合が10~15%を越えた国では、かって移民政策の見本とされた国でさえ、治安悪化等で移民受け入れを制限し始めた。移民割合がスウェーデンで20%やカナダで23%になると、その動きが起きました。移民受け入れ策が整い、移民割合が低ければ、そのメリットを受け入れ国は享受出来ます。
難民の扱いは難しい。世界に難民は約1億2000万人におり、増加傾向です。欧米は人権上の計らいで、難民を労働移民とは別に、毎年100万人ほど受け入れていました。今、米国は閉ざしています。受け入れ国の難民と治安悪化の関係は不明ですが、放置することは人権軽視だけでなく、難民発生国の政情不安を高め、ひいては世界の安全にも災いをもたらします。これだけの難民が発生し続けているのは、中近東、アフリカ、ウクライナ等の紛争地からで、それも大国が一方的に起こしているからです。
また移民送出国にも様々な影響があります。移民からの仕送りでその家族は潤い、貧困の緩和に役立っている。海外移民からの送金受取額の対GDP比率はタジキスタン45%やトンガ38%が最大です。移民送出国から頭脳流出が起きるが、これは移民送出国内での人的投資を高める場合もある。また移民送出国は移民先との貿易が拡大する傾向にある。
壮大な移民の歴史
現在、保護主義とポピュリズムが吹き荒れ、移民や難民に過酷な歴史になっています。しかし人類史を振り返れば、民族大移動や移民がなければ、今の人類繁栄はなかったでしょう。かつての民族大移動や移民では、先住民の間に紛争が起き、総てではないが悲劇は付きものでした。
最も古い人類移動は、初期人類(旧人)がアフリカを発って、ユーラシア大陸に広がった35~12万年前でした。次いで、新人が、同じようにアフリカを発ち、最後にアメリカ大陸の南端に12000年前に辿り着き、人類が初めて全地球に住むようになった。
聖書を生んだイスラエルは、メソポタミアの大河沿いの都市からやって来たアブラハムの一団が創始したと伝えられている(創世記14章)。これは紀元前2~1千年紀だと考えられる。既にこの地中海東岸の地には、エジプトやフェニキア等が先進文明を有し暮らしていた。今風に言えば、流浪の民が先住民を打ち負かし、領土を拡大したとも解釈出来る。中近東は古代文明発祥の地であり、最も早く交易と文字が発達し、また洪水や旱魃が頻発していたので、民族移動は頻繁であった。中近東から移民や交易によってアフリカ、ユーラシアに多くの文明・文化が広がっていった。
ヨーロッパ文明の起源とも言えるギリシャ人の活躍には目を見張るものがあった。彼らはフェニキ人に次いで地中海から黒海の沿岸沿いに数多くの植民地を造り、移民と海上交易で足跡を遺した。これは紀元前1千年紀のことでした。ローマ帝国がキリスト教を国教にしたことで、ユダヤ教への迫害が始まり、ユダヤ人はその後2000年間、世界を流転し、やっと民族としてイスラエルの地に自立した。その間、ユダヤ人は秀でた金融力や知識を武器に活躍することになった。この後、スキタイ人、ケルト人、ゲルマン人の大移動がユーラシア大陸を攪拌するように新たな息吹を各地に吹き込みました。概ね紀元後1千年紀の事でした。この後もヴァイキング、モンゴル帝国、イスラム帝国の移動と拡大が続き、これらがヨーロッパの大航海時代を招き、世界は海上交易と植民で一体化していた。先住民にとっては不幸の始まりだったが。
文化の面から見ても、民族移動と拡大は世界を大きく変えていくことになった。ヨーロッパが世界で一早く人文主義(ヒューマニズム)に目覚めた理由の一つは、ルネサンス文化が花開いたからです。これが興ったのは、イスラム帝国(オスマン帝国)がビザンツ帝国の滅亡させたことにより、ギリシアの知識人がイタリアに移住したこと、そして十字軍を通じてイスラム世界の進んでいた科学知識を発見したことが大きい。さらにこのルネサンスと人文主義が16世紀に興った宗教改革を思想面で支えた。
最後に、今の米国の発展には何が不可欠だったのでしょうか? 初期の英国からの移民、独立、英国からの資本投資が不可欠だった。それでは現在はどうだろうか? 移民はもう古いのだろうか? 2025年、Fortune 500の全企業の46.2%(231社)が、移民または移民の子どもによって設立されている。2022年、米国のユニコーン企業(企業価値10億ドル)のうち55%が移民創業者によって設立されている。最も有望なAIスタートアップ企業50社のうち、66%の企業に少なくとも1人の移民創業者、またトップの非公開AI企業の半数以上に移民創業者がいる。つまり移民無くして米国の発展は無い。但し頭脳労働者、それもずば抜けている人に頼っている。米国には知識集約の場と潤沢な投資資金、巨大で旺盛な市場があり、優れた頭脳が発揮できる環境が整っている。
左図上は台湾出身の企業家、下はハンガリー出身の学者でCOVID-19ワクチンに貢献し、共に米国で活躍している。
紀元前後以降、日本は弥生人の渡来によって、中国大陸や朝鮮半島から稲作や金属器が普及した。阿倍仲麻呂は遣唐使として中国に渡り、骨を埋め、鑑真和尚は中国から日本に来て、骨を埋めた。彼らは日本の文化・宗教発展に貢献した。明治以降、日本人は世界各地へと希望を抱いて移住していった。現在海外に居住する日系人(日本国籍の有無にかかわらず、日本人の血統をひき永住目的で居住している者)の総数は約500万人にもなる。当時、日本の貧しい農村から脱出するには海外移民・移住が数少ない方法だった。
まとめ
グローバリズムは、工場の移転、貿易、移民、文化交流、どれをとっても人類全体の発展には不可欠であり、自然の流れでした。これまで海外進出企業の中に傍若無人に振る舞い、小国を痛めつけた事例は多々あった。今は、大国が率先して保護主義に向かっているが、これも小国を痛めることになる。確かにグローバリズムによる軋轢はあるが、それを乗り越えれば、より大きな成果を得られる。移民や民族移動は、古くは暴力が振るわれ、今なお移民への差別が続いている。これも移民や人の自由移動は重要なことなので、移民の受け入れ体制を整えることが重要です。成功事例をさらに改良すれば良い。また大国が紛争を起こさないように、また独裁者を育てないようにすれば、難民の発生を抑えられ、受け入れで苦しむことが無くなる。
参考文献
*「移民の経済学」ベンジャミン・パウエル著、2016年、東洋経済新報社刊
*「移民の1万年史」ギ・リシャール著、2002年、新評論刊
第2節 民主主義
現在、多くの国で民主主義が蝕まれている。半世紀前に始まった新自由主義によって社会が分断され、そして現在、それを煽る右派ポピュリズムが台頭して来た。米国は、このまま突き進めば、独裁的な覇権国家になるだろう。もうそこには自由民主主義は消え去っている。ここでもう一度、民主主義のありがたさを嚙みしめてみる。自由主義と資本主義との関係も考えよう。
私は大戦後すぐに生まれたベビーブーマー(団塊の世代)です。私の高校時代までの学校には権威主義が色濃く残っていました。学生達の自由な発想を抑え込み、体制や既存の価値観に従順であることを、体罰で指導する先生方もいました。この古風な教育の場に、一部の学生が反発することはあっても、多くの学生は違和感を持っていなかったようです。私は、民主的な息吹を感じさせる新任の先生に、好感を持ったものでした。私は二つの企業に務めましたが、内一つはワンマン会社で、徹底的に民主的なやり方は排除されていました。ただ、途中から改善活動が導入されると、その内輪だけは民主的な雰囲気があり、居心地の良さがありました。私が長年の改善活動で感じたのは、身近な問題の改善や改革には参加者の意識が上がれば、良い結果が生まれることでした。多少、導き方や調整の仕方は必要ですが、一人の優秀な人に頼るより、上手くいくものです。残念ながら、私が幾つかの民間や公的な組織に関わった感触では、民主的な運営を目指しているようで、内実が伴っていないことが多い。昔ながらの気風が残っている。
かつて私は米国を羨望の眼差しで見ていたことがあった。それは1960年代から1970年代、ケネディとジョンソン大統領の時代でした。大統領主導により公民権法と投票権法が成立し、南部の黒人らが差別から解放され、やがて平等な社会が実現できるという希望が、そこにはありました。奴隷制度に由来する強固な黒人差別を民主的に選ばれた大統領が、ほぼ暴力無しで、根底から変えることできる国、それが民主主義の米国と思えたものでした。
民主主義の起源
霊長類
知能が高い動物ほど複雑で変化に富んだ社会を造っている。そのほとんどの社会は一匹の強健な雄がトップで君臨している。最も人間に近い霊長類のゴリラ、チンパンジー、ボノボの行動は、実に人間らしい。これらは皆、アフリカのジャングルに住んでいる。特にチンパンジーは、互いに助け合い、時には正義心を感じさせる弱者への援護、少ない食物を騙しあって奪うこともある一方、小動物を共同して狩り、権力闘争も行う。チンパンジーのオス社会は力による順位制で、各自は挨拶から狩猟獲物の分配迄、日常厳守している。チンパンジーの群れでトップになるには、腕力は必要だが、これが総てでは無い。トップを狙う者は事前に多くのメスや順位下位のオスに好感を持ってもらわなけれならず、強健な上位数匹のオスと連合を組み、かつてのトップを追い払わなければならない。もし乱暴なだけのオスなら、大勢から袋叩きに遭い、群れの片隅で一匹で暮らさなければならない。主に威嚇によるトップ争いで破れたオスは殺されることなく、群れの片隅で生きていける。人間ほど残酷では無い。だが単純に独裁社会とも言えない。数年ごとにオスの体力が弱くなると、トップ後退が起きる。トップのオスはメスと狩猟獲物を優先して取るが、他では群れのリーダーの役割を果し、群れは安泰に過ごすことが出来る。
小型のチンパンジーの別種であるボノボは同等の知能を持っいているが、チンパンジー社会とかなり趣が異なります。チンパンジーは異なる群れに出会うと、異常に興奮し、オス同士の殺し合いに発展することもありますが、ボノボは友好的に振る舞います。ボノボ社会は、年長のメスが中心になり連帯し、オスより優位に立っており、暴力ではなく平和的に群れを営んでいる。餌の分配や子育て至るまで、チンパンジー社会とは異なります。その違いを象徴しているのが、ボノボの性行動です。オスとメスの性行為は、チンパンジーのように制限されることがない。またメスとメスの性器のこすり合いは、日常のお付き合いのようなものです。チンパンジーはオス社会で順位制、暴力、排除が付き纏い、この戦闘的な姿勢によってジャングルの王者になれたのかもしれない。しかし、人類はボノボの社会の方に近いように思える。
チンパンジーはヒトの祖先と約600万年前に分岐したので、我々は古くから社会を営む政治能力を持っていたことがわかる。利他行動、弱者の保護、権威、群れの規範など、組織をうまく治める知恵、さらに旺盛な闘争心も持っていた。
古代の政治理念
キリスト教の聖書に、幾つかの政治理念が記されています。旧約は紀元前13~4世紀の記述が多く、今の形になったのは紀元前1世紀頃と考えられるので、最古の政治理念ではないが、古代オリエントの政治理念を受継ぎ、古い中にも新しものがある。旧約には神権政治、律法に従う王権が謳われ、さらに正義と公正が謳われ、特に、弱い立場の人々(孤児、やもめ、寄留者など)に配慮することが重視されていた。申命記 には「あなたは寄留者や孤児の権利をゆがめてはならない。また、寡婦の衣を質にとっておいてはならない」とある。さらに新約において、イエスは差別を強く非難している。有名なのが、ルカによる福音書にある「善きサマリア人のたとえ話」でしょうか。当時ユダヤ人とサマリア人は、民族・宗教的対立をしていましたが、イエスはサマリア人の善行を讃え、平等に扱ったのです。
仏教は、民族や国を律する法としてのキリスト教とは異なり、インドで精神修養の教義として誕生し、当時の王政社会を忌避していました。しかし紀元1世紀頃から大乗仏教が分派すると、大衆に寄り添った経典が数多く誕生しました。その中に、弱者を助ける慈悲の心を説いたものが現れます。勝鬘経(しょうまんぎょう)に「勝鬘夫人が仏の前で、孤独な人、牢獄に入れられた人、病気に苦しむ人、災難に遭った人など、頼る者がいない弱者を見捨てず、必ず助けて安らぎを与えることを誓った」とあります。もともと釈迦は、修行僧に労働を禁じ、民からの布施(施し)で暮らすように教えていました。利他行為は当然のこととしていたのです。
古代の民主主義
古代アテネの民主政が有名です。アテネは直接民主政であり、民会や民衆裁判所における多数決による決定、公職者(役人)の抽選制や公職者に対する弾劾裁判、僭主を陶片の投票で追放するなどして市民の権利と義務の平等化を図り、独裁政治の出現を予防するシステムもありました。しかし、「市民」とは成年男子のみであり、女性、在留外人、奴隷には参政権が認められず、人口の1/3は奴隷でした。すべての人間の人格の平等という理念はなかった。この都市国家の民主政が、重装歩兵として防衛に加わることができる戦士の共同体として始まったからでした。奴隷は自由になることは可能でしたが、市民権を得ることは出来なかった。この民主政の全盛期は前6世紀末から前4世紀末までの約200年間に過ぎなかった。これ以前は、王政から貴族政へと変わり、植民活動で経済が発達し、市民が力を持つようになり民主政となった。しかし前5世紀の前半、アテネはペルシャ戦争を勝利に導くと、ギリシャ諸国家の中で優位に立ち、戦争に明け暮れ、他国に暴虐になる一方、敗戦も重なり疲弊し、扇動家の登場、衆愚政治へと没落、遂にはマケドニアのアレキサンダー大王に支配され、終焉を迎えました。
この栄枯盛衰を嘆いたのが、哲学者プラトンと元将軍で「戦史」の著者トゥキディデスでした。
先住民の社会
これは概ね2~3世紀前、欧米人が入り込まなかった未開地に暮らし、石器時代(鉄器文化も)と同様の暮らしをしていた人々の社会を指します。現在は、ほとんど同化政策が取られ保護されて暮らしているので、昔の暮らしを続ける人々は少数です。彼らの社会は、生業(狩猟採集、農耕牧畜、漁労)、自然の豊かさで、様々に異なっていました。一番、社会構造が単純なのは、砂漠やジャングル奥地を移動して暮らす民族(サン、ピグミー等が有名)で、20~50人の規模です。リーダーは明確でなく、男は狩り、女は採集に別れるが、平等社会で狩猟獲物の分配など、助け合いが行われている。定住しても長く住み続ける事は少ない。彼らはアフリカ、南米、東南アジアの奥地に暮らしていた。
南太平洋諸島では、隣の島まで数百キロメートより遠い場合も多いので、統合が遅れ島々に王家が幾つも存在していた。ヨーロッパ人が頻繁に来る18世紀までは石・貝・骨を道具にし、豊かな自然の中で農耕・豚の飼育、漁労、果実栽培を行い暮らしていた。王家はほぼ世襲で、権威・権力は絶大で、貴族階級以外の平民は税を絞り取られていた。神殿や祭祀、神話もあった。民主政は見られなかった。
最強の部族として名を馳せたのが南アフリカのズール族でした。19世紀始め、ズール王国は常備軍を持ち、近隣部族を吸収して45000人を集め、他の部族と交戦していた。幾度も、植民地化を図る英国と戦い、最後は敗北した。彼らは豊かな自然の中でトウモロコシ、サトウキビ、綿などの栽培や牛、ロバ、羊などの家畜飼育により生計をたてる者が大半を占めた。ズール族等400以上を含むバントゥー系民族は、歴史的古く、中央アフリカから南部まで広くに分布し、鉄器の使用は、紀元前800~400年頃と言われている。
北米大陸にも、様々な生業の部族がいたが、最大規模を誇った先住民はナバホ族とチェロキー族でした。この両部族はそれぞれの人口が現在30万を越えている。彼らは農耕定住を行っていたが、西部開拓が始まると、西側の乾燥地と追い立てられ、人口を減らしていった。チェロキー族は母系社会で、政治についての評議会においても老若男女問わず発言が認められていた。首長は高齢男性であったが、首長は調停者に過ぎず、他者に意見を強制できる強権は持っていなかった。チェロキーの住いは、映画でよく見るアパッチ等の円錐形のテントではなく、定住用の木の骨組みのかっちりしたものでした。ナバホ族は母系社会であり、放牧と織は、現在でも女性の仕事である。女性は家長・氏族長であり、家庭の意思決定において尊重された。財産権と参政権を持ち、首長にも選ばれていた。かつての男性の仕事はトウモロコシの粉挽きと略奪であり、ズニ族やプエブロ諸族を食い物にした。ナバホ族は木組みと土で出来た住居を持ち、これがサンタフェの都市景観に生かせれている。彼らの住居エリア内に同じ造りの小さな神殿を造っていた。
ざっくと言えば、先住民の社会は、自然の恵みが乏しい所では、小集団の移動生活で、比較的平等だが、豊かになると人口規模が大きなり、定住生活で階層化が進み、王政になる可能性が高い。中南米ではインカやアステカなど帝国が生まれたが、カナダを含め北米では中央集権的な国家は生まれなかった。これは北米が農耕に恵まれた土地ではなかったからでしょう。
その後の民主制の歴史
民主主義の定義
民主主義は国民が政治の主権を持ち、選挙や代表制・言論の自由を通じて意思決定に参加する政治体制を指す。
現代的には、多数決の原理と少数意見の尊重、法の支配、複数政党制、熟議(討議)、が重要な要素とされる。直接民主と間接(代表)民主の区別や、市民参加の多様性も含まれる。
参政権の平等: 全ての市民が等しく政治に参加する権利(投票権など)を持つこと。
多数決の原理と少数派の保護: 意思決定は多数派に従うが、同時に少数派の基本的な権利や意見も尊重されなければならない。
法の支配: 権力者の恣意的な判断ではなく、あらかじめ定められた法に従って統治が行われること。
多くの国では代表者を選出する「間接民主制(代表制民主主義)」が採用されています。市民は代表者(議員)を選び、日常的な政策決定を委任する。民主主義は単なる制度ではなく、価値体系・政治文化でもある。権力は誤り得るという前提、市民が理性的判断を行えるという信頼、異なる意見の共存を是とする寛容が前提条件となる。したがって、民主主義は選挙があれば自動的に成立するものではなく、教育水準、メディアの自由、法制度、市民社会の成熟など、多くの社会的条件に支えられている。さらに現代では、民主主義は課題にも直面している。ポピュリズムの台頭、フェイクニュース、投票率の低下、経済的不平等による政治的影響力の偏在などが、民主主義の質を低下させている。民主主義とは完成された制度ではなく、常に更新と防衛を必要とする「未完のプロジェクト」といえる。
民主主義の長所と短所
上記表の民主主義の長所と短所の補足
これまでの長い人類史において、民衆は力を得て社会と権力者を動かし、民主主義を勝ち取って来た。多数を占める国民にとって、民主主義より良い政治制度はないはずです。ところが、欠点もあるので、そこを突かれると、これまでも幾度か脱線してしまった。それはかつての日独伊のファシズムや、多くの独裁国家への転換です。米国では既に始まっている。
先ず、長所の「多様な意見を政策に反映」について。独裁制や共産主義体制と比べると分かり易いのですが、この両体制では、少数の権力者層の利益拡大、狭い視野、イデオロギーに偏った政策が進められ、いつか社会や経済変化に対応出来なくなるのは必至です。ところが、逆に1億近い異なる立場の人々から、様々なアイデアや政策が出て来て、試すことが出来れば、苦境の乗り越え易くなる。特に、民主主主義下の資本主義経済において、経済の起爆剤や新規産業の芽が生まれ易くなる。真逆の例として、ロシアは石油等の天然資源で成長はしているが、新産業の創出に失敗している。またパンデミック(COVID-19)時、初めての緊急事態において、東アジアの国々では明暗が別れた。台湾と韓国が最も巧く素早く対応し、次いで日本も良かったが、中国はロックダウンで経済的ダーメージを受け、適切なワクチン開発が出来なかった。独裁制の最悪例でした。一方米国は、初めの対処で大きく躓いたが、ワクチン開発において、これまでに無い速さで新規技術を使って成功し、世界を救ったと言える。これは総て、民主主義国家の良さが最高に発揮された例です。独裁国家では、まぐれはあっても、多くはこうはならない。トランプ派は今でもワクチンを恐れているが。
民主主義の短所は多く、放置すれば致命症となる。完璧では無いことを肝に銘じるべきです。あの素晴らしい古代アテネですら衆愚政治から軍事国家へ、プロイセン(ナチス以前のドイツ)もポピュリズムからファシズムになってしまったのですから。初めに、「経済的不平等が政治的不平等に転化」について。これは正に、米国で今、起きていることで、世界史で幾度も繰り返されて来た、最大の民主主義の落とし穴です。これは、所得・資産・経済力の格差が、やがて政治への影響力の格差へと変わってしまう現象を指します。現在、米国は金権政治に陥り、国民の望む政治が出来なくなり、短絡的なポピュリズムに走ってしまっている状態です。
このようになった理由を挙げます。
① 政治資金・献金の格差
経済的に豊かな個人・企業は、多額の政治献金、パーティー券購入、シンクタンクへの資金提供を通じて、政治家や政党に影響力を持ちます。こうして政治格差が広がります。
② ロビー活動・制度設計への影響
資金力のある企業や業界団体は、専門のロビイストを雇用し、法案文言の作成に関与し、規制緩和・補助金獲得を働きかけます。これは合法でも、政治格差を広げます。
③ メディア・世論形成の支配
経済力は、マスメディア広告、SNSキャンペーンとコントール、有力インフルエンサーの動員といった形で世論形成に影響を与えます。「何が問題か」、「何が争点か」等の問題設定を誘導することが出来ます。かって日本のTV・新聞で「原発はクリーン」と毎日報じられ、福島原発事故で、ハット洗脳されていたことに気付いた経験があるはずです。これは電気事業連合会が10年間で5000~9000億円、42年間で2兆4千億の宣伝広告費を投じて来たからです。これには皆さんの電気代が使われていたことになる。
④ 生活余力と政治参加
低所得層ほど、長時間労働、不安定雇用、教育機会の不足により、政治を学び、関与する時間・精神的余裕を欠きやすい。これ自体が政治的影響力の格差になります。
結果として何が起きるか。政策が富裕層・大企業寄りになり、再分配・社会保障が弱体化し、不平等がさらに拡大し、悪循環が加速して行ったのが今の米国です。この状態は、民主主義ではなく、実質的には寡頭制と言えそうです。既に4章でみたように、富裕層への利益集中が起きていますが、これは2018〜2021年の間に、上位10%の所得層(特に上位1%)に:税制優遇の多くが集中し、対象となった米国企業は、減税前と比べて合計で2,400億ドル低い税負担となりました。
今一つの欠点は、「有権者無関心・情報不足が災い」です。これは、情報を持つ市民が正しく判断することで民主主義は前に進むのですが、政治に無関心、分かり易い情報を持たない市民が多いと、機能しなくなります。
このようになる理由を挙げます。
① 自分の一票は変わらないという感覚
「どうせ何も変わらない」という政治的無力感が、投票や関心を低下させます。
② 政治の複雑化
政策は専門化・技術化し、税制、年金、通商協定などは理解が困難です。
結果として「分からないから考えない」態度が広がります。
③ 生活不安による関心の低下
経済的に追い込まれるほど、今日の生活で精一杯、将来設計が困難となり、政治参加が後回しになります。
④ フェイクニュース・単純化への弱さ
情報リテラシーが低いと、陰謀論、感情的スローガン、「敵」を作る政治に流されやすくなります。
結果として、投票率の低下、組織票・固定支持層が相対的に有利、ポピュリズムや権威主義の台頭となり、民主主義が浸食されて行く。これは米国や日本も同様です。
自由主義、資本主義と民主主義の関係
多くの欧米先進国は、これまで自由民主主義制を標榜して来たが、現在、多くの国民はこれに疑いを持ち始め、一部は右派ポピュリズムに流されようとしている。ここでは少し政治概念を整理し、問題点を明らかにします。関りのある用語としては、自由主義、資本主義、新自由主義、リバタリアニズム(自由至上主義)です。一方、新保守主義(ネオコン)、権威主義、ポピュリズム、ナショナリズムの用語も使いますが、これらはどれも自由主義と民主主義を脅かすことになるので、詳細は省きます。一言で表すと、新保守主義と権威主義は力・武力に頼り、体制維持か復古を目指します。ポピュリズムとナショナリズムは不安や郷土愛等の感情に訴え、国民を一丸にはさせるが、社会を暴走させることが多い。
自由主義(リベラリズム)
自由主義とは、個人の自由と権利を社会・国家の最優先価値とし、権力を法で制限する思想・原理です。自由主義は、人間を理性的で自律的な存在と捉え、信仰、言論、職業、財産、移動などの自由を保障すべきだと主張する。そのため、憲法、法の支配、権力分立、基本的人権の保障が重視される。自由には、精神、身体、経済の自由と、国家や他者から不当に干渉されない自由もある。実は、自由主義と民主主義には対立する概念が含まれており、どちらを重視するかで、せめぎ合って来たのです。
自由主義の歴史は、17世紀、ジョン・ロックが自然権(生命・自由・財産)を主張し、政府は市民の信託に基づくものと定義したことから始まる。18-19世紀、アダム・スミスが経済的自由を、J.S.ミルが他人に迷惑をかけない限り自由は絶対であるという「他害原則」を唱える。そして古典的自由主義(自由放任経済容認)が広まった。しかし20世紀前半には、この放任経済の結果生じた格差是正の為に国家の介入を認める社会的自由主義(実現手段として福祉国家)が欧米で広まった。この反動として、1980年代より、再び経済・市場の自由を強調するサッチャーとレーガンが主導した「新自由主義」が欧米を席巻し、日英米国内で格差が高進し、21世紀になった現在、このまま進むことも出来ず、混迷を深める中、ポピュリズムに覆われつつある。この歴史を見ると、人類はここ数百年間、自由主義と民主主義のどちらに重きをおくかで葛藤して来たことがわかる。その転換点における判断基準は、国民にとっては格差拡大、生活状況の悪化であり、富裕層・企業家にとっては資産・利益の伸び悩みであった。
自由主義の長所と短所
私達は、最適な自由民主主義を目指し、両者の得失を調整していく必要があるのです。放置していては、社会は衰退から崩壊に至るでしょう。
自由主義、新自由主義、リバタリアニズム(自由至上主義)の関係を見ておきます。前者二つの概念は既に見ました。リバタリアニズムを唱えている著名な人物はテクノ・リバタリアンと呼ばれ、イーロン・マスクやピーター・ティールが知られており、その主張は「自由なテクノロジーの発展を重視」です。二人は二期目のトランプ政権を支えている人物です。既に見てきたように、この半世紀の先進国の社会経済の混乱・分断は、格差と生きづらの増加にあり、この理由は、経済的自由を最高まで追求してきた新自由主義にありました。ところが、この二人は、さらに個人の自由を至上の価値とし、国家や政府による介入を最小限にすべきとリバタリアニズムを主張しているのです。まるで現状が見えていないか、完全に自己中心の守銭奴なのでしょうか。彼らが、トランプ政権に加担すると言うことは、トランプが何を目指すかは容易に理解出来るはずです。
資本主義と自由民主主義との関係
自由民主主義は個人の自由と法の支配、選挙による政策選択を可能にする政治体制であり、資本主義は私的所有と市場メカニズムにより資源・所得配分を基盤とする経済体制です。両者が同時に存在すると、政治的・経済的自由が経済活動を促進し、経済的繁栄が政治的安定を支えるという相互補完が働く一方、市場の論理が政治的平等や社会的連帯を侵食する可能性もある。
現在、わずかな共産主義国家(北朝鮮など)を除き、世界は福祉国家、共産主義国家、独裁国家を問わず、資本主義とグローバリズムを取り入れ、当然、自由民主主義国家も資本主義を手放せない。ただ、やはり対立する部分があり、調整が必要です。
資本主義と自由民主主義が共に行われることの長所と短所
資本主義と自由民主主義を並存させることは、現時点では最高の政治体制だと考えます。さらに民主主義に重きを置いた福祉国家も、北欧で成功し続けており、充分可能な選択支です。私達は、最適な自由民主主義と資本主義の協働を目指し、両者の得失を調整していく必要があります。
経済学者ダロン・アセモグルの提案を、ここに要約します。彼は、民主主義と資本主義を前提にして社会のあり方を考えているようです。
自由民主主義と自由な市場経済の政治的・経済的な包括的制度は不可欠だが、この実現には現在進行中の技術革新などの波乱要因が加わると困難が伴うとした(英国の産業革命でも同様だった)。この為、加速している分配の不平等が抑制される必要があるとしている、但し、市場における経済活動の自由を全面的に破壊することなしに。この為には独裁ではなく政治権力が広く分散している必要があり、また制度を時代に合わせて更新する必要があると説く。これは憲法を定めたり修正することで終わるのではなく、人々が多様なビジョンを持ち寄り、政治に参加し、規範を作り上げ維持して行くことで生まれるものとする。
まとめ
人類にとって、今は瀬戸際かもしれない。民主主義は損なわれ、不信感を抱かれ、彷徨い始めた。この民主主義が破壊された後に来るものは、多くは広範囲に及ぶ悲劇でした。既に見てきたように、民主主義、自由主義、資本主義の組合せは、時代と共に葛藤を繰り返して来た。私達は、困難ではあるが、再度、この組合せの最適解を模索し、実現して行く以外に、生き残る道は無い。
第23章 我々人類は何を変革して来たのか
現在、多くの人は完璧ではないにしても自由、平等、選挙権などを享受している。しかし、国や地域によってその程度にはバラツキがあり、さらに時代を遡ると、大きく後退していたか、無きにも等しかった。これらは、基本的人権(自由権、平等権、社会権、参政権、請求権など)と呼ばれるものです。我々人類は長い年月をかけて、無の状態から生み出し、育てて来た。けっして初めからあったものではない。
これら無形のものを如何に獲得し、意識改革と制度造りをして来たかを振り返ります。特に、男女間の差別、また宗教との関係を中心に見て行きます。我々は社会を住み易くする為に、不断の努力をして来たのです。
人権の大まかな歴史
「人権」とは、「全ての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」あるいは「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持つ権利」です。以下に、人権獲得の歴史を表にしました。
上記表からわかることは、人権が制度的に確立していくのは17世紀以降、それも英国を初めとした西欧からでした。それ以前、先史時代から古代王権に始まり、様々な王朝時代まで、圧倒的多数の民衆は、自ら権利を主張し獲得することはほぼ不可能だった。人々は、部族が生み出した掟や習俗、神が宣告した戒律、王が制定した法に縛られており、逸脱することは死に値することもあった。所有権などは徐々に社会に広がってはいったが、多くの権利は、上記の表の如く、近代に入ってからであり、選挙権で1世紀前、男女平等や拷問禁止などに至っては高々半世紀前のことでした。人類は自ら幸福を掴むのに、なぜこれほどの時間をかけ、一段一段階段を登るように、人権を獲得してきたのだろうか? 以下に男女の問題を例に見て行きます。
第1節 男と女の間にあるもの
人類への進化と進歩を振り返る時、複雑な気持になってしまうのが、男女間の問題です。現代でも、世界中の多くの女性は、男性に比べ、様々な制約が課せられ、かつ保護も薄い場合が多い。また、この状況は先進国の中でも大きく異なり、民主度が高く幸福度の高い国ほど、女性の地位や権利は高い。逆に豊かであっても女性の地位が低い国は多い。けっして平等が行き渡った、進歩した状況とは言えないだろう。しかし一方で、歴史時代の始まりの頃は、想像を越える惨めな状況でした。むしろ一部の霊長類よりも悪化している社会もあった。このことからすると、全般的には、現状はかなり改善されており、その途上だと言えます。なぜ男女間には、埋めのが難しい溝があるのだろうか。これだけ人権や平等が、当たり前のように言われている中で、男女間のわだかまりが残り続けている理由が幾つかあります。それは、男女の肉体・生理・脳の機能差、国や地域が保持している社会・文化、そして世界宗教が関わっている。当然ですが、男女は、互いに相手の性差を完全には理解出来ないでしょう。脳内ホルモンの分泌による感情の違いを互いに完全に理解するのは困難です。その社会や文化が育み続ける性別役割(ジェンダー)や期待される行動が、どれだけ根深く性差を固定維持しているかを知ることも容易ではない。また世界四大宗教の教え、それぞれの聖典に記されている戒律や遵守すべき事柄が、現在の男女間のあり方を、遥か古代まで引き戻してしまう。これらから、我々はどのように対処すれば、より広くより高みにある人権を得ることができるのでしょうか。
1. 古代における女性の立場
先ずはオリエントから
「彼女は私の妻ではない。私も彼女の夫ではない。」
これは旧約ホセア書にある離婚宣言定式で、夫の側から離婚が簡単であったことをしめしている。夫が自分の妻に、気に障ることがあれば、彼はたいした手続きも必要ないまま妻を離婚することが出来た。
「彼女が日頃から身持ちが良くないのに、外出してばかりいて、彼女の家をほったらかにし、彼女の夫に恥をかかせている時は、この妻を河に投げ込まなければならない。」
これはハムラビ法典第143条の規定で、男は恣意的に制裁を加えることが可能だったことを示す。一方、女性が男性を離別出来たかは、同じ法典142条でわかる。
「ある妻が夫を嫌い彼に向かって『あなたは私に手を触れることはできません』と言う場合、この件は『町の門』で審理されなければならない。彼女は常に身持ちがよく、何の落ち度も認められないのに、夫は外出してばかりしていて、彼女を大いに卑しめている時は、この妻は何の処罰を受けない。彼女は自分の嫁資料(持参金)を持って自分の父の家に帰ることが出来る。」如何に扱いが不公平かがわかる。
旧約聖書の多くはバビロニア捕囚時代に編纂されており、当時のオリエント、バビロニアの慣習や法典と共通するところが多いが、旧約の方が、私的な行為でも民族の恥とか神聖への冒涜と捉え、刑が厳しくなる傾向があった。法文中の『町の門』は、当時、町の門の近くに長老や市長、書記官がいて裁判が行われいた事を指す。ハムラビ法典は、紀元前18世紀頃に造られた。つまり、世界で最も古い時代の法律集です。嫁資料とは、花嫁が実家から持参する、家具、家畜、金、銀、奴隷などの動産・不動産です。
「ある妻が他の男とのことで後指を指されたが、他の男と寝ているところを捕らえられた訳ではない場合、彼女は自分の夫の為に河に飛び込まなけらばならない。」
これもハムラビ法典第132条の規定です。彼女には、上記のように河による神判に訴えるか、潔白の誓いを行うことが出来た。河に飛び込んで死ぬことがなかったら無実となる。
聖書に出て来る刑罰にも男女差が明確です。姦淫を犯した女と共犯者(男)と共に、処女を偽って結婚した女は死刑になると記されている。これは当時の社会常識が反映されており、旧約には、さらに女性の地位が低い事を明確に示す話があります。創世記2章に「アダムは塵から造られ、神の息を吹きかけられて生けるものとなり、そのあばら骨から女を造り、アダムの伴侶とした」があります。その一方、同じ1章に「神は自分のかたちに似せて人間を創造した。そして男と女を造った」もあります。1章は、バビロニア捕囚(前6世紀頃)の時代に書かれたもので、祖国から切り離されたユダヤ民族が強く団結して、生きていかなけらばならない厳しい時代背景が、そこには込められているのです。だから男女にランク付けが必要だったのでしょう。一方、2章は、捕囚時代の前、ソロモン王の時代(前9世紀頃)で祖国が安泰で繁栄していた時代のもです。時代は古いが、逆に少し平等だったようです。
ここでユダヤ教から一つみておきます。
「女性は自分が同意しようと同意しまいと離縁されるが、男は彼が同意しないでは離縁されることはない」これは聖典タルムードのミシュナ・イェヴァモートの一文です。タルムードは紀元1~2世紀と比較的遅くに編纂された。タルムード内には女性や結婚・離婚に関する様々な記述があり、この一文で代表できないが、まだ男性優位は残っていた。「タルムード入門Ⅱ」(参1p98)の著者は、タルムード全体から言えるとして、「離婚の規定は女性に不利な方向へ過度に偏きはしなかったということが妥当な結論のようである。結婚の解消が簡単にもかかわらず、それが乱用されたことを示す証拠はない。タルムードの制度下で鼓舞され実践された理想は、うんざりする結婚なら必要があれば難なく終了出来るという認識に助けられて、ユダヤ人の夫婦関係をひときわ高い質に押し上げることになった」と記している。
イスラム教からも一つ見ておきます。
「あなたがたの子供への配分について、アッラーはこう指図する。男児には、女児の二人分を。女児のみが二人を越えるなら、遺されたものの三分の二を彼女たちに。女児のみ一人だけなら、半分が彼女のもの。」コーラン4章11節の一文です。、女性にも相続権が定められいたが男女差がありました。残りは両親に分配されたのでしょう。イスラムでは、男子は結婚に際して、女性に結納金を払う習慣がありました。
古代アジアでは
仏教ではどの様に説いているのでしょうか? 法華経の第12章「提婆達多品(だいばだったほん)」に龍の娘が仏に成る話があります。ある菩薩が、娘がまたたくまに悟りを開くなどとは信じられないと言ったことを受けて、その龍女は、成仏するところを見て下さいと言ったかと思うと、突然、男の子となり、菩薩の修行を完成して、蓮華に座って悟りを開いた。結局、悟りは女性ではなく、一度、男に変わらないことには不可能だったのです。仏教では、女性は仏になれないとしています。仏教も、当時の時代を反映して、男尊女卑からは完全には抜け出せなかった。紀元前6世紀頃、釈迦は、贅を尽くす王侯貴族と祭祀を重んじるバラモンが国を支配することを嫌い、新しい救いの道を求めました。釈迦は、社会と距離をおいて修行する出家集団を作り、彼らを伴って各地を歩きました。この集団の中に、女性らも入団することが許されていました。これは当時としては画期的なことでした。しかし、一方で、男性が女性に惑わされないように、女性の装いに規律を設けている。
バラモン教と仏教の法典にみる女性の地位の違いを見ます。バラモン教の法典とは、マヌ、ヴィシュヌ、ナーラダ等多数あるが、成立したのは紀元前2~紀元後4世紀頃です。これら法典から、結婚について要約します。結婚の目的は、夫の絶対的結合をなし、宗教的義務、経済的利益、性的享楽、家族の保護繁栄に努力するにある。夫を神として奉仕し、主婦の一切の労務に勉励すべきであり、よろしく一家の光明となるべきである。貞操、倹約、正直、優雅などの道徳が奨められている。さて妻は精神的欠陥によるはもちろん、多少の身体的欠点ならびに子を産まざることによって、第二の妻にその主婦権を譲らなければならない。その時、三分の一の財を得るのであるが、共に宗教的に催事に参加してはならず、帰家しても再婚は許されない。当時、通例一夫多妻制でした(参6,P110~114)。
これに比べると、仏教は、当時の階級(カースト制度)を否定し、皆を平等に扱い、男女の特権を認めず、これも平等に遇した。また仏教信仰は在家・出家も男女に開かれた。ただ前述したように、女性はいくら信仰を積んでも仏になれないとした。この女性に対する矛盾について、私は本来の釈迦の意思とは異なり、経典の誕生が釈迦死後、数百年をかけて積み重ねられたことによると考えている。釈迦は、待機説法で教えを遺されたが、直接、聖典を書かれたわけでは無い。
儒教ではどうでしょうか?
「子曰く、唯女子と小人とは養い難しとなす。これを近づくければすなわち不遜に、これを遠ざくらばすなわち怨む」と論語の陽貨第十七に書かれています。これは「女とげすな男は何とも扱い難いものだ。ちょっと近づければ図に乗るし、ちょっと遠ざければひがむ」と解釈出来る。これは紀元前6世紀頃の中国の意識を反映しているのでしょう。
古代ギリシャでは
紀元前5~4世紀のアテネでは、女性の行動は家長によって厳格に規制された。彼女たちの部屋は、四方を壁で囲まれた建物のもっとも奥に、ハーレムのようなかたちで置かれていた。妻たちは、催事に参加する場合を除いて、公的な場ないし社交の出ることは少なかった。女性が受ける教育は、織物や裁縫など家事仕事に限られていた。これに対してスパルタでは、共同体が前面に出て、「家」家長制度が成長しなかった。女性たちも共同体の重要な構成員として、かなり主体性をもっていた。女性は、教育を受け、読み書き、営業、法律行為もできた。若い女性は、自分を守れるよう、また強い子供を産めるよう、男性と同様、裸で体育を受けた。アテネの未婚女性が裁縫や料理、子育てなど花嫁修行を受けていることを、スパルタ女性はあざわらった。それらは、スパルタでは奴隷がやる仕事だったからです。この違いは、経済が豊かになり文化が花開いたアテネと、常時臨戦態勢下で軍事的な気風が保持されていたスパルタとの違いよるものでした。しかし、アテネでも、「家」に取り込まれない、教師・愛人・遊女などの女性は自由であり、教養があった。例えば、将軍ペリクレスの愛人は、ソクラテスに弁論を教えていた(参2、p32)。
2. 中世以降の女性の立場
12世紀頃のヨーロッパでは
中世前期においては、未婚女性は父親の、既婚女性は夫の所有物とされた。これは古代ゲルマンからの遺風(ムント婚)で、花嫁は新郎から贈り物と交換された。この形式は、教会の結婚式で、父親が花嫁を連れてバージン・ロードを新郎のところまで行進し、手渡す場面に見られる。ムント婚で、とくに監視・重視されたのは、娘の処女性・妻の貞操でした。これは古代オリエントでも広く見られた。しかし、12世紀以降には事情が変化した。両性の合意が尊重される自由婚が、キリスト教会の変化によって、一般化したからです。また、この頃からは都市が発達したが、都市では取引活動上の平等が進んでいたので、妻は、夫が死んだあと、商店や職場の経営を引き継いだ。父を相続して領主となったり、親方となったりした独身女性も少なくなかった。こういう女性には行為能力が認められだし、やがて都市だけでなく社会全般に女性の行為能力の承認が広まっていった。
ここで重要なのは、教会法が信者の家族生活に与えた革新です。教皇の改革を経て、12世紀頃には、教会は結婚・家族生活など人々の社会生活も法的に規制するようなった。この教会家族法は、中世の世俗法やローマ法と異なって、伝統・慣習を基礎にした法ではなく、キリスト教に反する社会関係を改変するものでした。たとえば、結婚は、それまでは、両性の合意しただけではだめで、一定の様式をふまえ、かつ性交するという条件を満たさなければ有効とはならなかった。この教会法においては、結婚は、両性が出発点において合意しあえれば有効となった。後に、教会堂の結婚式を義務付けることにはなったが、この基本は変わらない。また教会法は、夫婦が対等に相手に対して誠実義務を負うことや、妻の相続権(女性の取り分は少ないが)を保障するようにもなった。ここではキリスト教の勢力拡大が、女性信者の権利拡大、平等に寄与している(参2、p157)。
14~15世紀のルネサンス期はどうだったのか。この時代、政治的自由や人間性の解放が始まり、女性の文化活動がそれまでに比べて目立つようになった。中世後期以来の、女性の社会活動の活性化、それにともなう行為能力の承認も続いていた。しかし他方で、女性の社会的地位は基本的な点で、古代以来変わらなかった。すなわち彼女たちは、「弱い性」として、男性に保護・支配された。将来は家庭にあって良き妻・良き母としての役割をはたすことを期待され、社会活動することは予定されていなかった(参2、p265)。
10~12世紀の中国では
この時期は、文治主義と商業が発達した宋代です。宋代の女性は、唐代にくらべ自由ではありませんでしたが、明清時代のように閨房(けいぼう=夫人の部屋)の中に固く閉ざされていたわけではありません。しかし女性の地位が下がりつづけた時代でした。宋代の女性は離婚し再婚する権利がありました。離婚したり再婚したりする女性に対して、社会的に過度にさげすまれることもありませんでした。父母が亡くなったり、あるいは寡婦となった場合、女性は、家庭の財産を継承する権利を、ある程度持っていました。女性が比較的大きな家庭を管理する権利を持ち、家計を取り仕切ることはよく見られたことでした。また、家庭内で大きな発言権を持っていたので、妻に頭の上がらない男性も少なく有りませんでした。女性はある程度の文化的な教養を持つべきとされ、『孝経』『論語』などの書物を読むように勧められた。
宋代の女性は、経済面で大きな役割を果しました。ただ家事を営むだけでなく、広く農業、手工業、商業などの多くの分野にわたる社会的な営みにもたずさわりました(参8,P203)。こうしてみると、中国の方が、西欧に比べ女性の地位が高く、また西欧と同様に、経済・商業の発展が女性の社会進出を促進したと言えそうです。
12世紀頃の日本では
この頃、鎌倉仏教が興りました。それまでの貴族の仏教から、武士や庶民の為の宗教が初めて誕生し、中でも6宗派が有名です。その一つである浄土真宗の開祖親鸞の言動をみます。
「なにしおはば 五つの障(さわ)りあるものを うらやましくも のぼる花かな」これは「和泉式部集」の歌で、これはある法師が女郎花(おみなえし=女性を意味)を持って、比叡山の念仏用の生け花にすることを知って詠んだものです。比叡山は、かつて女人禁制でした。仏教では、女性は「女人五障」と呼ばれる仏など悟りを得る五つの位になれない定めがありました。和泉式部は、女は行けないはずなのに、この花をうらやましいと、たとえている。彼女の生きた11世紀、仏教の女性差別は定着していた。それでは親鸞はどう対処したのか?
「弥陀の大悲ふかければ 仏智の不思議を現はして 変成男子の願をたて 女人成仏ちかひたり」
これは親鸞の著わした『浄土和讃』の一文です。彼は、従来の仏教の教説に従い、男性に生まれ変わることが、女性の成仏には必要と説いている。しかし、彼は生涯をかけて布教活動を妻と共に行っており、さらに多くの門弟が各地で念仏道場を開いていたが、その中に女性の道場主もいた。9名以上の女性が教化で活躍していた(参3,p197~214)。親鸞は教説を守りながらも、女性差別を避けようとしていたのです。
3. 少数民族、先住民族
中国雲南省麗江地区に、納西(ナシ)族が暮らしています。現在は、漢民族と一緒に街中で極普通に暮らしています。今から話する悲劇は、主に1949年の中華人民共和国成立以前に起きたことです。
ナシ族の若い男女が晴れ着に身を包んで、人目につかない深夜に忍び出て山や湖をめざした。そして首吊り、入水、アヘンの丸呑み、トリカブトの服毒、首を切るといった手段で情死を遂げた。毎年のように、二、三組み、例外的には一度に八組みもの情死があった村もある。これは親達が強制する婚姻に反対し、二人が天国で結ばれること願って行ったのです。若い男女は自由恋愛を公には出来ないので、隠れて行う。一方、多くの民族に共通するのですが、親同士が家柄や血縁を考慮して、予め婚姻を決めてしまうのです。そしてこの婚約の話が進むと、男の家から婚資が送られ、恋愛をしていた若い二人は諦め切れなければ、情死に訴えるのです。ナシ族の結婚には、その貧しさに比べ、婚資や結婚式に莫大な費用がかかったのです(参4,p222)。
中国の新疆ウイグル自治区にウイグル族が暮らしています。彼らは古くから中央アジアで暮らしていたトルコ系民族で、10~15世紀にかけてイスラム教を受容するようになったムスリムです。ウイグル族の女性は社会活動に参加できず、教育を受ける権利や男性と平等の権利を享受しておらず、夫権、神権など封建的な道徳の制約と圧迫を受けて来た。結婚すると女性は男性の付属品となり、すべて夫の命令に従う。妻には家の財産問題を扱ったり、問いただしたりする権利がない。都市部の女性は社会に出て仕事をすることが出来ず、ただ家事にいそしむしかない。地域によっては女性は気楽に出歩けなく、外出時にはベールか頭巾をかぶらねばならない。もしベールをつけていないと宗教的職能者から罰として皮の鞭で叩かれることもある(参5,p102)。中国には、別にイスラム教徒の回族がいますが、その外見・言語はほぼ漢民族で、中国国内に幅広く暮らしています。
米国のアメリカインディアンに女性の地位が高い部族がある。アリゾナ州に暮らすホビ族は、日干し煉瓦づくりのプエブロという集合住宅に居住している。世帯の中心は女性であり、彼女たちはいつでも自分の夫を追い出すことが出来る。夫や父親はつねに家族のなかのよそ者であり、また息子あるいは兄弟は成人すれば結婚して出てゆく存在である。ホビ社会における女性の力は家庭内においては言うに及ばず、公の場においてもかなりのものである。北アメリカ北東部の森林に居住していたイロクォイ族も、同様に女性の地位が高かった(参11、P156)。この二つの部族は、妻方居住と母系制(注1)で共通していた。実は、世界には男性優位な部族だけではなく、女性優位もみられます。それでもやはり組織のトップには男性がなることが多い。
4. 現代
厳格主義のイスラムでは
サウジラビア王国の宗教は、イスラム教スンニ派ですが、中でも厳格主義で知られるワッハーブ派が国教となっています。これを象徴するような悲劇が2002年に、王国内で発生しています。学校で火災が起き、現場に駆けつけた親達は、そこで凄惨な光景を目撃することになりました。宗教警察(ムタワ)が、学校の門に外側から錠をかけ、燃え盛る学校から少女たちが避難するのを力づくで阻みながら、さらに消防隊が救助の為に校内へ突入するのも妨害した。この警察は「出してほしければ校舎に引き返してヴェールをとってこい」と言って、少女を追い返したり、暴力を振るった。戻った少女は焼死体となって発見された。この一連の警察の妨害行為は、肌を適切の隠していない少女と消防士の接触を避けようとしたことによる。政府は、三日後、報道機関にこの事件から手を引くように命じた。イスラム教の大多数である穏健派には、このようなむごい仕打ちは起こらないが、独裁制=王国では、往々にして権力維持の為にコーランの解釈を曲解し、厳格主義が貫かれている(参5,p270)。皆さんは、この凄惨な状況は何によってもたられたと考えますか?
欧米の1960年代以降
大戦後15年も経つと、米国では、それまでの主婦の「良妻賢母」像は色を失い始め、生き方の反省を促した。そして黒人の公民権運動、ベトナム戦争反対運動、学生運動が盛り上がり、他の西洋諸国と日本にも波及した。これまでの社会を大きく変える動きの中で、女性に関わるものについて取り上げます。家族のあり方に大きな変化が生じ、家長支配・教会の規制がゆるむとともに個人的自由の意識が一層強まった。そして男女平等や離婚制度の為の民法改正が、米国諸州、フランス、西ドイツ、英国、スウェーデンでは1969~84年に起こった。離婚率も急上昇した。その背景には、社会保障の充実や女性の就職・就学、社会活動の活性化によって、女性の自立性が高まった事実がある。女性の進出は、男性社会で有り続けてきた大学や職場、政界等における権威主義や地域のボス支配をなくす民主化に貢献した。北欧を典型として、豊かになり生活を質的に向上させた労働者が、文化的にも政治的にも意識を高め、単なる大衆から市民へと成長した。
こうして、西洋社会は、19世紀型のエスタブリッシュメントによるリベラリズムを基調にした社会から、労働者・女性を含めたすべての人が社会と政治の主体となったデモクラシーを基調とする社会へと変容していった。なおヴィクトリアニズムは残り、米国では、共和党政権下での福音派右派によって、再活性化が本格化している(参7,P245)。ヴィクトリアニズムとは、19世紀後半の英国で形成された、勤勉・禁欲・貞淑・節制などを重んじる道徳観や価値観を言い、中流階級の倫理観やピューリタニズムが色濃く反映されていた。これは西洋社会に広がった。
各国の男女差を比較
上図から日本の女性参加の割合が先進国と比べて著しく低いことがわかる。中国、韓国と比べても同等か悪いと言える。
日本と韓国の賃金差は、先進国と比べ著しく悪い。男女平等ランキングを見ると、日本は韓国、中国よりも低い。このランキング調査の初年度2006年の日本は80位でしたが毎年低下している。同様に他の多くの社会・経済指標の日本のランキングも軒並み低下しているのは、日本が現状維持に囚われている間に、世界はどんどん進歩し、日本を抜いて行っていることを示している。
スウェーデンでは
女性の政治参加をみる。2006年の国の議会の議席構成は女性が47.3%、男性が52.7%で、地方議会でも40%以上です。女性議員が多い事により、社会福祉、男女平等、家族政策、環境問題などの政治課題に高い関心が向けられるようになった。若年層において、女性は左派政党、男性は右派政党を支持する傾向があり、女性は原子力には否定的な態度をとる。このことはヨーロッパでも同様です。スウェーデン社会で男女平等が進んだことにより、女世議員が増え、これがまた社会を革新して行くことになっている。ちなみに日本の衆参国会の女性割合は2024年に、やっと19%に達しました。
スウェーデンは女性が仕事を持ちながら子供を産み育てやすい国ナンバーワンとなっている。2006年において三歳児を持つ親が取得した育児休業日数の男女比を見ると、女性が79.4%、男性が20.6%であった。現行の育児休業制度では、子供一人につき480日間取得でき、そのうち390日間は所得の80%(上限有)、残り90日間は日額180クローナが保障されている。一般的にみてスウェーデン人の男性は、多くの諸外国と比べると、家族と過ごす時間を持ち、家事や育児に参加している。しかし、男性とほぼ同等に就労している女性が家事や育児に費やす時間と労力と比較するとまだ不十分とされ、さらなる対策への取り組みが続けられている(参9、P268-275)。
5. 男女差別の背景にあるもの
男女の差異は何によって生じるのだろうか? 最も基本的な要因は、ヒトが霊長類の中で、最も長期間の育児を可能にすることで長足の進化を可能にしたことでした。子を産んだメスはどうしても育児に専念しなければならず、さらにオスの助けを必ず必要とした。メスのチンパンジーでさえ1子だけで約5~7年は子育てを必要とし、2~3頭は育てた。人間の女性は母としての役割を果す為に家庭内領域(育児)に留まる。それに対し男性は、家事労働から比較的自由であるために対外的に公的領域で活動が出来る。そして、この家庭内領域と公的領域の役割分担が、やがて公的領域で活躍する男性に権威が高まる結果となった(ロザルドの説)(参11、P161)。
多くの原始的な部族社会においては、自然環境に応じた生業による労働の性的分業が行われ、例えば狩猟は男性、採集は女性というように。但し、糸紡ぎなど多数の作業が、民族によって男性専門だったり女性専門だったりし、人類にとって決まっているわけではない。既に少数民族や先住民でみたように、男女のありようは各文化でかなり異なっている。
実は、女性は進化の過程で育児に最適化された結果、男性より数段優れている。優れている点を箇条書きします。
*甘味、苦味などの味覚が優れていることにより毒性などの識別能力が高い *匂いの識別能力が高く、子供の便を嗅いで異常を察知し易い *皮膚感覚が優れている *音を聞き取る閾値が低い *視覚は男性の方が優れているが、女性の色盲率は低い *病気に罹りにくい(参12、P14-21)
これらはいずれも育児に最適化した結果だと言える。
上記のことから、男性が優れているから、男性優位が当然だとは言えない。確かに、性差はあるので、男女がそれに適した行動をとっているうちに、社会の構造変化と巨大化で男性優位が初期に定着した。さらに、その社会秩序の維持の為に自然発生した掟、習俗、神話、聖典が、遥か後の社会に足枷となって作用した。そして女性の悲運が始まり、現在まで続いたと言えるようです。皆さんはどう思いますか?
この歴史を要約します。人類は、育児をうまくこなすことにより進化のトップに躍り出たが、逆にそれが歪な結果を生むことになった。ヒトのメスから人間の女性へと進化する内に社会の中で女性は育児に束縛されがちとなった。やがて、人々は生業を特定し、村を作り、部族が競争で生き残るために掟と神話を生み出した。やがて交易が発達し広大な領域が一体となり始めると、部族の神話と宗教から脱し、宗教改革を唱える創唱者(イエス、釈迦)が現れた。これら人物の教えが弟子たちに磨きを掛けられ、かつ国の統治に役立つ聖典として練り上げられることになった。こうして、男女の役割は、その歴史と社会に適応するかたちで聖典(聖書、仏典)に織り込まれていった。世界宗教が及ばなかった地域では、原始宗教・神話と掟にもとづいた男女の役割が生き続けた。やがて中世になると、さらなる経済・科学・交易・哲学の発展と相俟って世界各地で新たな視点が生まれ、多数を占める大衆から、政治に参加する市民へと意識が変化した。そして近代には、各地で生まれた意識改革や思想が世界に広まり洗練され、特に先進国で男女平等の権利が認められるようになっていった。しかし、独裁国家では権威と権力を高める為に、イスラム教やキリスト教、ロシア正教は厳格主義・原理主義を取り込み、それぞれの聖典を都合の良いように解釈し女性差別を行う傾向が強い。また民主主義が遅れている国々も男女差別が強く残っている。この歴史の流れで、男女差を保持する効果を持ったのが、ジェンダーでした。進んだ多くの社会においても、その文化・宗教的な脈絡によって、多くは家庭内の育児によって、ジェンダー(社会的性別)が子供時代から植え付けられる。これが無反省に続けられると、悪弊から脱することが出来ない。
第3節 堕胎について
男女差別の歴史を振り返るなかで、もっとも残念なのは堕胎禁止という宗教の復古主義です。米国で、最高裁による「ロー対ウェイド判決」(1973年、女性が人工妊娠中絶を受ける権利が憲法で保障されるプライバシー権の一部であるとする)が、2022年に最高裁で覆された。これにより、多くの保守的な州では、女性の中絶を禁止する法律が制定されて行きました。この時期の最高裁の判事(全9名)の構成は、保守派6名、リベラル派3名で、保守的な判決となった。かつて米国の最高裁は慣例で、共和党と民主党側から半数づつ指定してバランスをとるようにしていたのですが、トランプ政権時にこれが破棄され、偏った判決が続出するようになった。さらに残念な事に、これにより原理主義的な福音派は望みを叶えてくれる大統領としてトランプを絶賛しさらに応援するようになった。堕胎は生命倫理と女性の権利が相克する問題とみられがちですが、単純に宗教的な復古主義と言えます。これから少し、堕胎禁止の観念史を振り返り、その問題点を考察します。
1.各聖典において
l 聖書には「中絶」という直接の言葉はありませんが、受胎の瞬間から神が命を形作り、知っておられるという記述が根拠とされます。
詩編 139「あなたは、わが内臓をつくり、母の胎内でわたしを組み立てられました。……あなたの目は、まだかたちをなさないわたしのからだを見られました」
エレミヤ記 1章「わたしはあなたを胎内に形造る前から、あなたを知っていた。あなたが母の胎から出る前に、わたしはあなたを聖別し……」
出エジプト記 20章「殺してはならない(十戒の一つ)」
カトリックや福音派などは、胎児を独立した人格とみなし、この戒律を中絶に適用します。
l コーランでは、貧困などを理由とした子供の殺害を厳格に禁じており、これが中絶禁止の主要な根拠となります。
第17章(夜の旅)31節「貧困を恐れて、あなたがたの子女を殺してはならない。われは、彼らをもあなたがたをも養う。彼らを殺すことは、実に大きな罪である」
ハディース(伝承)「(胎児は)母の胎内で120日かけて人間になる」という記述に基づき、120日以降の中絶は厳禁されるのが一般的です。
l 仏教では「不殺生戒(生き物を殺さない)」という根本的な戒律に基づき、胎児を殺すことを重罪とみなします。
l ヒンドゥー教のマヌ法典には、堕胎を「バラモン殺し」に匹敵する非常に重い罪と定義しています。
これらの聖典の多くは、命の源が神や自然の摂理に由来すると説き、人間が勝手にその命を終わらせることを禁じています。
古代社会では、胎児は妊婦の身体の一部とされ、堕胎は家族や父権の管理下にあった。ハムラビ法典やローマ法では、堕胎に対する罰則や賠償規定が存在したが、胎児の生命保護は明確ではなかった。教会法は胎児を初めて考察の対象とし、堕胎を犯罪化した。
2. 中世から現代まで
中世ヨーロッパのカトリック教会は、神聖な生命の尊重を強調し、受精から人間であるとする立場(即時入魂説)をとった。中絶は殺人とみなされ、教会法や市民法で厳しく禁止された。現代カトリック教義では即時入魂説が主流となっている。
一方で、20世紀後半のフェミニズム運動により、「自分の身体に関する決定権は自分にある(My Body, My Choice)」という概念が広がりました。女性の自己決定権やリプロダクティブ・ライツを重視する立場も広がり、法的・倫理的・宗教的観点からの議論が続いている。リプロダクティブ・ライツとは、「産む・産まない、いつ・何人子どもを持つか」を自分で決定し、そのための情報と手段を得て、心身ともに健康で自分らしく生きられる権利です。1994年の国際会議で提唱され、性感染症、避妊、中絶、性暴力など性や生殖に関わるあらゆる事柄を含み、すべての人(性別・性的指向を問わず)が尊厳を守り、自分らしい人生を送るための重要な人権概念です。2024年にはフランスが女性の中絶権を憲法に明記するなど、国際的にも大きな動きが見られる。
ヒトが霊長類から抜きんでて長足の進化を遂げたのは、メスの妊娠と育児の期間が最も長くなったことが始まりです。これを可能にしたのは、配偶者オスとの強い繫がりでした。このことにより、子供の脳の著しい発達が可能になり、その後の進化、環境適応を可能にしたのです。現在の堕胎を考えてみましょう。女性一人で子供を産むことは出来ません。必ず、男性が不可欠です。もしその男性が、子育てに関わらず、経済援助もしないとなれば、その女性は出産後、一人で責任を背負い、苦労することになる。本源的に人類の妊娠出産は、男女が出産と育児を共に担うことで成り立って来たのです。一方的に責任を押し付けるは間違いです。これを他人が、神の詔りだとか、命を断つことは非倫理的だとかで、禁止するのは筋違いです。もともと、胎児が一人の命なのか、彼女の身体の一部かも不明瞭です。疑わしきは罰せずです。
このようなことを続けていれば、米国は、後に魔女狩りを行った中世ヨーロッパと同様にみられるでしょう。魔女狩りの時代は、宗教改革によるカトリックとプロテスタントの対立が激化し、また農作物の不作、疫病の流行で、社会は混迷し、スケープゴートを必要としていたのです。後に、啓蒙思想の台頭と自然科学の発展により、魔女信仰が迷信として否定され、徐々に衰退した。
米国の保守派は、福音派の復古姿勢を利用して、勢力拡大を図ろうとしているが、人類史に汚名を残すことになるでしょう。
第4節 宗教について
宗教と人類の関りについて考察します。宗教は人類にとって、とくに先史時代から科学が発達するまでは無くてはならないものでした。私達の脳には宗教的な認知や感情が備わっているようです。その初期状態は、チンパンジーが10頭ほどの群れで雨に狂喜する姿に見出すことが出来ます。その意味する所は、恵をもたらすもの(雨)への感謝を、集団が共感を持って体現していることにあります。私には、これが神聖の感情の芽生えに映ります。また、チンパンジーの群れの中において、すべての大人のオスは、完全なランク付けが出来ており、下位の者が上位の者に挨拶などを怠ると、威嚇か暴行を受けます。これは権威の現れだと考えらえます。この権威と表裏をなすものとして忠誠の態度が、チンパンジーにみられます。闘争で勝ち残ったオスが群れのボスになると、群れの全員はボスに従うようになります。こうなると逆らうことの無益を予想できますので、全員が忠誠を尽くしているように見受けられます。
原始的な生活を行っていた先住民や古代文明において、必ずと言っていいほど神話と宗教が存在しました。それらの神話と宗教の教義には、自らの部族と王朝の正当性を創世神話などで謳い、また重要な価値観や守るべき伝統・戒律や法が必ず盛り込まれていた。戒律や法が、神に承認されたものであることは、当時の人々にとって、最高の正当化理由だったに違いない(ハムラビ法典や聖書)。人々が宗教を自らのものとする為(信仰)には、そこに神聖や権威を認め、はじめて忠誠心が持てるはずです。人類に最も近縁なチンパンジーは、既にみたように、神聖・権威・忠誠の感情の芽生えはありました。そして歴史時代が始まる頃までに、村や部族の内部崩壊や敵との戦いに生き残るために、神聖・権威・忠誠の感情と同胞愛を高める工夫が定着していた。それらで現在に姿を留めているのが、宗教の聖典であり、先住民においてはタブー等の習俗なのです。宗教は、初期の部族社会では統率になくてはならないものだったが、現代の国民国家に至るまでも、重要な役割を果たして来た。世界四大宗教などは、異なる民族さえも統合する力を持っていた。
しかし、一方で宗教は矛盾を内包していた。神話や宗教に対する神聖・権威・忠誠は、現在でいう合理性がない掟や戒律、法に対しても、人々に信じ、従わせる力になった。現在は、法は民意を集め、論理矛盾を排除して作るようになっている。初期の社会において、動物界で最も現象や物事の因果関係を重視する人類には、科学や知見が不足している状況にあっても納得出来る術が必要だった。その代替えになったのが神聖や権威、忠誠で、神の定めを丸ごと鵜呑みにすることだった。王朝や部族を一つに統合するうえで、この上なく重要な役割を果した。もし初期に、人類がこの三つの感情を持っていなければ、人々はバラバラになり、郷土愛や隣人愛だけでは、大きな社会を形成出来なかっただろう。これらは初期の人類の進歩には欠かせないものだった。それこそ「ベベルの塔」の結末を迎えたでしょう。
不思議なことがある。古代ローマにおいてはユダヤ教が出来立てのキリスト教よりも人気があった。それを使徒パウロの懸命な布教活動と彼の遺した福音書により、やがてローマ帝国が国教にするまでになった。彼は、イエスの権威とローマ皇帝の権威を共に讃え、イエス復活を最大限に神聖化したと言える。そして、このことが後に2000年も続く、キリスト教信徒の絶大な忠誠を生み出した。これを見ていると、人類にはまことに強力な神聖・権威・忠誠の感情があることがわかり、それを良く知っていた人物(パウロ)がいたことになる。
実は、宗教自身にも自己改革の力も持ち続けたとは言えそうです。イエスはユダヤ教司祭の腐敗を嘆き、釈迦も特権的なバラモン神官に失望し、マホメッドは部族宗教からの打破を目指し、ルターも教皇庁の腐敗に怒りを憶え、親鸞は民衆を救えない特権的な寺院に失望し、新しい教えを自ら実践することになった。彼らの捨て身の行動、迫害を恐れね、尊い行動が無ければ、我々は今のより良い暮らしを得られていなかったでしょう。
しかし、時は流れ、科学が発達し、ヒューマニズムや民主主義の意識が高まると、脳内で衝突が起こるようになった。衝突を起こす意識は、ケア(いたわり)や公正、自由という感情に支えられていると考えます。進化の点からいうと、この三つの感情の方が、霊長類全般に見出され、古くから基本的に備わっいているように見える。ゴリラとチンパンジーの群れを観察していると、横暴や公正を欠く行動は、ボスや群れから制裁を受けることがあります。また弱者へのいたわりや育ててくれたものへの愛着の態度は、広く霊長類にみられます。チンパンジーの娘が、死んだ母の亡骸の横で何日も離れず、付き添っている姿は、ジーンとくるものがあります。自由な行動は、群れから出ないという制約があるものの、日常的におこなわれているものなので、自由を求める感情云々については分からない。人間の方が遥かに自由への願望は強いと言えるでしょう。
こうしてみると、あらゆる正確な情報が入手可能な文明社会にとって、前者三つの神聖・権威・忠誠の感情と後者のケア・公正・自由の感情、どちらが、現代により適合するかは自明なはずです。だからこそ、今のより良い社会が生まれて来たのです。だからといって、前者三つの神聖、権威、忠誠の感情が不要で、それにもとづく神話や宗教も不要だとは言えません。これは人類が持っている感情なのですから。おそらく人類は、これらの感情を巧く扱う代替え案を見つけて行くでしょう。使徒パウロのような天才が必要かもしれませんが。
注釈1 妻方居住と母系制は、女性の血縁集団を中心に社会が構成されるシステムです。子は母の系統に属し、財産や位階は母から娘へ引き継がれ、結婚後は夫が妻(または妻の親)の家に居住、あるいは通う形式が主流となります。主に粗放的農耕社会や、日本の平安時代初期の婚姻形態(妻問婚)に見られます。
参考文献
1 「タルムード入門Ⅱ」A・コーエン著、1997年刊、教文館。
* 「古代オリエントの法と社会」H・J・ベッカー著、1989年刊、ヨルダン社。
* 「聖書時代の生活Ⅱ」左近義慈・南部泰孝著、1982年刊、創元社。
* 「ひろさちやが聞く新約聖書」ひろさちや・荒井献著、1992年、すずき出版。
* 「ひろさちやが聞くコーラン」ひろさちや・黒田壽郎著、1992年、すずき出版。
* 「日本ムスリム情報事務所 聖クルアーン日本語訳」のサイトより
* 「ひろさちやが聞く法華経」ひろさちや・木内 尭央 著、1992年、すずき出版。
* 「仏教ウェブ入門講座」 サイトより
2 「法思想史講義 上」笹倉秀夫著、2007年刊、東京大学出版会
3 「親鸞の思想と被差別民」河田光夫著、1995年刊、明石出版。
4 「婚姻からみた中国少数民族上」厳 汝嫻著、1991年刊、六興出版。
5 「イスラムへの誤解を超えて」カリ―ド・アブ・エル・ファドル著、2008年刊、日本教文社。
6 「インド法の研究」中野義照著、1974年刊、日本インド学会。
7 「法思想史講義 下」笹倉秀夫著、2007年刊、東京大学出版会。
8 「図説中国文明史7 宋」稲畑耕一郎著、2006年刊、創元社。
9 「スウェーデンを知るための60章」村井誠人編著、2009年刊、明石書店。
10 「白川静著作集 第7巻」白川静著、2000年刊、平凡社。
11 「文化人類学を学ぶ人のために」米山俊直著、1991年、世界思想社。
12 「人間性はどこから来たか」西田利貞著、1999年刊、京都大学出版会。
第24章 かつて未来を予言した人々がいた
はじめに
歴史時代になると、民族が様々な災厄を被る前に、そのことを予言し、警告する人が現れたことが記録されている。
最も古い予言者としては、旧約に出て来る10名を越える預言者でしょう。彼らは神から言葉を託された者でした。中でも、エレミヤが有名です。当時、ユダヤ王国は、エジプトとバビロニアの狭間でかろうじて繁栄を遂げていた。しかし、彼は民が唯一の神を離れ異国の宗教にかぶれ、ユダヤ王が両大国を両天秤に掛けて生き残ろうとすることに警鐘を鳴らした。「この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々は七十年の間、バビロンの王に仕える」とエレミヤ書に記されている。そして、紀元前597年、第一回バビロン捕囚が起き、ユダヤ王国は消え、その後は幾多の大帝国の属領として生き長らえた。
哲学者プラトンはアテネで生まれ、哲学者ソクラテスに師事していた。ソクラテスは、アテネの民主的な裁判により、神を冒涜した罪により服毒による刑死を命じられた。プラトンは初め、政治家を目指していたが失望し断念した。彼は、著書の中で、アテネの直接民主主義による衆愚政治を嫌い、法律に基づく、哲人王(優れた人物)の統治を切望した。しかし、アテネは衰亡の道を駆け下り、彼の死の10年後に、マケドニアの支配下に入り、終わりを告げた。こうして、二つの国は、世界に名を遺した末に、内からの嘆きの声に耳を貸さず、消えていった。
時代はいっきに下って20世紀の予言者を見ますが、少し風変わりな結末が待っていました。1929年、当時の株価上昇を煽る実業家や金融家、一般投資家にお墨付きを与えた二人の経済学者がいた。彼らは「株価は永久に高い高原状態とみても良い」「株式市場は何百万もの人々の評価によって動いているのであり、この一致した判断は、株価は現在のところ過大評価されていないということだ」と言い放ち、大歓迎された。一方、連邦準備制度の生みの親である人物が、当時の「無軌道な投機」のバカ騒ぎに警鐘を鳴らした。また別のエコノミストが、少し遅れて、市場の崩壊を予見して、「深刻な経済不況が到来するであろう」と指摘した。二人の発言は、金融企業や経済学者からごうごうたる非難の嵐に晒された。しかし、1か月後に、ニューヨーク株式市場は大暴落した。二人は、発言による暴落の責任を問われた。この手の煽りと冷や水を浴びせる言動は、1991年の昭和バブル崩壊でもあった。株価を軟着陸させる発言の仕方があれば別だが、二人は責任を問われるよりも、正確に経済を分析し、警鐘を鳴らしてくれ、さらなる被害拡大を抑えてくれた人物として賞賛されるべきだった。
我々の経済を正しく予測した人はいたのか?
主に1990年代以降の日本経済を予測したエコノミストついて振り返ります。彼らは、高度経済成長を終え、バブル景気から崩壊へ、さらに小泉構造改革、アベノミクスと洗礼を受け続けた日本経済をどう見ていたのだろうか? 未来予測の難しさをみます。
第1節 著書「大丈夫か日本経済」の予測 日本経済新聞社編集局経済部編、1974年刊、日本経済新聞社。
これは私が所有している最も古い経済予測の本です。この本が書かれた時代を説明します。1970年代初頭まで、日本は高度経済成長を続け、国民の生活水準は大きく向上し、72年には田中角栄の「日本列島改造論」が発表され、最高潮でした。一方で、光化学スモッグや水銀などの公害問題が顕在化し始めていた。そこに外的ショックが続けて襲うようになります。71年ニクソン・ショックで、初めて円が17%高騰し、さらに73年オイルショックで原油価格が4倍になり、消費者物価は12%、74年23%と急上昇しました。GDP成長率は72年+8%から73年-1.2%と、いっきに景気後退しました。当然、先進国全体にスタグフレーション(景気停滞下のインフレ)が起こり、内外共に未曽有の難局に陥った。編者達は、この時には知る由も無かったが、さらに日本には長期的な苦難が圧し掛かった。それは円が、固定相場の1$360円から、24年後には変動で80円になり4.5倍も高くなります。原油価格も、70年代の2$から最高147$となります。
本書のまえがきを抜粋、「その結論は、当面は血を吐くような苦しみを伴うものの、世界最強の通貨をつくり上げた1億人のバイタリティーによって、日本経済は遠からず再び強く発展し始めるということでした。おそらく、ここ半年はスタグフレーションの状態が続くでしょうが、その後は輸出増大を軸にして景気は回復に向い、1974年後半には晴れ間が見えるようになるでしょう」。74年2月の出版でその年の後半で回復の兆しというのですから、非常に楽観的と言えます。上のグラフから、74年には少し回復しているが、その後の10年間の成長率はそれまでの半分、それ以降は零成長になってしまった。
本書の目次毎に要点を整理します
*広がる外貨危機
1$が360円から308円、78年にはさらに265円に切り上げされ、今から見れば超円安なのですが、当時は強い円から弱い円へになったと嘆いていたのです。その理由は、これまで輸出が好調で、また海外からの投資も増え続け、貿易黒字が巨額になっていた。当時、欧米企業が日本で合弁会社を立上げていました。これにより日本国内に過剰流動性が発生し、政府はこれを抑えるために、外貨減らしを行い、遂には79と78年には逆に国際収支が赤字となりました。また外貨政策は反転することになり、この後大幅な黒字へと積み上がって行きます。当時は、初めての変動相場制とこのレートの対応で精一杯だった。
*強い円は夢だったのか
日本の海外投資は、当時から活発化の兆がありました。8年ほどかけて1973年には海外直接投資残高が8倍に膨れ上がっていた。しかし上述した理由で、資本流失が制限されることになり、著者らは、国際分業や国際経済協力の為に海外投資の制約に不安を感じていた。実際は、その後もアジア(韓国、台湾、タイなど)に労働集約型、資源確保や日米貿易摩擦解消に海外投資は増え続けた。ただ1970と80年代は海外生産への投資はその後に比べれば、まだ微々たるものでした。当時の為替レート程度では、輸出力に影響は無いと考えていた。
*石油ショックとゼロ成長
石油価格上昇よりも、供給量の減少こそが輸出産業に大打撃を与えると感じていた。政府はインフレ抑制の為に、公共投資を1974年には19年ぶりに前年度以下に抑えられた。民間設備投資/GDPも1974~77年には14~15%へと、これまでより5%ほど落ち込んで不安材料だったが、1980年代後半には20%にもどる。著者らは、様々な悲観論の要因に対して、エネルギーの節約が急激に進んでいるとして、日本は産業の構造転換を期待出来るとしている。資源エネルギー庁のデーターによると、エネルギー供給量/実質GDPは73年70(PJ/兆円)だが81年51へと激減している(PJ:ペタジュール、仕事量)。
*呼び戻されたカネ詰まり時代
インフレを抑える為に金融が引締められ高金利になり、カネ詰まり時代が再びやって来た。高金利が続くと金業の金利負担が増え、住宅ローン金利も上がり、借り難くなった。
*インフレは収まるか
著者らは1974年の卸売物価上昇は10%に抑えることが出来れば上々だが、消費者物価の高騰は今後も長く続くと考えていた。全国の市街地価格指数は1955年に対して1973年は26倍に、前年に比べても31%上昇していた。土地価格上昇率はGDP上昇率を上回っておし、企業が投機目的で購入していることも考慮すると、土地の値上がりは続くとの見方でした。1974年、財界が春闘次第では参院選を控えた現政治体制の危機にもつながるという意識を強め、財界四団体が共同で「値上げ自粛宣言」を行った。この宣言の根回し役が中曽根通産相で、「日本的所得政策」へのムードづくりを急いでいるとのみる向きもあた。この所得政策は、賃金・物価の凍結といった強硬手段から、労使の自粛を前提としたガイドライン政策まであります。後に中曽根は国鉄民営化で辣腕を振るうことになります。著者達は、2年後には激しいインフレは起こらないと見ていた。
*企業経営のピンチを乗り切れるか
実は、70年代の全産業の企業利益は順調に伸び、78年は70年の2倍になっていた。これは製品への値上げが効を奏したからです。労働分配率(人件費/付加価値)をみると、60年代平均54%、70年平均60%、80年代平均65%へとゆっくり上昇し、2008と2009年には最高の75%へと増加傾向が続きましたが、アベノミクスを経た2024年には62%に落ちた。この時期、エネルギー価格の高騰と公害防止の観点から、産業構造は重化学工業の規模縮小、また知識集約型産業(コンピューター等)に転換すべきと考えらえるようになった。
おもしろいことに、今後発展の可能性のある産業として、プレハブ住宅、無公害建材、太陽電池等のグリーンエネルギー、公害防止装置、海水淡水化装置、大規模肉牛飼育、海底マンガン採集が挙げられていたが、これらが大きな産業になるとは考え難いと思うのだが。最後に、産業構造の転換には、いつに政府の長期的なビジョンと強力な指導が必要と締めくくっていた。ちなみに、当時世界で群を抜いていた日本の太陽電池技術を見捨てて原子力発電に舵を切ったのは中曽根でした。政府・官僚主導は必要だが、これは民間ベンチャーを軽視した典型例でしょう。
下請け企業など中小企業の倒産が73年には増えた。著者らは、よほどのことが無い限り親企業は下請け企業を必要だから見捨てないとし、下請け企業も省力化や合理化に必至になっている。全企業が、この難局を、好機と捉える必要があるとしている。
日経と言えば、日本の経済報道の中心的な役割を果たしていると思うのだが、産業構造の転換と下請け企業に対する意識には深みがない。既定路線の延長、政府にお任せ、低賃金=低生産性でしか生きられない下請け企業が前提になっている。
著書からみえてくるもの
この著書は、どちらかというと分析が主で、予測の範囲は高々2年先ぐらいでしょうか。それも画期的な提案は無い。変動相場制と円高、インフレ、石油資源不足などに危機感を持ち、財政・金融と製造業の構造転換が必要とは説くが、最後は、精神論で乗り越えようと言っているだけに聞こえる。この著書は、経済危機の最中に刊行されたので、このような内容になったのでしょう。よく言えば希望の書でしょうか。
グローバル化や新自由主義の観点からみると、この著書は面白い視点を与えてくれる。レーガンが新自由主義を唱えて政権を執るのが1981年からなので、新自由主義が触れられていないのは当然かもしれない(サッチャ-は1979年から)。1971年、米国の最高裁判事就任直前のパウエルが、高まるリベラルな風潮や反企業的な動きに対抗するため、企業や保守派が政治的なロビー活動、シンクタンクの設立、メディア戦略などを通じて影響力を拡大するよう呼びかけ、これをきっかけに、この新自由主義運動は全米商工会議所を中心に広がっていった。一方、日本の財界も、労働組合による賃金アップ要求に警戒感を強くしていた。ところが、この著書では、インフレは当然と受け止め、特に労働者への非難や警戒感は強くなかった。このことからすると、1974年当時、新自由主義の必要性が、日本の保守層・支配層にはまだ強く意識されていなかったのだろう。日経は保守系の新聞なのでこの点で信頼できる。また日本は1970年代、この激動を米英に比べてうまく切り抜けたことも幸いしていたのだろう。日本が米英を真似て新自由主義を取り入れ始めたのは1982年の中曽根内閣の構造改革からでした。また著書にグローバル化という言葉は出てこなかったように思うが、当然そのような流れにうまく対応すべきというスタンスだった。
この著書を今読み直すと、当時の真剣な慌てぶりが、新鮮でした。ただ残念なのは、10年、20年後の未来を予感させるものはまったくなかった。最後に一つ救いであり、さらなる失望を生む記述があった。それは当時の世論が企業に厳しいことを受けての反省でした。「『自由放任経済の中で、企業が利潤活動に励めば、それが究極的には神の見えざる手によって社会の発展につながる』というアダム・スミス以来の思想が、時代に合わなくなっており、この最大の原因の一つは、企業規模が大きくなり過ぎた過ぎてしまったことだ」と指摘していることです。残念な事に、著者らの指摘とは逆に、このアダム・スミスの思想を錦の御旗にして、福祉国家(大きな政府)からの脱皮を図ったのが新自由主義で、さらに企業の合併を奨励し巨大化へと向かうようになっていきました。
第2節 著書「超大国日本の挑戦」の予測 ハーマン・カーン著、1970年刊、ダイヤモンド社。
彼は、当時「21世紀には日本が米国を抜いて世界第一の工業国になる」(1990年までに一人当たりGDPが米国を抜く)と予言していた。我々はこの言葉に勇気づけれたものですが、見事に外れた。私はこの本を読んでいませんので、当時、日本の未来が明るいと見なされていた根拠と外れた理由を探ります。
こうして比較して見ると、如何に現状の経済や社会状況から未来を予測することの難しさがわかります。御用学者以外の一部エコノミスト達が、当時の問題点を把握し批判していても手の打ちようはなかった。少子化が長期低迷を生むと警鐘を鳴らすエコノミストもいたが、政府は出生は家庭の問題として、放置を続けた。官民一体や護送船団方式の金融制度に問題があっても、崩壊するまで、大きく膿が出るまで維持された。そして政府による企業保護の姿勢が今も続き、産業の新陳代謝を妨げている。
第3節 日本の識者の予測 古い順に挙げます。
l 経済学者 竹内宏の予測 1982と1986年
著者は当時、日本長期信用銀行調査部長で、当時、多くの本を出していた代表的なエコノミストでした。「1990年の日本経済」1982年刊、第一企画出版。「見直しニッポン経営論」1986年刊、TBSブリタニカ。
この著書の中で、韓国が日本をキャチアップするのは時間の問題と見ており、近年追い抜かれたので予測は正しかった。土地価格は上がり過ぎだが、下がる事はないだろうと見ており、外した。彼の務めていた日本長期信用銀行はバブル崩壊で、この後倒産することになる。彼は、1980年代を楽観的に見ていた。日本型システムは優れており、成熟した資本主義の先端にいると考えていたようだ(バブルが進行してこともある)。日本はグローバル化をチャンスと捉えるべしとした。産業空洞化には懸念を持っていた。当時、進んでいた新自由主義には批判的だったようです。彼の批判は細部に渡り鋭いが、的確に国民と労働者の未来を掴んでいたように思えない。
l 経済評論家 長谷川慶太朗の予測 1993年
著書「超失業 長谷川慶太郎の世界はこう変わる1994」(1993年刊、徳間書店)を見ると、これからデフレ不況が始まり、大失業時代が来る、生半可の気持では乗り越えられないと説く。1991年初頭に昭和バブルが弾けたのだから仕方ないが、リストラは思い切りが大事だと激を飛ばしている。彼は、日本の経済力を高く評価していて、バブル崩壊から数年で乗り越え、上昇を始めると考えていたようだが、実際は30年以上待っても良くならない。残念ながら、彼の大半の予測は当てにはならなかった。
l 経済アナリスト 森永卓郎の予測 2003年
著者は「年収300万時代を生き抜く経済学」(2003年刊、光文社)で、この年の新語・流行語大賞にノミネートされた。彼は、小泉構造改革による派遣労働の規制緩和などで非正規雇用が増加し、平均年収が低下し、一方で富裕層が増大し格差が拡大すると予測した。2018年時点の国税庁の調査では、年収300万~400万円台の人が最も多くなり、予測が的中した。庶民に分かりやく経済を説き、庶民の側に立ち続けた稀有なエコノミストでした。冥福をお祈りいたします。
l 経済学者 高橋洋一、岩田規久男の予言 2012年
二人は安倍政権時代、一世風靡したリフレ派の学者で、堂々と「インフレ期待で経済は良くなる」と断言していました。岩田はリフレを丁寧に説き、高橋は縦横無尽に俗説をバッタバッタと切り、自画自賛の解決策を吹聴する。しかし、2025年、政府は「デフレではないが、デフレ脱却はできていない」という認識を示した。現実に、低いインフレでさえ実質賃金はマイナスが続いている。13年も経って、これでは成功とは言えない。二人を見ていると、頭は良くても、何かが抜け落ちており、視点とか歴史感の乏しさを感じてしまう。
「日本銀行デフレの番人」岩田規久男著、2012年刊、日本経済新聞社。
「日本経済の真相」高橋洋一著、2012年刊、中経出版。
l 経済学者 野口悠紀雄の予測 2019年
私が彼の著書を読んで印象に残っているのは、日本の技術力で産業の空洞化を乗り切れると発言していたことです。彼の経済に対する見かたは以下のようになります。日本はかつて成功したが制度疲労を起こしているので変わらなければならない。新自由主義は、世界が進む方向だから、対応するしかない。グローバル化は不可逆的に進むので、うまく対応して、チャンスを掴むべきとした。この時期の日本は、完全に衰退のパターンに入っていたので、批判の舌鋒は鋭く、制度改革の必要性を強く訴えていても、当たって当然で、むなしく響くだけでした。後に紹介する米国の識者らの指摘に比べると問題の本質を突くことは出来ていないようだ。
「平成はなぜ失敗したのか」野口悠紀雄著、2019年、幻冬舎。
l 経済学者 金子勝の予測 2019年
私は彼の著書を数冊読んだが、現政府の政策をことごとく批判し、日本の将来に警鐘を鳴らし続けていた。特に新自由主義とグローバル化に強く反対し、社会に無責任体制が蔓延すると指摘していた。彼が指摘した問題が、今や日本や米国だけでなく世界に広がってしまった。彼の指摘はほぼすべて正しかったが、欠点の追求ばかりなので、辛くなる。
「平成経済 衰退の本質」金子勝著、2019年、岩波新書。
第4節 外国識者の分析と予測
l 米国未来学者 アルビン・トフラー 1980年
彼は、著書「第三の波」で、人類の文明を「農業革命(第一の波)」「産業革命(第二の波)」に続く「情報革命(第三の波)」が置き換え、脱産業社会(情報化社会)へと移行することを予言した。この本は、「プロシューマー(生産者兼消費者)」の概念や、テレワーク、分散化、多様化といった現代の情報化社会の特徴を大胆に言い当てた。
l 米国経済学者 レスター・C・サロー 1980年
彼は、1970年以降の日英米の経済成長率低下を受けて、世界は「成長無き分配争い」の時代に突入するとした。彼は当時進行中のレーガノミックスの問題点を指摘し失敗するとし、言い当てた。また、生産性停滞、分配対立の激化、格差拡大も当てていた。外れたのはIT革命やグローバル化による成長を想定出来なかったことです。分析は鋭いが、解決策の乏しい悲観論に囚われていると感じた。
2004年の著書「知識資本主義 」において、知識や技術が経済成長の主要な推進力となる「知識資本主義」の時代において、市場原理に完全に委ねるだけでは、技術革新の恩恵が社会全体に行き渡らず、特に賃金や雇用の面で格差が拡大する危険性を指摘しています。この時点で日本の識者がこの事に気づいていたかは疑わしい。
「やさしいゼロ・サム経済」レスター・C・サロー著、1982年刊、TBSブリタニカ
「知識資本主義 」レスター・C・サロー著、2004年刊、ダイヤモンド社
l 米国リサーチ機関社長 ジョン・ネイスビッツ 1983年と1994年
「メガトレンド」で指摘された、情報社会への移行、グローバル化、制度依存から自助努力への蘇り、分散化、多様な選択肢、米国に限って言えば北部から南部への経済活力の移動等、多くの社会経済変化を言い当てていた。一方、参加型民主主義、長期志向の社会到来が予測と外れていた。また大企業、巨大プラットフォームの誕生を想定できず、所得格差をもたらすはずの構造変化について語っていたが、所得格差については問題にしていなかった。全体としては楽天的だった。
「大逆転潮流」で指摘された、通信革命の爆発的成長、中国の台頭、観光産業の巨大化、企業倫理・環境問題の重要性等、多くを言い当てている。しかし、日本の21世紀の躍進、中国の民主化期待で外した。1994年では無理だっかもしれないが、グローバル化が嫌悪され、保護主義が台頭するとは予測出来ていなかった。
彼の予測、世界全体を網羅した時代の変化への指摘は驚くべきものです。経済・金融理論によるのではなく、あらゆる統計データーを駆使して解き明かしている。さすが米国だと感じる。
「メガトレンド」ジョン・ネイスビッツ著、1983年刊、三笠書房。
「大逆転潮流」ジョン・ネイスビッツ著、1994年刊、三笠書房。
l 米国経済学者 ジョセフ・E・スティグリッツ 2002年
私は、経済理論に不勉強だが、彼の著作を多数読み、世界の経済問題の理解が進んだ。彼は、グローバリズムを否定しているのではなく、行き過ぎた新自由主義や市場万能主義が格差を拡大させていると強く批判し、政府による適切な介入の必要性を説いている。また富の偏りと民主主義の危機の関係について精力的に発言している。米国経済学者ポール・クルーグマンも同様に、特に米国の経済格差を批判し続けている。
「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」から特に傾聴に値する論を取り上げます。それは「民営化がもたらす雇用破壊と衰退」です。著者は3年間、世界銀行のチーフ・エコノミストを務め、多くの発展途上国を見て来た。民営化には二つのポイントがある。一つは、既に競争力のある民間企業がサービスを提供できるなら、民間に任せれば良い。しかし、市場が未発達で、採算に問題があるようなサービスは政府や自治体が行うべきだ。民営化を急ぐと、業者に手を抜かれるか、撤退の憂き目に遭い、逆に引き止め保護を続けると既得権益が生まれ効率の悪いものになる。世界各地で電話や水道、保険の民営化でトラブルが発生している。もう一つは、民営化が消費者を犠牲にするだけではなく、労働者も犠牲にする。民営化は雇用を破壊することはあっても、めったに新しい雇用を作り出すことはないからだ。この著書は、グローバリズムの問題を中心に扱っている。
「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」ジョセフ・E・スティグリッツ著、2002年刊、徳間書店。
「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」ジョセフ・E・スティグリッツ著、2006年刊、徳間書店。
「スティグリッツ教授の経済教室」ジョセフ・E・スティグリッツ著、2007年刊、ダイヤモンド社。
l 米国の環境学者 D・H・メドウズ、D・L・メドウズ、J・ランダース 1972,1992,2005年
彼らは「成長の限界」「限界を超えて」「成長の限界 : 人類の選択」を同じテーマについて繰返し分析し発表し続けている。最初の「成長の限界」は刺激的でした。これはスペインのシンクタンク「ローマクラブ」が、人口増加と進む環境汚染によって有限な地球資源の限界に達する」と警鐘を鳴らしたことに始まる。その期限は100年以内とされた。
私が初めて、この限界説を知った時は、本当に驚きました。そして世界の終末を想像し、悲観的になったのを憶えています。すこし解説します。
v 彼らの主な警告 1972年の予測と現在の状況
人口増加の推移、工業生産・資源消費の増大、環境汚染の深刻化、資源制約の顕在化は当たっていた。しかし、食料生産の限界、資源枯渇の速度等、限界が先に伸びる傾向にあり、悲観的過ぎるとみなされている。
v 彼らの主な警告 1992年と2005年の指摘
気候変動・地球温暖化が悪化していることを指摘し、持続可能性への転換を強調している。例えば、地表温度は100年間で最高を記録、局地的な豪雨が頻発、北極の氷塊が漸減、珊瑚礁の死滅が急増、海水位が100年で20cm上昇等の事実が挙げられている。
彼らの指摘が外れ「限界は来なかった」と指摘する人がいる。確かに、資源探査技術と採掘技術の向上、採掘コストの低下で地下資源の採掘可能年数は短くなるどころか伸びている。また公害防止技術の進歩、海洋水産物の養殖技術の向上等は、限界を伸ばしている。しかし、詳細にみるとそれぞれ限界があることがわかる、特にサンゴ礁の破壊は凄まじく、そこからの水産物の収穫は半減しているだろう。
一番重要なことは、この警告が出たことで、世界が省エネ、省資源、人口抑制に取り組んだことです。彼らの指摘が無ければ、ほんとに限界が差し迫っていたことでしょう。オゾン層の回復も、その好例です。最初に、学者が進むオゾン層の破壊とフロンガスの因果関係を突き止め、世界がモントリオール議定書によってフロンガス排出の削減に世界が一致して協力したから、オゾンホールが縮小始めた。
l 医師・教育者 ハンス・ロスリング 2019年 予測ではなく啓蒙の書
この本は世界で大ベストセラーになった。彼の指摘は正しい。特に、「ファクトフルネスの大まかなルール」は思考を深めるには重要なポイントだろう。ただ読んでいて、不安を憶えた。それは世界の現状をどう捉えるかに関わっている。
彼が間違った認識の例として使っていた話題の多くは低開発国のもでした。多くの人が回答を間違い、思ったより世界は良くなっていることに驚くことになります。この辺りの事情は別の学者の著書「大不平等」「大脱出」から、世界の経済格差縮小、発展途上国の成長、先進国からの指導や援助で医療事情が良くなっていることは読み取れます。彼は、人々が普通、現状を悪く捉え過ぎると指摘しているが、質問の傾向から言えば、「人々はよそ事に関して無知で、古いイメージを持ち続ける」ことを現わしているに過ぎない。これで、あなた方は悪いイメージに汚染されていると見做すのは早計です。なぜなら世界には遥かに多くの認識が困難で重要な問題が横たわっているのです。それも先進国内と、先進国による問題です。言い方はきついが、この書により、人々が狭い範囲の練習課題を解いて、分かった気になって満足してしまうことが、私には恐ろしい。
もう一つ重要な視点があります。それは危機とか災厄は、表面的には突如として出現することです。パンデミック、大震災、金融危機、戦争、飢饉、ポピュリズムなどです。日頃から、用心して危険予知をしておかないと、後の祭りになるというわけです。言い方を変えれば、重要なことには注視し続け、そうで無い事には気にしなくても良い。逆は不幸になると言うことです。「ファクトフルネス」はポピュリズムに洗脳されている人々が、学習すべき教材とは言えるでしょう。
「ファクトフルネス」ハンス・ロスリング著、2019年刊、日経BPマーケティング。
まとめ
かなり昔に読んだ本をあらためて拾い読みしてみると、経済や社会の予測が如何に難しいか、外れるかが分かります。米国のリサーチ機関のように統計データーから推移を読みとり、社会変化の方向を言い当てるなら信頼出来そうでが、それ以外はかなり困難です。特に様々な経済指標、GDP、インフレ、通貨、賃金等の長期予想やバブル崩壊を当てるのは至難の業です。時折、これから伸びる産業とか新技術が紙上を賑わすことがあっても、後から見れば多くは外れている。結局、新技術の発展度合いと需要の変化を正しく予測出来ないと大きく外すことになる。その点から言いうと、表面的な捉え方による予測は、気休めに過ぎない。大事なのは、経済と社会の底流にある現象を捉え、全体を読める力がエコノミストに有るかです。日米の識者を比較すると、各段に違いがあるように思える。日本からノーベル経済学者が出ていないことも頷ける。この違いは日米の学界の層の厚さの差かもしれないが、私は日本の経済学者に哲学への造詣が乏しいように思う。一言で言うと、専門馬鹿になっているのかもしれない。哲学と言えば西洋で、有名な学者の名前が幾つか浮かびます。東洋にも思想家は古代からいたが、日本はどうでしょう。ヒューマニズムが訴えられ始めた時期は、ヨーロッパで14世紀、日本では19世紀、それもヨーロッパ文学を受容する過程でした。日本の経済を語る識者の視点には、経済=資金=企業が主で、国民=需要=労動者が少ないようです。この2世紀に限れば、経済と社会を動かして来たのは、企業家、発明家、労働者、そして金融家と政府でした。けっして一部の人の独走で成り立ったのではない。
やはり、予測に関して、分析に関しても日本の識者の読みは浅く、優れている欧米の識者ですら困難でした。
第25章 技術革新は何をもたらし、我々は如何に対処すべきか
はじめに
我々は、既に社会に内包する諸問題を抱え、いつ大きな逆転現象に見舞われるかもしれない。しかし、さらに加えて新な問題が進行しています。それは前代未聞の技術革新です。既に進行し普及したIT革命、数年前から急速に現実のものになったAI革命、さらに数年後には訪れるだろうヒューマノイド革命があります。我々は、これにどのように対処すればよいのだろうか? これが、この章が扱う問題です。
皆さんはどう思っていますか?
A. 技術革新は世界に光明をもたらし、生活を豊かにする。したがって大賛成であり、発展に任せば良い。
B. 技術革新は失業を生むが、新しい職業や産業が生まれ、その製品やサービスで暮らしは快適になり、どちらと言えば、期待できるだろう。
C. 技術革新は、その方向性により、大量失業が生じ、またAIなどが監視社会を強化し、人類にとって最悪となるかもしれない。
皆さんは、どれを選びましたか?
これらから正しい予想を選ぶのは至難の業です。多くの未来学者、予測をしている経済学者や科学者等の意見も、悲観論から楽観論まで様々です。この予測の正否を判断するために、事前に分析すべき事が幾つかあります。それは以下に要約できるかもしれません。
D. これまでの技術革新において、社会はどの様な影響を受け、特に国民(労働者・農民)は恩恵を受けたのだろうか。
E. 技術革新は失業を生む要素と、新しい職業・産業を生む要素とが、うまく釣り合いをとり、全体として経済を豊かにするのだろうか。
F. 技術革新は発明家と企業家、それに投資家によって牽引されるが、これらの人々は、国民が富めるように産業や技術を制御し、方向付けるのだろうか。それとも、自然に良い方向に向かうものだろうか?
G. 技術革新によって、米国などの現実社会においては、さらに富める者と貧しい者との経済格差が広まる可能性はないのだろうか。
皆さんは、未来に少し不安を感じ始めたかもせれません。上記の条件D.E.F.G.がすべてうまく行くとは、普通思えないからです。ここで、これからの展開を占う、幾つかのポイントを指摘しておきます。
D.について: 18~19世紀、英国で起きた産業革命によって、労働者は労働時間が短くなり、賃金は上昇し、労働環境が良くなったのでしょうか?
E.について: ヒューマノイドロボットが工場で働くことと、蒸気機関が馬に替わって車両を引くのでは、どちらが人減らしに役立ち、どちらが経済効率を各段に上げることが出来るのでしょうか?
F.について: 天才的な発明家や投資家の目指すものは、名声や莫大な利益以外にあるのでしょうか?
G.について: ここ半世紀の米国をみれば、企業家や超富裕層が政治に関与し、所得格差を抑えるようにしてくれたでしょうか?
この答えを、すべて分かっているなら、以下の説明を読む必要は無いかもしれません。
実は、この問題に明確な解答を出している本が「技術革新と不平等の1000年史 上下」です。これはダロン・アセモグルとサイモン・ジョンソンによって書かれ、日本では2023年12月に出版された。二人は経済学者なのですが、特にアセモグルはかつて「国家はなぜ衰退するのか」を著わし、民主主義と経済の関係を問い続けてきた学者です。そして2024年にノーベル経済学賞を受けている。これからは、「技術革新と不平等の1000年史」の著作により話を進めます。
「技術革新と不平等の1000年史 上下」の要約
要約の多くは「Copilot Deep Research」によります。
プロローグ「進歩とは何か」
著者らは、AIやデジタル技術の進展が自動的により良い社会をもたらすという通念「テクノロジー楽観主義」に対し、歴史的事例をもとに警鐘を鳴らす。たとえば、中世から近代にかけての農業技術の発展や産業革命の機械化は、必ずしも大多数の人々の生活向上にはつながらなかった。むしろ、支配層や資本家が利益を独占し、農民や労働者は搾取や貧困に苦しんだ例が多い。アメリカ南部の綿繰り機の発明は、奴隷制の強化と抑圧をもたらした。こうした歴史は、技術進歩の恩恵が自動的に社会全体に行き渡るわけではなく、その配分は制度や権力構造、社会的ビジョンによって決まることを示している。
著者らは、アダム・スミスやジェレミー・ベンサムらの「進歩=繁栄」という思想が、現代のテクノロジー論にも色濃く残っていると指摘する(新自由主義思想など)。しかし、過去1000年の歴史を振り返ると、進歩の果実が広く共有されたのは、労働運動や市民の組織化によってエリート主導の技術選択や利益配分が変えられたときだけだった。つまり、進歩は社会的・政治的な闘争の産物であり、放置すればエリートの利益に偏る傾向が強い。現代のAIやデジタル技術も、同様のリスクを孕んでいる。著者らは、進歩の方向性を社会全体で選び直し、包摂的なビジョンを構築する必要性を強調する。プロローグは、「進歩は自動的でも不可避でもなく、社会的選択と集団的行動によって方向づけられるべきだ」という本書全体の問題意識を明確に提示している。
上記の指摘に対して、私は第1~7章で、エリート主導で利益配分が歪められたことをみました。19世紀後半から20世紀前半は労働者が豊かさを手に入れようとした時代ですが、1980年代から現在まではエリート主導の時代に戻されてしまった。逆にエリート主導を退け成功している事例を第8章で取り上げました。
第1章「テクノロジーを支配する」
著者らは、20世紀の科学技術楽観主義が「生産性バンドワゴン」理論(安倍が唱えたトリクルダウンもほぼ同じ)――すなわち生産性向上が賃金や生活水準の向上につながるという考え――を支えてきたことを指摘する。しかし、現実には自動化やオフショアリング(海外へのアウトソーシング)などの技術革新は、必ずしも労働者の賃金や雇用を増やさず、むしろ格差拡大や中間層の没落をもたらしてきた。たとえば、セルフレジ(自動精算機)や監視技術など「一応の自動化」は、生産性向上が限定的で、雇用や賃金の減少を招くことが多い。
著者らは、生産性向上が賃金上昇につながるには、労働者の交渉力や包括的な制度が不可欠であると論じる。歴史的には、労働組合や社会保障制度の発展がなければ、技術進歩の果実はエリート層に集中し、労働者は取り残されてきた。さらに、技術の方向性自体もエリートや支配層の選択によって決まることが多く、社会全体の利益に資する技術が必ずしも選ばれるわけではない。著者らは、技術の選択と配分を社会的・政治的な課題として捉え直し、包摂的な制度設計や民主的な意思決定の重要性を強調する。現代のAIやデジタル技術についても、単なる効率化や監視の強化ではなく、人間の能力を高める方向への誘導が必要だと主張する。
第2章「運河のビジョン」
フランスの外交官レセップスは、スエズ運河の建設に成功したが、パナマ運河では技術的・地理的困難を無視し、現地労働者の命を顧みない強引な手法で大失敗に終わった。レセップスの「運河のビジョン」は、技術楽観主義とエリート主導の意思決定が、現場の実情や社会的コストを無視し、悲劇的な結果を招くことを象徴している。
スエズ運河建設では、エジプト人労働者が過酷な条件下で大量に動員され、多くの死者が出た。パナマ運河では、レセップスが技術者の助言を無視し、海面式運河に固執した結果、膨大なコストと2万人以上の死者を出して頓挫した。最終的にアメリカが現地の条件に合わせて設計を変更し、運河建設を成功させた。この事例は、強力なビジョンやエリートの意思決定が、現場の知識や社会的配慮を欠くと、技術革新が大きな損失や不平等を生むことを示している。また、技術の方向性や普及の成否は、単なる科学的必然ではなく、社会的・政治的な選択や学習、現場との対話に左右されることを強調している。
第3章「説得する力」
レセップスの事例では、彼のカリスマ性や社会的地位、説得力が、現実的な技術的助言や現場の声を押しのけてプロジェクトを推進した。現代でも、ウォール街やシリコンバレーのエリートが、社会的な説得力やメディア戦略を駆使して、自らに有利な政策や技術ビジョンを実現している。
歴史的には、アメリカ南部の黒人解放後の再建期においても、黒人市民が政治的権利を一時的に獲得したが、アジェンダ(議題)設定力や社会的地位の欠如により、再び権利を奪われた。著者らは、技術の方向性や成果配分は、単なる経済的・軍事的な力だけでなく、社会的な説得力やアジェンダ設定力によっても大きく左右されると指摘する。民主主義が健全に機能する場合、多様な声やカウンターパワー(小売業者や労働組合等)がエリート主導のビジョンに対抗し、より包摂的な技術選択が可能となる。現代のAIやデジタル技術についても、多様なステークホルダー(利害関係者)の参加と民主的な議論が不可欠であると論じている。
第4章「不幸の種を育てる」
水車や鋤、輪作などの技術進歩は、地主や修道院などの支配層が独占し、農民の生活水準はほとんど向上しなかった。教会や領主は、技術の独占や宗教的正当化を通じて、農民から余剰を吸い上げた。生産性向上が必ずしも労働者の利益につながらない「生産性バンドワゴンの失敗」が繰り返された。
また、黒死病(ペスト)による人口減少期には一時的に農民の交渉力が高まり、賃金や生活条件が改善したが、長期的には再び支配層による搾取が強化された。新石器時代の農業革命も、余剰生産物の出現が社会階層化や健康状態の悪化、抑圧の強化につながった。18世紀イギリスのエンクロージャー(囲い込み)も、農民の土地を奪い、貧困と不平等を拡大した。技術革新の成果が誰に帰属するかは、制度や権力構造、社会的ビジョンによって決まるという著者の主張が、農業史を通じて具体的に示されている。
第5章「中流層の革命」
19世紀イギリスの産業革命は、従来の貴族や科学者ではなく、実践的な知識と野心を持つ新興の発明家や起業家――たとえば蒸気機関のスティーブンソン――によって推進された。彼らは現場の経験や実用的な工夫を重視し、鉄道や蒸気機関などの革新を実現した。産業革命の原動力は、社会的流動性の高まりと、封建的ヒエラルキーの崩壊、財産権や市場、政治制度の変化にあった。
一方で、産業革命初期の工場労働者は、長時間労働や低賃金、劣悪な環境に苦しみ、賃金の上昇は100年近く停滞した。技術革新が社会全体の繁栄につながるには、単なる技術的進歩だけでなく、社会的・制度的な変革が不可欠である。著者らは、科学革命やエリート主導の知識よりも、現場の実践知や中流層の台頭がイノベーションの鍵だったと論じる。産業革命の成果が広く共有されたのは、労働運動や社会改革、民主主義の拡大によって、技術の方向性や成果配分が変えられたからである。
第6章「進歩の犠牲者」
産業革命期のイギリスでは、機械化による熟練職人の失業や賃金低下、都市部の過密と公衆衛生の悪化、児童労働の蔓延など、深刻な社会問題が噴出した。ラッダイト運動(機械打ち壊し運動)は、単なる時代遅れの抵抗ではなく、技術導入がもたらす社会的影響への合理的な抗議だったと著者らは再評価する。
また、19世紀末のドイツの化学者フリッツ・ハーバーによる人工肥料の発明は、農業生産力を飛躍的に高めたが、同じ技術が化学兵器の開発に転用され、第一次世界大戦の惨禍を招いた。技術進歩は常に光と影を併せ持ち、その成果の配分や用途は社会的選択に依存する。著者らは、進歩の犠牲者を生まないためには、技術の方向性や成果配分を社会全体でコントロールし、包摂的な制度やセーフティネット、再訓練・教育の充実が不可欠であると提言する。
第7章「争い多き道」
産業革命以降、労働運動や市民運動、政治改革が進歩の成果配分をめぐる争いを激化させた。ヘンリー・フォードの「5ドルデー」政策は、労働者の安定雇用と生産性向上を両立させる画期的な試みだったが、同時に労使関係の緊張や組合運動の高まりを招いた。技術進歩が社会全体の繁栄につながるには、労働者や市民の組織化、交渉力の強化、民主的な制度設計が不可欠である。
また、20世紀の「大圧縮」期――すなわち第二次世界大戦後から1970年代にかけて――は、労働組合の力や社会保障制度の充実、累進課税などの再分配政策によって、技術進歩の成果が比較的広く共有され、格差が縮小した時代だった。しかし、1980年代以降の新自由主義的政策やグローバル化、デジタル革命は、再び格差拡大と中間層の没落をもたらしている。著者らは、進歩の成果配分をめぐる争いは不可避であり、包摂的な社会運動や制度改革が進歩を社会全体の利益に結びつける鍵であると論じる。
第8章「デジタル・ダメージ」
1980年代以降、デジタル技術やAIの進展は、企業の効率化や新産業の創出を促進したが、同時に中間層の雇用喪失や賃金停滞、格差拡大をもたらした。特に「一応の自動化」――たとえばセルフレジや監視システムなど――は、生産性向上が限定的で、労働者の雇用や賃金を減らす傾向が強い。
また、プラットフォーム企業やビッグテックによるデータ独占と監視資本主義の進展は、個人のプライバシーや自由、民主主義の基盤を脅かしている。AIのアルゴリズムバイアスや差別、監視社会化のリスクも深刻である。著者らは、デジタル技術の方向性や成果配分を社会全体でコントロールし、規制や再分配、データ所有権の確立、労使協調など多角的な政策が必要であると提言する。現代のデジタル革命は、過去の産業革命と同様、社会的選択と制度設計によってその成果が決まることを強調している。
第9章「人工闘争」
著者らは、AI技術が単なる「労働置換型」に偏ると、雇用喪失や格差拡大、社会的分断を招くリスクが高いと警告する。特に中程度のスキルを持つ定型的な仕事が自動化されやすく、雇用と賃金の両極化が進む可能性がある。AIの進化は必ずしも雇用創出や社会全体の繁栄につながるわけではなく、その成果配分や用途は社会的選択に依存する。
一方で、AI技術を「労働補完型」――すなわち人間の能力を高め、新たな雇用や価値を創出する方向――に誘導すれば、より広範な社会的利益が実現できる。著者らは、教育・再訓練の抜本的改革やセーフティネットの強化、技術導入に関する社会的対話とルール作り、地域への投資など、歴史の教訓を活かした多角的な政策が不可欠であると提言する。AI時代の進歩を社会全体の利益に結びつけるには、技術の方向性や成果配分を社会的に選択し直す必要があると強調している。
第10章「民主主義の崩壊」
デジタル技術やAIの進展は、情報の民主化や市民参加の拡大を促す一方で、監視社会化や情報操作、分断の拡大といった負の側面も強めている。特にプラットフォーム企業による情報独占やアルゴリズムによる世論操作、フェイクニュースの拡散は、民主主義の基盤を揺るがす深刻なリスクとなっている。
著者らは、技術進歩が民主主義を支えるには、情報の透明性や多様性、説明責任、プライバシー保護などの制度的枠組みが不可欠であると論じる。現代の中国やロシア、イランなどの権威主義体制では、デジタル技術が監視と抑圧の道具として利用されている。一方、欧米諸国でも、労働者の監視や非正規雇用の拡大、消費者の行動操作など、民主主義の基盤が脆弱化している。著者らは、技術の方向性や成果配分を民主的にコントロールし、包摂的な社会運動や制度改革を通じて、進歩を社会全体の利益に結びつける必要性を強調する。
第11章「テクノロジーの方向転換」
著者らは、巨大企業の独占解体やデータ所有権の確立、データ・ユニオン(例えば全米脚本家組合の範囲を拡大したもの)の導入、労使協調や市民参加の強化、教育・再訓練の充実など、多角的な改革を提案する。特に、AIやデジタル技術の開発・導入においては、「機械の有用性」――すなわち人間の能力を高め、新たな雇用や価値を創出する方向――に焦点を当てるべきだと主張する。
また、ドイツや北欧諸国のような労使協調や社会的対話、政策的規制の重要性を高く評価し、アメリカ型の自由放任主義や株主価値最大化モデルの限界を指摘する。進歩の恩恵を社会全体で共有するには、包摂的な制度設計と民主的な意思決定、再分配政策やセーフティネットの強化が不可欠である。著者らは、歴史の教訓を踏まえ、現代のAI・デジタル社会における格差拡大や民主主義の危機に対し、社会全体で技術の方向性を選び直す必要性を強調する。結論として、「進歩は自動的でも不可避でもなく、社会的選択と集団的行動によって方向づけられるべきだ」という本書のメッセージを再確認している。
まとめ
著書らの論点も踏まえ、最も重要な点を挙げます。
l 技術革新、それ自体では社会全体の繁栄をもたらさない。
ヨーロッパの幾度かの農業革命、英国の産業革命、米国のフォードの時代などの歴史が示している。
l 農民や労働者が、社会のエリート層と如何に対抗して、過酷な条件を抑制する規制や富の分配について、政治を動かして勝ち取るかにかかっている。
n 19世紀後半から英米で始まる労働運動と、成果としての労働党の国会議席獲得、そして男女平等が成果でした。
n 米国のニューディール政策や北欧の福祉国家政策の例もある。
l 今進んでいる技術革新には、人減らし効果が高い物や、監視社会到来を予想させるものがあり、非常に危うい可能性がある。
l 今の新自由主義経済のままでは、悪化は必定であり、何としてでも民主主義を取り戻し、企業家らの暴走を抑える規制が出来るように、社会を正常に戻さなければならない。
最後に、そうはいっても、これから起こる技術革新のすべてが予測出来ているわけではないので、取り敢えず、企業家らの暴走を食い止めることが出来る社会制度に戻すことが、不可欠です。その後は、技術進歩に合わして調整すれば良い。
おわりに
私達は今、帝国の衰退と暴挙に困惑している。アッシリア帝国、ペルシャ帝国を打ち負かしたアテネ、ローマ帝国、そして世界最大の大英帝国の落日に匹敵する米国の最後の喘ぎ声が聞こえそうです。これほど成功した国が凋落を始めるのだろうか? 過去の巨大帝国は、その軍事力で繁栄を見たが、その軍事力に頼ったがゆえに内部崩壊し、外圧に征された。英国は軍事力と資金力で世界を圧倒したが、国内を顧みず自滅していった。米国も経済力で圧倒し、内部の経済格差で崩壊の瀬戸際にある。現状を見るに、乗り切れる可能性は低いだろう、零ではないが。
日本は、これまでGDPの2.5倍の累積赤字を使って経済活性化を唱え続けて来たが、成長率の停滞だけでなく、あらゆる国際ランキングの低下を招いて来た。まともなエスタブリッシュメントなら、気づいてもよいはずだ。これだけのカネをバラ撒いて、ドブに捨てているのと変わらないことを。ユーロ圏の累積赤字の率は89%で、北欧はさらに低い。日本政府は35年以上、表面的な小細工を繰り返しているので、良くなるはずはない。
なぜこのような事になったのか? 既に指摘したように、多くの国が、米国主導の下に新自由主義による経済政策を取り入れたことが最大の元凶だが、これは当時のエスタブリッシュメントが、それまでの国民と労働者による権利向上を嫌って、国の体制をひっくり返したことにある。これが発端だが、実体経済から金融経済に軸足を移している間に、エスタブリッシュメントにとって止めることが出来なくなってしまった。利益や資産が増え続けるのだから。
さらに拙いことに、新自由主義の下、あらゆる規制を取り払うようになったところに、グローバル化、IT革命、AIとヒューマノイド・ロボットの技術革新が続くようになった。これでは、たとえ国が繫栄しても、多くの国民は、既に始まっている失業と貧困がさらに拡大するだけだ。
さらに冷戦時代のなごりと、米国の戦争中毒と身勝手な過度な干渉が引き起こした紛争の種が世界に撒き散らされ、難民と移民が大量に生まれた。これが欧米に逆流するようになり、さらに新自由主義とグローバル化による格差拡大とが相俟って、国内に不満が充ち、右派ポピュリズムが隆盛になった。
これが現代の俯瞰図です。ここで私達の立ち位置が問題になる。このまま流れに身を任せるのか? それとも右派ポピュリズム(トランプや安倍の主張)に積極的に乗るのか? いやそうではなく、1世紀前、欧米の国民と労働者が成し遂げた社会を再び取り戻すのか? はたまた、いつも幸福度ランキングがトップテンに入る北欧を目指すのか? この中から最良の選択をすれば、経済的豊かさと精神的豊かさを得ることが出来るでしょう。しかし、これだけでは、道半ばです。
なぜなら、世界に蔓延る独裁者、大戦にいたる火種、地球温暖化、資源の枯渇、タックスヘイブン等、世界が一致して協力すべきことが、益々増えていく状況にあります。今、米国が内に閉じ籠りつつあるが、そろそろ世界各国は米国に頼らず、従わず、より皆で協力していく、新しい時代に進むべきです。
人類の益々の幸福と安寧を願って、このレポートを結びます。
参考文献
この「取り戻せ豊かな暮らし! 危機に陥る前に」のレポートを書くにあたり、私の思索のバックボーンになっている著書・著者を紹介します。
v ポール クルーグマンとジョセフ・E. スティグリッツの幾多の著作は、新自由主義による米国と世界経済と社会の問題を私に一早く気付かせてくれた。
v ダロン・アセモグルの一連の著作は、民主主義こそが経済の発展に有効だとの自信を私にくれた。この三人は総てノーベル経済学賞を受けている。社会科学における米国の学者の層の厚さと、論述のスケールの大きさにおいて、日本に比肩出来る人がいないと思います。
v トム・ピッケティの著作は、経済格差が世界な規模で歴史的な流れがある事を私に教えたくれた。
v エマニュエル・トッドの数々の著作は刺激的で、多角的に歴史を見る助けになっている。特に、彼の「新ヨーロッパ大全 Ⅰ、Ⅱ」(1992年、藤原書店)で知った家族人類学は目から鱗でした。
著書以外に、ウィキペディア(Wikipedia)、AIのChatGPT、Gemini、Copilot(Deep Research)をほぼ毎日利用しました。これら無しでは執筆は不可能だったでしょう。
このレポートをを書くために参考にし、または一部引用した翻訳本のリストです。
v 「新自由主義 その歴史的展開と現在」デヴィッド ハーヴェイ著、2007年、作品社
v 「貿易戦争の政治経済学 資本主義を再構築する」ダニ・ロドリック著、2019年、白水社
v 「大不平等――エレファントカーブが予測する未来 」ブランコ・ミラノヴィッチ 著、2017年、みすず書房
v 「監視資本主義 人類の未来を賭けた闘い」ショシャナ・ズボフ著、2021年、東洋経済新報社
v 「民主主義の死に方 二極化する政治が招く独裁への道」スティーブン・レビツキー著、2018年、新潮社
v 「実力も運のうち 能力主義は正義か? 」マイケル・サンデル著、2021年、早川書房
v 「概説 世界経済史 Ⅱ」ロンド・キャメロン著、2013年、東洋経済新報社
v 「社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学」ジョナサン・ハイト著、2014年、紀伊国屋書店
v 「オリバーストーンが語るもう一つのアメリカ史 1、2、3」オリバー・ ストーン, ピーター・ カズニック 共著、2013年、早川書房
v 「民主主義の危機 AI・戦争・災害・パンデミック――世界の知性が語る 地球規模の未来予想」朝日新書、 イアン・ブレマー, フランシス・フクヤマ, ニーアル・ファーガソン, ジョセフ・ナイ他著、2024年、朝日新聞出版
v 「格差はつくられた 保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略」ノーベル経済学者、ポール クルーグマン 著、2008年、早川書房刊
v 「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」ノーベル経済学者、ジョセフ・E. スティグリッツ 著、2002年、徳間書店
v 「技術革新と不平等の1000年史 上、下」ノーベル経済学者、ダロン・アセモグル, サイモン・ジョンソン共著、2023年、早川書房
v 「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源 上、下」ダロン・アセモグル著、2013年、早川書房
v 「図説世界の歴史 7、8、9」J.M. ロバーツ 著、2003年、創元社
v 「日米逆転 成功と衰退の軌跡」Jr. C.V.プレストウィッツ 著、1988年、ダイヤモンド社
v 「経済政策で人は死ぬか?公衆衛生学から見た不況対策」デヴィッド スタックラー著、2014年、草思社
v 「リベラリズムへの不満」フランシス・フクヤマ 著、2023年、新潮社
v 「21世紀の資本」トム・ピケテイ著、2014年、みすず書房
v 「西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか 」エマニュエル・トッド著、2024年、文藝春秋
v 「サピエンス全史 上、下」ユヴァル・ノア・ハラリ著、2016年、河出書房
v 「情報の人類史 人間のネットワーク上、下」ユヴァル・ノア・ハラリ著、2025年、河出書房
v 「ゴールドマン・サックスに洗脳された私 金と差別のウォール街 」ジェイミー・フィオー著、2024年、光文社
v 「自由の限界 世界の知性21人が問う国家と民主主義」(中公新書ラクレ)エマニュエル・トッド、ジャック・アタリ、マルクス・ガブリエル、マハティール・モハマド、ユヴァル・ハラリ他著、2021年、 中央公論新社
v 「戦争中毒 アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由 」ジョエル アンドレアス著、2002年、合同出版
v 「大脱出――健康、お金、格差の起原」ノーベル経済学者、アンガス・ディートン著、2014年、みすず書房
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