Tuesday, April 3, 2018

岡山と広島を訪ました 2: 倉敷美観地区


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今日は、白壁屋敷が並ぶ倉敷美観地区を紹介します。
伝統家屋でも他の宿場町や門前町、商人町とは異なる趣があります。
晴れ間がのぞき始め、散策日和となりました。



 
< 2.散策ルート、上が北 >

上の地図: 岡山と倉敷、瀬戸内海の位置関係が分かります。
下の地図: 倉敷美観地区の散策ルート。
JR倉敷駅から徒歩で美観地区入口まで歩きました。
S点から始めて赤線を歩き、途中、倉敷アイビースクエアと大原美術館(黒丸)に立ち寄り、黒線を通って駅まで戻った。

 
< 3. 倉敷駅前 >


 
< 4. 美観地区入口 >


 
< 5. 倉敷川の橋を渡る >


 
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右手の赤レンガの壁は、倉敷アイビースクエアの一角です。
ここにはかつて代官所、続いて倉敷紡績所があった。


 

< 8.倉敷川に戻った >

 
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< 11. 観光川船 >

上の写真: 海外から観光客がたくさん来ており、アジア系が多かった。
川船には中国系の団体さんが乗っていました。

下の写真: 塀の造りが目を惹きました。
土壁の下半分を板で覆い、さらに下には大きな石組がある。
板の下部は石組に合わせて凹凸を付けている。


 
< 12. 大原美術館 >

展示物を知らずに入ったのですが、素晴らしい美術品が収集されていました。


 
< 13. 主要収蔵物 >

エル・グレコ、モロー、ロートレック、ルノワール、ゴーギャン、中国最初期の三尊像(仏像)が目を楽しませてくれました。
美樹館内で歓喜の声を挙げて、職員に叱られました。

建物正面の両脇にはロダンの作品が立っています。
これも嬉しかった。
右側はカレーの市民ジャン・ダールです。
拡大写真を左下に載せました。


* 倉敷の町並みに想う

予備知識を持たずに散策していると、ある疑問が湧きました。
なぜこれほどまでに白壁土蔵や大きな屋敷が多いのだろう。
ここは街道でもないし、まして海からは十数kmも離れている。

かってこの地は海に接しており、藩の玄関港として物資の集積地・中継地と発展し、後に江戸幕府の直轄領として栄えた。
こうして多くの豪商が集まり、やがて埋め立てが進み、海は遠のいた。
そして明治21年に、旧倉敷紡績所が完成した。


 

< 14. 倉敷の歴史、黄矢印が倉敷美観地区 >

上の古地図の左: 中世は、まだ阿智神社の丘は広い干潟の島に過ぎなかった。
共に上が北を示す。
上の古地図の右: 江戸時代、干潟は田んぼに代わっていった。

下の古地図: 1850年、江戸時代の大洪水の様子を示す。
赤い矢印は北を示す。
青矢印は4kmほど離れた一級河川の高梁川で、この一部が決壊し、倉敷美観地区は水没した。


次回に続きます。




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