Monday, May 12, 2014

人類の歩みと憲法 5: 憲法を生みだした力

 ルネサンス: レオナルドダビンチの書

< 1. ルネサンス: レオナルドダビンチの書 >

少し想像して下さい
あなたが誰かに「これは正義だから・・」と言って、同意を求めたとします。
おそらくその人は一瞬、たじろぐでしょう。
そうではなく「これは皆の・・・」と言えば、事は簡単でした。
悪くすれば、正義は狂信者のプロパガンダ、危険と見なされたかもしれません。

イスラム文化: アルジェリアの街並み

< 2. イスラム文化: アルジェリアの街並み  

それではヨーロッパでどうだったのでしょうか
正義や法の発展には長い産みの苦しみの歴史がありました。
歴史的事件と人々の動き、思想を振り返ります。

紀元10世紀頃まで、ヨーロッパはキリスト教、ゲルマン民族、ローマ帝国の文化や法が中心でした。
しかし9世紀頃からイスラム文化が流入し、十字軍遠征、地中海貿易の発展、アラビアからのギリシャ思想の再流入、そしてルネサンスが15世紀頃に開花します。


< 3. ベネチア >

貿易は経済の大躍進を生み、商人や都市市民は組合を作り、その富を背景に領主や皇帝から幾多の特許状を受けるようになった。
自治権を得た港湾や都市が、各地に出来、自ら数百年をかけて大聖堂を建てるほどの繁栄を謳歌するようになった。
ドイツの一事業家が神聖ローマ皇帝の資金を一手に引き受け、イタリアの商都フィレンツエやベネチアは強大な自治都市になった。

一方、キリスト教会(教皇)は王権を凌ぐ存在となり、腐敗と形骸化も進行していた。
14世紀、ペストが蔓延し、西欧の人口の半分が失われると、信仰心は徹底的に打ちのめされた。
民衆はもはや教会への信頼を失いつつあった。

ペスト禍 

< 4. ペスト禍 >

地球規模の交易とアラビア科学の刺激を受けて科学技術と医学は急速に進歩した。
さらにギリシャ哲学の再発見は、失いつつあった宗教的呪縛から抜け出て、人間理解を自然で合理的なものへと向かわせた。
一方、貴族と教会の両領主の圧政に耐えていた農民達は、宗教改革が目指した教会権威の否定に同調して蜂起することになる。

こうして16世紀中頃、ドイツで農民戦争と宗教改革が勃発し、西欧から英国、北欧を巻き込む戦争と信条の転換をもたらした。
やがて17世紀末、最初の革命が王権の弱体していた英国で起こることになる。


ヤン・フスの焚刑:ヨーロッパ最初の宗教改革

< 5. ヤン・フスの焚刑:ヨーロッパ最初の宗教改革

人々の信条と思想の変化とは
ルネサンスによって、人間個人の尊厳や自由が注目され、神学者からも見直しが迫られた。
さらに宗教改革において、信仰によりあらゆる人々は平等で自由だと謳われた。
これらの中から、個人と社会、さらに王と神の存在を問い直し、社会を再構築すべきという思想が次々と生まれた。
王は人々を虐げる者となるので、立法が国を治めるべきとした。
その為には、革命は正当化され、新たな国は民主的でなければならないとした。
また信仰を政治に持ち込んではならないともした。

日本では
維新を支えた王政復古は東アジアや西欧でも混乱期には、国を纏める手段として多用された。
しかし西欧は、そこに留まることはなかった。
日本も宗教改革や一揆、合議制の政体、維新を経験した。
しかし西欧の憲法を受容はしたが、その精神を我がものとするまでには至っていないのかもしれない。

























Sunday, May 11, 2014

人類の歩みと憲法 4: 憲法は何をもたらしたのか

参政権

< 1. 参政権 >

最初の変革
法は社会の安定・平和には欠かせないものとなりました。
人類が数千年の時を掛けて練り上げて来たものです。
しかし、それは一方で権力者による徴兵や徴税、罰則の根拠にもなっていました。

英国議会 

< 2. 英国議会 >

それを覆す事件が、長らく続いた改革の総仕上げとして17世紀末の英国で起きました。
貴族が団結し国王の横暴を抑える為に、権利の章典を王に呑ませることに成功した。
これは貴族中心ではあったが上下両院の決議による宣言でした。
これ以降、英国の議会は王の専横を抑え、上位に立つようになりました。
しかしこの時点ではまだ市民は置き去りでした。
それにはアメリカの独立宣言から合衆国憲法、フランスの人権宣言まで約百年の時が必要でした。

こうして国家は少数の権力者達から、貴族、市民、やがてほぼすべての国民のものになりました。
それは絶対王制から君主制、共和制、民主制への歩みであり、主権在民の確立でした。

一つの社会が、多数の構成員の合議によって運営される状況は、世界中の古代・中世においても一部の限られた地域では存在した。
しかしそれらは長く続くことはなく、また下層階級は完全に除外されていた。

絶対王制

< 3. 絶対王制 >

初めて、すべての人々の基本的人権が保障される基盤が出来た
ところで人間の権利は何によって保障されるのでしょうか。
日本の民法第1条「私権の基本原則」は以下の文から始まります。
「私権ハ公共ノ福祉ニ遵(したが)フ」
何か違和感がありますね。
通常、法律は秩序維持の為に、人々の行為を制限し罰則を規定しています。

そこで憲法は国民の平等、自由、財産、参政などの人権を先ず認め、国家権力がそれを侵してはならないとしたのです。
つまり逆に憲法は国家権力を制限したのです。
こうして国民は生きる権利を保障されるようになりました。

正義の女神

< 4. 正義の女神 >

人権とは何でしょうか?
ほんとうに人間は何か権利を持って生まれて来るのでしょうか?
身も蓋も無いのですが、何か実体があるわけでは無いですよね。
人権は英語のhuman rights の訳ですが、このrights は「正しい行い」を意味しています。

一方、法とは何でしょうか?
法は「正義に適合して秩序をたてるために、社会が構成員に強制する行為の規範」と言えます。
両者を総合すれば、「社会は正義に則って人々を守り、規範を守らせる」と言うことになります。

もっとも不思議で、もっとも重要なことは「正義」の概念を人類が生み育てて来たことです。











Saturday, May 10, 2014

人類の歩みと憲法 3: 大きなうねりと孤島

フランス革命 

< 1. フランス革命 >


世界の憲法制定の流れを要約し、日本の状況を見ます。


大日本帝国憲法発布 

< 2. 大日本帝国憲法発布 >

日本の憲法
1867年、日本は明治維新をなしとげ大日本帝国憲法を制定した。
この維新は王政復古をうたい混乱を速やかに終息させた意味で画期的だった。
一方、立憲君主制の下、天皇が国民に憲法を与えるものになった。
これは政府が、当時沸き起こる民主的な憲法案(英国やフランス風の)を恐れ、君主制のプロイセン憲法を参考に、急ぎ制定した。

次いで、大戦後の1946年、現行の日本国憲法が公布された。
この憲法は、日本政府の原案では旧憲法色が強いとして、連合国軍総司令部が起草したものが基になった。

マグナカルタ 

< 3. マグナカルタ >

世界の革新的な憲法や条約の流れを要約
1689年、権利の章典、イギリス : 憲法により君主の権力を制限し、議会が優位に立った。

1776年、独立宣言、アメリカ : イギリスからの独立を宣言し、基本的人権と革命権を唱えた。

1788年、合衆国憲法、アメリカ : 世界初の成文憲法。連邦制を目指し、共和制、民主制、三権分立、二院制、大統領制を採用した。

1789年、人権宣言(17条)、フランス : 絶対王制を倒したフランス革命で、基本的人権を唱えた。

1867年、大日本帝国憲法、日本 : 明治維新後。天皇が軍権を専有し統治した。

1918年、14箇条の平和原則、国際連盟 : 第一次世界大戦を休戦させ、戦争の再発防止を訴えた。

1919年、ワイマール憲法、ドイツ : 第一次世界大戦末期の革命で、最も民主的な憲法となった。

1945年、国際連合条約、国際連合 : 第二次世界大戦後、戦争の再発防止策を規定した。

1946年、日本国憲法、日本 : 第二次世界大戦後、GHQが草案。基本的人権、戦争放棄を唱え、象徴天皇を認めた。


アメリカの独立宣言

< 4. アメリカの独立宣言 >


日本の状況
日本は東アジアを代表する大国にはなり得たが、国民が自ら民主的な法や憲法を生みだすことはなかった。
お仕着せがあったとも言えるが、外圧がなければ旧態依然としたものになっていただろう。
女性の参政権や地主制の解体は、先進国よりかなり遅れて戦後、外圧によって行われた。

重要なこと
日本は、ここ2000年ほどの間、海外先進の文明や文化を素早く取り入れ、自らのものにしてきた。
また日本は海外からの脅威に対して、国民が一丸となって武力だけでなく、あらゆる面で乗り越えて来た希有な民族です。

しかし、憲法に見られるように何かもの足りないものがある。
これから先進国の憲法のエッセンスを見ていきます。












Friday, May 9, 2014

人類の歩みと憲法 2: この不思議なもの

 モーセの十戒

< 1. モーセの十戒 >

人類は進歩しているのでしょうか?
例えば「より複雑で高度な能力を持つようになること」と定義すれば、人類は進歩しているように見える。
しかし、「より幸福」になったと言い切れないので、違和感を覚える方もおられるでしょう。

ところで皆さんは科学や文化、政治、戦争を人類に特有なものだと思われますか。
実は、自然に暮らすチンパンジーはこれらを原初の形で持っています。
連載「心の起源」「戦争の誤謬」「病と医術の歴史」で事例を紹介しています。


ハムラビ法典:右の太陽神が王に法典を与えている

< 2. ハムラビ法典:右の太陽神が王に法典を与えている >

人類が生みだしたものとは何か?
チンパンジーにその端緒が無くて、人類だけが有するものに宗教や美術、法などがあります。
おおまかに以下のことが言えます。
キリスト教や仏教、イスラム教などの世界宗教には創唱者がいました。
有名な美術品のほとんどには制作者が知られています。
しかし現在の法や憲法の作成者を、皆さんは知っているでしょうか。

実は、チンパンジー社会にも制裁や秩序維持の行動は存在します。
しかし合意に基づいて、その内容を変更し強化することは出来ません。
一方、人類は集団内外の争いを治める方法を先史時代から掟や戒律として残していました。
無文字社会や民族に伝承された掟や戒律は神話によって権威づけられるか、作成者不詳が多かった(自然法)。


アテネの陶片追放: ふさわしくない最高権力者を投票で追放

< 3. アテネの陶片追放: ふさわしくない最高権力者を投票で追放 >

誰が法を創るのか?
やがて文字が誕生すると、法文として記録するようになり、その初期のものがハムラビ法典でした。
ハムラビ法典は王が神から授けられたものとしています。
都市が誕生し王朝が興ると、王が法を制定するようになりました。

しかし最初の転機が、古代ギリシャのアテネに訪れました。
アテネも初期は貴族が支配していたのですが、やがて改革によって市民が法を定め、市民の権利を確保するようになりました。
おおよそ2500年前のことです。
しかし、この後、ローマ帝国以降のヨーロッパでは、長らく一部の権力者達(王や貴族)が新しく法を定め運用するようになりました。


ローマの元老院: 元老院が法を専門的に扱う

< 4. ローマの元老院: 元老院が法を専門的に扱う >

しかし、やがて人類史上、新たなうねりが訪れることになります。
それは現代まで続く、人類社会、最大の転換の始まりだったのです。













Wednesday, May 7, 2014

人類の歩みと憲法 1: 今、何が起きようとしているのか?

 航海

< 1. 航海 >

ここ3世紀の間、世界中で多くの血を流し勝ち取って来たものがあります。
人類、最高の智恵と創意が集約されているものが憲法かもしれません。
この連載で、人類社会の進歩を支えたものが、一遍の法文だったことを見て行きます。

ウクライナ情勢

< 2. ウクライナ情勢 >

今ある危機
今の日本は、船長が必死で荒海に向かって大きく舵を切ろうとしている状況です。
大きな波が来るのならそれは正しい、しかし、そうでないならむしろ危険かもしれない。
この違いは、恐怖の対象が、自然ではなく異民族だと言うことに尽きる。

素晴らしい船長
TPP、増税、リフレ策、減反政策変更などの実行力は他の追随を許さない、まことに立派である。
リフレ策は不安を抱えているが、先ずは首尾良く行くことを祈る。
これは「赤信号、欧米諸国と一緒に渡れば恐くない」のようなものです。
あれほど不安視された原発を推進しても首相の人気に陰りはない。


忠臣蔵

< 3. 忠臣蔵 >

一方、気になることがある
秘密保護法制定、NHKの中立性放棄、軍の強化と適用拡大が推し進められている。
今後、解釈変更や憲法改正で目指すものが確定されていくだろう。
今の時期、大いに議論すべきだが、自治体は憲法擁護の運動を、政治的偏向だとして抑制に転じた。
ここ2年あまりで、愛国心が讃えられ、熱を帯びて来た。
愛国心で感涙むせぶ小説が飛ぶように売れた。
愛国心は自国を奮い立たせもするが、他国も同様で、やがて共振を始める。
それは小さな離島の購入計画と北朝鮮のミサイルが引き起こしたように見える。


選挙模様

< 4. 選挙模様 >

しかしそれだけだろうか?
「火の気のないところから・・」のことわざがあります。

日本には、二つの不気味な伏流水があります。
一つは、ここ30年ほどの欧米諸国に共通するのですが、政治が専門化し、社会に偏在化が起こり、国民の信頼は日増しに低下している。
それは多党化と選挙離れを生んでいるが、日本は最も酷い状況を亢進中です。
特に、日本の不幸は権力・組織に依存する文化があり、これが暴走を生むことになる。

もう一つは、大戦後、欧州は歴史的反省の結果、隣国との友好を選びましたが、日本は絶縁の道に閉じ籠もろうとしています。
これは日本が島国で被侵略の経験がないことから、歴史認識がガラパゴス化しやすいことによります。
これらのことが、今のうねりを生みだしたとも言えます。












Tuesday, May 6, 2014

Travel to Turkey 5: Hierapolis

 Hercules’s face?

< 1. Hercules’s face? >

I introduce Hierapolis in the upper part of Pamukkale that I introduced last time.
This is a remains of city of Rome.

前回紹介したパムッカレの上側にあるヒエラポリスを紹介します。
これはローマの都市遺跡です。


in Hierapolis

< 2.  in Hierapolis >

Hierapolis

In this city, buildings had formed into line on the hillside extending across a width of 1 km and a depth of 800 m, and 100,000 people were living.
It was founded by Roman at first and prospered till Byzantine Empire after.
However, big earthquakes attacked this city several times and people achieved the rebuilding each time, but, at the end, it was abandoned in the 14th century.

ヒエラポリス
この都市は高台の斜面に巾1km、奥行き800mにわたって建物が並び、10万人が暮らしていた。
最初ローマ人によって創建され、後のビザンチン帝国時代まで繁栄した。
しかし大きな地震がこの都市を数度襲い、再建を果たして来たが、14世紀には放棄された。

Pamukkale and a reconstruction of Hierapolis 

< 3.  Pamukkale and a reconstruction of Hierapolis 

A blue frame is my photo spot of Pamukkale and a red frame is it of Hierapolis.
The place where the blue frame and the red frame cross is an old large bath.
Lime of hot spring flowing from here produced Pamukkale.
The upper part of the red frame is a large theater.
The left big open space is a big agora.

青枠はパムッカレ、赤枠がヒエラポリスの私の撮影スポット。
青枠と赤枠の交わる所が、昔の大浴場。
ここから流れだした温泉の石灰分がパムッカレを生んだ。
赤枠の上部が大劇場。
左の大きな広場はアゴラ。

 I looked up at Hierapolis from Pamukkale side

< 4.  I looked up at Hierapolis from Pamukkale side >
There is a large theater at the right-hand back, and it is one of reconstructed building most.
From the central part right, there are Nymphaeum(fountain), Plutonium(cave), and Temple of Apollon.
Poisonous gas came out from this cave, and priest used it skillfully and prophesied.
The same thing was performed also in ancient Greece.

右手奥が大劇場、最も再現されているのはこの劇場ぐらい。
中央部右からニンファニューム(噴水)、プルトニューム(洞窟)、アポロ神殿。
この洞窟から毒ガスが出ており、神官がこれを巧みに使い預言を行っていた。
古代ギリシャでも同様なことが行われていた。


 large theater :  the stage and seats

< 5.  large theater :  the stage and seats  
Because the sightseeing time of this ruin was short, I ran a slope up until the large theater of the upper part.
I was overwhelmed in the big size and steep grade when I stood at a top of the theater shakily on my feet.

この遺跡の観光時間は短かったので、上部にある大劇場まで斜面を走った。
ふらつきそうな足で劇場の最高部に立っていると、その大きさと急勾配に圧倒された。


I look the stag of the theater from out side 

< 6.  I look the stag of the theater from out side  >
I took close look at the stage of the theater for the first time, and it was splendid.

初めて劇場の舞台を目の辺りで見たが、素晴らしかった。


 I looked down from the theater

< 7.  I looked down from the theater >
When I stood in the ruins, in contrast with the gorgeous white lime shelf, I seemed to hear the din of the ancient times.

廃墟の遺跡に立っていると、華やかな白い石灰棚とは対照的に、いにしえの喧噪が微かに聞こえてくるようでした。


flowers in Hierapolis 

< 8.  flowers in Hierapolis >
This red flowers bloomed everywhere in the ruins.

この赤い花はこの遺跡の到る所に咲いていました。



Saturday, May 3, 2014

Go around the world of Buddha statues 16: the birth of Buddha statues 3

 head of a Buddha, 2nd century, Mathura

< 1.  head of a Buddha, 2nd century, Mathura

We have previously looked at Buddha statues that began in Gandhara of Pakistan.
From this issue, we look at Buddha statues that began in Mathura of the inland regions of India.

The Buddha statues that were born in these two places varied in some expression while having the same religious meaning.
There were a fusion of religion and culture, and impulses originating in foreign culture.
Through the artistic expression of the Buddha statue, I investigate the relation of symbol, religion, and culture.


前回まで、パキスタンのガンダーラで始まった仏像を見ました。
今回から、インド内陸部のマトゥラーで始まった仏像を見ます。

この2箇所で誕生した仏像は、同じ宗教的意義を持ちながら、表現が若干異なります。
そこには宗教と文化、外来文化と自国文化の融合と触発があります。
仏像の美術的表現を通して、宗教、文化、象徴の関わりを探って行きます。


seated Buddha Triad, 2nd century, Ahicchatra

< 2.  seated Buddha Triad, 2nd century, Ahicchatra >

Buddha statue of Mathura

The head of figure 1 is a round face and has thick lip than the heads of Buddha in Gandhara, and is tonsured and rolls up long remainder hair.
The heads of Buddha in Gandhara bundle up rich rippling hair.
The Mathura statues used red sandstone and the Gandhara statues used black schist.
The Buddha statue of figure 2 has the oldest form of Mathura unlike Gandhara.
It are features that the head that I mentioned above, the thin clothes that hung only on unilateral shoulder, and the homely expression giving you a sense of vitality.
Although there was also the seated Buddha Triads in Gandhara, this triad is not known whether two attendant statues of the right and the left are Deva (Indra, Brahma) or Bodhisattva.
The left statue has a Vajra( beetle) that Indra should have, but wears a scarf and a short breechcloth.
Therefore it is subject to the influence of western Gandhara.


マトゥラーの仏像
図1の仏頭はガンダーラの仏頭と比べると丸顔で肉厚の唇が肉感的で、頭は剃髪し残りの長い髪を巻き上げている。
ガンダーラでは豊かな波打った頭髪を束ねている。
マトゥラー像は赤色砂岩を使用し、ガンダーラ像は黒色片岩を使用している。
図2の仏像は、ガンダーラと異なるマトゥラーの最古層の形式を持っている。
前述した頭部と片方の肩だけに掛けた薄い衣、素朴で生命力を感じさせる造形が特徴です。
ガンダーラにも仏三尊像があったが、この左右の脇侍は天部(帝釈天、梵天)か菩薩かは不明です。
左像は天部が持つべき金剛杵を持つが、スカーフを巻き、短い腰布をしているので、西方のガンダーラの影響を受けている。


standing Buddha, 2nd century, Mathura 

< 3. standing Buddha, 2nd century, Mathura >

The expression of the swelling of clothes at the statue’s neck and the hanging the clothes on the both shoulders is the same as Gandhara.
At a later time, Gupta Empire reaching prosperity of Buddhist art inherits the expression of U-shaped pleats of the cloth that hung down from the front.

この像の両肩に掛かっている衣や襟元の膨らみの表現はガンダーラと同じです。
前面に垂れ下がった衣のU字型の襞は、後に仏教美術の隆盛を迎えるグプタ朝様式(4~6世紀)に受け継がれる。


head of a Bodhisattva, 2nd century, Mathura 

 4.  head of a Bodhisattva, 2nd century, Mathura >


seated Buddha, 3rd century, Saheth-Maheth

< 5.  seated Buddha, 3rdcentury, Saheth-Maheth
The head hair of this statue becomes a lot of small and spiral hair and the cross-legged pose lacks total balance because the legs are short.
With the decline of Kushan Empire, the stylization might have advanced.

この像は頭部が螺髪になっているが、組んだ足が短く全体のバランスを欠いている。
クシャーン王朝の衰退と共に、様式化が進んだのだろうか。

The feature of Mathura Buddha statue

The Gandhara Buddha statue meditates, but the early Mathura Buddha statue opens the eyes.
Gandhara Buddha statue has sloping shoulders, but Mathura Buddha statue has square shoulders, therefore it is healthy image.
Most of seated Buddha statues in Gandhara link the both hands, but most of things in Mathura raise the right hand and turn the palm of the hand at the front.
This is a meaning that removes people's fear and uneasiness.

Next time, I look at why Buddha statue was born in Mathura.

マトゥラー仏像の特徴
ガンダーラの仏像は瞑想しているが、初期のマトゥラー仏像は目を開いている。
ガンダーラ像は撫で肩だが、マトゥラー像は肩がいかつく張って健康的です。
ガンダーラの仏陀座像の多くは両手を結んで瞑想しているが、マトゥラーのものは多くが右手を挙げ、手のひらを正面に向けている。
これは施無畏印と呼ばれ、人々の恐れと不安を取り除く意味がある。

次回は、なぜマトゥラーで仏像が誕生したかを見ていきます。




Wednesday, April 30, 2014

The society and the information 29: information crosses the border 3

 current Guangzhou

< 1.  current Guangzhou  > 

I introduce to you an episode of the information crossing the border between countries that I experienced while traveling.

今回は、私が旅先で経験した国境を越える情報のエピソードを紹介します。


Guangzhou Station in the 1980s

< 2.  Guangzhou Station in the 1980s >

In Guangzhou, China
Several years after Tiananmen Square Incident (suppression of free speech in 1989 in Beijing), I traveled China for the first time.
At that time, the bad side of Chinese politics and economy was conspicuous in Japan.
A certain writer wrote up inferior China and won popularity, and I also read it.
I decided to go to China with having more curiosity than fear.

I sailed up the river from Hong Kong by a ferry and arrived at Guangzhou while looking at quiet countryside.
Modernistic high-rise buildings were only hotels, and high apartments of bricklaying were being built in some places.
This is currently one of the cities that accomplished big development, but at that time, it was simply vast population high-density place although it was famous for the historical merchant city.
Deng Xiaoping who looked at this city had confidence in the transition to market economies, and performed the economic reform from 1978, and then China's economy accomplished great development.


中国の広州で
北京で1989年に天安門事件(言論弾圧)が起きて数年経った頃、中国を始めて旅行しました。
当時、日本では中国の政治・経済の暗黒面が目立ち、不安視されていました。
作家黄文雄が中国の劣悪さを書き立て人気を博し、私も数冊読んでいました。
私は恐い物見たさで行くことにしました。

香港からフェリーで川を遡り、のどかな田園地帯を眺めながら広州に着きました。
そこは近代的な高層ビルはホテルぐらいで、所々に煉瓦積みの高いアパートが建設中でした。
現在は大発展を遂げた都市の一つですが、当時は、歴史ある商都市とは名ばかりの古びた広大な人口密集地でした。
鄧小平氏が、この地を見て市場経済化への意を強くし、1978年になどを経済特区にし、中国経済は大発展を遂げたのです。


Deng Xiaoping and slogan

< 3.  Deng Xiaoping and slogan >

Wandering at night
I continued walking the streets in Guanzhou alone from 9:00 p.m. of the weekend to 2:00 a.m. 
I felt an undulation that exceeded my prospect.
Though it was the midnight, the street was full of crowds of old and young, and i seemed that all went into the restaurant.
Furthermore, as the evening goes on, a lot of young men and women stood on the overpass of the big street crossing and they embraced each other and began kiss.
I felt the freedom and the hope being instead of the state power and the darkness to the silhouettes that were lighted up by streetlights.

The next day, when I had told the surprise to a Chinese interpreter, satisfactory answer came to me.
People of this area don’t believe an announcement of Beijing government from the old days, because people were coming and going to Hong Kong and moreover the truth was coming from Hong Kong by radio.”
When I boarded a ferry bound for Guangzhou in Hong Kong, I remembered that most of Chinese passengers had big bag of souvenir of Hong Kong.


夜の徘徊
私は、週末の夜9時から朝2時まで、広州の町中を一人で歩き続けました。
そこで私は予想を超えるうねりを肌で感じることになったのです。
真夜中だというのに、通りは老若男女の群衆で一杯になり、それぞれ飲食店に入って行きました。
さらに夜が更けると、大きな交差点の陸橋の上に若い男女が多数たむろし、抱き合いキスを始めた。
街灯に照らし出されたそのシルエットに、私は強権や暗さでなく、自由と希望を感じた。

次の日、中国人の通訳に、驚きを伝えると、納得の答えが返って来た。
「ここの人々は、昔から北京政府が何を言おうが、嘘を見抜き、信じていない。香港との行き来があり、またラジオなどで香港から真実が伝わってくるから。」
私が香港で広州行きのフェリーに乗る時、ほとんどの乗客の中国人が大きな土産品の袋を持っていたことを想いだした。


 current Guangzhou whole view

< 4.  current Guangzhou whole view

What I realized
Probably, there might have been already the energy that goes to free economy in  Guanzhou, like Deng Xiaoping had perceived it.
Without doubt prosperity of Hong Kong was accessible fact of the people.
The truth that is crossing the border between countries not only saves some oppressed people but also develops or releases people.

After all I understood that I could feel their consciousness and energy if I went there.

悟ったこと
この広州には、鄧小平氏が見抜いたように、自由経済に向かうエネルギーが既にあったのだろう。
それは香港の繁栄が身近で、疑うべくもない事実だったからです。

やはり現地に乗り込んでこそ、彼らの意識やエネルギーを掴めることが良くわかった。
国境を越える真実は、一部の虐げられている人を救うだけでなく、人々を成長や解放へと向かわせることもある。
国内に閉じこもり、嫌中・嫌韓の言説に酔いしれていると真実から益々遠ざかることになるだろう。