Monday, May 12, 2014

人類の歩みと憲法 5: 憲法を生みだした力

 ルネサンス: レオナルドダビンチの書

< 1. ルネサンス: レオナルドダビンチの書 >

少し想像して下さい
あなたが誰かに「これは正義だから・・」と言って、同意を求めたとします。
おそらくその人は一瞬、たじろぐでしょう。
そうではなく「これは皆の・・・」と言えば、事は簡単でした。
悪くすれば、正義は狂信者のプロパガンダ、危険と見なされたかもしれません。

イスラム文化: アルジェリアの街並み

< 2. イスラム文化: アルジェリアの街並み  

それではヨーロッパでどうだったのでしょうか
正義や法の発展には長い産みの苦しみの歴史がありました。
歴史的事件と人々の動き、思想を振り返ります。

紀元10世紀頃まで、ヨーロッパはキリスト教、ゲルマン民族、ローマ帝国の文化や法が中心でした。
しかし9世紀頃からイスラム文化が流入し、十字軍遠征、地中海貿易の発展、アラビアからのギリシャ思想の再流入、そしてルネサンスが15世紀頃に開花します。


< 3. ベネチア >

貿易は経済の大躍進を生み、商人や都市市民は組合を作り、その富を背景に領主や皇帝から幾多の特許状を受けるようになった。
自治権を得た港湾や都市が、各地に出来、自ら数百年をかけて大聖堂を建てるほどの繁栄を謳歌するようになった。
ドイツの一事業家が神聖ローマ皇帝の資金を一手に引き受け、イタリアの商都フィレンツエやベネチアは強大な自治都市になった。

一方、キリスト教会(教皇)は王権を凌ぐ存在となり、腐敗と形骸化も進行していた。
14世紀、ペストが蔓延し、西欧の人口の半分が失われると、信仰心は徹底的に打ちのめされた。
民衆はもはや教会への信頼を失いつつあった。

ペスト禍 

< 4. ペスト禍 >

地球規模の交易とアラビア科学の刺激を受けて科学技術と医学は急速に進歩した。
さらにギリシャ哲学の再発見は、失いつつあった宗教的呪縛から抜け出て、人間理解を自然で合理的なものへと向かわせた。
一方、貴族と教会の両領主の圧政に耐えていた農民達は、宗教改革が目指した教会権威の否定に同調して蜂起することになる。

こうして16世紀中頃、ドイツで農民戦争と宗教改革が勃発し、西欧から英国、北欧を巻き込む戦争と信条の転換をもたらした。
やがて17世紀末、最初の革命が王権の弱体していた英国で起こることになる。


ヤン・フスの焚刑:ヨーロッパ最初の宗教改革

< 5. ヤン・フスの焚刑:ヨーロッパ最初の宗教改革

人々の信条と思想の変化とは
ルネサンスによって、人間個人の尊厳や自由が注目され、神学者からも見直しが迫られた。
さらに宗教改革において、信仰によりあらゆる人々は平等で自由だと謳われた。
これらの中から、個人と社会、さらに王と神の存在を問い直し、社会を再構築すべきという思想が次々と生まれた。
王は人々を虐げる者となるので、立法が国を治めるべきとした。
その為には、革命は正当化され、新たな国は民主的でなければならないとした。
また信仰を政治に持ち込んではならないともした。

日本では
維新を支えた王政復古は東アジアや西欧でも混乱期には、国を纏める手段として多用された。
しかし西欧は、そこに留まることはなかった。
日本も宗教改革や一揆、合議制の政体、維新を経験した。
しかし西欧の憲法を受容はしたが、その精神を我がものとするまでには至っていないのかもしれない。

























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