Sunday, July 2, 2017

フランスを巡って 19: 中世の施療院オテル・デュ



*



今日は、ボーヌ旧市街にある中世の施療院オテル・デュを紹介します。
中庭から見た施療院の建物と屋根が青空に映えて美しかった。
私にとって、ヨーロッパ医術史の一端を見れたことは、うれしい誤算でした。





< 2. オテル・デュのパンフレット >

この見取り図は下が北になっています。
青の矢印が入口、出口です。

私達は一階部分のほぼすべてを見学しました。
ここを見学したのは旅行5日目、5月21日(日)、10:40~11:30でした。
この日も快晴で爽やかでした。


< 3. オテル・デュの外観と中庭 >

左上の写真: 中央の灰色の屋根がオテル・デュ。
入口は建物の中央にある。

右上の写真: 中庭の隅から入口側を見ている。

下の写真: 中庭の端から北側を見ている。




< 4. 中庭から 1 >


陽に照り映えるニシキヘビの肌を思わせる模様の瓦と、たくさんの三角屋根の窓は、病院と思えない。
派手な作りにも見えるが、豪奢ではなく、美しくもあり陽気にさせる建物だ。
この瓦は釉薬瓦で、4色(淡黄色、濃いグリーン、赤色、茶褐色)からなっている。

「フランスを巡って4: 古都ボーヌ」でも紹介しましたが、この地域に入ると屋根の雰囲気がプロヴァンスと異なります。

プロヴァンスの屋根は緩い傾斜になっており、瓦はオレンジ色の丸瓦が敷き詰められている。
その輝くような町の眺めが、さらにプロヴァンスを太陽が降り注ぐ地中海のイメージを一層盛り上げていた。
これからフランスを巡って行くと分かるのですが、各地に特有の屋根があり、
この屋根は南仏特有のもので、ローマ時代の名残なのでしょう。

一方、ボーヌの町の屋根は急な傾斜になっており、平瓦かスレートが引き詰められている。
多くの色は灰色、茶色が多く、鮮やかさはない。
ただ、旧市街の幾つかの屋根には、このオテル・デュと同様の模様の釉薬瓦が見られた。
この瓦は元々、ブルゴーニュ公国が姻戚により手に入れたフランドル地方のもので、ブルゴーニュの各地に見られるそうです。




< 5. 中庭で 2 >


< 6. 看護室 >

上の写真: 看護室。
パンフレットの番号4辺りからの撮影です。
両側に並んでいる赤い天幕で覆われているのが患者のベッドです。

下の写真: 当時の看護の様子を伝える絵。




< 7. 礼拝室と厨房 >

上の写真: 礼拝室。
パンフレットの番号6を看護室側から撮影。

下の写真: 厨房。
パンフレットの番号13.
写真がうまく撮れなかったのですが、右側の暖炉には機械仕掛けの丸焼き器のようなものが据えられていました。
また、お湯が出る白鳥の首形状の蛇口が、このマネキンの後ろにありました。
厨房は広く、清潔そうでした。




< 8. 調剤所と薬局 >

上の写真: 調剤所。
部屋の左側に銅製のタンクとそこに注ぐ管が見えます。
これはおそらく蒸留器で植物から薬効成分を抽出するものでしょう。

下の写真: 薬品棚。
かなり多様な薬品が、ガラスや陶器の容器に入れらて置いてありました。
薬品は外部にも販売されたようです。





< 9. 美術品の展示 >

左上の写真: 暖炉。パンフレットの番号20.
右上の写真: パンフレットの番号19.
下の写真: オークションの間。パンフレットの番号26.
この病院の機能が移転するまでは、ここでワインのオークションが行われていたらしい。
この売り上げが病院の運営費に充てられた。
おそらく、当時、壇上の燭台に蝋燭が置かれ、燃え尽きると競りの終わりを告げるようになっていたらしい。




< 10.特別な展示室  >

ほぼ暗室で厳重な管理がされた部屋に、二つの祭壇画とタペストリーがありました。


上の写真:  この展示室のメインの絵で、フランドル派の画家(ベルギー)による「最後の審判」。
ウィキペディアより借用。

下の写真: フランドル派による「宰相ロランの聖母」。
ルーブル美術館蔵。ウィキペディアより借用。

左の人物が、1443年にこのオテル・デュを創設したブルゴーニュ公国の宰相ニコラ・ロラン。
彼がこの絵を発注した。

当時、ブルゴーニュ公国は領土を拡大し、騎士道文化が最盛期を迎えていた。
中でも、この宰相が権勢を誇っていた。
しかし、一方で英仏の百年戦争が続き、この地は貧困と飢餓に苦しむ人々で溢れていた。
彼は妻の薦めにより、私財を投じてこの病院を建てた。
病院の運営費は、ブドウ畑から出来るワインの売り上げで賄われた。
病院の機能は1971年に近代的な病院に移転した。




< 11. 栄光の三日間、写真は借用 >

「栄光の三日間」はブルゴーニュで最も有名なワイン祭りです。

上の写真: ワインのオークション。
ワイン競売のシーンで、毎年11月の日曜日に行われる。
この場所はオテル・デュの向かいにある広場に面した大ホールでしょう。
このホールは写真番号3の左上の写真、左側に少し見えます。

下の写真: 栄光の三日間で盛り上がるボーヌの人々。



オテル・デュに想う
現在、私は連載「病と医術の歴史」を休止していますが、いずれ西洋の部分を書くつもりです。
この連載で望んでいることは、人類があらゆる因果の解釈を宗教的のものから一様に科学的なものへと変化させたこと、もう一つは、なぜ西洋医学だけが他の地域の医学を凌いで発展したかを知る為です。
この意味で、西洋の古代から中世にいたる医学史を理解することは非常に重要でした。

かつて、ドブロブニクなどで中世の薬局を見たことはあったが、中世の看護施設を見たことがなかった。
今回、実物を見れたことは幸いでした。

このボーヌのオテル・デュは施療院としては新しいもので、古くはキリスト教の修道院で、6世紀頃から看護や治療行為が始まっていた。
このオテル・デュは「神の館」と言う意味で、教会との繋がりを示す。
それではキリスト教が西洋医学を発展させたかと言うと、そうとも言えない。

世界中、病気、特に皮膚病は過去の罪や業(ごう)、祟りの現れと見なされ、忌み嫌われることが多かった。
また疫病患者は隔離され、このオテル・デュでも扱われることはなかった。
ほとんどの宗教は、人体を聖なるものと見なし、解剖を禁止し、キリスト教も同様でした。
12世紀始め、第2ラテラン公会議で、修道士が医学を学ぶことを禁止した。

キリスト教も含め、多くの宗教は、病人を治すよりは慈悲を施すことに意を用い、初期には遠ざけることが多かった。

ただキリスト教圏では、聖書に記載があるようにライ病患者は救済されるべきとされた。
不思議なことに日本でも中世の一時期、ライ病患者が敬われることがあった。

西洋では、ローマ時代の医術の残滓、さらに後のイスラム文化の流入によって、医学が開花していくことになりました。


次回に続きます。






Thursday, June 29, 2017

デマ、偏見、盲点 18: 左翼と右翼の戦争


 
*1


今回は、右翼と左翼が思い描く戦争を通して、戦争の危うさを考えます。
ここで指す右翼とは、右翼寄りの人、右傾化した人も含み、左翼も同様です。


はじめに
先日、私がトランプ大統領の指南役スティーブン・バノンのことを話していたら、思わぬ問がありました。

今回のトランプ大統領誕生の最大の功労者はバノンで、彼がいなくては大統領は人気を博すスピーチも政策立案もままならなかったでしょう。
このバノンは政治に強い関心を持ち、右翼のオンラインニュースを立ちあげていた。
彼が目指したの、ホワイトハウスとエスタブリッシメント(支配層)を破壊することで一種のクーデターであり、実現の為にトランプを祭り上げた。
その理由は、現状の腐敗し体たらくなホワイトハウスでは第三次世界大戦を凌ぐことが出来ないと考えたからでした。

ここまで説明すると、ある人が「右翼は戦争をしたがる筈なのに?」と言って腑に落ちないようでした。

この問には、右翼と戦争に対する誤解がある。

それでは皆さん、右翼と左翼どちらが戦争をするのでしょうか? 注釈1.

左翼は、右翼こそが軍隊と戦争を望むと信じているようです。
逆に右翼は、左翼こそが暴力を容認し、一方で負け犬になると信じているようです。



 

*2

この見方は正しいのでしょうか?
右翼の中には、ヒトラーが社会主義者だから、極悪な戦争を始めたと信じている人がいる。
一つには、ナチスが「国家社会主義ドイツ労働者党」の略称だからでしょう。
歴史を知れば、彼は国粋主義者(ファシスト)で右翼だとわかるはずです。

それでは日本が満州事変へと突き進んだ1930年代、この大陸進攻を牽引したのは社会主義者か国粋主義者のどちらでしょう。
牽引した多くは軍人でした。

これらの解釈に混同があるのは、偏ったマスコミや言論などの影響が大きい。
端的な例として、満州事変が始まる前、売り上の上位は朝日と毎日で、読売はかなり少なかった。
しかし、事変が始まると他社より遥かに売上を急伸させたのは読売新聞でした。
朝日や毎日も売り上げを伸ばしてはいたが。
これは読売が最も戦争に反対していたからでしょうか?

この手の勘違いは、熟慮せずに心地良い説に飛びついたからなのですが、実は、ここに右翼の心性があるのです。
当然、左翼の心性もあります。
後に、両者の心性について解説します。


 
*3


米国の戦争を振り返り、右翼と左翼の違いをみます
軍事大国の米国で、民主党と共和党のどちらがより戦争をしていると思いますか?

主な戦争を始めた政党と大統領を挙げます。
開戦には複雑な経緯があるのですが簡略化しています。

南北戦争はリンカーン(共和党)。
第一次世界大戦(ウイルソン)と第二次世界大戦(ルーズベルト)は民主党。
朝鮮戦争は民主党。
ベトナム戦争はケネディー(民主党)。
コソボ紛争への介入はクリントン(民主党)。
湾岸戦争とイラク戦争はブッシュ親子(共和党)。

こうして見ると、ハト派と見做されている民主党の方が、大きな戦争に加担し、多くの死者を出している。

皆さんは、民主党と共和党の戦争に違いがあると思いますか?
一般には以下のように言われている。
民主党は、世界の平和や人権を守る為に、他国に介入し戦争も行う。
共和党は、他国への介入を避けるが、自国の主義や権益擁護の為には断固戦う。

それではこれら戦争を簡単に検討します。
*南北戦争で決着をつけたからこそ、国の分裂を防いだと信じらている。
*二度の世界大戦と朝鮮戦争への参戦、コソボ紛争介入がなければ、より酷い状況になった可能性がある。
*ベトナム戦争とイラク戦争は誤解に基づいた開戦で、より酷い結果を招いたと言える。
*湾岸戦争は予防的な開戦で、不要だった可能性がある。
(これら戦争には、参戦や開戦、介入の是非を巡りいまだに賛否両論がある。)

これらの戦争は、2度の世界大戦以外、自国が攻撃されたから反撃したのではなかった。
つまり、自己防衛ではなく、同盟傘下の保護または予防的な戦争と言える。
これには放置すればいつか自国に悪影響が及ぶかもしれないので、早めに叩かなければならないとの思惑がある。
当然、米国は世界や自国の安全保障の為に戦争を始めたと言うでしょうが。

つまり、右翼(共和党)も左翼(民主党)も戦争を行うのです。
どうしても軍事大国になると安易に戦争を始めやすい。


 
*4 

予防的な戦争について知っておくことがあります
予防的な戦争が許されないのは当然ですが、実は無視してはならない歴史的教訓があります。

ヒトラーがドイツで台頭し始めた時、周辺国では宥和策をとりました。
(日本はドイツと共に戦ったので別です。)
目立つのは米国のケネディ―大使(大統領の父)、英国のチェンバレン首相、そして隣国フランスです。
彼らは戦争を避ける手段として相手を刺激しない、または同じ独裁者ならスターリンを倒してくれるヒトラーを選んだのです。
しかしこれは間違いでした。

やがて英国で、軍人出身のチャーチルがヒトラーとの抗戦を表明した。
さらに米国のルーズベルトは米国民の厭戦気分を押して、参戦に持っていった。
こうして多大な犠牲を払ったが、世界が協力してドイツと日本の進攻を挫くことが出来た。

このことから、侵略軍を撃退出来る体制作り(軍備など)や心づもりは必要だと言えます。
とは言え、それほど単純ではなく、周辺諸国との軍拡競争を招く危険があります。

これと逆のケースがベトナム戦争です。
朝鮮戦争を経験した米国は、共産勢力を恐れ、南ベトナムで過剰防衛(予防的な戦争)に走り、ベトナム戦争に踏み切ったと言える。

この二つのケースは、過去の悲惨な戦争の経験や恐怖が尾を引き、リーダーや世論が選択を誤った例です。

ハト派的な宥和策もタカ派的な強硬策も共に巨大な戦争を招いたのです。


 
*5


右翼と左翼の心性とは何か?
右翼の心性には、見知らぬに他者への著しい恐怖心があるようです。
私が外国旅行をすると言えば、右翼の人ほど、現地(イスラム圏や韓国など)に不安を感じるようです。
これは彼らが偏見を煽るマスコミに影響されていることもあるが、やはり未知のものや他人に強い恐怖心や不安感を持つことにある。

一方、左翼の心性には、他者への不安感が少なく友情すら築けると思うようです。
一見、良いように聞こえるが、うがった見方をすれば甘い理想家とも言えます。

この両極端の心性が社会の変化に感応し、真逆のマスコミや言論界に共鳴し、益々偏りを深めることになる。

本来、この二つの心性は一人一人の脳内に共存しています。

未知のものに楽天的で、チャレンジする心性と、未知のものを恐れ、慎重に対処する心性は、人類が進化する過程で獲得したもっとも重要な相反する二つの能力です。
この二つの心性が、各人の生育過程で脳内ホルモンの分泌や左脳右脳の連携機能の発達具合により、人類の平均値よりそれぞれ一方に偏ってしまうのです。

願わくは、両方がうまく相乗効果を発揮すれば良いのですが。
もしかすると、この心性が年齢や男女差で異なり、ばらついていることが人類の発展と安全を生み出しているのかもしれません。
安心はできませんが。

ここで注意が必要なのは、左翼や右翼と呼ばれる人々が、本当にこの心性を有しているとは限らないことです。
例えば、一方に属すことにより得失がある場合などです。注釈2.


ここで簡単なシミュレーションをしてみましょう 注釈3.
敵対しつつある二つの軍事大国を考えます。

ここでは両者の心性の動きを中心に考えます。
それぞれの国が極端な右翼や左翼に支配されていればどうなるでしょうか?

一番分かり易いのは、両国が極端な左翼(ハト派)に支配されている場合でしょう。
おそらく宥和策が図られ、軍事衝突は遠のくでしょう。

次いで、両国が極端な右翼(タカ派)に支配されている場合はどうでしょうか。
これも単純明快でしょう。
互いに猛烈な恐怖心を抱き、宥和策を取れず疑心暗鬼に陥り、ついには軍拡競争、衝突に進むでしょう。

最後に、右翼が支配する国と左翼が支配する国が対峙している場合はどうでしょうか。
うぅ・・・・・・、難しい。 

ヒントは、それぞれの国に左翼寄りと右翼寄りの心性を持った国民が同数いることです。(小さな集団は別にして、人類全体で見ると心性をもたらす能力は正規分布している)
右翼支配の国は不安を感じないが、左翼支配の国にやがて変化が起きるでしょう。
左翼支配の国民と言えども、右翼支配の国に恐怖心を抱き、急速に右傾化していくことになります。
こうなると結局、両国は共鳴するように軍拡競争を始め、衝突の可能性が高まるでしょう。

戦史を見ると、適切な政治文化と優れたリーダーに恵まれない多くの国が、この悲惨な状態に陥るのです。

元来、相手が本当にハト派だとか、タカ派だとか、軍事力が同等かを見定めるのは困難です。
現在は、地球全体が監視され、また以前に比べて互いの国情をより知ることが出来るようになっている。
しかし、それでも自国の政府やマスコミに報道の制限や偏向があるので、正しい情報が国民に伝わるとは言い難い。


要点はこうです。

一つは、互いが疑心暗鬼になり牽制を始めると、益々、亀裂は深まり、やがて軍拡競争、衝突につながる。
単純に、一国の過大な軍備は危険因子になる。

一つは、上記の過程が、外界に対する恐怖心の高まりを受けて、一気に加速する。
この恐怖心を強く抱き、牽制すべしと行動させるのが右翼の心性です。

一つは、互いの国情と内情を正確に把握できない為に、疑心暗鬼が増幅される。
これを防ぐにはひとえに国民の知る権利が守られることであり、特に為政者にとって都合の悪い情報を捏造・隠ぺいする政府と偏向したマスコミの存在が危険です。



 
*6

まとめ
これまで検討して来たことを整理しましょう。

*過大な軍事力は戦争を招きやすい。

*侵略に対する備えは必要ですが、軍拡競争や軍事大国化への注意が必要。
説明は省きますが、今後、世界は新たな防衛体制に進むことになるでしょう。

*極端な宥和策も強硬策も戦争を招きやすい。

*恐怖が高まると右傾化が興り、疑心暗鬼、軍拡競争へと進み、戦争を招きやすい。
だからと言って単純に左翼だから安全、右翼だから危険とは言えいない。

*国内外の情報が正確に素早く伝わることで疑心暗鬼を抑え、戦争の誘発を避けることが出来る。


追記
上記のことを踏まえれば、右翼を自認し挙動不審な現首相に憲法改正や軍事を任せることは、戦争の危機を高めることになるでしょう。



注釈1.
左翼と右翼の明確な区別や定義は複雑ですが、ここでは簡単に、左翼は革新、リベラル、ハト派で、右翼は保守、ナショナリズム、タカ派としておきます。

元来、左翼と右翼の意味は時代や社会で変化します。
各人が左翼的か右翼的となるのは、個人の心理的、文化的、政治的、社会的、思想的な背景、それに加えてマスコミ、言論界など多彩な影響によります。
一言で言えば、多くの人は属している社会とムードで両端に振れることになる。

注釈2.
共産主義の中国上層部や軍部には右翼の心性を持った人が多いはずです。
特に保守的な傾向を持つからこそ出世出来るはずです。
例えば、右翼的な教育を目指す学校建設を謳えば政府からの支援があるような場合などです。

注釈3.
この説明は、「互いを牽制することが如何に状況を悪化させるか」の社会学的実験の結果、脳科学の知見を参考に書いています。





Monday, June 26, 2017

フランスを巡って 18: リヨンからボーヌまでの景色



*1



今日は、車窓からのブルゴーニュ、リヨンからボーヌまでの景色を紹介します。
この日も快晴でした。


写真について
紹介する写真は、旅行5日目、5月21日(日)、6:20~10:30に撮ってものです。
最初にリヨン郊外のホテル「ベスト・ウエスタン サフィール」付近を早朝散策した時のものです。
次いで私達のバスがホテルを8:30に出発してから、10:30頃にボーヌの中心部に入るまでのもので、すべて車窓からの撮影です。

この日、私のバスの席は、前から2列目左側なので、写真は進行方向前方か左側(西側)のみです。
実は、下の地図を見ればわかるのですが、進行方向右側(東側)の方が広い野が広がっています。
またソーヌ川も私達が走る高速道路の右側(東側)を流れています。



 

< 2. 地図、共に上が真北です >

左の写真: ボーヌはブルゴーニュの中心に近く、またフランス南北の中ほどに位置します。
ブルゴーニュから南北に流れる川を行くと、イギリス海峡と地中海に達します。
北へはヨンヌ川からセーヌ川に入り、パリを抜て行きます。
また南へはソーヌ川からローヌ川に入り、リヨン、アヴィニヨン、アルルを抜けて行きます。

右の写真: リヨンからボーヌまでのルートです。
ローヌ川沿いに比べて周囲の山々はかなり低くなってきました。

地図の赤丸は氷河期の「ソリュートレ遺跡」を示す。
最後に紹介します。


 
< 3. 朝の宿泊ホテル周辺 >

朝6時頃から、周辺を散策しました。
周囲は落ち着いた雰囲気の郊外でした。

上の写真: ホテル「ベスト・ウエスタン サフィール」の正面です。
暗くなった10:00頃、歩いたが治安が悪いように思わなかった。
地下鉄駅まで歩いて5分ほどで行けるので市街に行くのに便利だと思う。


 

< 4. さあ出発! >


 
< 5. のどかな景色が続きます 1 >


 
< 6. のどかな景色が続きます 2 >

 

< 7. のどかな景色が続きます 3 >

 
< 8. のどかな景色が続きます 4 >



 
< 9.いよいよ高速道路ともお別れ >

不思議なことに、ワインの産地で有名なのに、ブドウ栽培の光景をほとんど見ることがなかった。
どうやら栽培は平野部ではなく丘陵部の斜面なのだろう。


 

< 10. もうすぐ旧市街に入る >

フランスを走っていて、特に郊外に出てから、写真のようなラウンドアバウト(環状交差点)の機能と景観に惹かれた。

上の写真は、下の写真下部のラウンドアバウトを下から進入する様子を写したものです。

ラウンドアバウトの優れているのは、車は減速するが停止の必要が無いことです。
それ以上に素晴らしいのは、その中央島の景観です。
実に様々な美しい造園がなされており、目を楽しまさせてくれます。


 
< 11. 旧市街が見えて来た >


これで車窓からの写真は終わります。


 
< 12. ソリュートレ遺跡 >


ソリュートレ遺跡について
後から分かったのですが、途中の都市マコンから西側に10kmほど入った所に氷河期の遺跡があります。
この遺跡は2万年から1万7千年前のソリュートレ文化の標準遺跡で、ある意味画期的な遺跡なのです。
それは、この断崖の真下あたりに崖から追落されて捕獲された野生馬の骨が10万頭以上あったからです。
当時の人々が、図のように薄く切れ味の鋭い石器を使い狩りをしていたのです。


車窓からの写真撮影について
私の撮影方法が参考になればと思い記します。

先ず、私がバスの席を選ぶ基準です。
選択の基本は車窓からの撮影が逆光にならないようにすることです。
もしその日の午前中、バスが北に向かうなら、東側からの太陽光を避けて左に座り、西側を撮影します。

但し、1日中の走行とか、途中で走行の方向が変わるとか、曇りがちの場合は、何を重視するかで決めます。
例えば、ランドマークや重視する景観が走行ルートの左右どちらに来るかによって、決めることになる。
ただ、これは障害物やルートが不明なこともあり予想通りにならないことが多いです。

また左側の席には欠点があります。
右側走行の国では、特に高速道路で、左側に数車線の対向車線が視界を埋めてしまいます。

一番重要なのは、車窓からの撮影時に、以下のような遮光幕をカメラに着けることです。
これは自作ですが、かなり写真の無駄が減ります。

また私は百均で買った窓拭きを持って行きます。
これで窓は素早く十分に綺麗になりますが、結構、恥ずかしい。
私の行為を見て、運転者が笑顔で全部の窓を拭いてくれることもあり、これもまた恐縮するのですが。



 
< 13. 車窓からの撮影の道具 >

上三枚の写真が遮光幕です。

左上の写真: 取り付け前の状態で2個の部品からなります。
灰色の幕は百均で買った車用遮光ネットを改良したもので、折りたたむことが出来て、非常にコンパクトで軽い。

右上の写真: 遮光幕取り付け用の部品をカメラに嵌めた状態。
この部品はウレタンゴム板を買い、ナイフでリング状にカットし、マジックテープを縫い付けたものです。
遮光幕取り付けを瞬時に行えます。
これがなくても遮光幕は使えますが、使い難い。

中央の写真: すべてセットしたものです。
窓ガラスに対してカメラは垂直が最良ですが、遮光幕を手で押さえて窓に沿わせるなら、傾けても光が入らない。

下の写真: 百均で買った窓拭き。
組み立て式で、柄が伸びるので背の高い観光バスの撮影箇所を拭くことが出来ます。
大きいが軽いです。


これは運次第なのですが、今回のツアーは40名近い参加なので、走行中にバス内の左右の席移動が困難でした。
これまでのツアーは参加者20数名が続いたので、左右移動が自由で、妻と私が左右に別れて撮影することも出来た。


車窓からの撮影も行えば、それこそ四六時中、観光しているので休む暇はないのですが、その国の自然風土がよく理解出来るので止められません。


次回に続きます。




Sunday, June 25, 2017

何か変ですよ! 59:  惜しい人

  *1


私は今の首相の豪胆さに感服しています。
端的にはアベノミクスと憲法改正です。
ここまでやれる人物は他にいないでしょう。
事の良し悪しは別ですが。


 
*2


まえがき
私はアベノミクスの意気込みを評価します。

成功すれば首相は日本史に燦然と輝いたことでしょう。
それまでの日本の金融トップ官僚、エコノミスト、日銀とは真逆の施策をぶち上げた。
彼は著名なクルーグマンが唱えた政策を即刻2013年から実施した。
狙い通りに行くと、苦労無く莫大な累積債務は消え失せ、経済は復活するのですから、私も成功を願ったものでした。

円安は確かに輸出大手企業を潤してはいるが、いまだに目標インフレ値は達成できず、好況の実感はない。
後5年じっと我慢すれば景気は好転すると信じたいが、当のクルーグマンが2015年秋に異次元緩和は失敗だったと言っている。

もともと、私はすんなりとは行かず、行ってもより大きなバブル崩壊を招くだけだと推測していた。
実際、アベノミクス(リフレ策など)の多くは欧米先進国が既に実施している施策で、その結果、欧米の状況は良くなったと言えるでしょうか。
アベノミクス前の日本の経済状況(失業率など)でも経済成長率を除いて欧米より良かったと言える。
今の状況を見ると、クルーグマンの後の指摘が正しいのでしょう。

それでも私は首相の豪胆さに感心する。
ひょっとすると自信過剰か無鉄砲なだけかもしれないが。
もに一つ気になるのは、せっかく恵まれた家系や政治基盤を持ちながら、従わない人に対して下品なところです。
惜しいような気がする



 
*3

彼の行動パターンに不安がある
国民が望んでもいない憲法改正に、自分の歴史観を前面に押し出し、突き進む姿勢には驚かされます。

これに関連し、憲法改正について御贔屓の読売新聞を読んでくれと国会で答弁する神経は凄い。
正に、お友達(加計学園)や右翼の同志(森友学園)への身びいきは強烈だ。
かつて品格ある首相はたとえ思っていても、ここまで贔屓を露骨に言い募ることは避けるでしょう。
明らかに、これは国のトップが自ら公明正大で無いことを吹聴しているのですから。

もっとも、彼にとっては自分に付き従うものこそが正義であり、反対するものは偏向している悪なのでしょう。
だが、世界の報道マンは読売新聞を、日本の新聞の中でどう評価しているのでしょうか?
決して上位には見られていません。

しかし、ここで一考が必要です。
なぜ現首相は、このようなことが出来るのでしょうか?
よく一強だと言われます。
それはそれで間違いはないのですが。
それは小選挙区制や与党が取り組んできた官邸支配の結果とも言えますが、やはり一番はポピュリズムでしょう。

先の民主党の失敗、長い経済低迷、ころころ変わるトップ、さらに加えて先進国の同様の状況があります。
端的な例は、現首相がポピュリズムの権化トランプ大統領と気が合い、さらに大統領はタカ派ルペン党首と気が合うことで、正に右翼ポピュリズムの大合唱です。

一番のポイントは、現首相が圧倒的な人気を保持していることに尽きる。
人気があれば、与党議員は当然付き従う。
また官僚も民主党のように敵と見なさいのであれば組みやすい。


 
*4

しかし、ここに問題があります
結論から言うと、国民は真実を知ることが出来ずに、国家が暴走することを防げなくなることです。
既にこのことを危惧している方もいるでしょうが、安心している方に何が問題かを示します。

視点は三つあります。
A: 国会審議での政府や官僚の答弁に難点あり。

つまらない森友学園や加計学園の問題です。
日本の国家予算は100兆円ほどあり、この両者による無駄な出費は自治体分を入れても200億円以下でしょう。
首相にすれば、たかだか1/5000のロスに過ぎない。

そんな小さなことでも政府はまともに答弁せず、また官僚も記録が無いとか、全面黒塗りの資料を出す始末です。
つまり、政府や官僚にとって都合の悪い情報は一切出さなくて良いと開き直っている。
特定秘密保護法がこれに加わるのですから鬼に金棒です。
要は、国民が真実を知る権利より、首相の面子が重要なのでしょう。

これがまかり通れば今後、為政者は国民を偽って思いがままに振る舞うことが出来る。


 
*5

B: さらに日本の組織文化が災いを生む。

日本人は村意識が強く、トップや集団の意向に盲従し易い。
俗に言う、忖度や気配りで人は動き、悪く言えば「赤信号、皆で渡れば怖くない」に陥る。
企業で働いた経験のある方は、このことに納得できるでしょう。

もっとも、これにも良い所があり、組織が一丸となって秩序を維持し、また事に当たることです。
しかし、これがまた問題を生む。
それは、社会正義に基づいた内部告発であっても、組織やトップへの裏切りと見なされることです。
この意識は日本では根深く、加計学園の前前川事務次官でも激しい。

つまり、この組織文化は良いこともあるが、トップや組織が悪い方向に向かっているのに是正する力が働かず、大きな災いを生むことになる。
原発や食品偽装の内部告発などにもその例があった。


C: この問題は幾度も不幸な歴史を生み続けて来た。

日本の組織は都合の悪い情報や記録を残さない、出さない傾向が強い。
大戦時、米英は日本より遥かに戦場の情報を国民に流すように努めた。
日本はドイツほどではないが、偽情報を意図的に流した。
また軍部は徹底して記録隠滅を図った。

米国政府は政策決定過程を記録し保存し、後に為政者の判断が正しいかを検証する歴史があるが、日本には乏しい。
日本には、お上のやることに口出ししない雰囲気が残っている。
隠蔽状況は、現政権により強化され、昔に逆戻りしている。



 

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今後、何が起きるのだろうか?
このような場合、歴史上、一番起きやすいのは戦争でしょう。

世界の戦史を見ると、本当に敵国が一方的に攻めてくることもある。
だが往々にして自ら口火を切った戦争や、小競合いから始まり、互いに戦火を拡大させた戦争もある。

後者の場合、国民が些細な戦闘などの事実でもスピーデイに入手出来れば、早期に為政者や軍隊の暴走を防ぐことができる。
当然、マスコミが御用新聞でないことも重要ですが。
しかし、これが政府により捻じ曲げられたり、伝わらなけらばどうなるのでしょうか?
今回の二つの問題や南スーダンの自衛隊日報のような政府答弁では・・・。

その先に来るものは80年前に歩んだ道であり、今まだ御存命の戦争経験者の悲願を無にすることになるかもしれない。
歴史は、大惨事に至る道が準備されていることを教えてくれています。


今、私達に求められているのは先の大惨事を予見することです。