Wednesday, October 19, 2016

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 3: モスクワ 2







< 1.トロイツカヤ塔からクレムリンを出る >


今日も、前回に続いてクレムリンを紹介します。
ロシアとクレムリンの歴史に簡単に触れます。



 

< 2. クレムリンと赤の広場の地図、地図の上が南 >

前回に続いて聖堂広場の裏手Sから、黄色の線に沿って徒歩観光した道順に従って紹介します
赤線はグム百貨店の自由散策と夕食のレストランEへの道筋です。
食事後、バスに乗ってホテルに行きました。

今回、紹介するのは番号1から4までです。



 

< 3.クレムリン内部 >

上の写真: 地図の番号1。
「鐘の皇帝」は18世紀前半に作れた世界最大の鐘だが、制作中に一部が欠けた。
右手奥に見えるのがスパスカヤ塔で、その向こうが赤の広場。
鐘の向こうの建物がロシア連邦大統領府。
しかしプーチン大統領はほとんどここにおらず、郊外の別の建物で執務をしている。

中央の写真: 「大砲の皇帝」。
16世紀後半に作られた当時世界最大の大砲で、口径が890mmある。
使用されたことはない。

下の写真: 地図の番号2から撮影。
中央にトロイツカヤ塔、右に兵器庫、左にクレムリン大会宮殿。
クレムリン大会宮殿は最も新しい建物で、1961年に完成した。
当初は、ソ連共産党大会などが行われていたが、今は国際会議場や劇場として使用されている。


 

< 4. クタフィヤ塔を出たところ >

上の写真: クタフィヤ塔を出ると広場があり、左手がロシア国立図書館、右手がモスクワ馬術学校。

下の写真: 右手がクレムリンの城壁外側に伸びるアレクサンドロスキー庭園で左手がモスクワ馬術学校
奥にこれから行くマネージ広場が見える。



 

< 5. クレムリン城壁周辺1 >

上の写真: 地図番号3。
兵器庫に接した塔の下に、「イタリアの洞窟」があり、右手に「ロマノフスキーのオベリスク」がある。
これらすべて、数度の戦いの破壊後に再建されたようです。

下の写真: 地図番号4の方を見ている。
城壁の角にある塔の手前に無名戦士の墓があり、その手前に英雄都市12の地名の石碑が並んでいる。

この城壁にそってアレクサンドロスキー庭園の上部(北側)が続いています。
庭園の木々は黄葉していたので、陽が差していればさぞかし綺麗だったのに、残念です。


 


< 6. クレムリン城壁周辺2、地図番号4 >

上の写真: これは12ある英雄都市の一つで、地名ケルチを示す。
下の地図の黒丸がケルチです。

中央の写真: 無名戦士の墓の灯火を二人の衛兵が守っている。
これは第二次世界大戦で死んだ無名戦士の墓です。

下の写真: 12の英雄都市の地図。
英雄都市とは、第二次世界大戦の独ソ戦(バルバロッサ)でドイツ軍の侵入に英雄的な戦いを行った都市に与えられた名誉称号です。


ケルチについて
ここは黒海北岸のクリミア半島の海峡に面した港湾都市で苦難の歴史を負っている。

ケルチは古代ギリシャ時代より交易路の交差点として栄え、後に東ローマ帝国に支配された。
紀元9世紀に興ったキエフ大公国がこの地を支配し、この国が後のウクライナやロシアの起源となった。
後にトルコとロシアの争奪の地となり、19世紀クリミア戦争で英国によって蹂躙された。
幾たびかの戦火を生き延びたが、第二次世界大戦の独ソ戦でロシア側は16万人以上の死者・捕虜を出し、戦後、英雄都市に指定された。

1991年、ケルチはソ連崩壊に伴い独立したウクライナに属した。
しかし、2014年のウクライナ騒乱により、クリミアは独立宣言を行い、プーチン大統領はロシアへの編入を表明した。
欧米諸国はこれをロシアの侵略として非難した。



 
< 7. クレムリン城壁周辺3、地図番号4と5の間 >

上の写真: アレクサンドロスキー庭園の門を出て振り返ると、トロイツカヤ塔がライトアップされており、夕闇が迫っていた。

下の写真: 城壁に沿って進むと赤の広場に至る。
中央の白と緑の塔はニコリスカヤ塔です。


ロシアの歴史
私達日本人にとって、ロシアは独裁的で侵略的な怖い国のイメージがあります。
そこで簡単に歴史を振り返ります。


 

< 8. ロシアの領土の推移 >

上の地図: キエフ大公国(882~1240年)。
ピンクがその領域。

中央の地図: モスクワ大公国(1390~1525年)。
緑がその領域。
二つの黒丸はモスクワとサンクトペテルブルグを示す。

下の地図: ロシアの領域拡大の推移。


ロシアの始まりは東スラブ人による9世紀後半に始まるキエフ大公国で、13世紀まで続きました。
この大公国は黒海からバルト海を結ぶように南北に伸びていました。
988年、東ローマ帝国からキリスト教を受け入れました。
この大公国の首都キエフは黒の矢印、重要な都市ノヴゴロドは白の矢印、先述のケルチは赤の矢印で示します。
キエフは現在のクライナの首都です。
二つの黄色の丸はモスクワとサンクトペテルブルグで、歴史に登場するのはまだ先になります。

13世紀末、モンゴルが大公国の南部を東方から侵略した。
最北部にあったノヴゴロド共和国はその支配を逃れたが、スウェーデンやドイツ騎士団の侵入に悩まされた。
やがて、その南部で接するモスクワ大公国が勢力を伸ばし、1472年イワン3世がモンゴルの支配を脱し統一を果たし、ロシア皇帝を始めて名乗った。
モスクワはカスピ海に至るヨーロッパ最長のボルガ川の水運の要衝であった。

このモスクワ大公国が周辺を併合しロシア帝国(1547~1917年)が誕生する。
1917年、第一次世界大戦中のロシア革命によって、ソ連が誕生した。
さらに1991年、ソ連崩壊により、他の共和国とロシア共和国が独立した。


クレムリンの歴史



 

< 9. クレムリンの歴史1 >

上の絵: 13世紀後半のモスクワが描かれている。
椅子に座っているのがモスクワ大公国の王だろう。

中央の絵: イワン3世の時代(1462~1505年)のクレムリン。

下の絵: イワン3世の時代の聖堂広場。
左下の人物はイワン3世で、アルハンゲルスキー聖堂の建設を監督しているようです。
前回紹介したアルハンゲルスキー聖堂の屋根の飾りと似ており、聖堂広場での配置も一致する。
この聖堂はイワン3世が命じて1505~1508年に建設された。


クレムリンは1475~1489年に掛けて、三つの教会・聖堂が最初に建築された。
続いて1485~1499年にクレムリンの20の塔が建設された。
壁の総延長は2kmを越える。
1712から1914年まで、首都がサンクトペテルブルグに遷ったので、クレムリンの増改築は停滞した。
この間の1812年、ナポレオンがモスクワを占領しクレムリンの一部が破壊された。



 

< 10. クレムリンの歴史2 >

ポーランド・モスクワ戦争(1605~1618年)はポーランド・リトアニアの軍が内戦に乗じてロシアに侵入した動乱時代と呼ばれる。
この絵は1612年、国民軍がモスクワのクレムリンを奪還し、ポーランド人を追い出している様子を描いている。
この絵は私達が歩いたトロイツカヤ塔と陸橋を描いているのだろう。
その奥に聖堂広場の教会群が見える。
この翌年より、ロマノフ王朝が始まった。




 

< 11. クレムリンの歴史 >

上の写真: 1820年当時のクレムリン宮殿。
現在はこの後地に大クレムリン宮殿が立っている。

中央の写真: 1908年当時のクレムリン。

下の写真: この絵の建物を壊して1961年に現在のクレムリン大会宮殿が建った。

中央のトロイツカヤ塔の先端にロシア帝国の国章「双頭の鷲」が乗っている。
この国章は東ローマ帝国との姻戚関係によって受け継いだ。
現在の塔の先端には赤い星が乗っている。

共産主義国家の創建者、レーニンとスターリンは共にクレムリンに住んだ。
しかしレーニンは大きな宮殿の片隅で慎ましく暮らしたが、スターリンは他をクレムリンから追い出したそうです。


次回は赤の広場の夜景やグム百貨店を紹介します。



Sunday, October 16, 2016

Bring peace to the Middle East! 38: chain of retaliation 6 : the intifada




 
<  1.  The poster in 1990 >


At the time of 2003, Israeli and Palestinian together had pointed out that the intifada caused the aggravation of fighting as I already introduced in this serialization.
Today, I look back on this intifada.



 
<  2.  Intifada  >


About the intifada of Palestine
This means two popular uprisings that happened in Palestine against the occupation of Israel.
Israeli and Palestinian caused four Middle East wars and Lebanese War so far.

In December of 1987, when a traffic accident happened in Gaza Strip under the occupation by Israel, the public caused the protest movement with stone-throwing and going on strike.
And it expanded to the West Bank.
The intense suppression of Israel in this time caused international criticism, and the movement burnt low when Middle Eastern peace negotiations began in 1991.

However, the second intifada began when Sharon (later the prime minister) entered Al-Aqsa Mosque with many guards in 2000.




 
<  3. Al-Aqsa Mosque >


What did the intifada bring about?
 "The inhabitants confront the tyrant with a stone, and the Israel forces wipe out women and children with latest weapon.", this news and video spread around the world.
And the world opinion drew Israel into a negotiation of Middle Eastern peace.

Then, following Oslo agreement was concluded in 1993.
1. Mutually, Israel approves PLO as Palestinian autonomous government, and PLO approves Israel as a nation for the first time. 

2. The Israel forces withdraws provisionally from the occupied territory, meanwhile, Israel accepts self-government of Palestine.

3. In future we will discuss about the border, the return of refugees, and the position of Jerusalem

This agreement was epoch-making, but the self-government range of Palestine had been decreased to 5% of the whole land substantially.

In 1995, middle-of-the-road Prime Minister Rabin was assassinated, and a hawkish party held the political power of Israel.
Then, the Israeli settlement movement to the West Bank were accelerated, and then division and rule of Palestine deepened more due to the separation barriers of 440 km, and the checkpoints of more than 70.

At that time, Sharon, the leader of Likud marched with 1,000 guards into the mosque which was a sacred place of Islam.
He showed that all of Jerusalem was under the control of Israel.
Against this provocation, Palestinian new groups did a severe reaction.
And Israel used the overwhelming military capability, then Palestine countered with a gun and a suicide bombing and they entered into all-out war.




 

<  4.  Autonomous areas of the Palestinians are green, and they haven't a police authority on the half part of it. >


Why do they fall into such futile impasse?
Israel builds checkpoints and separation barriers, in addition, Israel does military strikes and stays their troops.
Israel have explained the reason is because Palestinian breaks a promise and repeats terrorism.
On the other hand, the territory of Palestine continues to decrease to 9% even if including the incomplete autonomous districts, in comparison with two years (1946) before the founding of the nation of Israel, because the settlement movement and the occupation of Israel advances.
Furthermore, Israel have blocked information, supplies, water, and jobs from the Palestinian people.

The dissatisfaction went off accidentally, and the first intifada spread at a stretch, but the people still could do self-control.
However, in the situation that continues to worsen, the radicals who could not be satisfied with previous leadership PLO responded to a provocation of Israel, and blasted.
As a result, Israeli control advanced as expected.



matter for regret
Against Israel that has the overwhelming military capability and was supported by advanced countries, Palestine and Arab are inferior with economic force and military capability, and also cannot form a coalition together and only do patchwork response.
This was similar to the Middle East war.
Israel strengthened the control, and Palestine deepens division and isolation.
They went into an inescapable plight.

This continues the next.





Wednesday, October 12, 2016

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 2: モスクワ 1







< 1.ブラゴヴェシチェンスキー聖堂、地図2のD >

今日は、最初の訪問地モスクワを紹介します。
空港からモスクワのクレムリンまでの車窓の眺めとクレムリンの聖堂広場を紹介します。


はじめに
私達の飛行機はドバイ空港の混雑で出発がかなり遅れて、クレムリン到着は5時になり、また曇天だった為、薄暗い中での観光になった。
教会の閉館時間が迫り、拝観出来たのは一つだけだった。

しかし、良いこともあった。
それは次回紹介する赤の広場のイルミネーションを見ることが出来たことです。




< 2. 地図1: 空港からクレムリンまで >
衛星写真はすべて上が北です。

上の写真: 到着したドモジェドヴォ空港からモスクワ中心部クレムリンまで約45km。

下の写真: S印は赤の広場を示す。
その下側の三角形の茶色の城壁で囲まれた部分がクレムリンです。
さらに下側を流れるのがモスクワ川です。




< 3. 地図2:クレムリン内の聖堂広場 >

私達は左上のクタフィヤ塔から入場し、トロイツカヤ塔をくぐり、クレムリン内に入った。
そして白い近代的な建物のクレムリン大会宮殿(下側)と兵器庫の間を通り、聖堂広場に向かった。




< 4.空港からモスクワ中心部まで 1 >

上の写真: ドモジェドヴォ空港。
空港周辺は鬱蒼とした森林とのどかな田園地帯です。




< 5.空港からモスクワ中心部まで 2 >

やがて高層のアパートが増えて来ますが、建物は無味乾燥で古いものが多い。





< 6.空港からモスクワ中心部まで 3 >
すべてモスクワ川です。

下の写真: モスクワ川に立つピュートル大帝像。

ここまで来ると人口1200万人の大都会を彷彿とさせます。




< 7. クレムリンに到着 >

上の写真: モスクワ川に沿って続くクレムリンの城壁。
下の写真: トロイツカヤ塔がクレムリンの入り口。




< 8. トロイツカヤ塔の直前 >

上の写真: アレクサンドロスキー庭園を見下ろす。
下の写真: クタフィヤ塔の向こうに市街が広がる。



< 9. 聖堂広場に向かう >

上の写真: パトリアーシエ宮殿の下をくぐると、聖堂広場に出る。地図2のA。
下の写真: イワン大帝の鐘楼。地図2のB。





< 10. 聖堂広場の真ん中から >

上の写真: 奥にパトリアーシエ宮殿、右手にイワン大帝の鐘楼、左手にウスペンスキー大聖堂(地図2のC)が見える。
時間が間に合っていれば、ウスペンスキー大聖堂の内部に入った。

下の写真: 内部を見ることが出来たアルハンゲルスキー聖堂。地図2のE。





< 11. アルハンゲルスキー聖堂内部 >
内部は撮影禁止なので、画像をhttp://archangel-cathedral.kreml.ru/から借用した。

アルハンゲルスキー聖堂について
これは天使ミカエルを祭ったロシア正教会の聖堂です。
現在の建物は14世紀の大聖堂のあった場所に16世紀初め建設された。
壁面を埋め尽くすフレスコ画は16から17世紀に制作された。
奥の部屋との仕切りになっているイコノスタシスには17~19世紀のイコンがはめ込まれている。
ここには17世紀までの54名の皇帝や王が埋葬されている。

上の写真: 華麗なイコノスタシス
中央の扉を開けると最も神聖な場所に至る。
この扉の上にキリストと聖母マリアの絵が連なっている。
さらに最後の晩餐の小さな絵が扉のすぐ上にあり、これは正教会の決まりだそうです。

下の写真: 出口に向かって壁面右側上部に最後の審判の絵がある。


思うこと
私が正教会の内部を見るのはモンテネグロのコトル以来ですが、これほど絵画で埋め尽くされた建物を見るのは初めてだった。

特に印象深かったことは、「最後の晩餐」と「最後の審判」が重要な場所に描かれていることでした。
「最後の晩餐」はイエスが信じる人々に恩寵(パンと葡萄酒:血と肉)を与える重要なシーンです。
「最後の審判」はイエスが再臨し、良き人々を永遠に救うことを意味する。

信者は扉に向かって礼拝するとき、神の恩寵の思い、また退出する時には、最後の審判による永遠の安らぎを確信することになる。



次回に続きます。