Saturday, September 28, 2019

北欧3ヵ国を訪ねて 85: 北欧の旅を終えて 6 : 北欧の国民性 1







*1


なぜ北欧は成功したのか


彼らの国民性が幸いしている

経済的側面から見ると、旺盛な海外志向が大きい。
これは多言語教育や、規模を問わず海外進出を図る企業や個人の姿勢に見られる。

社会的側面から言うと、高い政治と社会意識が大きい。
これはほぼ全員のボランティア参加や高い投票率に見られる。

この淵源はどこにあるのだろうか?
これはヴァイキング時代に遡るだろう。

ヴァイキングの大遠征(北米への航海など)は先駆を成すもので、危険極まりないものでした。
当初は、作物が採れない冬期の交易の為で、スカンジナヴィア半島内を行き来するものでした。
やがて航海術の向上、西欧の発展による交易のメリット、西欧からの侵略への対抗策として、逆に遠洋航海による交易と侵攻に向かったのだろう。
そして彼らが非キリスト教だったことが暴力行為への抵抗を弱めた。

もう一つの側面は共同体の有り様でした。
ヴァイキングが作った国、アイスランドは直接民主主義でした。
遠征時のヴァイキングのリーダーも仲間によって選ばれた。
このことは出港地の村落共同体でも同じでした。


 
*2


ヴァイキング精神は今も生きているのか?

逆に、国民性は何百年も経てば特徴を無くしてしまうのでしょうか?
実は、国民性を育む文化、特に生業と家族形態が存続していれば、国民性は生き続けます。

ヴァイキング精神はゲルマン文化と氷河後退地の地形と気候が育んだと言える。
言語や法意識(村の掟)は、農耕と牧畜を生業としたゲルマン文化を受け継いだ。
一方、寒冷気候と痩せた土壌、平らな大地を縦横に貫く遠浅の湖や河川、また荒海から深く入った良港のフィヨルドは、北欧の生業と交通手段を規定した。
それは水際の小さな村落で漁労、農業、牧畜を細々と兼業していくことでした。
そして喫水の浅いボートで遠くまで交易することで不足の資材を補った。

このことにより、アジアのような大規模な農耕地と大都市の出現が遅れ、
かつての地中海の海洋都市国家のように、植民都市開拓や交易に重きをおくようになった。
このことが、後に誕生した王や貴族への権力への集中が遅れた理由でしょう。


この背景になっている状況は、それほど変わらなかったと思う。
ノルウェーなどはむしろ海上運輸や海洋資源を生かし続けている。

おそらくは国民性を育む最も重要な家族制度にも変化はなかっただろう。


 
*3

ストックホルムとオスロの巨大な墓苑を見たが、多くはシンプルな墓石で装飾にあまり差が無く、大きさにも差がなかった。
そして区画ごとに整然と並んだ墓石群、森林に囲まれた様子を見て、今なお、かつての国民性は健在だと感じた。
(新しい一部の墓石には大きなものや華美なものもあったが)

人は墓に最も保守的な側面、自然や社会への意識を遺すものです。


次回に続きます。


No comments:

Post a Comment