Sunday, September 11, 2016

南信州を訪ねて 4: 満蒙開拓平和記念館






< 1.満蒙開拓平和記念館  >


今日は、満蒙開拓平和記念館を紹介します。
念願かなって、満州移民の実情を知ることが出来たことは幸いでした。



満蒙開拓平和記念館について

満州移民の実態がわかりやすく展示されています。
また全国で、この種の展示はここだけですので、非常に貴重です。
私達が訪問した時は、多くの人が来ておられました。

しかしこの場所はわかりにくいので注意してください。






< 2.阿智村と満州 >
上の地図: 赤丸が阿智村、赤枠がかっての満州、満蒙開拓団の地です。

下の図: 県別の開拓移民数。
全国の開拓移民数27万人に対し、長野県は断トツに多かった。
長野県は満蒙開拓青少年義勇軍10万人でも、最大の送り手だった。






< 3.満蒙開拓民の現実 >
この3枚の写真は満州の記録写真です。
館内は撮影が出来ませんので、HPから転載しました。

上の写真: 記念館の入場券。
中央の写真: 16~19歳の青少年からなる満蒙開拓青少年義勇軍。
下の写真: 記念館内の展示。




< 4. 満蒙開拓平和祈念館  >

館内は大きくないが、要点を絞ってわかりやすく展示している。
また、学芸員が質問に丁寧に答えてくれ、多くの疑問が解消した。

展示内容
*満州移民の歴史
*満州での開拓団の映像
*入植地図や満州の生活。
*敗戦と逃避行。
*引揚げと再出発。
*引揚げ者のコメントと証言ビデオ。
*中国残留孤児と帰国支援事業。
など




< 5. 満蒙開拓のポスター >

参考に、当時の満蒙開拓民募集のポスター。




< 6. 満蒙開拓民の所在地 >

参考に、当時の開拓民の所在地。



満蒙開拓平和記念館に思う
満蒙開拓は満州事変と共に始まり、農民は国の移民奨励を疑わず希望を抱き海を渡った。
しかし、現実の暮らしは劣悪で、その本当の狙いは軍主導による人間の盾でした。
農民はそれを奥地への配置と敗戦時の置き去りで身をもって知ることになった。
そして長野県の未帰還者は49%に上りました。
その後の引揚げも遅々として進まず、さらに引揚げ者の多くは故郷に帰れず、全国各地の未耕作地に割り当てられた。

さらに二つの事実も忘れてはならないでしょう。
それは当時の長野県の自治体と教育者が積極的に移民に関与したこと、満州の中国人がさらに過酷な目にあったことです。
ここで不思議に思うのは、長野県は社会運動が盛んな土地柄でしたが、治安維持法などで反戦派が潰されると、対立する好戦派が攻勢に出た感があることです。

ここが開館したのは最近の2013年で、民間施設では日本ではここだけです。
なぜなのか?
それはこの地が長野県でも最大の移民者を出し、悲哀を味わったこともあります。
しかしそれだけではありません。
現在、「戦争する国」の悲劇を伝える語り部、引揚げ者の高齢化が進んでいます。
この地の人々は危機感を持って平和と中国友好に向けて行動したのです。

次回に続きます。






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