Tuesday, January 21, 2014

社会と情報 8: ベトナム戦争を止めようとした男

ベトナム戦争

< 1、ベトナム戦争 >

ホワイトハウスの内部から、一人の男がベトナム戦争を止めようと動いた。
彼の行動は、盛り上がりつつあった反戦運動の火に油を注いだ。
政府は彼を「アメリカで最も危険な男」と呼んだ。


ベトナム戦争

< 2、ベトナム戦争 >

彼の内部告発を語る前に、ベトナム戦争の概要を紹介します。
1961~75年、米国がベトナム全土で戦った。
敵味方の総兵力330万人がジャングルと水田で戦った。
投下爆弾は第二次世界大戦の3倍以上だった。
行方不明・死者の総数は800万人を越える。
米国は兵員最大55万人を送り、日本のGDP1年分に相当する戦費を使い、死者6万人を出した。


1975年、ベトナム戦争終結時 

< 3、1975年、ベトナム戦争終結時 >

戦争の経緯
この地域はフランスが長らく植民地としていた。
第二次世界大戦後、米ソは冷戦時代に突入し、この地でも独立運動が起きた。
米国は「共産勢力の侵略から自由主義陣営を守る」を旗印に、ベトナムの南部に傀儡政権を樹立、経済・軍事援助を開始した。
米国の軍高官は、小さな後進国を圧倒的な戦力で制圧出来ると楽観視していた。
しかし、戦況は泥沼、膠着状態となる。
ホワイトハウスが如何に言い繕っても、真実は漏れ、国民に厭戦気分が徐々に広がっていった。


反戦デモ

< 4、反戦デモ >

70年には全米で百万人の反戦デモが起きた。
ニクソン大統領が名誉ある撤退を模索する間にも、戦争は拡大していった。
この時期、エルズバーグ博士が内部告発(ペンタゴン・ペーパーズ事件)を行い、2年後完全撤退が行われた。
この撤退の2年後、ベトナムは統一され共産国家になった。
米国は多大な人命、戦費、爆弾を費やして、遂に目標を達成出来なかった。
50年代のベトナム介入から、完全撤退まで5人の米国大統領がこの戦争に関わることになる。


1971年、ペンタゴン・ペーパーズ暴露記事 

< 5、1971年、ペンタゴン・ペーパーズ暴露記事 >

ペンタゴン・ペーパーズ事件とエルズバーグ博士
1971年、ニューヨーク・タイムズ紙が国防総省の極秘ファイルを連載し始めた。
これはエルズバーグ博士が、国防総省内でコピーして持ち込んだものでした。
この資料は「ペンタゴン・ペーパーズ」と呼ばれ、1945年から68年の「ベトナム政策の意志決定過程」の調査報告書で、省内のあらゆる記録情報が網羅され、7000頁に及んだ。


エルズバーグ博士

< 6、エルズバーグ博士 >

彼はこの調査報告書の作成にも関わり、かつ閲覧を許されている10名程の内で、全編を読んだ数名の一人だった。
彼は経済専門だが、国防総省内でゲーム理論を使い核抑止の政策や実際の侵攻計画を練っていた。
端的に言えば、彼は戦略研究者であり情報分析官、作戦立案者であった。
彼は国防省の将官クラスとして、またホワイトハウスにも出入りしベトナム戦争に深く関わることになる。















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