Tuesday, August 21, 2018

北欧3ヵ国を訪ねて 21: 歴史博物館へ






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今回は、ストックホルム中心部にある歴史博物館を紹介します。
その前後に歩いた街の様子も紹介します。
写真撮影は、2018年6月1日(金)14:15~17:30です。




 
< 2. 散策ルート、上が北 >

上の衛星写真: ストックホルム中心部を示す。
下側中央に川に浮かぶ小さな島ガムラ・スタンが見える。
赤い矢印がストックホルム中央駅です。
黄色い矢印が前回紹介した地下鉄のUniversitetet駅です。

SがT14地下鉄のÖstermalmstorg駅で、Universitetet駅から直通でここまで来ました。
ここからSwedish History Museumへ歩いて行き、見学後、二つの公園を見ながらEまで行き、この日の観光を終えました。

下の衛星写真: 散策ルートの拡大。


 
< 3. 地下鉄Universitetet駅 >

ストックホルム全体が大きな岩盤で覆われている為、地下鉄は深い。
郊外に行っても大きな岩盤が至る所に見られる。
どこの地下鉄駅もけばけばしなく清潔で、それぞれが洗練されたアート空間になっている。



 
< 4.地下鉄Östermalmstorg駅へ >

上の写真: Universitetet駅。

ここでもやはり移民の多さが目についた。
しかし車内での非ヨーロッパ系人のマナーや服装から受ける印象では、多くは来たばかりの移民では無いようです。

北欧では母だけに育児を押し付けない社会(男女共の長期育児休暇など)になっており、スウェーデンの出生率は日本の1・43より高い1.94になっている。
これでも高齢化と人口減少はわずかに進むことになる。
これを入国移民でカバーし、人口増加率約1%を確保し、若年層が細らない人口ピラミッドの形を維持している。

移民の状況について。
現在、スウェーデンの入国移民の割合は全人口の20%で、2006年頃から毎年の入国者数は10~15万人(1~1.5%増)で、以前の5万人に比べ拡大傾向が続いている。
逆に毎年5万人の出国移民が続いている。
入国移民の理由は労働移民21%、次いで家族の再開20%、EU圏内から18%、学生14%、難民12%です(2010年)。
スウェーデンの入国移民は、ほとんどがストックホルムを含むスウェーデン南部の都市部に集中している。
入国移民の上位はフィンランド、イラク、ポーランド、イラン、旧ユーゴスラビア、シリアです。
(移民のカウントは本人と両親が外国生まれの場合です)

下の写真: Östermalmstorg駅を出たところ。


 
< 5. 歴史博物館に向かう >

上の写真: 最初、川の方に向かって南下した。
通りの向こうに川面が見え、突き当りまで行くと左手に立派な王立劇場が見える。
途中、立派な教会Hedvig Eleonora Churchと武器博物館の横を通って行きました。


下の写真: 歴史博物館に隣接するSwedish National Heritage Board
これは国家遺産を管理する事務所のようです。




 
< 6. 歴史博物館 >

上の写真: Swedish National Heritage Boardの正面玄関から南側の通りを望む。
突き当りまで行くと川向こうにユールゴーデン島が見えるはずです。

下の写真:  右側に歴史博物館の小さな玄関が見える。
あまりにも飾り気のない建物で、少しびっくりした。

Swedish History Museum http://historiska.se/home/
開館は6~8月で毎日10:00~17:00です。
無料です。

北欧の美術館や博物館は開館時間が遅く、終わるのが早い。
またシーズンオフではさらに時間が短く、休みも多くなる。
旅行計画には注意が必要です。

この後、多くの博物館に行きましたが、入館前、多くは手荷物をロッカーに預けなければなりません。
その方法は電子式が多く、使い方に慣れていないので慌てることになりました。
結局はトラブル無しに無事済ませましたが。


この博物館の展示をすべて見て回りましたが、ここでは特に興味を惹かれたものだけを紹介します。






 
< 7.歴史博物館の展示 >
全て歴史博物館HPの写真を借用。

上のフロア図は1階(ground floor)を示し、紫色部分がヴァイキングの展示スペースです。
赤い矢印が玄関です。

その下の写真がヴァイキング展示の入り口付近です。
ヴァイキング達が暖かそうな服を着、鎖帷子を身に着けていたことを知りました。

その下のフロア図は2階(1st floor)を示し、オレンジ色部分が「中世の虐殺」の展示です。
その下の写真がこの展示の一つです。

「中世の虐殺」は新たな歴史的興味を起こさせてくれた。
ここではバルト海に浮かぶゴットランド島(gotland)で起きた14世紀の戦争を紹介していました。

この島は古くからヴァイキングで栄え、後もバルト海交易の要衝となっていた。
デンマーク国王が帝国拡大を目指し、侵攻したのがこの島だった。
この戦いで中心地の城塞ヴィスビーは陥落し殺戮と略奪が行われた。
ここを重要な貿易拠点としていたハンザ同盟は各都市から艦隊を集めてデンマーク攻撃を敢行し勝利した。

この島には北ドイツ(リューベックが中心になって港湾都市の連合体ハンザ同盟を作った)と北欧がバルト海の交易を巡って覇権を争った歴史があった。


フロアの緑色部分が「11世紀からのスウェーデンの歴史」の展示です。

「11世紀からのスウェーデンの歴史」は少ない展示ではあるが、初期王朝から年代順に展示されており変化がわかりやすい。


 
< 8. 金の展示 >
上二つは歴史博物館HPの写真を借用。

上のフロア図は地下1階の「金の部屋」を示す。
その下は5世紀の金装飾品を示す。

三ヵ国の博物館を巡って驚いたのは、ヴァイキング時代には西アジアや西欧から金(硬貨など)を大量に集め、豪華な金製宝飾品を所有していたことです。
これらの入手は略奪、身代金、または交易によるものだろう。
また金の所有目的は通貨か、奢侈品か、はたまた贈与の為なのだろうか。

このような金製宝飾品がまばゆく輝く状況を想像できなかった。

下の写真: メラーレン湖の島にあったヴァイキング拠点ビルカのジオラマ。
ビルカは8~10世紀に栄え、スウェーデンではゴールデン島と並ぶ、最古層の拠点としで、人口は最大1000人ぐらいだった。







 
< 9. 歴史博物館の中庭 >

上の写真: ヴァイキング船の模型。
ヴァイキングが遠征活動を活発化させるのは写真のような帆柱を立てることが出来てからです。


全体の感想。
多くの展示室の照明が非常に暗く、写真撮影に困った。
あまり展示品が豊富ではないように思う。
展示の仕方に工夫があり、歴史を知るには良い博物館です。



 
< 10.Karlaplan公園 >

歴史博物館近くの円形の公園です。
17:00頃です。
ベンチはほぼ埋まっており、多くは中年以上のカップルが多かったように思う。


 
< 11. フムレ公園、Humlegården >

中心部の公園としては最大のようです。
ここは元々王家のフルーツガーデンで、名前の由来はビ―ルに使うホップから来ています。
ここには王立図書館と植物学者リンネの像があります。

たくさんの市民が木陰の芝生に座り、談笑し寛いでいる姿を見ました。
長辺400mmと敷地が巨大なので、ゆったりとしています。



 
< 12. 市場、 Östermalms Saluhall >

上の写真: 楽しみにしていた市場です。
中には魚介、肉などの食品店やレストランがたくさん並んでいます。

下の写真: 市場の前の通りは人で溢れつつありました。

この日は疲れたので、他の観光を断念し、同じ地下鉄駅から中央駅に出て、駅のロッカーで荷物を出し、次のホテルに向かいました。



* 街を歩いて感じたこと

首都の中心部なのに車が少なく、その分自転車が多いように思った。

お年寄り、特に高齢(70~80歳ほど)の女性がおしゃれをしてかくしゃくとして歩いている姿が目についた(数は少ないが)。
車椅子や杖を使う老人や、娘などの付き添いを伴う姿をほとんど見なかった。
何か日本と違う気がした。



次回に続きます。




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